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   80番 ペナンのリタイヤー生活        2006年9月初め

8月終わり 私の友人の大西さんがいよいよペナンでリタイヤー生活を始める決心をした。
     私は彼に同行しアパートか部屋をみつけ、電話、インターネット、ショッピング、食べる所等を案内する積りである。
     彼はペナンに行ったことは無いが、私を信頼して日本の拠点を全て引き払っての後戻りできない決断である。
     ペナンと日本とは飛行時間5時間なので、そんなに大げさな問題ではないが。。
     
     かって琵琶湖ヨットクラブに所属していた時の横山会長が今年の3月に亡くなり、偲ぶ会が催された。
     故人との思い出と言えば、遊帆UFOで日本1週をしている時に、鳥取ー壱岐ー宮津湾のコースにクラブメンバーを纏めて同乗された事である。
     宮津湾の海域を良くご存知との事で舵を取るのをお願いしたものの、入港は夜間になり、風も吹き始め随分と神経を使われた事であろう。
     ヨットクラブは好きな者の集まりで各自何かに縛られる事はない人々の集まりである。
     その人々を適当に纏めて一つの事をするという会長の素質とは何だったのであろう。
     それはどうやら、ボランテイアの精神であったように思える。
     自分の損得を考えていては、とてもつとまるものではないだろう。
     故人が残してくれた精神を引き継いで行って欲しい物である。
     故人への感謝の気持ちをこの言葉に代えたいと思う。
     ”一期一会”
     ”I meet you now only one chance crossing time and space.
      Someday I must say "See you again" but I don't know for certain.
      So, I do my best for you to not regrets."

9月始め 関空で大西さんと待ち合わせて荷物のチェックインをするが、彼は中型のトランクと肩から提げるバッグだけである。
     ”大西さん、持って行くのはこれだけ?”
     ”これでも、多いと思っているんですけど。”
     この一月前から、荷物をドンドン処分したそうである。
     ペナンに到着すると午後7時半頃で、タクシーでジョージタウンの安宿にチェックインである。
     彼は、暑い暑いと言いながら、汗を大量にかいている。
     明日からは、クオさんの車を借りて動く事にする。

     朝、クオさんの車を取りに行きエンジンスタートしてみるが、バッテリーが弱っているらしく、ナカナカかからない。
     何とかなだめて、エンジンを掛けて、元木さんのアパート見学に行く。
     彼のアパートはTescoの近くにあり、見晴らしも良く、部屋も3部屋と台所とリビングという間取りである。
     これがマレーシアの一般的な間取りで広さは70平方メータ位で家具付(テレビ、冷蔵庫、エアコン、ベッド、応接セット等)である。
     各部屋にトイレとシャワー設備が付いていて、部屋が独立して使えるようになっている。
     アパートには、共同プール、サウナ、テニスコートが付いている。
     ゲートにはガードマンが常駐していて、見かけない人物はチェックされる。
     大西さんは運転免許書を持っていないので、自動車もバイクも乗ることが出来ない。
     その為に、歩ける範囲に最低必要なものが揃っていなければならない。
     明日から、本格的にアパート探しである。

     フィリップの女友達の不動産屋さんを紹介して貰う。
     彼女の車で、USMというペナンの大学の辺りの空き部屋を3〜4件見に行く
     やはり、3LDK 家具付のアパートで眺めもよく、便利な所であり、1ヶ月900RM〜1300RM(約3万円〜4万円)賃料である。
     ”そんなに広い部屋やと、掃除するのが面倒や。” と、大西さん。
     それでは、不動産屋の彼女の持ちアパートで1部屋を借りるのはどうかという事に話はまとまってきた。
     そこも、やはりUSMの前にあるアパートで現在、隣の部屋には、女子学生2人が1部屋、男子エンジニアーが1部屋使っていて、
     リビングと台所は共同使用で、月に400RM(12000円)という事である。
     ここなら、歩いて洗濯屋さんも日曜雑貨店、レストラン、インターネットと揃っているので便利であり、USMの前からバスも乗ることができる。
     契約書を交わすまでに、プーケットも見ておきたいという希望で明日からバスでタイ入国体験という事にする。

     ペナンから9人乗りバンで3時間走って、タイのHatyaiで一泊し、次の日、バスで8時間走ってプーケット、シャロン湾に着く。
     シャロンでは、レンタルームという大西さんの要求にピッタリの宿泊施設があり、食事も鍋を開けておかずを選ぶという食堂であれば
     問題なさそうである。
     プーケットはやはりペナンより、文化度は落ちるが、それなりに自由の空気と、のんびりした所があり、彼には住みやすそうである。
     ”大西さん、マレーシアの滞在期間は3ヶ月、タイは1ヶ月だから、この間を行ったり来たりしていたら、良いのと違う?”
     ただ、交通の便が悪く、長時間バス旅行が嫌な時は、ペナン〜プーケットの直行航空便が無いので、バンコックかクアラルンプール経由という事になり
     料金も高いものにつくのである。

     ペナンに戻り、賃貸契約も済ませ、出来るだけのペナン案内をするが、一度には覚えられないであろう。
     10日間も、アッ言うまに過ぎてしまい、これから一人ぼっちでペナンで生活する事になる大西さんを残して、私は関空に向けて飛び立つのであった。

9月中旬 大西さんのペナンアパートの電話回線を引いてインターネット接続できるようにフィリップに頼んできたが、未だ日にちがかかるようである。
     彼が、近くのインターネットカフェに行くと、スカイプで無料通話できる。
     ”その後、どう? 慣れたですか?”
     ”お酒を飲む量は減ったんですが、腹具合の調子が悪いです。それでお金は減りませんわ。1日1000円も使わないです。”
     彼は特別に日本料理が食べたいという事もないと言っていたので店の名刺を集めるだけで行っていないようである。
     海外生活では自分が求める価値順位が何かで住み易い場所も変わってくるであろう。
     ペナンでは、文化レベルを落とさず、モスリム色が薄く自由な雰囲気で安く生活できる。(ビザ無し滞在3ヶ月)
     チェンマイでは、気候が涼しく、日本食材も豊富、京都に似た都市で物価も安く生活できる。(ビザ無し滞在1ヶ月)
     フィリッピン、ボホール島、フィリッピンの中では治安は良く、綺麗な環境であるが、日本食材は手に入れにくい。(ビザ無し滞在45日?)
     それぞれの人に合った良い場所があるだろうが、最後はそこでどう住むかという事になる。
     彼は、日本から持ち込んだ本は読んでしまったので、今は電子書籍(インターネット本)をダウンロードして読んでいるらしい。
     私の様に毎日本を読んでダラダラと過ごすのも良いのではないだろうか。

     タイの軍事クーデターが起きたので、大西さんにスカイプで連絡をする。
     ”今朝、タイの首相が国連に行っている間に軍事クーデターが起こったらしいから、暫くタイ入国は見合わせたほうがええよ。”
     ”まあ、あんまり影響はないでしょう?”
     ”そう、多分王様が仲介しておさまると思いますよ。”
     タイの王様は国民から絶大の信頼を得ているので、王様が決定すれば全て解決するのである。
     日本の報道機関は、この王様による解決を民主主義の未成熟とか、アジア型民主主義とか言って民衆の意思により選出された人による
     政権交代でないので欧米型民主主義ではないと批判している意見が多いようである。
     私は、タイのこの方式は国民の絶大な信頼を得ている王様が始めにあるという前提条件がある限り極めて効率的政権交代方法の仕方の様に思える。
     国民にとって最も最良の方法は何かを王様が正しく判断し決定できるならそれも一つの平和的で効率的手法であるに違いない。
     そして批判している日本の報道機関に問いたい。
     日本は民主主義的政権交代をしているんでしょうか?
     日本の首相を決めるのに我々国民は参加しているといえるのでしょうか?
     国民は政党を選ぶのでその段階で国民の意思は決定されたとみなし、後は自民党内の鍋の中で決まった人が首相になる。
     いつも、日本の政治に何か物足りなさを感じるのは私だけなのであろうか。
     せめて、国の最高権力者は自分の意思で選んでこそ、応援も尊敬も批判もできる責任を持てるのではないだろうか。

10月初旬 新聞の広告でジャイカ(JICA)のシニア海外ボランテイア募集広告が目に留まったので、会場に説明を聞きに出かける。
     私の様なプータローでも何か役に立つことがあるかもしれないという甘い考えからである。
     募集要項の沢山ある資格条件を見ても私が応募できる条件に適う所が殆ど無いのである。
     私が持っている資格は普通自動車(AT)と一級船舶運転免許だけで、特殊技術も何も無いのである。
     船に乗っているお陰で一応ジーゼルエンジンと船外機は何とかごまかし修理くらいなら出来るが、これとて難しい修理技術はない。
     自分の人生を振り返って見て、成る程、人に教えられる程の何も持っていないという確認ができたのである。
     私の様なプータローは、やりたければ自分で勝手にボランテイアをするしかないという事である。
     今後の遊帆UFOの行き先は、これかもしれないと思うのであった。
     かってフィリッピンを航海している時、小さな島で学校に行けない沢山の子供達にあったが、彼らに算数位は教えられるかもしれないし、
     一緒に遊ぶ事位はできるであろう。遊びはきっと彼らから教えて貰わなくてはならにだろうが。
     小さい島でも村でもよい、私が何か人々の為にできるものを見つける航海にしようと考えるのであった。

10月下旬 久しぶりに琵琶湖でセーリングを楽しむ機会を得た。
     いっちゃん、ソバ打ち名人といっちゃん艇で北湖に行き、沖ノ島をめざす。
     風速12〜15ノット沖ノ島の沖は白波が立っている。
     いっちゃん艇はブルーウオーター30でバランスが非常に良く、よく走る。
     ジブはハンクスで付け替えなければならないので、テストの為に3枚のジブを出して見る積りである。
     琵琶湖大橋を越えて沖ノ島まで平均12ノットの風速で5.2ノット程は出ているようである。
     沖ノ島の漁港に入って漁船に横抱きで舫いを取り、上陸する。
     ”佃煮の旨い店を知ってるよ。” 
     と、いう事でいっちゃんの馴染みの店に行く。
     この島は車は走っていないので、静かでおばあちゃんがのんびりと道端で話しこんでいる。
     ”おばあちゃん、この島は静かでええね。”
     ”なんの、朝、はよから、漁船のエンジンの音がうるさいわね。”
     最近は、観光客も島に来て泊まって行くそうである。
     佃煮屋は歩いて港から10分の所にある。
     大きな釜が5〜6個据え付けてあり、中では愛想の良い漁師の奥さん3人が袋に詰めている。
     ”私等、日曜日にもこき使われていて可哀想やろ。”
     鮎、ワカサギ、エビ豆、シジミ等を試食させてくれる。
     ”このシジミは琵琶湖でとれたもんか?”
     と、ソバ打ち名人。
     ”シジミは中国から輸入したもんや。最近は琵琶湖ではとれん。”
     という事であるが、それでも、シジミとワカサギを買って帰る。
     沖ノ島漁港を出ると、風は一層強くなり白波も増えている。
     メインセールをワンポイントリーフし、ジブをNO.2に交換する。
     次の予定地は彦根という事だが、今からだと日暮れになるのと、風に上りで行かなくてはならないので、
     近江八幡長命寺に変更する。
     ここは、買い物が出来る所がないので、持参したオニギリやらカップラーメン等で男三人パーテイである。
     始めてこの船に乗ったがよく走るので、これからいっちゃん艇七番勝負を計画し、挑戦相手一番目は私の前の船で
     今は、中島さんの天福丸に果し合いを申し入れたのである。

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