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44番 プーケットでの修理 2003年5月〜7月
5月30日 プーケットシャロン湾にアンカーを降ろしてから、今度は ニコバル島で
同乗してきた密航ネズミの捕獲作戦を実行しなければならない。
今回のネズミは小さい様で何故かメスの感じがするのである。
上陸して、ネズミ捕り機を買ってくる。
船内にある食べ物は全て片付けて、おいしそうなビスケットを吊るす。
これで多分捕まえる事ができるだろう。
捕まえたら、陸へ連れて行き放免してやる積りである。
発電機を取り外し、修理に持って行こうと考える。
遊帆UFOの側を、ボートが行き来しているので、呼び止める。
”君たちは、陸まで送り迎えのサービスをしてくれるのか?”
遊帆UFOはアンカリングポジションを選べない為、随分と沖合いに泊めていて、
2馬力の船外機では大変なのである。
”OK. 食事のサービスもするよ。朝ご飯は食べた?”
”いや未だなんだ。何でも食べるから持ってきて。”
10分もしないうちにご飯と野菜と肉の炒め物を持ってきてくれる。
お金を払おうとすると、
”いや今回はいらないよ。上陸するのはいつ?”
”1時間したら 迎えに来てくれる?”
今日は、お金の交換と体を休める為にプーケットの市内に行く積りである。
”私の、兄さんはコックでプーケットの町の事は良く知っているから、何でも頼んだら?”
彼の名前はナイといい、兄さんはジョイと言う名前である。
とりあえず、兄さんのジョイに発電機の修理と中古のマストの情報を頼んでみる。
彼は、バイクでプーケットの町まで送ってくれる。
何故か分からないが大変親切なので一応甘える事にする。
プーケットは、去年 ユキさん 福井さんと来たので、大体分かっている。
夕食は、市場の屋台へ行く。
オカマのオネエチャンがいる所へいくと、覚えてくれていて何かと気遣ってくれる。
タイ料理はとても美味しいのである。
味はマイルド、薄味で、中華潮洲料理に近い。
今までの反動からか、食べすぎ気味になる。
この調子で食べたら、10日もすれば又元のビア樽の形に戻りそうである。
31日 揺れないベッドでエアコンの効いた部屋、天国のようである。
ジャックヒギンスの本を買ってきて、一日中部屋で本を読み、又寝て、
飽いたらインターネットカフェへ行く。
メールも沢山未開封で、殆どが安否を気遣うメールである。
こんなプータロウの私を沢山の人が見守っていてくれる事にどれだけ勇気付けられた事か。
改めて御礼申し上げます。
6月2日 太田さんから、るるの鈴木さんがなくなられたとのメールが入る。
ヨットクラブが同じでありながら、私は殆ど日本にいない為、お互いに顔を会わせての付き合いは
ほんの少しながら、ヨットの仲間として相通じる方であった。
御自分の健康は百も知りながらのメルボルンダブルハンドヨットレースに参加された勇気とファイトに
敬服するばかりである。
よくぞ、完走されたものである。
心から敬意を表したい。
5年位前であろうか、アリランレースの後、鹿児島の三島レース参加の為回航するのに、
暫らく、ハウステンボスに係留し、丁度そのとき私もハウステンボスに遊帆UFOを泊めていた。
”オバタサンの様に、いつかゆっくり、ワイフとクルージングしようかな。”
と言う言葉は今でも印象に残っている。
3日 密航ネズミは、餌を食べている気配がない。
ビスケットから好物のバナナに変えたのに、動いていない。
船内で死んでしまったのだろうか?
タイの朝食は、泊まっている前の食堂でオバサンが、鍋に何種類ものオカズを作っている中から、
好きなものを選ぶとご飯の上に乗って出てくるのである。
大体、40バーツ(100円程)である。
インド ニコバル島での食事が 今となっては時々食べたくなるのは人間とは勝手なものである。
朝食を食べていると、同じツルピカ頭のドイツ人が来たので、同じテーブルに座るように言う。
頭の禿具合は、同じでも若そうである。
”観光できたのかね?”
”いや,向かえの店でダイビングショップをしているんだ。”
”景気はどうかね。随分とどこも暇そうだけど。”
”いや、今年はもう全くダメです。最初は戦争で次は肺炎騒ぎでね。
貴方は日本人でしょう。私のワイフも日本人で今は東京に戻っているんだ。”
”いつ、戻ってこられるの?一度会いたいね。”
ここタイは、流行の肺炎患者はいないそうであるが、新聞を見ていないので良く分らない。
観光産業にとって、平和と安全が重要な第一条件であるのが良く分る。
海外では、バックパッカーが読んだ本を売って又買っていく中古市場が確立していて、
どこでも安く本が買えるので、今度はダニエルスチールを買ってきて読む。
殆ど一日中本を読むか、寝るか食べるかのパターンで体のラインもビヤ樽に戻りつつある。
私はどうしようもない根っからの横着モンなのかもしれない。
こういう生活が一向に苦にならないのである。
ニコバル島での、自由の無い環境に置かれて、私にとって如何に自由が重要であるかが良くわかった。
どこへでもいける自由、別に欲しい物は無いが品物を見て回る自由、どんなものでも
選んで食べられる自由等、全てにおいて自由でないと耐えられないのである。
インドで新聞記者の質問で
”何の為に一人でセーリングをしているんですか?”
には、自分自身でもわからず、いつも答えは
”答えを探す為にセーリングを続けているんです。”
と言っていたが、その答えの一部を見つけたかもしれない。
誰もいない海に出ると、全てから解き放たれたような解放感が満ちてくるのである。
海に出て如何に厳しい状況であっても、2〜3日もすれば、もう忘れてしまっている。
懲りない馬鹿な男なのである。
12日 家村さんから、部品がEMSで届いた。
僅か、3日位で日本から届くのである。
シャロン湾で船外機の修理をしている店で、一人修理のヘルプに雇う。
”名前は何ていうの?”
”チャンです。 明日の朝8時に船まで行き浜でビーチングして修理しましょう。”
13日 引き舟に乗ってチャンがやってくる。
丁度今日は大潮近辺で浜は殆ど波が無い絶好のポジションである。
ここプーケットで小型のチェ〜ンブロックを買ってきたので、マストの竹をばらして釣り揚げ足場を組む。
何度も分解しているので、手馴れたものであるが、今回クラッチ盤が新しいので、
厚みが変わりシムプレートを何枚入れたらよいか分らないのでとりあえず3枚入れて組む。
摩擦が大きく問題なので、1枚にして組む。
今度は、問題なさそうである。
中古マストの情報がウエインやら二ールから入る。
暫らくUFOは モーターボートに変身である。
船外機の40HP位のをつけて、波の無いときは、スピードボートにしようかなどと考えている。
16日 今借りている部屋を1カ月借り切ると4000バーツと割安なので6月30日まで借りている。
3階立てで、部屋の広さは10畳位 ダブルベッドに机、たんす、トイレ ベランダとあり、床はタイル張りで
清潔であり、1週間に2度シーツ類を取り替えてくれる。
近くにマーケットもあり、夜になると沢山の屋台がでていて、好きなものを選ぶとプラスチックの
袋に入れてくれる。
私は近くのアラモノヤで、ステンレス製の3段重ねの弁当箱を買ってきたのでそれに入れて貰う。
スープ類を入れてもこぼれない優れものである。
各店の味付けは異なるが、1品約20バーツ程で、60バーツ(150円)程で豪華食事の出来上がりである。
自分で作るより安上がりである。
私は麺類が好きで、良く食べるのだが、中華そば風麺、春雨風麺、ビーフン風麺、きしめん風麺と
4種類位あり、その麺のスープ入りと焼きそばのように炒めたもの2種類がある。
テーブルには、唐辛子、酢、砂糖、ナンプラーと4種類の香辛料がおいてある。
タイ人は、とりあえず全てを放り込んで食べているので私も同じようにして食べるが美味である。
タイの料理は、中華風とインド香辛料入り料理方の接点のような気がする。
18日 雨季に入ったらしくここ2日ほど前から、キツイ雨が降る。
遊帆UFOも綺麗に洗ってくれる。
タイの観光滞在許可日数は1ヶ月なので、今月末までいることができる。
次はマレーシア ランカウイ島に行ってマストを探すつもりである。
今回のインド往復を振り返って、昔の帆船時代は季節を間違わなければ案外と簡単に
行き来出来たのかもしれないと思う。
インドからタイまでは、陸路よりも安全で大量の荷物が運べて、経費のかからない航路だったであろう。
けれど、ランカウイ島からシンガポールまで浅瀬と航路の幅も狭まり海賊が出没する危険航路だったのである。
食料と水はどうしたのかを考えると、勿論樽に水を入れて持っていったであろうが、ココナッツを
沢山積み込んだに違いない。
ニコバル島での食事が昔からの食事だったような気がする。
もしそうだとしたら、小麦粉やら大麦粉やら米の粉やらその他の粉を混ぜて、ココナッツの殻でドーサやら
プーリやら、チャパチをやいたのであろう。オカズは勿論カレーである。
水不足の船上では、米を炊くより水も節約でき又、船が少々揺れても食べ易く、合理的だったかもしれない。
ココナッツは飲み水としてもビタミン豊富で、中の身はミルクやら料理に使ったに違いない。
長期保存が簡単で船にピッタリの食事である。
25日 今、部屋を借りている主人は中国系タイ人のようで、いつもニコニコして分らない事を教えてくれる。
ミャンマーから、不法入国してきた男性が一人住み込みで掃除やら洗濯の仕事をしている。
彼は、ミャンマーに家族を残し、一人タイへ来て、家族に送金しているらしい。
タイの警察官に1ヶ月700バーツを支払わなければならないらしい。
ミャンマーは、タイより物価が3倍程して生活できないらしい。
ここタイでも、その日をどうやって暮らそうか、という人達が多いのに、ミャンマー人からみると、
未だ良いのかもしれない。
アジアの人々は、毎日働いてもそれ以上のお金が出ていき、一生お金を持つ事はできない。
同じ人間でありながら、労働賃金、いや、もっとハッキリいうと人間の価値に差をつけられているのである。
先進諸国の人間とアジア人が同じ仕事をしても、労働賃金は違うのである。
アジア人の生産したものは安く、先進諸国の人間の生産したものは高いから一生働いても、
リッチになるわけが無いのである。
日本も目に見えないが、同じ状態になりつつある。
日本の若者は、社会保健、厚生年金、所得税が、所得金額の高比率を占め、それに加えて、住宅、電気
水道、電話、石油、高速道路、鉄道料金等、世界中で一番高く支払っているのに気がつかないのである。
日本人は、政治家の決定に従順でおとなしくデモの一つも起こらない。
フランス等は石油が値上がりしただけで、デモ騒ぎである。
27日 タイでの滞在許可期間がビザ無しの場合は1ヶ月である。
私の場合は、ヨットの入国なので、同じ船で出国しない時は、税関に20,000バーツを
あずけなくてはならない。
プーケット市内にある、Thai Farmer Bank で口座を開設し20,000バーツと手数料を支払って、
証明書を貰い、その書類をイミグレーションに持って行き、又証明書をパスポートに添付するのである。
勿論、再入国時に返還される。が、保管期間は1年間有効なので、タイに滞在する可能性が、
ある限りは、そのまま置いておく方が手数料が1回で済むことになる。
7月末から9月始めまで1ヶ月余りの日本への一時帰国を考慮中である。
遊帆UFOをここシャロン湾に置いておくか、ペナン島まで戻りクオさんに預けようかと迷っている。
また、バンコックからの格安往復航空券は殆ど1ヶ月以内なので、帰国のタイミングも考慮中である。
7月1日 朝6時、シャロン湾の近くの旅行代理店から、ミャンマーまで日帰りコースを利用する。
マイクロバス代金1000バーツと500バーツのミャンマーのイミグレーション手数料と朝昼食事代を払う。
プーケット島の何箇所かでお客を拾いながら、ミャンマーの国境(Ranong)へ向かう。
今回、お客は7人で、そのうちの4人が私と同じように、ヨーロッパからヨットできている。
Ranongまで、約5時間北へ向かってマイクロバスは走る。
途中は、一度山越えになりながら半島の西海岸に沿って舗装された道路が続いている。
海岸沿いには、多数のリゾートが見えるが、お客が少ない為かやはり活気が無い。
Ranongの町に着くと、エンジンからから直接伸びた長いプロペラシャフトを操作するタイ独特の船で、
対岸のミャンマーの町(Kaw Thaung)へ行く。
湾内は水深が無いようで、あちらこちらに小さな島やら、生け簀のようなものがある。
奥の方に、3隻程マストがあるのを確認したので、ミャンマーもヨットでの入国が可能なのであろう。
しかしながら、私の第一印象ではあまりヨットに良い場所でなさそうである。
タイ側にもミャンマー側にもそれぞれイミグレーションとカスタムが海上の入り口にあり、漁船やら、
貨物船をチェックしている。
10分程でミャンマー側に到着し、そのまま船内で10分程待っていると、旅行代理店のスタッフが
全員のパスポートを持って帰ってくると、直ぐにタイへ引き返すのである。
これで、又1ヶ月滞在できるというシステムである。
又、350km程の道程を5時間かけて、引き返すのである。
何か、無駄なような、無駄でないような割り切れない感じである。
2日 雨季に入った為か、今日も朝から激しい雨である。
借りている部屋のシャワーよりも、雨の方が激しい水量である。
先月借りていた部屋は4000バーツだったが、向かいにある今度の部屋は3500バーツである。
同じ様に3階立てで、今回は道路に面していない部屋を選んだ。
広さも10畳程あり、バストイレ付で床はタイル張りで静かで清潔である。
マストに関しては、タイで木のマストを注文すると、約15万円程しそうである。
スプレッダーやらリギンやらセールやらを追加すると50万円位は必要だろう。
湾内にチャーターヨットの仕事をしているMaximというドイツ人と知り合いになり、
彼は、タイで購入できるアルミニュームチューブ(直径15cm 厚み4mm 長さ6m)を2本?いで、
マストを製作中なので見せてもらった。
これだと、材料費は5万円程であるが、マリン様のアルミニュームでないのと、強度がどうなのか、
私には分らないのである。
今考慮中のもう一つのアイデアは、ワレッスセールプラン(Tiki)はどうかと思っている。
二ールの船はTiki38ftで、マストは低くブームも無いので、安全なように思える。
遊帆UFOのターンバックルの位置がどうかが問題であるが、このシステムだと格安でできる様である。
もし、どなたか、アドバイス又はアイデアがあればメールをお願いいたします。
選択肢第一条件は安くて強度がある事である。
2度もマストを無くしたので、これからは追手のみで20ノット以上の風ではセールを揚げないで走ろうと、
今は思っているが、懲りない私は又ドンドン走って同じ事をしそうである。。。
7日 船底塗料とFRP溶剤を買いにプーケットの町までレンタモータバイク(150バーツ)で行く。
タイでは、バイクの免許は必要ない為、小学生でも乗っている。
時々、ポリスがいるがヘルメットをしていないと罰金を課せられる。
市内の道路に入って、かなり大きな古本屋があるので寄ってみる。
間口6mほどの店を続きで2部屋借りて営業しているのは30代の日本人である。
”なかなか、沢山本があって商売繁盛だね。”
”もう3年程になるんですが、始めは玄関先に200冊ほど置いていただけなんです。”
今は、日本語 英語 ドイツ語 スェーデン語と各国の本が棚一杯に並んでいる。
古い本を持ってきたら、買い取ってその金額を差し引きしてくれるシステムである。
”旅行代理店に勤めていたんですが、不景気でつぶれた為にこの商売を始めたんです。”
棚は、国ごと作家ごとにきちんと並べられていて、読みたい本を探しやすいようになっている。
他の古本屋は殆ど山積みのままである。
最近は、ダニエルスチールに凝っていて、3冊交換してもらって差額を支払う。
”旅行代理店に勤めていたのだったら、どこの旅行社がいいか教えてくれる?”
沢山の旅行社があるが、元締めの店が当然手数料も少なく信用できると言う事である。
プーケットタウンの中心にその旅行社はあり関西空港までの格安航空券を聞いてみる。
7月中ならJALが往復期間限定で4万円程で購入出来そうである。
韓国だともっと安い航空券がある。
タイではどこでも道端に屋台がでていたり、自分の家の前庭で、鍋にオカズを作って並べ立ている。
町のレストランの内装も外装も立派な店より、味がよいとお客が並んで買っている。
営業許可等必要ないタイでは、安くて旨ければ屋台であろうが、庭先であろうが繁盛するのである。
かっての日本の町内の八百屋,果物屋、肉屋に総菜屋、雑貨屋、洗濯屋等、狭い範囲で
お互い小さな商売をしながら、各自がそれで成り立っていた時代の風景がここタイにある。
今の日本は、大資本スパーマーケットにお客をとられ、おっちゃん、おばちゃんの店が潰れてしまった。
経済学者は、余剰労働力は経済効率の良い所へ向かう様な事を言っているが、
この人達は、今更サラリーマンができるわけでもないので、結局、無職と言う事になるのである。
結局、税金が入る所か、税金を使わなくてはならない方になるのである。
日本でタイの様に、庭先やら、屋台で食べものやを始めようと思うと、警察、保健所、消防署、
ひょっとしたら、テキヤにまで許可を貰わないと始められないかもしれない。
もう一度、規制をはずし、もっと簡単に誰でも商売できる方向にすべきである。
15日 タイの犬は、大抵放し飼いである。
道に寝そべっているがその姿が少しおかしいのに気がついた。
普通、犬は前足も後ろ足も人間の様に関節が胴体から外側に開かない筈である。
所が、タイの犬は足を外側に開いて、お腹と胸とあごを地面にくっつけてべったりと寝ているのである。
1匹だけがそうではなくて、どの犬もそのような格好で道やら玄関で寝ているのである。
最初にどこの犬か分らないがこのような格好で寝ているのを他の犬が見て、
”なかなか涼しそうで良い方法やないか、真似てみよう。”
と言う風に、拡がった様に思える。
暑い国のフィリッピンでも、こんな格好の犬は見なかった。
犬も猿真似でなく犬真似の情報伝達手段を持っているのかもしれない。
真似る事は、学習能力があると言う事だから犬も馬鹿にできない。
いつの日か、人間の真似をしてしまう様に思える。
そういえば、日本でも飼われている犬を見ればそこの家が分るようである。
人に無闇に吼える犬等、ご主人様の真似をしてるのかも知れない。
20日 最近は物忘れがひどくなってこのまま行けば先はどれ位酷い物忘れ状態に
なるのか心配である。
名前等殆ど覚えられないし、手に持った物でもどこかテーブルにでも、
置いたりするともう、完全に忘れてしまうのである。
買い物をしてお金だけ払って、品物を忘れて出て行き、思い出して又行く等恥の書き通しである。
こんな事は未だましな方で、最近はズボンの前ジッパーを上げるのを忘れるのである。
それにパンツを履いていないから、変なオッサンになってしまうのである。
今日も、桟橋から上がってトウモロコシのふかしたのを屋台で売っているオバサンがいたので
買ってパクついていたら、オバサンは、こちらを指差して
”あんた、前が開いているよ。グワ、ハッ、ハッ”
と、豪快に笑われてしまった。
”大きくないから、見えんかったやろ。”
と、照れ笑いをしてごまかしたが、オバサンだから良かったものの、オネエチャンだったら、
変なオッサンと思われるところだった。
若いときは、前を開けた爺さんをよく見たが、私もとうとう仲間入りするときが来た様である。
26日 私のここプーケットでの、日課の中で午後4時ごろからサウナに行くのが一番の
楽しみである。
サウナは、他の地域では見かけなかったのだが、ここにはあちらこちらにある。
サウナ室の広さは4畳位で壁も床も天井もコンクリートでタイル張りで、できている。
裏で大釜に、ハーブを入れてパイプでスチームを引き込んでいる簡単な造りである。
火力は勿論そこら辺の廃材やら木を切ってきたのを燃やしている。
庭には椰子の葉で屋根を覆った休憩小屋もあり、頼めばタイマッサージやら
オイルマッサージ、刺青をしてくれるおばさん達が、お菓子や果物を食べながらおしゃべりを、
している。
タイのオバサン達も日本のオバサン達と変わりはない。
若いときは細くて綺麗な体型をしていたと思われるが、オバサンになったら、体型は、
気にせず食欲に身をまかせるようになり、ズングリとし、見るからに力が強そうである。
サウナに入るときは、腰巻とタオルを持って、入るのだが、勿論男女子供混浴という事になる。
女性は男より大きな腰巻を巻き、子供は裸である。
何度も入り、休憩小屋で本を読んで、約2時間はダラダラとしている。
これで、50バーツなので、毎日通っているのである。
コンピュータのご機嫌が又悪くなっているのを、騙しだまし使っている。
日本に帰って2台とも修理しなくてはならない。
8月中旬まで、更新できなくなる可能性が大である。
次は、”プータローオヤジから、プータロージジイに昇進する日”となりそうである。
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