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       77番 ペナン観光案内とバリ島観光旅行マカオ、香港    2005年11月

11月10日 ここJabatanハーバーで、モスリムのラマダン明けのお祭りハリラヤが開かれる。
      我々、係留しているヨッテイには、グッドニュースである。
      ハリラヤは知人、友人を招いて、食事を振舞うのが習慣の様である。
      料理は、マレー式カレーなので、チキンと野菜の2種類である。
      それに各種のケーキと餅類が並べられている。
      もち米を使った料理が多いが、竹にもち米を詰めて火に入れて炊き上げたものなど馴染みのものが多い。
      隣で、デンマーク人のイメールは、チリと、甘いものが苦手らしく、しきりにコーラで流し込んでいる。
      今週の土曜日から、我ドラ娘と、友達のユカがペナン観光旅行でやってくるので、
      ここの職員、アヌールに土曜日から自動車を3日間貸してくれと頼む。
      ”これはどうだ。日本製だぞ。”
      トヨタ、パブリカの様なきがする。
      赤の塗装は、禿げて、浮き出しているので手で叩くとボロボロと落ちてくる。
      勿論、オートマチックでなく、ミッションである。
      ”アヌール、これは、動くのか?まっすぐ走るか?ランプ類は問題ないか? 一度エンジン掛けてみてか。”
      エンジンを掛けるのに、コツがあるらしく、
      ”スイッチを回す前に、こうしてアクセルを5回ほどポンピングしてから、掛けるとこういう風に1発でかかるだろう。”
      ”成る程、けど、ブレーキランプが点かんで。”
      ”分かった。修理しておく。”
      前に進んで止まれば外見は悪くても問題無いだろう。
      料金は4日間で120RMで交渉成立である。

      ドラと友達のユカを空港まで迎えに、アヌールの車を使うがブレーキランプが未だ直っていない。
      旅行社から出迎えガイドと、バン車が待っているので、後に続いて走るが、車の性能の差でこちらは
      必死で追いかけて行かなければならない。
      フェリンギビーチホテルと聞いていたが、どちらにせよ、安物のホテルであろうと想像していたのが、
      まあまあで、パック旅行値段からすれば、割り安なのではないだろうか。
      到着して、ロビーで私が車を置いてくるのを待つ間に、ドラとユカは日本人の中年夫婦と親しそうに
      話をしている。
      そこへ、私が突然割り込んで話に入ると、中年夫婦は、一寸引く感じになる。
      何だか一寸変な感じだなと、思いながらも、部屋に荷物を置いて晩飯にでようと、エレベータに乗ると、
      二人も同じエレベータに乗ってくる。
      エレベータの中で、ドラとユカに
      ”何号室ですか?、オジサン、後で部屋に遊びに行くからね。”
      と言っているので、私が代わりに、
      ”どうぞ、どうぞ、610号室ですよ。”
      と言って別れる。
      部屋で、出かける準備をしていると、電話がなる。
      ドラが、電話にでてしきりに、
      ”いや、大丈夫です。  心配ありません。 オトウサンですから。。”
      とか何とかゴチャゴチャと喋っている。
      ”今の電話は、旅行者ガイドか?”
      ”いや、さっきの夫婦もんのオジサンが、怪しい日本人が多いそうだから気をつけなさいという
       親切そうな話やけど、ほんまのオトウサンやというたら、話がおわってしもた。”
      ”それやったら、オトウの事を、又 怪しい日本人やと勘違いしよったな。
       プーケットでアケミが来た時も、ガイドが部屋に同じ様な電話をかけてきたからな。”
      こんなに、やさしいオヤジを、人攫いかヤクザもんに見間違えて、親切にアドバイスまでしてくれるとは、
      よほど、早とちりか、親切心過剰な人なのであろう。

      昨日、アヌールに車のブレーキランプが直っていないと、文句を言っておいたが、今日は、白の同じ位
      ボロ車が横に留めてある。
      これは、アヌールがこちらの白の車に交換する為に持ってきてものだろうと思い、エンジンキーを挿して見ると、
      回ってエンジンがかかるのである。
      成る程、これに乗り換えろという事だろうと、白のボロ車で朝9時にホテルまで、迎えに行く。
      燃料メーターを見ると、残量がないので、スタンドでガソリンを入れようと、給油口に鍵を差し込む。
      どういうわけか、鍵が回らず蓋が開かない。
      アヌールは、ほんまにええ加減な奴や。今度の車は窓をハンドルで回して降ろすと、外れてしまうし、
      鍵は、合わないし、エンジンを切ると、次に掛ける時は、ウ〜ン。ウン。と唸って危うい所でエンジンが
      かかるという有様である。
      おまけに、給油できない為何時ストップするか分からない。
      ボロ車を気にしていても仕方が無いので、朝は、例の飲茶へいく。
      二人は、シュウマイ、フカヒレスープ、天ぷら、蒸し物、プリンケーキ(その他多数)を、
      ウマイ、ウマイと食べた後は、ショッピングに連れて行けとの命令である。
      いつ止まるか分からないボロ車に乗って、ガーニープラザへ行く。
      時間が早いので、スターバックスでコーヒーと、味見と言ってチーズケーキを1つ注文する。
      それから、6時間程ガーニープラザの隅から隅まで覗いて回るのである。
      ”ペナンて、都会やな。ええとこあるやん。なんでも安いわ。”
      と、靴、スリッパ、着るもの、アクセサリーと、品定めに夢中である。
      午後5時頃、次に晩飯を食いに行こうという事で、ガーニーホテルから、ハーバーまで一度帰って
      前の、赤ボロペンキハゲハゲ車に乗り換えである。
      同じ鍵で便利な所は良いのだが、最後の詰めが甘いアヌールである。
      晩飯は、ペナンの南の端、海岸にある、地元の中華系の人々が行く海鮮料理屋である。
      黒胡椒とにんにく炒めカニ。蒸しだけした蝦、ナスで蝦のすり身を揚げたもの、オイスター炒め野菜
      海草、と、魚のすり身スープ、焼き飯という盛り沢山のメニューを3人で平らげる。

      今日は、私は昼飯からの担当で、11時ごろホテルに行き、インドカレーを食べに連れて行く。
      インド人オッサンに、蝦、チキン、魚、キャベツ、オクラにカッパエビセンの様なトウモロコシ煎餅
      を注文する。
      二人は、辛いけど、ウマイ。といいながら、汗と鼻水を垂らしながら食っている。
      ”今日のご予定は?”
      ”昨日、ホテルのパンフレット見てたらスパ、エステ二人で500RMで3時間半、やってくれる所が
       あるから、夜6時半から、そこへ行くわ。それまで、昨日と違う所にショッピングに連れて行ってか。”
      との事である。
      フェリンギにあるショッピングモールに連れて行くが、さすがに私は疲れて、スターバックスで
      昼寝をする。
      ”ええもんがないから、昨日の所へ連れて行け。”
      もう、言いたい放題、好き勝手である。
      晩飯も食べさせておかんと、エステ終るまで待っている訳にはいかない。
      ショッピングが終り、福建麺、伊府麺等、ラーメンを食べに連れて行くと、今度はエステの時間
      に遅れそうになる。
      慌てて、ホテルに帰り、エステの迎えの車に乗せると、どうやら方向は同じようなので後に続いていく。
      エステのオバチャンに、この怖そうな顔を見せて、頼んでおけば安心かなと思って確認にいく。
      たまには、怖い顔も役に立つ時があるのである。

      もうはや、帰国の日である。
      朝9時から出迎え、飲茶、シコシコ麺と2軒ハシゴをして、ペナンヒルのケーブルカーに乗りにいく。
      やっと、観光旅行らしいイベントであるが、生憎と雨である。
      ケーブルカーを待つ間、頭の先から足の先まで黒尽くめで、目だけだした若いカップルがいた。
      我方は、ドラもユカも昨日ショッピングで買った、肌を露出したシャツを着ている。
      ここで、お互い文化の違いにより見ものが起こったのである。
      黒尽くめのネエチャンは、チョコレートとパックジュースを手に持っている。
      ”どうやって、飲むんかな。”
      と、我が方2人は、興味しんしんでジッと見つめる。
      黒尽くめも、こちらの視線が気になるのであろう、伏目がちに、顔のベールの下にチョコレートをいれて
      恥ずかしそうに食べている。
      パックジュースも同じように黒ベールの下から飲むのである。
      我が方2人はそれを見て笑うのであるが、相手も分かっているのであろう、恥ずかしそうに笑っている。
      ”お前らな。そんなに見つめてたら失礼やろ。相手から見たらお前らは裸で歩いているみたいに
       みえてるんやで。”
       "あんなん、被って暑くないんかな?”
      ペナンヒルでは、何とか雨が上がって視界が開けてくるので、記念撮影である。
      先程の黒尽くめカップルにシャッターを押してもらい、ユカがポラロイドカメラを持ってきていたので、
      カップルを写して写真をプレゼントする。
      ”黒尽くめで、写真撮っても誰やわからんのにな。”
      次は、極楽寺見学である。
      観光も疲れるのである。
      適当に見たことにして、飛行機乗るまでにこなさなければならない、メニューが未だ沢山のこっているので、
      まず、マレー式レストランに行く。
      ここでは、ナンにカレー、ムルタバを注文する。
      ”これは、うまいな。ヤミツキになりそう。”
      "時間が無い。次は、スープ揚げ麺を食べに行こう。”
      ”今までの、中でこの麺が一番うまいな。なんかチキンラーメンに似ているけどな。”
      何の事はない、一番後で食べるものが印象が強いだけである。
      ”どうや、まだ、食えるか?”
      ”もう、あかん。腹一杯で食べられん。”
      ”よし、ほんなら、飛行機の中で食べるように、中華クレープを持って行け。”
      これは、クレープにバナナ、黒砂糖、バター、卵等をトッピングして入れて焼いたものを2枚包んでもらう。
      飛行場について、コーヒービーンズでコーヒーを飲んで、バイバイである。     
      食べるのとショッピングに忙しい旅行で別にペナンでなくても良かったような旅行であった。
      始めての海外旅行のユカは楽しんで帰ったのであろうか心配である。 
     
      琵琶湖観光旅行団に合流の為に、クアラルンプールまでのバスチケットを買いに行く。
      ハーバーから、歩いて30分、自転車で15分位の所に新バスターミナルがある。
      バス会社は、10以上あって、値段はクアラルンプールまで27RM(800円)クラスはVIPで約5時間掛かる。
      どのバス会社もクアラルンプール空港行きがないので、乗り換えなければならない。
      アヌールは自分がバイクでバスターミナルまで送っていくからと言ってくれるが、今回私は折り畳み自転車を
      持っていこうかと考えているのである。
      自転車があれば、行動範囲が拡がるし、良く考えてみると荷物になるようでならないのである。
      バスに乗るときは下の荷物入れに放り込めば良いし、飛行機に乗るときは荷物で運んでくれる。
      それ以外の時は、組み立てれば、重い荷物も自転車に積めるのである。
      私は、ペナンでは食事の為に10Km位は自転車を漕いでいくので、バリでも便利に使えるであろう。
      今回、日本に帰ったら、電動自転車(オフタイム)を買おうと思っているので、それでなくても狭い船内に
      2台も置く訳にはいかないのである。
      今使っている自転車も7年前に沖縄で買ったものだが、よく役に立ってくれた。
      毎度感じる事だが、バスの料金の安さは日本と比べ物にならない。
      VIPバスは、1つずつ独立したリクライニング席でクーラーもきいている。
      世界標準からかけ離れて馬鹿高い日本の物流コストは、いづれ日本経済の足を引っ張る事になるのである。

      ペナンからクアラルンプールまで高速道で4時間かかるが、あちらこちらにあるドライブインで止まって
      くれる。
      両サイドは、パーム椰子、ゴム畑が続いている。   
      バスの運転手のニイチャンは対向車に手を振っているので、えらい義理堅い奴だと、思っていると、
      今までビュンビュン飛ばしていたニイチャンは急にスピードを落として走るのである。
      暫くすると、警察の検問がある。
      成る程、あれは合図だったのかと感心する。
      検問を過ぎると、対向車のバスに、今度はニイチャンが手で合図を送っているのである。
      そんな事をしながら、4時間走ったバスの高速道路代は幾らかゲートの支払いを見ていると、
      27RM(800円)程である。
      道路は、穴の開いているような所はないし、立派に整備されている。
      日本の高速道路の馬鹿高さはどういう計算になっているのであろう。
      いっそ、高速道路を全部民間会社に競売してしまえば、もっと安く整備された物になるであろう。
      日本の企業が引き受ける事ができないなら、世界中の会社に公開し競売すれば、
      黒字で競売できる筈である。
      他国で、こんなに安い料金で維持できて日本で何故できないのか?
      下請企業に黒字が出るようにし、道路公団は赤字にして税金を使い、公団の人間は下請け企業に
      天下りするという、構図で 高い高速料金負担は利用者である国民と税金を払っている国民
      という事になるのである。
      こんなに馬鹿高い高速料金でもおとなしく支払う日本国民はなんて良い国民なのか。
      どこかの国のトラック協会のように高速道路を制限速度時速80KMで皆で走って抗議するという
      事も起こらないおとなしい国民である。
      クアラルンプールに近づくと、両サイドは分譲住宅用に開発され看板を見ると、二戸一で2階建てが
      300万円程の価格で売り出されている。
      クアラルンプール市内は高層ビルが立ち並び、渋滞で車が動かなくなる。
      クアラルンプールから空港まではタクシーが80RMで1時間程かかるのである。
      この空港は、市内へのアクセスが問題である。
      バリ、デンパサールまでは エアーアジア航空である。
      この飛行機会社は格安料金を売り物にしていて、座席も指定されていないので、どこに座っても良い。
      スチュワーデスも、無駄な案内は一切無く、機内サービスも無しである。
      ただ、ワゴンに飲み物、食べ物を入れて売に来るので、必要な人は買って食べるという合理さである。
      デンパサールに到着すると私はビザを取らずに来ているので、イミグレの前に、US$23−支払い
      ビザを貰うのである。
      ロビーを出て、今夜の宿探しであるが、タクシーのオッサンに希望価格100000〜150000ルピー
      (1000〜1500円)で清潔で、静かな所を案内するようにいう。
      案内された所はクタ(爆弾事件のあった町)のはずれで、静かで清潔で、バスタブがあり温水が出て、
      クーラーもあるという豪華さである。
      2ヶ月ぶりにバスタブに熱い湯を張って30分程浸かっていると天国である。
      
      今日の、夕方に山側にあるウブドという所に琵琶湖観光旅行団が到着する事になっているので私も
      シャトルバスで移動する。
      バリ島はもっと田舎の島であろうと、かってに想像していたのだが、観光化された、しかも、大きな島である。
      今回、自転車を持ってきているので、島をぐるりと回ろうか等と安易に考えていたが、とても回る事
      はできない。
      ウブドも出た所勝負であるから、降りた所でニイチャンが沢山寄ってきてゲストハウスを案内してくれる。
      そこは、森の中に囲まれた高台にある部屋で二方がガラス張りでベランダもあり、勿論、バスタブ温水で
      エアーコンは無いが、1泊1200円である。
      広さも充分にあり、何といっても音が無く、時々、鳥の鳴き声がする位である。
      ここは、私にはよい所なので、喧騒の下界には行かず、ここでゆっくり帰る日が来るまで過ごす予定である。
      午後7時過ぎ、インドネシア料理を食べて、旅行団の泊まるホテルに行くと、皆さん集まってワイワイやっている。
      ”どうした?何か問題ありか?”
      ”日本でドルに交換した50ドル札がここでは使われへんいうて、もめてるねん。”
      旅行団長夫人の話である。
      ドル紙幣も偽札が多く、番号に指定があったり、発行年に指定があって使えないようである。
      現地ガイドは長い間計算しなおしをして、皆さん空腹の為にご機嫌斜めである。
      早速、近くのインドネシア料理店にホテルの車で送ってもらい注文である。
      私の、普通食べに行く所とは雰囲気というか、作りが全然違うし、サービスするオネエチャンも
      若くて綺麗な人ばかりである。
      私の行く食堂は太ったオバチャンが料理をしていて、お愛想にニカッと笑ってくれる位である。
      H先生は余程腹が減っていたのか、焼き飯を皿ごと抱え込んで食っている有様である。
      団長夫人は気疲れか、食欲なさそうである。
      明日は、寺院巡りらしく、私は部屋でユックリ本を読んで待っているというが、強制的に
      ボデイガード、兼通訳の為、朝10時集合との命令を受けるのである。

      マイクロバスで細い坂道を登っていく。
      両側は、木彫り、石彫り、絵、バテイック製品等の同じ店が延々と続いている。
      ”客が誰もおらんで、よう商売できてるな。”
      等と、バリ島式商売を皆で日本式コンサルテイングしながら山道を登っていく。
      マイクロバスが止まると、そこは棚田の風景である。
      ”この景色は、椰子の木がなかったら、僕の故郷にそっくりや。”
      と、海外旅行初めてのサブチャン。
      ”高い金出して、見にこんでもよかたのに。”
      と、マイペースイッチャン。
      バスに乗ろうとすると、みやげ物を売ろうとオバチャン、オッチャンが寄ってくる。
      ”これ1つ、50000ルピー(500円)、安いね。”
      ”いや、いらん。”
      ”これ3つで、50000ルピー(500円)、もっと安いね。”
      と、急に3分の1になるのである。
      棚田見学の後は、高度3100m程の山の麓にある、有名なヒンズー教寺院見学である。
      途中に眼下に海を見渡せるレストランでインドネシアバイキングスタイルの昼食である。
      私が普段たべている、インドネシア料理とは違っていて、殆ど西洋料理に近いのである。
      それなりに結構な味に結構な値段であった。
      ヒンズー寺院は、山門までバイクタクシーで行くか、歩いていくからしく、バイクタクシーは
      往復平均10、000ルピー(100円)位だとの、現地ガイドの情報である。
      ”よし、それなら、作戦を立てよう。交渉役は強力女性陣(団長夫人と、会計担当蕎麦打ち名人夫人)で、
      男連中は交渉中、歩いていこうと言いながら、歩き出す事にして、一人当たり往復5000ルピーでOKしよう。”
      ズバリ、作戦成功である。
      バリヒンズー寺院は本場インドヒンズー寺院とは違って地味な感じである。
      日本人にも、多神教は受け入れやすい宗教であろう。
      八百万の神様が昔の日本にはいたそうで、会社で例えるなら社長級神様から、各担当部門に
      神様があり、カマド、便所担当神様もいて、私の祖母は何かお祓いみたいな事を、していた記憶がある。
      ここバリの人々も家のあちらこちらに、花と椰子の葉で作った綺麗な供え物と、線香を焚き、
      清水を振り掛けてお祈りをしている姿は美しく懐かしい風景である。
      私が、泊まっているウブドテラス(ゲストハウス1日1200円)も、部屋にも、通り道にも
      ブーゲンビリア、ハイビスカス、香りの良い白い花が、あちらこちらに置かれていて気持ちが良い。
      しかも、森の中の2階建ての上のテラスなので、風景は良く、音は鳥の声しか聞こえない。
      時々、リスがバナナの葉を伝って降りてくる。
      次はウブドの町の人々がお参りに行く寺院に参拝である。
      神聖な寺院に入るのに、旅行団は宗教心の無い人やら穢れた人が多いので、男はチェックの布を腰に巻き、
      頭に派手な鉢巻風帽子をしなければならない。
      女性は、地味な白の腰巻に白の鉢巻姿になる。
      ”いや、嫌やわ。男の方が綺麗やんか。”
      ”あんたら、鉢巻に蝋燭さしたら八墓村の呪いの女そっくりやんか。”
      寺院の前でワイワイと賑やかな事で宗教心等どこにもないのである。
      町の女性は、化粧をし薄いレースのシャツを着て頭に神様の捧げ物を入れた篭を頭に乗せてやってくる。
      その中で、一際美しい若いお母さんが女の子連れで参拝にきて、我々の前をニコリとして
      通り過ぎていく。
      H先生の目が点になっているほど、美しく神々しく見えたのであった。
      夜は、ケチャダンス見学である。
      80人位の青年(何人かはハゲ頭数名)が上半身裸で手を伸ばし手のひらを振りながら何グループかに分かれて、
      ケチャ、ケチャとリズムを取りながら歌うので、大変なアップテンポである。
      ストーリーは王子と姫と悪霊と、正義の味方ガルーダの絡みで分かりやすい。
      80人の青年は姫と王子を助けるサル軍団という役回りらしい。
      姫役は2人程の若い女性だが、衣装の美しさに加えて、顔も美しく踊っている時は魅力的である。
      明日は、琵琶湖観光旅行団はサイクリングとスパ、エステというスケジュールらしいが、
      私はキャンセルして、静かな、部屋で本(シドニーシェルダンの新刊 ”Tell me your Dreams”)
      読みの日にする事にしたのである。
          
      八墓村呪いの女スタイル               信仰心の無い旅行団

      バリコーヒーを飲みながら、本を読んでいると眠たくなり、朝寝、昼寝と寝る有様である。
      その間、プールの水中で無重力状態で息を止めて潜っていると、極楽である。
      私は、前世というものがあるなら、カバかトドでは無かったかと、思うぐらいである。
      鳥の声しか聞こえない森に、澄みきった空気は素晴らしい贅沢である。
      午後5時ごろ、琵琶湖観光旅行団のホテルにマイカー(折り畳み自転車)で出かける。
      ”今日のサイクリングは景色が良くてよかったわ。”
      山の上(キンタマーニ)まで自動車で送ってもらい、そこから下り坂を降りてくるというオプションツアーである。
      ホテルでは、エステとマッサージ30分してもらい、皆さんご機嫌である。
      今日の、夜は昨日と同じようなバリダンスである。
      舞台の右側に男性楽器演奏団30人程が学生服の様なものを着て頭に例の鉢巻をして座っている。
      女性の舞踊は、昨日同様綺麗で魅力的である。
      中でも、未だ15〜16歳としか見えない女の子の踊りは体の切れが良く、表情に変化があり、
      素晴らしい踊りであった。
      ストーリーは善玉神様と悪玉と愛をテーマにしたものであろう。
      獅子やら猿、漫才の掛け合いの様なものまで登場し、1時間半の公演であった。
      ここバリの舞踊に比べ、スマトラ島トバ湖の村の舞踏は、さっきまでそこの田んぼで働いていたのと
      違うと見間違える程、色は黒く、歯抜けのオッサン3人程がギターを鳴らし、村の若いネエチャン達を
      5人程集めてきて、腰振りだけ教えてダンスをさせていた。
      ネエチャンの衣装も各自バラバラでジーンズにTシャツのネエチャン等はチューインガムをクチャクチャ
      噛みながらずっと腰を前後に振っているだけという有様であった。
      顔に似合わずオッサンの美声が助けとなって客もそこそこ満足した様なものである。
      そう言えば、公演料は各自寸志であったようで文句をいう筋合いではないのである。 
      それに比べると今回のバリダンスは専門家集団でお金の取れる公演であるのは間違いない。
      公演が終ると、皆さんは腹が減った様子でイライラしている。
      団長夫人のインターネット事前調査でレストランに行き、早速各自好きなものを注文である。
      蕎麦打ち名人夫妻と、団長夫妻は賢くカップルで違うものを注文し、H先生、サブチャンは豚のステーキ
      イッチャンは魚のオレンジソースを注文する。
      豚のステーキを注文したH先生は、
      ”豚肉が硬くてナイフで切れへんで。”
      と,昨日の晩餐牛肉ステーキ同様文句を言い、
      団長旦那は
      ”ここ暗いな。暗いで何を食べてるかわからん”
      としきりに明かりの事を言っている。
      マイペースイッチャンは、
      ”オレンジソースなかなかウマイ。”
      と黙々と食っている。 
      蕎麦打ちカップルは仲良く皿を交換し、(というより食べられないものを旦那に任せたように見えた。)
      団長カップルも硬い豚肉に苦労して食べている旦那に自分の分を分けて優しい所を見せている。
      ”オイ、サブチャン。帰ったら、回転寿司行って、蛎とズワイカニ食べに行こな。”
      H先生は、もう日本のウマイ食事禁断症状に入っているようである。
      琵琶湖旅行団は明日からサヌールへ移動するので私に同行するように誘われるが、私はこの静かな
      所が気に入っていて、もっと、山奥の静かな温泉場に行きたい位なのでお断りをする。
      今までの所、琵琶湖観光旅行団は、病気になる人も無く、迷子になる人も無く、次ぎのステージ(サヌール)に
      旅行社のマイクロバスで移動したのである。

      高度2000m程ある山の麓にBeratan湖があり、スマトラ島のトバ湖のイメージが良くて行って見る事にした。
      今泊まっているゲストハウスのニイチャンの車で、1時間半ダラダラ上り坂を登っていく。
      左手に、バリ島で一番高い山Agung(高度3124m)が見えるが山の天辺は雲で見えない。
      大きくない湖に、観光船等も浮かんでいるが、トバ湖の様に雄大さも神秘的でもない。
      町も、何か中途半端な感じで滞在しにくそうなので、ニイチャンにウブドへ逆戻りしようという。
      今度は、ダラダラ下り坂である。
      道路の両側にオバチャンがドリアンを売っているので、食べに行く。
      ”オバチャン、このドリアンは若い。オバチャンみたいに熟れた奴にしてか。”
      と、言いながらニイチャンと二人で2個食べてしまった。
      オバチャンは、次にマンゴースチンを薦めるというよりは、押し売りである。
      この年代のオバチャン(大阪のオバチャンのバリ版)が出てくれば勝負はあったようなもので、
      こちらの抵抗は何の役にも立たない。
      実が大きく、今度は熟れていて甘くてウマイので食べてから、ゲストハウスのニイチャン達に土産に
      仕入れて帰る。
      今泊まっているゲストハウスは男の子ばかりのスタッフで女の子を見たことがない。
      しかし、掃除は綺麗にするし、花もあちらこちらに置いて気配りはなかなかのものである。
      私も、結局は観光化された所は嫌と言いながら、文化的でないと嫌という、我侭勝手な
      人間の一人なのである。    
      お手軽な自然と文化のさわりで満足で、本格的に自然と付き合うのは海の真ん中だけで
      充分という有様である。

      朝は7時までに目が覚めて、朝の食事のルームサービスが待ち遠しい。
      ルームサービスで食事を届けてくれる様な所に泊まったのは、いつ頃だったか思い出せ無い位前の事である。
      ここは、ゲストハウス内にレストランが無いという事情もあるのだが。。
      食事が終ると、熱い湯をバスタブに張って顔だけ出して浮かんでいるのである。
      次は、本読みであるが、10時から11時頃になると、眠たくなって朝寝である。
      11時半頃、マイカーに乗ってウブドの町をサイクリング兼昼飯に出かける。
      町の真ん中に小学校のグラウンドがあり、いつもは、子供たちがサッカー等をやっているが、
      今日は、クラッシックカー50台程が勢ぞろいしている。
      80年代のシボレー、フィアット、ベンツ、ホールデン、プライマウス、ドッヂ、フォルクスワーゲン、オペル等である。
      日の丸産はスズキのジープに、三菱ランサーがあった。
      整備も行き届いていて現役で走っているようである。
      宿に帰ってくると、ニイチャンが部屋の掃除にやってくるので、その間プールで水に浮かんでいるのである。
      掃除が終ると、本読みで30分もするとうつらうつらとしてきて、昼寝である。
      午後5時、マイカーに乗ってスーパーマーケットまで買い物である。
      後は、晩御飯をどこかで食べて、部屋に帰って熱い湯を張り顔まで浸かっている。
      これで、1日は終わりで本を読みながら寝るというパターンの繰り返しである。
      飯が食えて、熱い湯があればどこでも同じではないかと言われるかも知れないが、
      そこが微妙に違っていて、やはり場所を選ぶのである。

      琵琶湖観光旅行団も今日の夜に関西空港に向けて飛び立つはずである。
      サヌールで、ラフテイング(川下り)、乗馬にエステ、カタマランで近くの島クルージング、シュノーケリング、
      ホテルでのキャンドルデイナーと一杯のスケジュールをこなしているだろう。
      私は、相変わらずのダラダラ毎日である。
      今晩は、寺院の近くの中華レストランに入り、芙蓉ハイ、マーボー豆腐を注文して食べるが美味くないのである。
      食べていると、ガムランの音と共に、100人位の男女子供も合同の寺院参拝行列に出会う。
      男は大人も子供も白い服に腰巻と鉢巻帽子に花を挿している。
      女性は、腰巻スカートにレースのシャツに頭に綺麗に結わえて花を挿し、顔に薄く化粧をしていて美しい。
      ウブドの日常は信仰の日々である。
      その為か、人々は優しく笑顔が素晴らしいのである。
      旅行団がウブド滞在中に金太郎という日本食堂に入って、うどんやらドンブリを注文したが、
      今日の昼に再度行って見た、というのも、店の女主人古岡さんという方が、自費出版で
      ”テリマカシ。バンニャ”という本を書いていたのでそれを読みに入ったのである。
      ”この間はうちの連中が、遅いの、出汁がぬるいの、とかってな事ばかり言って済みませんでしたね。”
      ”いいえ、こちらこそ、行き届かなくて済みませんでした。”
      ”本を見せてくださいね。”
      大阪出身の方で家族でウブドに家を持ちご主人は不動産、奥さんは日本食堂の商売を始められたようである。
      私の様な一人プータローと違い、小さい子供を連れて異国での生活を始められた勇気に拍手を送りたいのである。

      12月になって、帰りの航空券を何とは無しに見てみると、明日の昼の飛行機便である。
      何故か、5日の出発であると思い込んでいたのである。
      次の日に、シャットルバスで飛行場に近い町クタへ行く。
      前回泊まったゲストハウスは一杯でその奥のゲストハウスに泊まるが、ここも町から奥に入っているので
      静かで、エアコンもプールもあって15万ルピー(1500円)である。
      クタの町は車は多く、人は目をぎらつかせ、タクシーとか買い物とかを誘うのである。
      いい加減煩くなって返事をするのも面倒である。
      晩飯を食って速く寝るのである。
      バリ島の印象は、ウブドの町が気に入った位であるが、食事はペナンに比べ物にならない位美味くない。
      ウブドの町の人々が朝夕に神様に捧げるお祈りと、至る所にある花が印象に残ったのである。

      マイカー(折り畳み自転車)で、空港に向かう。
      クアラルンプールでマカオまでエアーアジア1万5千円の航空券を買ってバリ島さようならである。
      クアラルンプールでは5時間程乗り継ぎ時間があるが、ここは携帯電話でインターネット接続可能なので
      時間は直ぐに経ってしまうのである。
      マカオまで4時間程で、到着は午前3時頃マカオ空港内で寝る。
      もし、香港へ行くならフェリーは24時間運行している筈であるが、私は折角来たので、珠洲(中国)へ行く。
      午前9時、起きて顔を洗いタクシーに乗って、国境まで(HK$60=1000円)で行く。
      大勢の人々の流れに乗り、あちら側の建物を出ると中国である。
      勿論ビザも必要ない。
      まずは、マイカーのタイヤに空気を入れなければならない。
      中国は自転車大国なので、前の市場の人ごみの中に、自転車屋はあるだろう。
      前に泊まった、ホテルまで海岸沿いの遊歩道をユックリと自転車で漕ぐ。
      私は、こういう勘は大変優れているのである。
      海の景色を見ながら30分程で見覚えのある町並みに出た。
      今回も、日昇酒店(RI SHENG HOTEL 昇の漢字は簡略文字で上の日が無い。吉大景山路93号)
      HK$118(約2000円)でエアーコン、テレビ、温水シャワーと最近泊まった中では最高級である。
      マイカーで昼飯は、漢方薬膳料理の様な食堂に入る。益正湯閣(吉大園林路96号信海商業ビル)
      昼食は陶器の器に、鴨と朝鮮人参をいれ、長時間蒸しをした、花旗参鴨を注文する。
      炊かずに蒸した為スープは澄みきって、味は韓国料理参鶏湯の鴨肉なのでもっと美味である。
      Isaacの李さん、黄さん二人がいたら、喜ぶのにな等と考えながら食べるのである。
      町には、スーパー、ショッピングモール、百貨店等があちらこちらにあるが、今回はマイカーの
      お陰で、何処に行くのも一漕ぎである。
      旅行は、折り畳み自転車持参というのは、お奨めの方法である。
      但し、飛行機に乗せる時にタイヤのエアーを抜かないと気圧の変化でパンクするので、携帯用の
      ハンデイポンプ等を用意すると、自転車を受け取ると直ぐに組み立て、荷物を載せると、キャリーになるのである。
      又一家というスーパーに行くと、食材の豊富さに加え美味しそうなモノが沢山並んでいるのである。
      まずは、葡萄と胡桃、中国菓子を買う。
      服も、結構な値段で品数豊富に売っているのである。
      日本社会主義システムは、現在日本国民を中級層から下級層と変えつつあるが、中国共産主義は
      資本主義のお陰で新興富裕層が多くなって下部に行き渡りつつあるのであろう。
      4人組時代の上海デパートに買い物に行くと、何も無く、店員の無愛想さに腹を立てたものであるが、
      現代中国のこの様な姿を見ると、次世記は中国の天下になりそうである。
      何といっても、原料から労働力まで自国で賄え、地方貧富差のお陰で、中国以外に労働力を求める
      必要もない。
      為替は、中国政府が握っていて、他国に対しては強腰で交渉にあたる。
      アメリカと対等にダンスのできる国といっても良いだろう。
      等と、かってな事を考えながら、マイカーに乗っていると、オジサンが焼き芋を売っているので、
      ついフラフラと1個買ってしまう。
      ホテルへの帰り道、杭州小篭包の店があり、又、ついフラフラと入って食べてしまうのである。
      この辺りは、広東式包子と違って、上海式包子なので私には黙って見過ごす事ができないのである。
      私の、子供の頃のご馳走はこのブタマン(上海式)で、現在神戸中華街の前は新開地付近に
      チャイナタウンがあり、ブタマン、餃子は私の大好物なのであった。
      関西空港に到着してまず食べたいと思うのが、蓬莱のブタマンだったりする有様である。

      近くに”御温泉 Imperial Hotspring”と大きな看板が上がっているので、温泉と聞くと行かずにはおれない私は、
      何処にあるかも確認せずタクシー乗る。
      中国は、広い国だから、すぐそこと言っても10Kmはあるとは、思っていたが、30分走っても、
      温泉の出そうな、山は見えてこない。
      1時間HK$150かけて行った所に、突然日本の温泉旅館と、スーパー銭湯をミックスしたような建物が見えてくる。
      タクシーを降りるなり、何故かカウボーイハットを被った若いオニイチャンとオネエチャンが飛び出してきて、
      中国語でベラベラと説明してくれるが、こちらはさっぱり分からない。
      殆ど、英語も通じないのである。
      現地出張中日本人らしきオジサンがいたので、
      ”ここは一体どういうシステムなんですか?”
      と、聞くと、
      ”ホテルは高い(HK680以上)からやめて、温泉だけ入ったら良いですよ。
       中は色んな温泉がありますよ。それでもHK$128は良い値段ですが、最近は金持ち中国人が
       増えて結構はやっていますよ。”
      そのアドバイスにより、露天風呂にはいる。
      プールの温泉から、花の香り温泉、木の香り温泉、コーヒー温泉、その他多数全部で
      20種類以上はあったのである。
      オンドルになった休憩所で足と頭のマッサージは中々気持ちが良かったのである。
      ホテルは日本の温泉旅館を意識して真似て作ってある。
      泊り客は浴衣に丹前風のスタイルに、木のサンダルという格好で歩いていて、日本の温泉街の
      様である。
      中国人もこういう所に、家族連れか、団体で遊びに来る様な時代になったのであり、
      もう、過去の文化大革命時代に逆戻りはしないであろう。
      私は、こんな高い所に、泊まる事はできないので、又、珠海市に逆戻りである。
      ホテルは、昨日泊まったホテルから少し南にある、凌波酒店(LIN BO HOTEL)に変更である。
      ここは、ツインでエアコン、テレビ、温水バス付でHK$100である。
      部屋も、日昇酒店より広いのである。
      この町は、ホテルも綺麗で安く、食べるものも美味いのでマカオより過し易い町である。
      この町から、香港へのフェリーも30分毎に出ているのである。
      夕食は、刀削り面というのを、食べてみる。
      左手で麺の塊を肩に担ぐように持ち、右手でステンレス板を持ち麺を削るようにして
      直接鍋に入れて湯がいていく手際の良さである。
      私の、美味いという基準は、高級料理店で食べるものではなく、町の庶民の食べる食べ物が
      美味いかどうかという事である。
      高級食材を使って作る料理は美味いのが当然であると思っているのである。
      飲茶、麺類、饅頭、餃子等の安い食材を使ってはいるが、料理人腕で美味になっているものを
      美味いという事にしているのである。
      ホテルの帰り道沢山の人が輪になって何かを見ている。
      貴重品の入ったカバンを手で押さえて人ごみを掻き分け中を覗くと、中年のオッサンが座って
      マジックを見せている。
      持っているだけでトランプの札の色を赤から黒に変えるし、サイコロも2個手に持ったまま、
      裏側を見せると数字が変わっているという鮮やかなマジックで日本のマリックも真っ青であろう。
      30種類以上の種明かしパフレットを5元で売っているのである。
      このオッサンマジックを演じている時も、パンフレットを売るときも決して言葉を発しない。
      このオッサンにお金を数えてもらったりしたら半分になりそうである。
      中国もインドと、どこか似ていて、非常に面白い人から、危ない人まで、非常に親切な人から、
      無愛想な人まで幅広くいるのである。
      
      ホテルからフェリー乗り場(九州港)まで、荷物を自転車に積み町を見物しながらユックリ漕いでいく。
      香港まで1時間毎に出ていて、HK$160である。  
      香港島セントラル地区までは約70分で到着である。
      直ぐ横に、長洲島行きのフェリー桟橋があるが、昼食を食べに行く。
      牛丼吉野家に沢山の人が並んでいる。
      美食家香港人に人気がある吉野家はどの様なものか見学を兼ねて入る。
      飲茶は老人に人気があり、ファーストフード風吉野家は若者に人気があるのは面白い現象である。
      香港の友人の一人リリーさんに航空券を頼んでいるが、私も旅行社に飛び込んで聞いてみる。
      香港ー上海ー関空の3ヶ月有効(リターン)で、行きか帰りどちらか1回だけ上海に降りる事ができるらしい。
      この航空券はHK$3200と安いし、30年振りに上海を見てみたいのである。
      やはり友人のシャリーさんが、上海に移住して仕事をしているらしいので、出きれば会いたいと、思っているのである。
      フェリーに乗って長洲島に向かうが、この海域は5ヶ月前にベトナムから戻って来る時に通った所で懐かしい
      
      マイカーを漕いで長洲島の北側の道を行く。
      北の端から急な坂道が続いて島の一番高い丘に行けるのである。
      この島は、自動車は走っていない。
      病院の老人送迎用電気自動車と、消防、警察の車があるだけで、バイクも走っていないのである。
      丘は所々に岩があり高い木は無い。
      見下ろすと下は小さな湾になっていて人家は無く、砂浜の海岸がある。
      この風景は、私の青春時代に見た映画慕情(Love Is Many Splenderthings)にでてくる
      シーンそっくりである。
      勿論本物の慕情が丘は香港島にあるのだが。
      キャサリンヘップパーンだったと思うが、小高い丘で逢引をするシーンである。
      映画を見て香港の美しさに感動してから、もう40年も経ってしまったらしい。
      丘の頂上から、綺麗なキャサリンヘップパーンが笑顔で現れるかと期待したが誰もいない
      一人ぼっちである。。
      空には、2羽のとんびが舞い、香港島やらその他の島が見渡せる。
      長洲島に住んでおられる吉野さんの店へ行く。
      奥さんは、香港島に買い物に出かけられたそうで、御主人が一人で店番をしておられる。
      6ヶ月ぶりにお会いするが覚えていてくださったのである。
      何故か今日香港は非常に寒いのである。
      暑い所に慣れた私は我慢出来なくて、厚めのジャンバーと毛糸の帽子を買い込む。
      今までは裸で寝ていたのに、下は2枚、上は3枚、頭は毛糸の帽子姿で寝る有様である。
      雪の降る日本に帰ったら、一体どうなるのであろうか。

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