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マレーシア&タイの繋留情報を更新する。

   73番 ペナンで新たな旅立ちを考える   2005年4月〜5月1日

4月8日 未だランカウイ、テラガハーバーにいる。
    ここテラガハーバーで、津波の為、被災したボートも各自修理も終わり 1艇ずづ出て行く。
    破壊されたハーバーに、新たに入港してくる船は殆ど無いので、益々寂しくなるばかりである。
    Isaacは、ペナンに新しいマリーナが出来るまではここに頑張っているとの事である。
    今夜は、私がラフテー(ブタの黒砂糖醤油煮)を作り、ネッシーさんも一緒にIsaacで
    パーテイーという事にする。
    昼間は殆どすることがないので、夕食時集まって酒を飲み、たわいのない話を
    しながら、食事をするのが、1日の内唯一の楽しみなのである。
    私の場合は、新たな旅立ちに向かって少しずつ、心を盛り上げていかねば、本来レージーの
    私は、いつまでも踏ん切りがつかないのである。

    お気に入りの滝は、雨が降った為に少し水量が増してきた。
    ハーバーから自転車で15分、急な坂を歩いて10分程で到着出来る距離で、
    高血圧と運動不足解消の為に時々通っている。
    本当の理由は、水が好きで、特に落ちてくる水の下へ、頭から突っ込むと、爽快な
    気分になるのである。
    近所の子供達が遊んでいるのが常だが、今日は若いモスリムカップルが2組水浴びをしている。
    勿論、水に入るのは男の方で、女は顔と手足が出ているだけなので、足を水につけるだけである。
    世界中の若い恋人共通の空気が二人の間に流れている。
    男は、はしゃいで水に入り、女は笑ってジッと男を見つめる。
    胸が苦しくなるほどの幸福な時であろう、お互い、一瞬も目を離さない感じで
    見ていてほほえましい。
    久しく忘れていた恋情を思い出すのであった。
    こんなにも、愛し合う者同士が結婚して何十年も経つと、愛が覚めてくるのは何故だろう。
    愛は、理性でなく感情なので努力を必要とするのであろう。
    お互い、常時相手を愛するといういう努力なしで、かってに愛がはぐくまれるものでは無い様である。

 10日 ペナンの新しいヨットハーバーの情報が入る。
    ペナンの北東、一番の中心地ジョージタウンの近くに、100艇以上収容可能なヨットハーバーが
    建設中であるが、オープンまで未だ2〜3ヶ月は掛かるだろうとの事である。
    Urizinを石垣島まで回航する為には、UFOをどこかに繋留して一緒に乗らなければならない。
    出来るだけ、南へUFOを持って行きたい所だが、繋留費の問題もあり、選択肢はJabatan(ペナン)
    か、ここHole in the wall(ランカウイ)という事になってきた。
    繋留費の安いのは、ここランカウイであるが、戻ってくる飛行機の事を考えるとペナンが良いのである。
    5月以後は南西のモンスーンが吹き始めるので、この風を追手に受けて行くのが良い。
    ということは、4月終わりにまでに、ペナン、パンコール、ポートデイクソン、セバナコーブ、というコース
    をとり、シンガポールでベトナムのビザを取ってから、デイオマン島、ベトナム(サイゴン、ともう少し
    北の港)香港、台湾、石垣島 約2600マイルというコースになりそうである。
    ノンストップならば、20日間ほどであるが、途中食料と燃料補給と観光もする為、2ヶ月程の
    航程となるだろう。

    船も年を取ってくると、人間と同じで文句が多くなる。
    遊帆UFOもオバアチャン船になって、あちらこちらでSpeak(船内の軋み)が多くなっている。
    特にキャビンの周りの材木隔壁が、船体の歪みによって、剥がれてきたりしている。
    その部分をドリルで穴を開け、ボルトナットで締め付けていく。
    カンタンでマストの支柱の下辺りを重点的にファイバーグラスとFRPで積層し材木で補強した。
    ファイバーグラスとレジンを買ってきて、その他の所も補強した方が良いだろう。
    修理が終ってみると、少々の波では、ウンともスンともギーとも言わなくなった。
    初々しいオネエチャン船に戻ったか、今は 我慢してSpeakしないだけなのか分からないが、
    船内静かなのは気持ちの良いものである。

 12日 永らく音信普通のLha3がボートラグーンで修理が終ったとのメールが届く。
    やっと、海に戻ったので、テラガハーバーへ戻るとの事である。
    Jabatan ハーバーへ電話で繋留場所の余裕があるかないか、問い合わせた所
    来週に1艇出て行く船があるとの事である。
    それでは、今週はLha3の到着を待って、焼肉パーテイをしようという事に話はまとまる。
    週1回金曜日の移動マーケットだけでは、食料不足になってしまうので、ネッシーさんと
    デインギーで5マイル程はなれた八百屋さんに買出しに行く。
    波もないので、8馬力船外機を乗せた我がデインギーは海面を滑っていく。
    モスリムオバチャンの八百屋さんなので、勿論豚肉類は無いが、魚やら鶏肉野菜は新鮮である。
    ”オバチャン、鶏肉欲しいけど、オバアチャン鳥じゃなくて、若いオネエチャン鳥頂戴。
     それから、この魚4匹ね。それに野菜ね。”
    魚は30cm程あるアジに似た魚である。
    今日は、ネッシーさんが支払いを全部済ましてくれる。
    ”それじゃ、今日は アジを各自自分の船で食べて、明日はIsaacで鶏で焼肉パーテイにしよう。”
    という事で、Isaacに食材を調理してもらう事にした。
    
    デインギーまで戻ってくると、シャツをモスリム八百屋に忘れてきたのに気がつく。
    氷を買っているので戻る事も出来ないので、次又行く機会があるだろうと思いそのまま帰る。
    それにしても、物忘れの酷さはどうしたことであろう。
    着ているシャツを忘れてくるのには、自分でもあきれてしまうのであった。

 16日 テラガハーバーは入港してくるヨットは殆ど無いので、同盟軍で占領している。
    普段は白人系パーテイーが開かれているが、ここ最近はアジアパーテイの日々である。
    Isaacのファン(黄)さんには、迷惑かもしれないが、彼女の作ってくれる韓国料理に
    皆さん大満足なのである。
    昨夜は鶏のすき焼き、今夜は、韓国料理タックトリタン(鶏と、ジャガイモニンジン 
    玉ねぎのコチュジャン煮)、というメニューである。
    明日、Urizinと遊帆UFOはメカニックがくる事になっているので、多分修理が終るであろう。
    月曜日にテラガハーバーを出て、ペナンのJabtanで遊帆UFOを繋留して、Urizinを石垣島まで
    回航する事にした。
    Lha3がミシンを持っているので、借りてデインギーのカバーとオーニングの修理をする。
    オーニングは毎日使っているので、あちらこちら穴が開いたり、縫い目が解けたりしている。
    ソーラーパネルのお陰で、日中8アンペアー程充電している為、12ボルトを100ボルトに
    インバーターで変換してミシンを使っても、又、ジグソー等工具を使っても余裕がある。
    
  19日 午前0時 テラガハーバーを出てペナンへ向かう。
    進路138度 距離75マイル 月明かりで夜空は明るく、海面も月光を照り返している。
    東風12〜15ノット、波があるので角度を落としてペナンの南端から回り込むコースにする。
    調子良く進んできて、ペナンの南端をかわす所でエンジンの音が高くなり、エンジンルームから
    煙がもうもうと出ている。
    冷却水ベルトが擦り切れて、オーバーヒートをおこしている。
    冷却インぺラーのテンション調節ボルトの切れ込みサイズが短い、又は、ベルトが掛かる
    プーリーの溝が長年使用しへたっている為、しっかりとテンションをかけられないので
    ベルトがスリップして切れ、オーバーヒートするのである。
    ベルトはすぐ取り替えられるがエンジンが熱くて触れないし、廃棄パイプがオーバーヒートの為
    高温で解けてしまっている。
    暫くセーリングをして南端をかわすが、風が落ちてしまった。
    ベルトは取り替えたのでエンジンは掛かるが、廃棄パイプ破損の為エンジンルームが水浸しになる。
    背に腹は代えられないので、廃棄パイプをデッキの外に出るようにしてこぼれた水は
    ビルジポンプでくみ出す事にして、機走で5マイル走る。
    夕日が沈むと同時に、クオさんの桟橋の前でアンカーを降ろす。
    冷たいビールを飲みながら、お互い近況を語り合う。
    ここは、クオさん夫婦を初め、漁師、レストランのオネエチャンとオバチャン達,
    猫、猿、アヒルと顔見知りで何故か、気が休まるのである。

  20日 クオさんのバイクを借りるので家迄自動車で取りに行く途中で、ステンレス工場により
    遊帆UFOの廃棄パイプ交換部品にL棒2Inchのステンレスパイプを買う。
    バイクでジョージタウン迄行くと、何を食べるか頭を悩ますのである。
    ここは、食べたい物が多すぎて困るのである。
    最初に選んだのが、臓物シコシコ麺大盛りである。
    ここの麺は何て旨いのだろう。
    臓物の臭みは抜いて旨みだけをだしている藤山カンビの娘に良く似たオネエチャンの腕前は
    天下一である。
    勿論、タイラーメンでは、カンタンの中国系オバアチャンが一番である。
    食後は、工具問屋街でスクリュー、シリコン、リョウビの電動カンナの刃を買いに行く。
    リョウビの製品はマキタに比べて、海外では評判が良くない。
    故障が多く部品が高いのである。
    リョウビの刃は90rmもするので、考慮中である。
    今回、ランカウイを出る時にイミグレにいくと、封筒を渡され
    ”ペナンのイミグレにこの封筒を渡してください”
    といわれたのである。
    素直に、持って行くと、
    ”ヨットでペナンに来たので、ペナンを出る時にこの書類を持ってきてください。”
    と、係官も何だか迷惑そうである。
    次に、新しく建設中のヨットハーバーを見に行く。
    100艇以上は繋留可能の様で、現在ポンツーンは出来ているが、水道、電気、ハーバー事務所
    等はまだで、私の見た所今年の10月に出来れば良いほうだろうと感じた。
    ここが出来ると、ジョージタウンから近く、繋留費によるがマレーシアでは、便利なハーバーで
    人気が出るだろう。
    午後2時、次はインドベジタリアンカレーを食べに行く。
    野菜ばかりのカレー、ヨーグルトのカレーをバナナの葉っぱの上に乗せて、手で食べるのが
    旨いのである。
    ランカウイでは、自炊の為、出腹もへっこんで、みんなから スマートになったと言われていたのである。
    ペナンでは、リバウンドしそうである。
    帰り道、ガマスーパーでりんご、ぶどう、納豆、おいしいパンを買う。
    鮭の切り身の冷凍があったが、明日買う事にする。
    Jabatanハーバーへ寄ってみると、丁度、Urizinが到着して繋留する所である。
    現在繋留スペースが無く、開くのを待つより方法が無いのである。

    インターネットでニュースを久しぶりに見ると、靖国神社問題で韓国、中国等でデモ騒ぎに
    なっているらしい。
    この問題の根本は、宗教と国家権力の係わり合いにあると思っている。
    本来宗教は、各個人信仰であって自由であり、、国家権力に利用又は制限されるものではない。
    というのは、原則で日本社会においては、仏教も神道、キリスト教、天理教、創価学会、モスリム教、
    全ての宗教は日本官僚政治の下に位置し、管理されているのである。
    その事を各国政治首脳は百も承知で、この問題をてこにするのが、政治なのである。
    私の様な、プータローヨッテイには、国家エゴ等無いのを願うばかりである。
    海に国境を引き、イミグレ、カスタムという関所を作り、自由に出入り出来ない状態は、
    最悪であり、江戸時代の各藩が関所を設けて人を縛ったのと同じ事である。
    地球という国家ができ、現在の各国家エゴが制限され、全人類が受け入れられる
    共通の価値観が浸透し、本当の平和と自由が来るには、未だ長い時間と人類の犠牲が
    必要なのだろう。
    
 21日 Jabatanハーバーからジョージタウンよりの所に新しく大きなスーパーマーケットが
    オープンした。
    プーケットにもあったTescoとか言う名前である。
    広い店内を見て周るだけで、嬉しくなるので、女性のお買い物の楽しみが
    分かりかけてきたのである。
    私が、主婦なら旦那にお金を稼いでもらい、昼間は”アア、忙しい”等といいながら、
    スーパーやら、デパートに行き、お昼はどこかで旨い物を食べ、夜はスーパーで
    時間切れ安売り出来合いの惣菜でも買って綺麗に皿に盛り付けして、旦那の帰りを
    待っていれば、毎日楽しいだろうと思うのであった。
    買い物の帰り道、Jabatan ハーバーの前に小さな茶室がある。
    ここによってテーオーアイス(アイス紅茶ミルクなし)を注文して飲んでいると
    横のオネエチャンが、隣のオッサンに喧嘩腰で物を言っているようである。
    このネエチャン、下顎が大きく出ていて、痩せていて年の頃30歳手前くらいである。。
    下顎ネエチャンはタバコを吸いながら、椅子にそっくり返って、足を男の様に組み、
    何故か休み休みしながら、隣のオッサンにガンを飛ばし、ものすごい勢いでつっかかっている。
    オネエチャンとオッサンでは勝負は初めからあった様なもので、オッサンは次第に
    新聞を読む振りをしたりして避けている。
    それでも、何がそんなに腹が立つのか、下顎ネエチャンは矛を納め様とはしない。
    話が分かればもっと面白い所だが、残念ながらこちら一人でセリフを
    つけて見ているだけである。

 22日 クオさんのジェテイで、デインギーのカバーを修理していると、漁師が渡り蟹を取って
    漁から帰ってきた。
    ”ニイチャン、蟹、売ってか。”
    ”1KG 13RM、OKか?”
    1KGで5匹もある。
    遊帆UFOに持って帰り、未だ足を動かしている蟹さん達に熱めのサウナに入ってもらうことにした。
    ”蟹さん達、私を恨まないでね。アンタ達の不注意であのオニイチャンに捕まえられたんだからね。”
    鍋の中で、しきりに最後のアガキをしているようである。
    暫くして、蓋を開けると、ピンク色にすっかり湯上がっている。
    今晩は、蟹のチリソース炒めとなるだろう。

 23日 Jabatanハーバーの前にアンカーを降ろしている。
    貧乏ヨッテイの私は、めったな事でハーバーに繋留しない。
    電気は、冷蔵庫を使わなければソーラーパネルで充分だし、水は雨季に入っているので
    雨を集める事ができる。
    一番安い繋留費であるJabatanでも遊帆UFOは270RM/月支払わなければならない。
    最近はレンタバイクでさえめったに借りないで、インターネットと買い物は、自転車で漕いく。
    ハーバーの前は料金の要らない高速道路になっていて、道を渡るのに高架橋がある。
    私は、この高架橋を自転車を担いで階段を上がり反対側の村を通って買い物にいくのだが、
    この村の住人は道路沿いに張ってあるネットのあちらこちらに穴を作って、近道を作っている。
    私も、歩いて行く時はこの近道を命がけで車とバイクの切れ目をめがけて通り抜けるのである。
    中国系の葬式に出くわす。
    先頭に、トラックに乗った楽団(ラッパ、ドラ、太鼓等 派手な楽器が多い)の次が、
    輿に乗った仏様のような物、次が棺にロープを通し、8人程で順番に肩に担いで進む。
    その後から、歩いて親族が続き、その後は、親類か、友人が自動車に乗って進む。
    お供え物も紙で出来たお金、家、車を燃やしてあの世へ送るらしく、現実的な中国人の考えが
    出ていて面白い。
    日本の葬式の様に、荘厳という感じではなく、賑やかにあの世へ送るという感じがする。
    日本でも亡くなった落語家が出棺する時、出囃子で行ったのを聞いたことがあるが、
    実に微笑ましい。
    これだけ、モスリムの国にいて、モスリムの葬式にお目にかかったことが無いのは残念である。
    モスリムの人も死なないはずはなく、その証拠にモスリム寺院みたいなところに、小さな墓標
    が固まって立っている。
    日本の墓地よりもっと狭く(1つの墓が占める面積)不規則に並んでいる。
    モスリムはひょっとすると、葬式も法事もしないのかも知れない。

 24日 朝から自転車を漕いでジョージタウンへ行く。
    目当ては、益和茶室の飲茶である。
    飲茶は普通お昼までに店を閉めてしまう。
    小さな店に、お客は100名程いて、殆ど年齢50歳以上であり、一つの丸テーブルを
    囲んで大きな声で喋りあいながら食べるのが中国人の特徴である。
    日本人なら仲間だけで小声でオツウヤの様に喋り、夜の宴会で酒に酔ったとき位しか
    大声は出さない。
    お客の間を縫うようにして売り子オネエチャンが大きな蒸篭を前に持って、シュウマイやら
    肉饅頭を売り歩くのである。
    常連客は、オネエチャンに薦められても、なかなか取らない。
    自然と、あそこにいるツルピカ頭の客の所へ持って行けということになるのである。
    蟹のシュウマイ、豚肉のシュウマイ、山芋の餃子、カスタードプリンのケーキと
    持って来てくれるオネエチャンの顔を立てて取っていると腹がパンクしそうになる。
    飲茶と最初に出会ったのは、20年以上前の香港であった。
    未だ国交回復していない中国へ仕事に行くには、当時香港の華僑と行くか、日本の
    友好商社と行くしか方法のない時代であった。
    そこで私の弟の様に付き合いが未だに続くファンさんと出合ったのである。
    一緒に色んな店に行ったが、朝は私はいつも飲茶にしていた。
    その当時は香港も未だテナント料が安かったのであろう、良い場所の大きなビルの
    あちらこちらに美味しい飲茶の店があった。
    現在、香港人の嗜好が変わったのか、テナント料が高くて、安い飲茶では経営が
    成り立たないのか、飲茶の店は少なくなって高級中華料理店になってしまっている。
    ペナンにある飲茶はその当時の本当に庶民の飲茶スタイルである。
    近所のオッサン、オバチャン、ジイチャン、バアチャンが同じテーブルで長い間(最低1時間)
    お茶とシュウマイ1皿位でねばっているので、老人ホームの食堂の様である。
    日本でも地代さえ安ければ、この様な朝だけ一品50円までで何時間でもいても良い、
    年齢50歳未満は同伴のみ許されるという様な店ができたら面白いと思っている。
    同じ年齢のジイチャン、バアチャンと話をしているだけでもボケ防止に良いのではないだろうか。
    年寄りは、社会から隔離するより、関わりを持っている方が良いと思うのである。

 25日 自転車で走るのが苦にならないというよりも、楽しい方になってきた。
    ハーバーから、ジョージタウンの北海岸にあるガーニープラザまで(約15Km)行く。
    ハーバーからは人が通るだけの散歩道が海岸沿いにあり、大きな木の陰になっていて、
    英国風の景色を見ながら、風を受けてペダルを漕ぐのは気持ちが良い。
    市内は、混雑しているが自転車の利点を生かして、一方通行でもドンドン行く事ができる。
    町中も道路沿いに大きな木があり、大体木陰になっている。
    ガーニ−通りはペナン北側海岸沿いにのびていて、ホテルやら高級アパートが建っている。
    ここの地下スーパーは、外国輸入食材が品数豊富に置いてある。
    価格は、一番高いと思われるので、”見てるだけ”である。
    7階までテナントが入っていて、映画館もある。
    丁度、”Sahara"というインデイージョーンズ版のアクション映画が始まる所であったので、
    8RMで切符を買ってはいる。
    冷房は効いて、シートも座り心地がよく、2時間程楽しんだのである。
    DVD1枚8RMで 映画館と同じ価格であるなら冷房が効いて、画面の大きさと音響設備も
    良い映画館のほうが良さそうである。
    日本の様に、2000円もせず8RM(240円)ならば値打ちのある娯楽である。
    
 27日 水深器(JRCJFC-56)がまたまた故障である。
    この水深器は買った時から故障が多く、既に3回JRC大阪で修理している。
    機能が多いのでそれだけ故障も多いのかもしれないが、船の装備の中で水深器とGPSは
    絶対必要な航海機器である。
    レーダーはあった方が良いに決まっているが、速度の遅いヨットには必ずしも必要でない。
    勿論、風速、風向計等なくても、リボンをステイにつけておけば充分である。
    上を見上げる必要が無いので、首も痛くならない。
    最近は自炊が多いからか、ガスがすぐに無くなるのである。
    20日くらいで15Kgボンベがなくなるので、どこかでガス漏れしているのかもしれない。
    ガスボンベに関しては、各国それぞれ違っているので、マレーシアのボンベをタイでは
    詰め替える事はできないし、レギュレータも違う様である。
    マレーシアでは15kgsボンベを交換するのに、15RMである。
    もう一つカセットガスコンロを持っているが、 カセットガスが4本入り9.80RMとこの頃は
    手頃な値段で買えるようになった。
    このカセットボンベだとどこの国も同じなので少々不経済でも便利である。
    私の様に、遊帆UFOが棲家となると、出きるだけ家と同じようにして住み易い様にしている。
    一番重要な事は寝る事であろう。
    遊帆UFOでは寝る為のスペースは充分にとってあり、風も入ってきてそこだけは、
    蚊も入って来れないように蚊帳を張っているので一番心地よい所である。
    デッキはオーニングを張り、その上に日除けネットを張っているので、日中でも涼しいのである。
    料理煮炊きはデッキでして、食べるのも雨で無い限りそこで食べている。

  28日 今日は1日中船内の電線を太くして、スタボー側の電気のつかない所を修理する。
    冷蔵庫は5AP程消費するので、ここも配線も太くして電圧が下がらないようにした。
    ソーラーパネルが午後1時から4時頃まで7〜8APで充電しているので、朝8時から
    午後6時まで日中だけ冷蔵庫を動かしてテストをしようと思っている。
    ソーラーパネルだけで、冷蔵庫と船内電気がまかなえれば、快適なクルージングライフになる。
    今は、アイスボックスに毎日1RMで氷を買ってきて冷やし、解けた氷は水タンクに入れて
    洗い水に使っているのでこれはこれでメリットはある。
    ランカウイでミキサーを買ったが、これに氷を入れレモンとテキーラを入れて氷を砕いて
    フローズンマルガリータを作って飲んでいる。
    最高に美味い飲み物である。
    夕暮れを待って、これを作りユックリと飲むのが私のゴールデンタイムである
    ランカウイではデイーゼルオイルが0.92RM/Litterだったが、ペナンでは1.2RM程するらしい。
    日本ではいくらになっているのだろう。
    勿論、私は車もない身なので関係ないのだが、日本の石油価格は世界標準の
    2倍から3倍はしている。
    これは、日本が石油を産出しないからではなく、税金が高いのである。

5月1日 月が替わって5月になってしまった。
    去年、12月30日 インドネシア津波の為急遽プーケットに帰ったのが、ついこの間の様である。
    Jabatanハーバーのスペースが空いたので朝入港する。
    ここは狭いので、他のヨッテイー総出で舫いを取ってくれる。
    遊帆UFOは真直ぐ入って四方に舫いを放り投げて後は人力でいれる。
    数日後にUrizinを石垣島まで回航するのを手伝う事にした。
    回航期間、2ヶ月以上かかるだろうし、お盆を日本で済ませてから帰る為、
    約4ヶ月間離れることになるので、遊帆UFOをしっかりと舫いを取り、掃除を始める。
    アンカーチェーンを水洗いし、乾燥させてからチェーンストッカーにしまう。
    水タンクは空にして、出きるだけ船内を乾燥させる。
    8馬力船外機は水桶に突っ込み、燃料タンクを外してエンジンをかけ中の燃料を使い切るまで回し、
    水洗いも済ませる。
    デインギーは綺麗に掃除して、カバーをかぶせて風に飛ばないように縛る。
    勿論、全セールは外して、畳んでしまっている。
    後は、食料の残りをUrizinに積み込めばOKである。
    午後3時頃、Harmony 50ftBeanetauがJabatanに入港した。
    男性3人、女性1人の4人でプーケットから シンガポールへ行く途中に寄ったそうで、
    2晩して出港する予定らしい。
    こちらでこの船を買い繋留しておいて、1年の内、何ヶ月かをクルージングしに来られるそうである。
    私の遊帆UFO航海記にも何度も書いているように、賢い方法ではないだろうか。

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