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   89番 プータロージジイ&孫

3月18日 急遽帰国した私はその足で病院へ向かう。
   年下の女孫(約1歳)は小児病棟で半分隔離状態である。
   川崎病という名前を始めて聞いた時、公害病か何かかと思った。
   原因は分からないが血管の炎症で、心臓の冠動脈に瘤が残るとやっかいらしい。
   感染する可能性があるので、年上の男孫(4歳)は病室に入れない。
   と言う事はどうしても、男孫に一人付きっ切りにならなければならないので、暇なジジイが選ばれたと言うわけである。
   女孫はサラサという名前で、今は人見知り時期に入っていて、見慣れないむさ苦しいジジイの顔を見ると、
   ジッと見つめた後泣き出すのである。
   次の日、ヒゲを剃ってさっぱりした顔を見せても泣かれる始末である。
   仕方が無いので、サラサはママに任せて、トウゴ(男孫)の担当である。
   早速、幼稚園の送り迎え、食事、風呂、寝るまで一緒である。
   ”ジジイ、新聞紙で刀こしらえて。”
   ”OK,ジジイの分も作って、勝負しようぜ、ジジイは剣道の達人やから負けへんで。”
   と言うわけで、手加減せずに勝つと、
   ”ジジイなんかキライ”
   ”そんな事いうても、勝負やでしょうないやろ”
   負けず嫌い二人が真剣に戦うのであった。

   (買い物でゴネル)
   孫と二人で買い物に行くと、必ず何か買ってくれるものと思っている、
   テレビで放送しているゴレンジャー、ドラゴンボール、トトロ等と面白いアニメに関係する
   玩具が並んでいるから、子供が欲しがるのは当たり前である。
   しかしながら、子供の言うとおりでは限が無いので、私は無理をいう孫と勝負する事にしている。
   4歳の孫は理屈が分かるようになってきているので、気長に泣いたり喚いたりするのに付き合っていく。
   最初は1時間位、欲しいオモチャを持ってゴネテいたのが、段々短くなってきた。
   ジジイはいくら言ってもあかん時はあかんと思い出したのである。
   私が子供の頃はお正月に貰ったお年玉で駄菓子屋に独楽を買いに行き、全部の独楽を回して、
   一番静かに回るのを買うと、それは宝物で手の上に乗せたり、紐に掛けたり、綱渡りをさせたり、
   して長い間大切にしていたものだが、この頃の子供は買ってもらっても1時間も遊んだらおしまいである。
   常に刺激される欲求を満足できないと我慢できないというふうになってきているのである。
   
   (電信棒遊び)
   保育園の迎えに行って帰り道、肉屋で揚げたてコロッケを買って食べながら帰ってくる。
   ”ジジイ、だっこ!”
   ”ええ?、トウゴ、足ないんか? ほんならジャンケンで勝負してジジイが負けたら電信棒まで、だっこしたるわ。”
   ”いいよ。さいしょはグー、ジャンケンホイ!”
   という調子で電信棒毎にジャンケンで帰って行く。
   孫は負けが続くと、
   ”ジジイ、次は何だす?”
   ”ジジイはパーだそかな”
   そしてジャンケンをし、私はグーを出して勝つ。
   ”ジジイ、パーだすいうたやん”
   ”そうやったか? ジジイは忘れてた”
   何回もこの手は通用しない。
   孫もその先を読むようになって勝ったり負けたりである。

   (ピアノのお稽古)
   ”今日はピアノのお稽古やからジジイに連れってもらい”
   と、今やパパに昇格した我が息子は孫に言っている。
   ”何でお前が行かんのや?”
   ”トウゴはジジイといきたいな〜あ”
   ”ウン”
   何も分からないまま孫のお供で、電信棒遊びをしながらピアノ教室に行く。
   トウゴが部屋に入るのを見送り、今から1時間位は自由時間が持てるぞと考えていると、
   ピアノの若い女の先生が、可愛い顔でニッコリしながら
   ”オジイサンも一緒に入ってください”
   ”中で見学かいな。これではコーヒーも飲めんな”
   ”オジイサンもトウゴ君の横に座って一緒にお稽古してください”
   ”エエ?そんな事、息子メ何にもいうてなかったがな。それでワシに押し付けよったな”
   と、思っても今から教室を出て行く勇気はない。
   船で暇な私は何か楽器で音楽が楽しめたらなという気持ちは多いにあるので、
   ”ええチャンスかな”
   と、思うものの、この所サラサの入院でピアノの練習をしていないトウゴはついていけない。
   ”こりゃあかん。家で練習してからこな、なんともならん”
   残念ながら音楽の素養は全く無い私には、チャンバラの稽古の方がずっと有難いのである。

   (水泳教室)
   水泳等、私の子供の時は明石の海で毎日遊んでいたので何時から泳げるようになったか記憶が無い。
   今は埋め立てられて市役所になっているが、その当時は綺麗な砂浜で潜ると蛸がいて
   吸い付かれて浜に上がってから、吸盤をはがして腕に赤い斑点が出きるという有様であった。
   淡路と明石を結ぶ汽船の出入りする港の突堤辺りに魚が沢山いて、自作の銛を持って突きに行くのが日課であった。
   毎日泳ぎに行って唇が紫色になり、夕方に帰って怒られたものである。
   明石の海は流れが速く沖にでると流されて帰って来れないという事だけは覚えていた。
   今から考えると随分危ない事をしていたものである。
   孫の通う水泳教室は若い女性コーチが子供を遊ばせながら、水に慣れさせている。
   今では5秒位は潜れるようになっているので、泳ぐのはすぐである。
   孫は水泳教室は好きなようで、行くのが嫌という事はない。
   そんな所はやはり自分に似ているのかな,等と喜ぶジジイ馬鹿である。
   
   (サラサ退院)
   検査の結果、経過も良好で退院許可がでる。
   サラサは男嫌いという事らしいが、私が50cm以内に近づくと無く始末である。
   ”サラサ、もう少し大きくなったらジジイがいないと泣くようにしてやるからな”
   トウゴも今日からはいなくなる。
   ”寂しくなるけど、疲れんでええわ”
   と、カミサマ。
   ”ワシは全然疲れへんで。トウゴと毎日遊んでてても大丈夫や”
   実際、我が子の時は教育と言う責任もあり、甘くばかりしていられず、損な役目を引き受けていたが
   ジジイになれば、責任はないので一緒に徹底的に遊ぶと言う態度でよいのである。
   それにしても早く退院できて万歳三唱である。
   ペナンに戻るのも、予定通り4月13日に帰れそうである。

   (花粉症に悩まされ愚痴のでるジジイ)
   帰国して以来1日としてすっきりとした日がない。
   クシャミはしょっちゅう出るし、目はゴロゴロして涙目になる。
   テイッシュで洟をかむので鼻の下は真っ赤である。
   京都は北山杉等有名であり、雑木林或いは広葉樹林が刈り取り杉に植林されてきた。
   杉は下草を枯らし、川の栄養源にならないので魚、牡蠣にも影響があるらしい。
   杉花粉でこれだけ被害を受けている人が多数いれば立派な公害病である。
   バナナや、椰子だらけのペナンは勿論花粉等飛んでいないので早く帰りたい。
   今日はガソリンの暫定税率期限切れでマスコミは騒いでいる。
   言葉だけの解釈から言うと、暫定とはせいぜい長くても数年と言う感じがもう30年も暫定という
   事に誰も文句を言わない。
   相変わらずおとなしい、従順国民であり、オカミの言う事に逆らわないというのが日本人の美点であるらしい。
   保険制度も団塊の世代の高齢化に対処する為に75歳以上の保険料改定も行われた。
   文句の少ない(人口の少ない)75歳以上に狙いを付け今のうちに網を張っておこうと言う魂胆である。
   今、年金生活設計を考えている団塊世代の我々は、年金の目減りが将来見込まれると言う事に気がついていない。
   インフレで物価を上げ、若い世代の給料を上げて調節し、年金生活者は実質目減りするという仕組みである。
   我々は何とか物価の安い所で自己防衛するか、人生を楽しんでサッサとおさらばするかである。

4月5日 (琵琶湖でユキさんの散骨)
   今回持ち帰ったユキさんの遺骨を友人と息子さん達の手で琵琶湖に散骨する為に集まる事にした。
   全員”しじみ”に乗り、大津マリーナの前辺りで、皆さんの手により花と一緒に流す。
   天気は良くて三井寺の桜は満開でピンクに染まり、遠く琵琶湖バレーには頂上に少しの残り雪がある。
   ユキさんの体は亡くなったが、これからは彼を思い出してくれる人のメモリーに生き続けるだろう。
   目を閉じて思い出せば笑顔のユキさんがそこにいる事を感じる事ができるのである。

   

   明日ペナンに戻れるのが嬉しい。
   帰国中は毎日花粉症でクシャミとなみだ目に悩まされ、寝ている時は口がカラカラになるという有様である。
   毎日蕎麦を打って食べても、味がよく分からなくなってしまった。
   国に訴訟を起こす事もできないので、花粉の飛んでいないペナンに逃げていくのが良さそうである。
   孫のトウゴと遊びだすとこちらが面白くなり、遊んでやっているのではなく遊んで貰った感じである。
   何でも先にいたずらを仕掛けるのは私である。
   ”ジジイはピアノもトウゴより上手くなってやるからな。”
   と、ヤマハEZ−J200(19800円)という、鍵盤が光って教えてくれるピアノキーボードを買った。
   音符も読めず、先生もいない私にはピッタリの楽器のようである。
   ”オトウはボケが来てるから指先を使うのはボケ防止にええんとちゃうか。”
   と、我が未ふ化看護婦ドラ娘の言葉である。
   ”今にトウゴとデユエットしてビックリさせたるわ。”
   と、心の中で思うのであった。

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