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        83番 1年ぶりに遊帆UFOに戻る     2008年6月

6月初め 1年ぶりのタイバンコックの新国際空港に到着する。
   乗り継ぎ時間は3時間あるので、端から端までくまなく歩き回る。
   どうも、関空の2倍はありそうである
   関空は椅子に肘掛取っ手が付いていて、横になることが出来ないが、バンコック空港は、さすが世界の航空路の交差点である。
   横に長くなって体を横にして寝る事のできる所がある。
   又、イスラム信者の為のお祈りの部屋があるのは、言うまでもない。
   広場ではタイの伝統工芸製作実演等もやっている。
   今回は、国際線乗り継ぎの為に外に出ていないので位置が分からないが、
   どうも、古い国際空港より湾に近い(南)ようである。

   1年ぶりに遊帆UFO船内に入ると、ネズミに占領されている。
   至る所糞だらけで、どこから手をつけてよいのか分からない。
   とりあえず、船内にいる敵を捕獲しなけらばならないので、ネズミ捕り器に魚をぶら下げておく。
   大西さんのアパートに暫く居候させてもらえて本当に助かったのである。
   ネズミと、ネズミの糞と一緒に生活するのは、さすがの私でも出来ないのである。

   クオさんの奥さんから借りたバイクで造船所まで通う事にした。
   朝、船内に入ると昨日仕掛けたネズミ捕り器に2匹も入っている。
   可哀想だが死刑(水死)遂行で海の中に沈める。
   まだ居るかもしれないので、再度魚を吊るしておく。
   先ずは、船内の物を外に出す事から始めなければならない。
   日本を出て10年間、船内にある荷物を放り出すと山の様に出てくる。
   本当に狭い船内にこれだけのものがあったのかと、びっくりするのである。
   ゴミは増えてお金は減るという有様である。
   ざっと見た問題点、1.ネズミの糞、2.ネズミが噛み切った電線の点検、3.バッテリーの充電、
               4.ソーラーコントローラーの修理、5.オーニングの修理等
   本来しなければならない、ドライブ修理、船底塗装、ギアボックスの調整、エンジンマウントの修理、等である。
   
   ペナンをバイクで走り回ってみると、1年前より景気が悪そうな気がする。
   シャッターの閉まった店が多いのと、人が少ないのが目に付くのである。
   新しくオープンしたジャスコは広すぎて、全館見て回っていないし、マクロはTESCO EXTRAに変っている。
   ジャンブルはスーパーマーケットも縮小して、客も減っているようである。
   そこそこ客で賑わっているのは、ジャスコ、ガーニープラザ、テスコといった所で、小さい島に大型店舗が多過ぎるような気がする。
   去年オープンしたジャスコも、品揃えが中途半端で値段も高く、入っているテナントも興味を引くものは無く、
   魅力あるショッピングモールとは言えない。
   
   1年間日本で塩抜き食事を続けてきたので、ペナンで今まで美味と思っていた食事が塩辛いのと、胃袋が小さくなっているのか、
   食べる量が減っている。
   日本では毎日1時間以上歩いていたのが、ペナンではバイクで動いているので足腰が弱ってきている。
   これから朝の散歩をするようにしなければならない。
   大西さんのアパートはUSM大学の近くなので、モスリムの祈りがマイクで大音量で流れるのが日の出前から始まる。
   次は、鶏泣き声が始まるが、私はモスリムより早起きである。

   ペナンは毎日雨が1度は降るが、今日は強風が吹いた。
   船での作業を切り上げ早目にバイクでアパートに帰る。
   夕方、風も収まったがアパートから見えるマレーシア風トタン板の屋根が丸ごと飛ばされ、信号器が倒れ、
   大木が倒れていたりと結構な被害である。
   人々は風が収まると何も無かったように普段通りの動きに戻っているのである。
   木が倒れたのを見て、この辺の木に年輪はあるかという問題を大西さんと賭けをする。
   ペナンでは昼の12時に垂直に立っている木の陰が南にあるか、北にあるかで賭けをした事がある。
   私は北に賭けたのであるが、6月の今の時期では私の負けの様である。
   ペナンは北緯5度位なものだから北回帰線の南側になりそうである。

   船内の掃除と消毒を終え、エアコンのフードも作り直し、陸電気も船内に取り込んだので、少しずつ快適空間になっていく。
   後、2週間以内に海に戻れそうである。
   今日は明け方に雷に起こされた。
   雷が落ちると爆弾が至近距離で落ちたようなすごい音と光ででガラスが響いているように感じる。
   大風やら雷やらと天候不順は世界的な現象なのかもしれない。

   ネズミに占領された遊帆UFOを取り戻した私は、大西さんのアパートから始めて遊帆UFOに戻り、寝る事にした。
   エアコンは効いて船内は28度、ラジオはFM(70,80年代音楽番組)を聞きながら、私の下手な絵に囲まれると、この狭い
   空間だけはゆったりとした遊帆UFO独自の時間が流れているように感じる。
   ブランデーを舐めながら、この狭い空間を味わうと、遊帆UFO以外に私の棺桶は無い様に思えてくる。
   10mx4m程の狭い空間が遊帆UFOの最大限の広さであり、船内は4畳半位のスペースである。
   この空間で十分幸福を感じられるのである。
   色んな人から問われる、”何の為に一人でそんな生活をしているのか”という問の答えは、結局、
   この生活が好きだからというほかは無く、説明しても理解できない事なのかもしれない。
   私は誰からも強制された訳では無いので、後悔は全く無く、今のシチュエーションに感謝し満足しているのである。
   今という人生は二度と戻ってこない瞬間に満足しているのである。

   遊帆UFOも海に戻る日が近づいてきたので、繋留場所を探さなければならない。
   Jabatanハーバーは長く居座る船が多く、開きスペースが今のところは無い。
   ジョージタウンの新しく出来たヨットハーバーは、ロケーションは良いが、フェリーの波が入ってきて揺れが酷く良くない。
   選択肢はアンカーを打ってどこかに留めるしかないが、エアコン等電気を使う快適、文化的生活を経験すると、
   電気が無いのが辛いのである。
   クオさんが生きていれば相談できるが奥さんでは無理なので、漁師のインさんに会って話をしてみる。
   ”海に突き出たジェッテイの前にアンカーを降ろし私の船の後ろを柱に縛り、繋留スペース確保し、電気を使わせてくれ。
    繋留費は月100RM、電気はメーターを付けて使用分払う。この話しを漁師仲間の了解を貰って欲しいんだ。”
   ”OK、話しをしてみるよ。”
   聞いて貰うことにしたが、遊帆UFOの重さにジェッテイの柱の強度は大丈夫か心配は残るのである。
   ここも、風と潮流の関係で大きく揺れる時があるので、結構大きな力が繋留場所にかかる筈である。
   もう一つのアイデアは100m沖でアンカーを打ち、振れ回しにして海中に電線を沈めるという方法である。
   まだ、時間はあるので色々と考慮中である。

   マレーシアのアパートはプールとテニスコートは標準装備のようである。
   そこの住人は無料で使用できるので、半分住人の私もプールで泳ぐ事にしている。
   マレーシアでは、肌を見せるというのに抵抗があるのか、水が嫌いなのかめったに泳いでいる人を見たことがないのである。
   私は水をみれば入らないと気がすまないという性質なので、人のいない水の綺麗なプールを大変気に入っている。
   USMの校内を散歩しても、たまにマチコ巻きでジョギングをしている女子学生に出会うが、暑くて汗がでてもマチコ巻きを
   取るわけにはいかないらしい。
   1年程ペナンを離れていて、気が付くのはスーパー、ショッピングモールに人が少ないのと、女性のマチコ巻きファッションが
   減ったように思えるのである。
   若い女性にとっては、マチコ巻きで美しい髪を隠すというのは幾らアッラーの決め事といっても、美しくなりたいという
   衝動を抑える事はできないであろう。
   又、今流行っているのか、短い目のTシャツとジーパンでお腹の辺りをチラチラ見せるという格好をしながら、マチコ巻きという
   アンバランスの面白いファッションの女の子が町を歩いているのである。
   アッラーの厳格な教えを崩していくのは女性の美意識であるという独断的考えを持っている私である。

   ペナンに戻って1ヶ月になる。
   まだ海に戻っていないので、遊帆UFOでトイレは使えない。
   おしっこは5Lミネラルウオーターペットボトルを使ってのオマル方式にした。
   うまい具合に平常時であれば口にすっぽりと収まり漏れる事は無く、使用後は蓋をきっちりと出きるので臭いも漏れないし、
   透明ボトルなのでおしっこの色を見て健康状態を確認できる。
   慣れると便利で使い心地が良い。
   大きい方とシャワーは大西さんのアパートを使わせてもらっている。
   夜はブランデーを舐めながら、好きなCDを聞く。
   Engelbert, Celine Dion,Julio Iglesias,Nat King Cole, Ray Charles, Oscar Peterson、Kenny G等旧いものばかりである。
   この空間の時間はゆったりと流れ、現代社会から取り残された様に感じられる。
   私は寂しがりやなのに、この様な孤独な時間も大好きな勝手気侭、我侭人なのである。

   ペナングルメ店(私の独断と偏見による)も全て再度味見して回った。
   益田茶室と500人は入れる飲茶屋、藤山直美似のオネエチャンのシコシコ麺、インドのオバチャンのチャパテイorドーサ、
   インドのオッサン&ジイチャンばかりのリトルインデイアのカレー屋、マレー料理のムルタバ ロテイ、飴色の焼き鴨料理、
   中華の経済飯(バイキング料理)、生豆腐の黒蜜生姜味デザート、マレー肝っ玉母さんのマレーシア料理、
   ホットケーキの薄い粉をパリッと焼き上げ中にチーズ、レーズン、ココナツ等お好みトッピング可のパンケーキ、
   家の庭の屋台でつくるチキンラーメン風揚げ蕎麦汁等である。
   まだドリアンを食べていない。これは1個を割ると中から4個程、薄黄色のこってりしたものが出てくる。
   独特の臭いをしているので、好きな人と嫌いな人がはっきり分かれる、日本で言えばフナズシみたいなものである。
   値段は飲茶は5品程食べて15rm、麺類は3〜5rm、経済飯は3〜4rm、カレーは10rmまである。
   最近の円安で交換レートは1000円で28rmと1年前に比べ円の値打ちは1割は目減りしているのである。
   1ヶ月もたつと、時間も日付も曜日も分からなくなる。
   お腹が減れば食べ、眠たくなれば寝る。いつ食べてもいつ寝ても明日しなければならないという事はないので、
   何の問題も起こらないのである。

   キーホルダーに付けた鍵の1組をなくすという、自分自身を疑う様な事が最近2回もあった。
   初めは、大西さんのアパートに寝泊りしている時に合鍵を預かって、バイクと船の鍵束につけていた時に、
   さっきまで手の中にあった船の鍵が見当たらないのである。
   2回目は、朝飯にバイクでマーケットまで行き、小さいナイフを買いそれを鍵束につけながらバイクに戻り
   エンジンを掛けようとすると、バイクの鍵1組が無い。
   無くすまでに歩いた距離10歩、時間にして10秒もたっていない。
   道路をくまなく探しても落ちていない。
   今まで持っていた鍵の1組が忽然と手の中から消えた感じである。
   泣く泣く重いバイクを押して急な坂道を登り造船所まで戻り、造船所の入り口で警備をしているインド系のオッサンに
   50RMを渡してバイクのキー取替えを頼んだのである。
   バイクが動くようになると、ジョージタウンの合鍵を作っているオッサンの所にいき、車輪に取り付ける鍵を開け
   合鍵を作れるかどうか聞く。
   この鍵は十字の形がしていて難しいだろうと思っていた。
   合鍵屋のオッサンは15RMで作るという。
   先の曲がった針金を差込簡単に開け、今度は2本の針金で中を探り、鍵をどうカットするか確認しているようである。
   その間5分で合鍵が出来てしまった。
   このオッサンにかかればどんな鍵でも意味が無いように思える。
   それに比べて、私のボケようはどういう事だろう。
   手に持ったものを無くすという自分自身を疑わなければならないショックで暫く落ち込むのであった。

7月24日 Batumungの造船所からJabatanハーバーまで行くと、李さんやら ルデイが港内に入って来いと
   合図を送ってくれている。
   丁度、1艇が出港した所でグッドタイミングである。
   去年、ハーバーの繋留担当のアヌールは左遷で飛ばされ、シャリフも担当から外されている。
   新しい担当者はリヂュアンで、彼は正直者のようで、話は筋が通っている。
   ”今の場所は、一時繋留場所で契約している船が修理から帰ってくれば開けてもらいたい。
    その代わり、次にスペースが開き次第優先的に入れます。”
   との事である。
   いつ戻ってくるか分からないし、その時は又その時考えるしか方法がないという事で、早速、水道電気を
   繋いで、文化的生活に入るのであった。
   ここのハーバーは、安くて便利な為、一度入港した船は出て行こうとしないのでいつも満杯である。

   ここのハーバーは全部で30艇程しかスペースが無いのでコジンマリとし、殆どが顔馴染みである。
   その為、ご近所の付き合いも江戸時代の長屋風で、顔を見れば
   ”どうや、一杯飲んで行かんか? 或いはチョット食べて行かんか。”
   と言ったような感じである。
   Issaccからはキムチの差し入れがあるし、ルデイは髭の生えたフルーツの差し入れがある。
   タイのクルーはハーバーのカラス貝をゆがくと旨いからどうだと言ってくれるが、船底塗料をたっぷり吸ったような気がして
   これは遠慮している。
   私は、蕎麦を振舞いたいと思っているのだが、道具が変って上手く打てないのである。
   練習の為、昼に毎日一人分を打って、山掛け蕎麦にして食べている。
   蕎麦きり台が平らでないので、綺麗に切れないので研究中である。

8月 いつもの様に、気が付くともう8月になっている。
   ペナンに戻ってほぼ2ヶ月、最終駅に向って超特急で走っている電車のようである。
   最近、旨いもん屋のリストに1箇所加える事ができる店を見つけた。
   ジャスコの3階にある中華料理屋で手打ち麺と小籠包の店である。
   ここの小籠包は中からジュージーなスープが出てくるのは勿論、皮がなかなか旨いのである。
   値段は高めであるが、味は最高の部類の小籠包と言える。
   この料理は上海料理ではないかと思っている、というのも、何の楽しみも無い解放前の上海で仕事をしている時、
   唯一の楽しみはこの小籠包を食べる事だった。
   2年前に上海に再訪してみたが、4人組の暗い時代にいた毛沢東主義の人々は何処に行ってしまったのか。
   人間社会は、変化しないように見えて、簡単に変わるものであるとつくづく思うのである。

   隣のルデイのカタマランが本当に久しぶりにエンジンテストの為に近所をまわると言うので、私とジミーが同乗することにした。
   彼はタイの奥さんの子供が頭に癌ができて一人でバンコックに帰っているので、現在、私と同じ一人モンの為、
   夜にテキーラをレモンで割って飲みながら、
   ステイーピッド(馬鹿な)ドイツ人とレイジー(怠け者)日本人と呼び合っている仲である。
   出港して1時間程近所をまわって入港しようとすると、船のスピードが落ちない。
   ”ギアーが効かない。前でカバーしてくれ”
   と、パニックになったルデイ。
   ”ルデイ、エンジンを切れ。”
   と、叫びながら私はバウにいくが、その前にジェッテイの木に衝突する。
   50ft程カタマランで2基駆エンジンなので、衝撃も大きい。
   それでも、まだ前進の推進力が残っている。
   ルデイはエンジンルームを見に行ったのかコックピットにいない。
   そのうち、李さん、黄さん、タイのクルーが救助に駆けつけてきてくれる。
   皆でロープを掛けて引っ張りとりあえず元の場所にいれる。
   左ギアのワイヤーが抜けて、前進に入ったままになっていたのである。
   衝突した右バウは被害がなく、ジェッテイの木が折れたようで、左側の航海灯が壊れただけですんだ。
   ”馬鹿なドイツ人、特攻隊は日本軍のお得意芸でドイツ人が真似をしてどうする。
   明日から、又、仕事ができてよかったな。”
   と、熊の様な体をしおれさせ、落ち込んでいるルデイに憎まれ口をいう私であった。

   ジャスコの1階で光華日報(中国系新聞社)主催の”マレーシア華僑建国の路”という様なイベントをしている。
   200年程前から移民してきた中華系民族の歴史が年代毎にパネルに貼ってある。
   その間には、勿論イギリス、日本占領時代もある。
   小さな舞台が拵えてあって、上海雑技団が皿回し、中華包丁投げ、バランス芸等を披露している。
   関節が柔らかく手足がどうなっているのか分からない様な雑技団の人々を見ていると、私と同じ人間とは思えない。
   人間は色んな可能性を秘めているものだと感心させられるのである。

   ここJabatanハーバーで私主催のパーテイをする事にした。
   誰でもフリー参加という事にして、エビと豚肉と野菜を市場に買いに行く。
   豚肉5Kgs,エビ1Kgs、イイダコ1Kgsに白菜3玉、キャベツ1玉、ジャガイモ8個、キュウリ、ニンジン、
   その他野菜で100RM(3000円程)である。
   黄さんに料理はお願いして、海鮮サラダにポテトサラダ、豚肉バーベキューを作る。
   タイのクルーはタイ料理を、マーテインのパートナーのロナは海苔巻きを作って持ってきた。
   15人ほどが集まって夜遅くまで賑やかに飲み食いする1日となった。

   マレーシアには日本に無い果物が沢山ある。
   木の実になる果物が多いが、ドリアン、ジャックフルーツ、スターフルーツ、髭の生えた赤い実、龍眼、ナツメやし等がある。
   勿論、スイカにバナナ、ココナッツ、パパイヤ、パイナップル、ブドウ、りんご、メロン、キイウイ、マンゴースチン
   と全部書く事が出来ない。
   その中でも、最近はスターフルーツを見かけると買って食べている。
   縦に切った形が五角形になり、高血圧に良いらしい。
   ジャックフルーツはスイカよりも大きな実になり中は一個ずつ甘い果実に包まれていて天ぷらに揚げておやつで食べる。
   バナナの天ぷらもサツマイモより甘く柔らかくておやつとして屋台で売られている。
   パパイヤは赤くなるとそのまま食べるし、青いうちはスライスにして酢漬けにすると旨い漬物のようになる。
   飲み物の果物というと、椰子だが、これも2種類あって、私は中にココナッツの白い皮膜が張った濃い甘みのあるものが
   好物である。
   この様に、殆ど人手を掛けずに自然に出来る果物ばかりであるが、日本では品種改良し畑を耕し、
   肥料を加えて育てなければならない。
   オマケに、台風、水害、日照、冷害と地震、津波と災害のデパートみたいな国である。
   年がいった私は寒い所では我慢できないのである。

   ペナン島の東側(半島側)に小さい島があり漁師が500人程生活しているアマン島という所がある。
   ルデイがそこまでクルージングしようと誘うが私は乗り気でない。
   無理やり付き合うことになり、アマン島の小さなジェッテイにルデイの船を舫って上陸し、レストランで
   エビ入りミーゴレン(焼きソバ)を食べて帰る。
   今日は、ジェッテイに衝突する事も無く、座礁する事も無く無事に元の位置に戻ってきたのでラッキーと思っていた。
   次の日になって、ルデイが自分のノートブックパソコンが盗まれたと言ってくる。
   多分、アマン島で食事をしている時に盗まれたらしい。
   彼は、奥さんの娘が頭に癌が出来て病院代に困っているのに加えて、今回の事件で泣きっ面に蜂所か、
   泣きっ面にコブラ位のショックである。
   熊の様な大きな体を萎れさせて見るのも可哀想である。
   ”ルデイ、アンラッキーね。” 
   冗談も言えず、それ位しかいう言葉が出てこない。
   私も出かけるときは鍵を掛けずに出て行く癖がついているので、ルデイの不運を見て早速鍵をつける事にしたのである。

   娘とその友人3人の4人やかましオバム(ブ?)ス女達が3泊4日ペナン買い物グルメパック旅行でやってきた。
   皆、日本に居る時から家に遊びに来たり、ソバを食べに来たりしているので我ドラ娘同様である。
   3泊4日といっても到着が夜の8時30分、出発が朝早くという事なので実質中2日間である。
   ”何処へ行って、何を食べたいのかリストにせよ”
   と、オヤジ面していうと
   ”大きい奴(ガーニープラザの事)と小さい奴(メトロジャヤの事))のショッピングセンターに行って、
   飲茶、海鮮料理、小篭包、インド料理、マレーシア料理、ラーメン、パンケーキ、それに果物位かな。”
   ”1日3回たべても2日で6回やろ。お前ら起きるのが遅いから朝昼兼用なら4回しか食べられんから、
    無理とちゃうか?”
   等と、引導を渡しておいて、
   ”ほな、飲茶から始めるか。一番ええ車を借りてきたからそれで行こう。”
   ええ車というのは、隣のドイツ人ルデイのボロ車である。
   一応外観はトヨタカローラらしいが、エンジンが先ず簡単にはかからない。
   何度もエンジンキーを回し、もうこらあかんという最後の一うなりで幸運にもかかればラッキーと言う状態である。
   走り出すと、最初に行わなければならないのが、ブレーキをポンピングして、ブレーキパッドの錆を落とさないと
   ロックされてしまうのである。
   走っている途中でもブレーキペダルを踏み込むと上がってこないので慌ててペダルは何処に行ったか足で探る有様である。
   現在金に困っているルデイの車なので、ガソリンはカラカラで給油所までいけるかどうか分からないという困難を乗り越えて
   ホテルまで辿り着いたのである。
   この車を見た彼女達は、
   ”ワ〜。スゴ〜。日本では、ここまでペンキがはがれた車は珍しいから写真にとっとこ。”
   等と、外観だけを見て暢気な事をおっしゃっているが、この車の実力を知らないのである。
   ラッキーな事に飲茶の店までは、無事到着である。
   飲茶では取って来るものを先を争って食べている。
   中には手が届かないのか立ち食いという有様である。
   我テーブルだけは、短時間の間に空の蒸篭がドンドン積まれていく。
   他のテーブルでは、最低1時間はかけてゆっくりおしゃべりしながらか、怒鳴りあいながら食べているのが普通である。
   勘定については、オヤジの面子もあるので私の奢りとする。
   再度、ルデイのボロ車に乗って大きい方のショッピングセンター(ガーニープラザの事)へいこうと、エンジンキーを回すが、
   ウンともスンともいわない。
   ここで運よく(こういう車はよくあるらしい)インド系マレーの駐車場整理係りのオッサンが1杯の水をコップに入れて持ってきて、
   バッテリーの+端子の錆にかける。
   あら不思議、エンジンスタートである。
   皆様をお送りして、夜7時、ここで待てと言いおき、エンジンを切らず帰るのであった。
   ハーバーに戻り懲りた私は、クオさんのバイクの方がましだと借りに行く。
   バイクでガーニープラザまで行き、待ち合わせ時間が早いので地下のスーパーマーケットで買い物をしようといくと、
   聞き慣れた日本語でキャアキャアワイワイと騒いでいる4人組がいる。
   勿論、我オバブス女達である。
   マンゴージュースのパックの買占めをしている。
   棚に並べてあるだけでは足りず店員に箱ごと持ってくるように頼んでいる。
   さて、買うのは良いがどうやって運ぶか問題である。
   配達サービスがあるので聞いてみると、明日中に30リンギットで届けますとの事である。
   それなら、ホテルまでタクシーで一度持帰って、再度海鮮料理屋まで行っても30リンギットなので、
   お金にシビアーな彼女達の選択肢はいうまでもない。。
   タクシードライバーには私が交渉し、後ろからバイクで行くからと一応脅しておいて先行させる。
   大阪のオバチャンになりかけの彼女等を4人も纏めて絡んで相手しようなどという勇気ある男はそういない筈である。
   というのも、朝の飲茶の前に行きつけのインド人両替屋でお金を代える時、
   ”今日は若い女が沢山のっているな。”
   ”皆、私のワイフやけど。どうや、そこの若いニイチャン誰か気に行ったムスメはいないか?”
   インドの若いニイチャンは恥ずかしそうに見ながら、首を振るばかりであった。
   さて、海鮮料理屋はガーニー通りにあるBALI HAIという店である。
   ガラスの生簀には蟹、エビ、ロブスター、スナッパー等が泳いでいる。
   蟹の黒胡椒炒め、エビの蒸、スナッパーのねぎ油醤油蒸、チャーハン、焼きソバ、カイランのオイスター炒めを注文する。
   ”アア、ウマイ。ウマイ。クッタ。クッタ。”
   と言いながら手は蟹のソースでベタベタである。
   優良健康児並食欲旺盛で食中りの心配をしなくて良いのだが、結婚前のムスメ達を持ったオヤジの心境としては
   チョット複雑である。
   1日目はまあ無事にホテルまで帰し私もバイクで遊帆UFOまで戻るのであった。

   2日目の朝昼はインド料理から始める。 
   リトルインデイアにあるインド料理の店に行き、それぞれ好きなものを注文させる。
   ”このオッチャン、上手に平べったくメリケン粉のばさはるわ。写真撮ろ。”
   ロテイを伸ばしているオッサンは張り切って頭の上で振り回し伸ばすサービスぶりである。
   ドーサ、ケーキ、カレー4種類、ミルクテイをとって、ワイワイ言いながら、他の客の批難を含んだ目付きにも負けず、
   両手でカレーをつけては頬張り、若いインド人ニイチャン店員と、写真をとったりしている。
   他の皆様は日本語が分からないのが幸いである。
   もう立派なオバチャンの仲間入りである。
   ここから休みを入れずタクシーに乗って、シャスコの小篭包を食べに行く。
   小篭包5皿、豚肉の煮込み(沖縄料理のラフテイそっくり)、春巻き、餃子、坦坦麺、マンゴプリン、マンゴージュース、
   杏仁豆腐等注文する。
   小篭包がくると、熱いから暫くしてから食べなあかんというオヤジのアドバイスを無視して、口にパクとほおりこんだ我ドラムスメは、
   目を白黒させ涙を流しながら、といって勿体無いから出す事もせず、頬を膨らませて我慢している。
   ”ホア、アツ〜イ。ケロ、ウマ〜イ。コンナン ニホンテタヘラレヘ〜ン。”
   と、舌が回っていない。
   ”クッタ。クッタ。マ〜ンゾク。マ〜ンゾク。”
   ”これで満足しなければおかしいわい。”
   と、心の中でつぶやく。
   ”次は、小さいショッピングセンター(メトロジャヤ)でカイモンするから、夜はどうする?”
   もう、夜の食事心配である。
   ”昨日の海鮮料理が一番ウマイから、そこで8時に待ち合わせという事にしよう。”
   彼女等に付き合ってられんのである。
   無事あと1回飯を食べさせればお役御免である。
   ”残りのお金150RMあるから、これで注文してか。今日はロブスターを食べたいわ。”
   ”ロブスター1匹で150RMするぞ。”
   といいながらも、マネージャーを呼んで、ロブスターのマヨネーズオーブン焼き、アサリの酒蒸、蟹のガーリック揚げ、
   イイダコと野菜炒め、チャーンを注文する。
   ここの海鮮料理屋はチョット高めだが、料理人の腕が確かに良くて外れがない。
   デザートはここに来る前に屋台を回って、クレープ屋を探し、バナナ+卵+チーズ入2個、レーズン+卵+チーズ2個、
   卵+バターピーナッツ+チーズ2個の合計6個を買ってきたので2個を食べて残りは明日飛行機の中で食べるように渡す。
   これにて、ほぼ全オーダーをこなす事ができたのである。

   ペナンに来てから3ヶ月〔90日)になろうとしているので、マレーシアビザの滞在許可日数がぎりぎりになってきた。
   マレーシアを一度出国しなければならないがタイ側ではビートン、ハイジャイ、サトン、インドネシア側ではメダンという所である。
   交通手段はビートンがバイク、ハイジャイがマイクロバス、サトンとメダンが高速フェリーという事になる。
   手軽で自由に動けるバイクが私むきという事でビートンに決めた。
   バイクはクオさんに借りて、ペナン大橋を越えて高速道路を真っ直ぐに行く。
   最初から道を間違ったようで、地図も持っていないので後はどこを走っているのか見当もつかない。
   途中から、アロースターという地名が標識に見えるようになる。
   アロースターという町はランカウイ島の真東にある町で、北の国境に近い。
   信号で止まると横のバイクのオッサンやらニイチャンにビートンと叫んでどっちの方向か聞く。
   Balingという町まで来て、ガソリン補給をするために立ち寄ると、ここから20Km程行った所に温泉があるという。
   ここは周囲50Kmはありそうな大きな石灰岩の山の麓の町である。
   温泉というと見逃す事ができないので、目的地を変更して温泉地に向かう。
   小川を何度も跨ぎながら山道を登っていくと500mほどの両側にマレー式住居が集まっていて、
   公園の様な所が温泉になっている。
   入場料は2RM、入場券にはUlu Legongと書いてある。
   中は日本の温泉場のイメージとは全く違って、プールといった感じである。
   プールが3つほどに分かれていて、お湯の温度が違っている。
   どれも42度以上のようで、足さえ長くつけていられない。
   1つだけ40度位のお湯があるが、ここでさえ中国系の人々はズボンの裾をめくって膝から下だけをつけている。
   私は、パンツも履いていないので、シャツを脱ぎズボンのままジャブジャブと入って首までつかる。
   私には、一寸熱めだが炭酸泉らしい気持ちの良いお湯である。
   私の真似をして入ってくる中国人もいるが、30秒もするとあがってしまう。
   何故川の水を混ぜて低いお湯にしないのか不思議である。
   日本にいるときテレビか何かで外人客にとっては日本の温泉は熱すぎるというような事を言っていたがそのようである。
   30分程お湯に浸かったり、小川で体を冷やしたりして久しぶりの風呂を楽しむのであった。
   初期の目的も果たさなければならないので、バイクに乗って走り出すが、ここからタイ国境までは30分程であった。
   今日はマレーシア建国50周年記念日という事で小学生、中学生が自転車に国旗を沢山立てて、走っている。
   勿論、前後を警察の車がガードしている。
   日本では国旗を立てて走る所か、家に国旗を立てることもしなくなったが、外国では国旗は日常的に
   どこでも見るものである。
   かく言う遊帆UFOに日の丸がないので今はペナン州の州旗をあげている始末である。
   白い布にマジックで赤丸を書いて揚げていても、太陽と雨風に劣化して赤丸が消えてしまい唯の白旗〔降伏の意味)
   になってしまっている。
   まるで私の心を表しているようである。
   フランス、イタリア、ドイツなどの様に直線で色違いであれば、色布さえ見つけてくればミシンで直線縫いで出来上がるが、
   日の丸の場合は白布に丸を縫い付けるのも中々難しいのである。
   他国の国旗に比べて、白地に赤丸、シンプルでデザイン的にも良いので小難しい事を言わずに、
   日常の中に取り入れるのが良いと思う。
   そうすれば、お上主導の愛国心高揚等と言うことではなく、”カッワイ〜”等と言いながら、背中に赤丸の
   T-シャツを着て、赤丸のデザインのバッグを持ち、ほっぺを赤丸にした女の子が大勢町を歩くようになるかもしれない。
   お上万歳.。女の子万歳。平和日本万歳。。。

   TescoExtraに買い物に行く。
   久しぶりに太巻きとイナリ寿司でも作ろうと日本米と寿司酢、甘酢ショウガ、アゲ等を買いカウンターに持っていく。
   空いた所に行くと、あっちのカウンターに行ってくれと親指差しする。
   日本以外では人差し指というのは、アメリカ人の中指を立てるに等しいらしく、拳骨で親指を立てそれを使うようである。
   指定されたカウンターには先客がいてクレジットカード支払いをしている。
   カードを読み取り機に差し込むが、読み取り機が悪いのか、カードに問題があるのか、何度もトライしている。
   客も何枚もカードを持っていて、次はこれでやってみて、見たいなやりとりである。
   不景気なのかどこのショッピングセンターも客の入りが少ないのでレジカウンターも人員を減らしている。
   長蛇の列でお客が待っていようとも、チーフが飛んできてカウンターを開けてサービスするという日本式サービスは無い。
   日本ではお客様は神様以上の扱いで、日本人もそれが当たり前の様に思っている。
   従業員からして、チーフに言われなくてもサービスするのは常識といった下地がある。
   日本以外ではサービスと言えども、給料の対価としての労働と割り切っているし、宗教の戒律に
   触れるようなら、そのサービスさえ拒否するのは会社の上司から文句言われる筋は無いと考えているのである。
   江戸時代から躾けられたお上に滅私奉仕するのは当たり前という美徳精神が根底共通の
   常識があるのが日本人社会なのかもしれない。
   
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