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    79番 遊帆UFOは船からフローテイングハウスになる。


4月23日 今年は年始から4ヶ月も新ページにしていない。
    というのも、遊帆UFOはペナンのハーバーに完全に居ついてしまったようである。
    何処か目的地があるわけども無し、世界1週をしなければならないという事も無し、何か記録を達成しなければ
    ならないという事無しという、勝手気侭なクルージングで始まったのであるから仕方が無い。
    何故、ペナンに根を降ろしているのか、
    理由その1.繋留費が安い。
       その2.食べる物が旨い。
       その3.インターネット、エアコン、ショッピングと揃っている。
    その上、物価が安いとくれば、何か、どうしても行きたい所が無ければ動かないという事になるのである。
    今まで、お気に入りの場所はフィリッピンのボホール島、ネグロス島〔ボンボノン)、タイのチェンマイといった所
    であるが、ビザ〔滞在期間)、文化度、住み易さという点から考えると、ペナンという事になるようである。

28日 午後3時頃、誰か遊帆UFOを叩いている。
    外に出て見ると、ドイツ人ヨッテイ、ルデイーの奥さんモンである。
    ”モン、どうした?”
    ”アンクル、クオが今朝亡くなったそうよ。今から葬祭場所に行くのに一緒に行く?”
    ”クオさんとは5日程前に会った時は元気だったよ”
    とりあえず、出かける用意をし、モンをバイクの後ろに乗せていつもの仕事場所に行く。
    そこには、友達やら関係者が集まりかけている。
    ”インさん、クオさんは何故死んだんだ?”
    ”昨夜、沢山酒を飲み過ぎて心臓麻痺らしい”
    モスリムのインさんらは、中華系葬祭場所には行かないようである。
    中華系人々の車の後に続いて、島のやや北部にある丘に福建人の墓が集まった所の葬祭所に行く。
    クオの奥さん、息子、友人が既に集まっている。
    奥に、板に乗せられてクオさんは寝ているようである。
    未だ4時間程しか経っていないので、死後硬直も冷たくもなっていないのである。
    暫くして、ルデイーも駆けつけてきた。
    ”オバタ、彼は本当にしんだんかね?未だ、寝ているみたいだよ。もう一度起き上がってくるんじゃないか?”
    彼も、突然の彼の死を受け入れられず、悪い冗談の様に思えるらしい。
    中華系の葬祭は、服も普段着のまま、ドライアイスに大量の紙の金を周りに入れていく。
    今から、3日間、5日間、7日間のどれかの期間、祭礼が行われ、その後ドラを叩いて行列行進して火葬場に行くのである。
    ペナンに来て、遊帆UFOを繋留したり、携帯電話の名義人になってもらったり、バイクやら車をかりたりと色々と大変世話になった
    友人の一人であった。
    2年前に還暦の祝いをしたばかりであった。

    
     2年前の写真である

5月2日 午前11時、クオさんと最後の別れである。
    相変わらず眠っているようである。
    6人編成の楽団が賑やかにジャズ系やらブルース系の音楽を演奏し、祭壇にはご飯にお茶、ビール、子豚の丸焼きが乗っている。
    ここから、暫く楽団が先頭に関係者がゾロゾロとバスまで行進し、そこから火葬場まで行くのである。
    火葬場の周りに墓場があり、福建人の墓公園という意味のことが書いてある。
    墓の形は沖縄地方にある亀墓と呼ばれる形に似ている。
    日本の葬儀となると値段により、飾りつけから荘厳演出までランクがあるが、ここの葬儀は、参列者も遺族関係者も普段着のままで、
    日本の葬式のようにシステム化されてはいない素朴なものである。
    葬儀のやり方は違っても、故人との別れの気持ちは同じである。
    いよいよ彼も体の組織は解けて自然にもどる時が来た。
    短い時間の共有であったが、”一期一会” である。

     

    
   

5月4日 マレーシアに入国してから3ヶ月になろうとしているので、一度出国しなければならない。
   タイの南部の大きな町HaiTyai迄、バス会社の10人乗りバンで約3時間20RM(600円)で行ける。
   ペナン大橋を越えてマレー半島側のバターワースで客を一杯にしたバンは高速道路を時速90KMで走っていく。
   平地は殆ど田んぼで緑の絨毯のようであり、丘になると、見渡す限りのパーム椰とゴムの木が綺麗に並んでいる。
   高速道路代金もこれだけ走って、500円未満のようである。
   世界一高い高速道路料金を取っても赤字の日本高速道路公団とマレーシア高速道路公団をそっくり入れ替えて貰いたいものである。
   国境付近で運転手がパスポートを集めて書類作成しサインをして準備完了、まずはマレーシアの国境越えである。
   マレーシアの入管、税関職員はどこでも非常に親切で傲慢な所がない。
   再度、バンに乗り込んで1KM程行った所にタイ側の入管、税関の手続きである。
   後は、HaiTyai迄30分程である。
   この町は、タイの南側では一番大きい商業都市であり、バックパッカーがここから各地に散っていく中継地点でもある。
   適当に、2〜3軒のホテルに飛び込み料金と部屋のチェックをする。
   今回はPcifficHotel 420バーツ(1300円)でエアコン温水シャワーダブルベッドで部屋も綺麗し広さも充分である。
   町は、路地の屋台からデパートまでランクが揃っている。
   タイの屋台も何処に入っても安くて旨い。
   マレーシア以上に、家庭的雰囲気のする料理という表現が私の独断である。
   マレーシアと大きく違うところは、イスラム色から仏教色に変わる事と、タイの王様の写真がアチラコチラに見かける事である。
   タイは小乗仏教でお坊さんはひたすら自分の修行をし托鉢をする。
   お寺は町の公民館兼児童保護施設も兼ねているようである。
   タイの仏教信者は托鉢に来るお坊さんを拝み供え物を渡す事により功徳を施すという事になり、
   それらの供え物は、お寺の保護児童に使われるという福祉社会システムになっている。
   この辺りは、日本仏教界と全く違う所である。
   日本では国家権力が一番上で宗教界はその管理下に置かれていて、もはや宗教とはいえないのである。
   マレーシア等、イスラム法が一番強く、政治はその下にあるという状態である。
   タイの王室は日本の天皇家とは随分と国民の思いが違っている。
   日本では天皇家は崇拝し批判等報道機関も自粛するのが普通で親しむという事は無い様である。
   その点タイの王室は、国民的アイドルの様な所があり、勿論、崇拝も尊敬もされているが、それ以上に身近な親しみを感じているようである。
   今回タイへ来たもう一つの目的である安い航空券を探しに旅行社を回って見る。
   石油の値上げで何処の航空会社も料金が値上げになっている。
   日本に行く路線は他の路線より距離比較からみて割高であるのには困るのである。
   何故、割高になるのか、飛行場のランデイングコストなのか、飛行場利用税なのかは分からない。
   それでも、国内線料金から比較すると割安ではある。
   物流コストの高さは今後日本経済の足枷となるのは間違いない。
   日本では高速道路、鉄道、飛行場、電話通信等、インフラに莫大な国民の税金を注ぎ込みながら赤字になり、完成後も利用者である従順な国民は
   クレームもストもなく、高い利用料金を支払っているのである。
   未だに、江戸時代幕藩体制の、お上と民衆という構図のままの日本にはフランスの様な革命は決して起こらないであろう。
   明治以後現在まで、日本が歩んできた成功と失敗の原因は全てここにあるという私の独断と偏見である。
   タイ側からマレーシアに帰る時に、10人乗りバンにアメリカ黒人系バックパッカーが一人混じっていた。
   タイの国境の出国ゲートで他の乗客は全員通過してきたのに、彼だけ幾ら待っても出てこない。
   ドライバーが様子を見に行くと、オーバーステイ(ビザ期間を超えて不法滞在)の上に、罰金(超過日数x200バーツ)が無い為足止めされているらしい。
   彼の荷物を返して、一人減って出発である。

12日 ハーバーの向側にマレーシア人ハッサンの掘っ立て小屋カフェがある。
   廃材を寄せ集めて屋根とテーブルを作っただけの格好である。
   屋根はトタンに椰子の葉を乗せていて、朝は漁師とハーバーの職員の溜り場になっている。
   30代半ばのモスリム系のオバチャンがオーダーを一人でこなしている。
   簡単な飲み物とパン、バナナの葉で包んだマレーシア風オムスビを置いてある。
   このオムスビは中の具がジャコ、魚、エビ、貝と種類があって全て唐辛子味噌がかかっている。
   バナナの葉を解いて、右手で混ぜながら食べると中々おつな味なのである。
   私は、時々コーヒーと温泉卵を2個頼むのである。
   こんな温泉もわいていない所で温泉卵等無いだろうと思うかもしれないが、このモスリムオバチャンは、暑い湯の中に入れて、
   上手に食べごろの半熟卵にして醤油(ナンプラー)と胡椒と一緒に持ってきてくれる。
   周りでは、ハーバーの職員がお茶を飲みながら一時間も談笑して、一寸事務所に顔を出し何処かへ行ってしまうので、
   私は彼らが仕事をしているのを見た事が無い位である。
   金曜日の昼からになると職員は殆どいなくて、野良猫の方が多い。
   月曜日の朝はさすがに家に居辛いのかここ掘っ立て小屋カフェの後は、事務所の溜り場で新聞を拡げて意見の交換のようである。
   勘定する時になると、モスリムオバチャンは人数が多いと計算が一寸苦手らしく、時間がかかったりするのを、ハーバーの
   職員はこれをからかっている様子である。
   私は、手のひらに持っている金を出して見せると、コーヒーの分、卵の分として取ってくれるので計算を間違う事は無い。
   ここはモスリムの国なので、勿論野良犬はいないが、野良猫は10匹位が縄張りを持っていて、カラスとも仇同士である。
   アッラーは犬、豚、酒が大嫌いな神様なので、その信者たるものは神様に同調しなければならないのである。
   犬、豚、酒の代わりに、ゴキブリ、ネズミ、タバコ位に変更して貰いたいものである。
   話は変わるが、最近インターネットでGoogle Earthを無料でダウンロードした。
   遊帆UFO航海中はC−Mapという電子海図(世界版)を持っていてGPSと連動して自分の位置が海図上に示される。
   遊帆UFOも日本1週している10年前は日本海図協会という海図データ独占会社から高額紙海図を何枚も揃えなくてはならなかったのに、
   今や、世界中の大きい海図も小さい海図もオマケに潮汐表まで付いた便利な電子海図1つで事が足りているのである。
   この辺り海外と違って日本の海図データを独占し民間に安く提供しないという考え方は如何なものであろうか。
   今まで陸側の良い世界地図がなかったのであるが、このGoogle Earthは衛星写真を相当な大きさに拡大できるし緯度経度も出てくる優れものである。
   自分の住んでいる所が宇宙空間から一気に降りてくるといった錯覚におちいる。
   私には無料のダウンロードソフトで充分楽しめるが、年間料金を支払うとGPS対応等といった事ができるようであり、カーナビ、
   山歩きに威力を発揮するのではないだろうか。
   しかし、未だソフトをこれから充実させていく段階の様である。
   Googleの事であるから世界中の地点の検索等ができるようになり、交通手段から料金まで表示されたり、宿泊施設、レストラン等も
   その地区で検索すると料金から料理メニューまで検索できるような事になり、現在、世界中のバックパッカーが持っている本が、GPS付きコンピュータで
   用が足りるという海外旅行必須アイテムになりそうである。
   
14日 今はエベレスト7100m付近にいて、ぐるりと360度見渡すと眼下にチベットの山並みとポカラの町が見える。
   今度は一気にグランドキャニオンに飛び軽飛行機を操縦してコロラド川沿いに見下ろす景色は素晴らしい眺めである。
   高山病にも凍傷にもかからないし、飛行機が墜落する事もないのが残念である。
   これはGoogle Earthでの疑似体験の話である。
   誰が何時の間にこの様な3次元映像を撮ったのか、見渡す限り誰もいない海の上で、遊帆UFOのデッキで素っ裸で
   うろつきまわっていたりすると、ウッカリ衛星写真に撮られていたりするのかもしれない。
   尤も、撮った方は邪魔な物が写ってしまったという事で没にしなければならないだろうが。
   これだけの情報を惜しげもなく無料提供してくれる度量の大きい海外関係者に感謝しなければなるまい。
   そうなると、日本海図協会の事をマタマタぼろくそに言わなければ気がすまなくなる。
   海図のもとになるデータは海上保安庁か何処かの役所が税金を使って調査したものである。
   そのデータに基づき、日本海図協会(確か海上保安庁の外郭団体だったと思う)が海図を作って高く売っているのである。
   海上保安庁等は、その高額海図を税金で大量購入しているという上手い仕組みを作っている。
   勿論、日本海図協会は天下りというか、関係省庁の受け皿になっているのである。
   その金蔓データを独占して手放そうとはしないので、10年前は民間で電子海図を作る事はできなかった。(現在はどうなっているか知らない)
   その頃にはC−Mapは既に全世界海図として流通していたのである。
   この様な税金で調査したデータを政府外郭団体が独占し金蔓にするという事があってよいのであろうか?
   私が、平成日本は未だに江戸幕藩体制のままであるという所以である。

   
       
 
   ヒマラヤ頂上から360度見渡せる。                コロラド川の上空を自由に飛びまわれる

15日 ”イーメール、誕生日オメデトウ”とスエーデン人ヨッテイのケビンがいう。
    ”そしたら今日は、誕生日パーテイをせなあかんがな”と私
    ”じゃ、迎えのマレーレストランでしよう”とイーメール
    向かいのマレーシアレストランは例の掘っ立て小屋ハッサンのレストランの事である。
    旨い食い物はないけど、近くで便利でよいかと思い直す。
    7時頃、スエーデン人ヨッテイ、ケビンにエバ、ノルウエー人夫婦と一人モンの合計7人でささやかなパーテイとなる。
    日本人は勿論一人で皆さん北欧系である。
    ”今日は、イーメールの誕生日オメデトウ。ついでに私の誕生日も近いので一緒にさせて貰いますわ。
    さて、イーメールは71歳私は59歳で、日本式で干支で言うと2人とも豚で、ここモスリムの国では嫌われモンということになります”
    ”そうか、それで女性が私の体に触りもしないのだな”と、イーメール
    この掘っ立て小屋の主人ハッサンはモスリムで飲酒禁止である。
    ”ハッサン、あんたと私は友達やろ。私は日本人で無宗教で、酒を飲んでも怒る神様がいないんだ。
     だから、ワインを持ち込むけど飲んでもええやろ。”
    彼は、それでも屋根の無い外でやってくれとか何とか言っているが、こちらは気にせずワインを回し飲みである。
    一度席について始まるとこっちのモンである。
    ヨッテイの話は、いつも決まっている。
    自国の物価の高さの不平を言うか、クルージングスポットの情報交換である。
    ノルウエー、スエーデンも福祉国家で物価は高いというが、我が日本の物価の高さは切り札が幾つもあって、6対1でも負ける事はないのである。
    食事代は割り勘(一人5rm150円)にして誕生日パーテイは終わるのである。

16日 インターネット新聞を見ていたら、とんでもない法律が明日参議院を通過し成立するそうである。
    即ち、入管難民法改正案である。
    ”国際テロ対策の強化を目的に、外国人(十六歳以上)の入国時の指紋採取“復活”や顔写真の撮影などが盛り込まれた入管難民法改正案−。
    外国人のみへの適用とあって関心の薄いまま衆議院を通過、参議院でも可決、成立する運びとなった。”
    今時、海外で入国する時に指紋やら写真撮影などする国は何処にもない。
    指紋はスキャナーで読み取るらしいが、今後その指紋データを悪用されない保障はどこにあるのか。
    現在、インターネット上では指紋によるキーがあちらこちらで開発されているのに、これではキーの役目をなさないし、もしこのデータが
    流出し損害をこうむった場合は日本政府が責任をとるのであろうか。
    それでなくても、外交問題になり、日本政府が入国する外国人に対して行えば、報復として外国でも日本人に対して
    指紋採取をする権利が生じるのが普通である。
    日本人だけは何処の国に行っても、特別扱いで指紋と顔写真をデジカメでデーターで取られても文句を言えないことになるであろう。
    又、日本人も事前に指紋情報を登録すれば出入国手続きが簡略化されるという甘い言葉で国民総指紋登録制度を狙っているのである。
    そのうちに市役所でも指紋登録が進められ、印鑑不要、印鑑証明、その他手続きは簡素化されますという事になる。
    国民総背番号制と指紋登録制度で国は国民1人一人の詳細データを作ることが出来る。
    国際テロ対策という美名、大義名分の裏には、こんな恐ろしい事が行われているのである。
    国のやり方はいつも反対の少ない所から始めて、浸透してきた所で義務化にするという見えない所から事を始め気が付いた時には
    手遅れで、誰も反対する事が出来なくなっている。
    これは決して外国人だけを狙ってはいない法律でもあり、又、外国人に対してだけ適用するという事であっても海外からの反発は
    相当なものになるだろう。
    日本政府は外国人の日本人帰化等に関しても、非常に閉鎖的あり、日本人だけの社会であれば安全を保つ事ができると考えているのである。
    それにしても、人権を無視したこの様な法案が良識の府で簡単に通過する事が大変恐ろしい国の体制になりかけていないだろうか。
    官僚は、全てを管理したがるのが官僚の本質であり、自分は良い事をしていると考えて忠実に実行し最後は国民が泣くのである。
    時代に逆行するこの様な恥ずかしい法律を成立させる国会議員を誰が選んだのであろう。
    日本は益々管理社会、社会主義国家体制或いは江戸幕藩体制の復活を目指しているようである。

6月4日 久しぶり(約1年)にエンジンを掛けて、ギアーを前進に入れると、突然に止まってしまう。
    長い間、回していないので固着したのかもしれない。
    ギアーかスクリュードライブのギアーのどちらかである。
    2度前進でストップして、これ以上無理にエンジンを回すと問題が大きくなると思い、そのまま検討中である。
    点検するにも陸揚げが必要で、Jabatan Harbor から南5Km位の所にBatuMaugシップヤードがあり、そこまで行きたいのである。
    先月亡くなったクオさんが40馬力船外機付きの船を持っているのでそれで牽引して貰う積りでクオさんの仕事場に行く。
    奥さんが何とか仕事を続けているようであるが、表情は良くない。
    幸いインさんがいたので、彼に私の希望を言って、英語の分からない奥さんにマレー語で伝えて貰う。
    大体、意味は通じたようで、風も波も無い日にこちらから電話をしたら、船でハーバーまで来て貰う事にした。
    遊帆UFOは全くフローテイングハウスになってしまったのである。
    私は、以前からヨットには電気モーターが構造的にシンプル、音が静か、回転数も自由に調節できる、スクリューとモーターの設置場所を
    自由に選べるという利点があると考えている。
    問題は、エネルギー源の問題であるが、船底に多数のバッテリーを積み込めばどうだろう。
    現在、メインエンジンのヤンマー3GMを発電機にして、航行中はそれで補い、係留中はソーラーパネルで沢山のバッテリーをフル充電をする。
    ヨットは、広い場所にでればセーリングができるのであるから、これも一つの方法ではないだろうか。
    アイデアだけで専門的知識もないので、どなたか、詳しい方は教えてください。
    知りたい事項
      1.現在のエンジンパワー27馬力をモーターで代替するとすれば、どの様なモーターを使えばよいのか。
      2.そのモーターの1時間当たりの消費電力。
      3.現在のエンジンヤンマー3GMを発電機に変更すれば、どれ位の発電量が得られるのか。

6日  ペナンの南端BatuMaungのシップヤードまで、インさんの船で牽引して貰う。
    遊帆UFOが海上を音も無く静かに滑り出すと、やはり新鮮な気分になる。
    遊帆UFOは1年間ここ(BatuMaung)で陸揚げのままになるので、隅の方に場所をとる。
    早速、ドライブを外し点検である。
    ギアーは問題なく、ドライブのスクリューの軸に釣り糸が絡まり、軸の中にまで入り噛んでいる。
    ドライブの中まで水も浸入していないので、内部ベアリング、歯車、シャフトは問題がないが、主軸の蓋のアルミ鋳型が電蝕で
    痛んでいるので、この部品をイギリスのメーカーから取り寄せ、来年戻ってきたときに修理は完了するという目途がついたのである。
    ここの陸揚げ保管料は388RM(約12000円/月)、トレーラー陸揚げ下げ料は740RM(30RMx37ft)、コンプレッサー水洗い148RM
    (4RMx37ft)であった。

8日 タイ航空でペナン発、バンコック経由で関空に戻る。
    航空券は1年間有効2900RMであった。

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