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  72番プーケットへテストセーリング   2005年3月2日〜

3月2日 カンタンのイミグレでチェックインの為、300バーツを支払っていて、
     滞在期間が今月の20日迄あるので、テストセーリングを兼ねて、
     プーケットへ行く事にする。
     カンタンでは、ハーバーマスターだけポートクリアランスを貰い、プーケットで
     出国する時に、イミグレ、カスタム、ハーバーマスターへ行けばよい。
     午後2時満潮になったので、遊帆UFOは船台レールの上をガタンゴトンと滑っていく。
     タイの船は進水の時、バウに花とカラフルな布を取り付け、爆竹を鳴らしながら
     海に戻っていく。
     私は、爆竹も花も無いので、口でバンバンバンと言いながら進水する。
     今回、良く仕事してくれたサンに500バーツをボーナスとして渡し、手を振って
     別れの挨拶である。
     少し川下にロンダ&マーチンの船がアンカーを降ろしている。
     彼らの船は大きすぎて、ここで揚げる事が出来ず、高い料金のランカウイリーバックマリーナで
     上架するしか方法が無く、あさってもどるらしい。
     ロナルド&ナンシーのカタマランは対岸のシップヤードで上架できて、修理も終わり、
     あさって、一緒にランカウイへ戻るらしい。
     通り過ぎる時、対岸で彼等が手を振っている。
     ヨットマンはヨットには直に目が行くのである。
     連れ潮の為も有るが、さすがに速く走る。
     ここへ来る時は、貨物列車の様に、艀を何台も連ねたタグボートに追い越されて行ったが、
     今は、そのタグボートを追い越している。
     1800回転で5.3ノット出ている。
     川下のタリボン島の島影にアンカーを降ろし、明日、目が覚めたらプーケットに向かう。
     夜8時、月は未だ出てこないので、星が綺麗である。
     人工衛星が速いスピードで通り過ぎていく。
     空気も綺麗し、静かだし、やはり海の上が一番である。

 3日  午前6時30分エンジンスタートボタンを押すがウンともスンとも言わない。
     何度も押しているうちに、カチという音が次第に大きくなりエンジンがかかる。
     スタートボタンの接触不良ではないかと思う。
     プーケットまで72マイル、12時間位であろうか。
     午前中は、北風で15ノット程あり、波頭が少し白く砕けている。
     エンジン1800回転、フルセイルで7ノット程のスピードが出る。
     この近くには、沢山島があり、ピーピー島の様に観光化されていない、良い島が
     連なっている。
     昼からは、風も落ちほぼ機走だけで5.3ノット出ていて、藤壺を腹につけた時とは
     1から1.5ノット程の差がある。
     今回、フォアステイを伸ばして、後ろへマストを傾けて、全体にテンションを緩めている。
     マストも10mと短くなっているし、メインセールもファーラーにしたので小さめになっている。
     強風になれば、インナージブとメインセールで走るので、マストへの負担は
     少なくなるはずである。
     その分テンションを緩めて、船体に負担のかからない様にとの考えである。
     暫くこれで走ってみてテストするしかない。
     午後7時、インド洋に真っ赤な太陽が沈んでいく。
     雲が無く、空全体がオレンジから赤、紫、ブルーと変わっていく。
     シャロン湾入港まで、太陽は待ってくれなかった。
     午後7時45分、シャロン湾にアンカーを降ろす。

 4日  エンジンスタートボタンをチェックすると、錆が付いている。
     磨いて接続し、エンジンスタートボタンを押すと一発で軽くスタートする。
     オイルプレッシャー、温度メーター、エンジン回転メーターは、動かないが、
     別に問題無いので、ユックリと直す事にする。
     暑いのでオーニングを張ると、日陰になって楽である。
     セーリング中は農業用日除けネットをハードドジャーの上に張って
     快適クルージングをしている。
     このネットはセーリング中は風が抜けてくれるので実に都合が良い。
     昨日は夜に入港したので、障害物の無い、外側にアンカーを降ろしたのだが、
     朝見てみると、桟橋まで結構距離がある。
     8馬力船外機と今のインフレータブルデインギーに変えてからは、上陸までの
     距離に関しては苦にならなくなった。
     以前の2馬力の船外機にリョウビの2人用ポリデインギーの時は、
     上陸地点から出来るだけ近くにアンカーを降ろそうと無理をしていたのである。
     夜は、デインギーを自作デビッドで引き上げているが、そうしないと船底に
     藤壺が直についてしまうのである。
     海外クルージングの場合、99%はアンカーを降ろしてデインギーで上陸するので、
     この辺りの装備は、日本でクルージングする場合必要ないが、海外では必需品に
     なるのである。
     上陸してサウナに行く。
     何度も水を被っているうちに、生き返ってくるような気分になる。
     こうしている時いつも思うのは、もし前世というものがあるのなら、
     私は、キッとカバか水牛ではなかったかと思うのである。
     私は、水が充分に無いない所では生きていけない様な気がする。
     アラビアのロレンスの映画を見て、感動したが砂漠は私には合わない。
     シャロンは津波の影響が未だあるのであろう、スピードボートも動いていないし
     ダイビングボートもアンカーを降ろしたままである。
     
     北東の風が強く、シャロン湾は波が立って居心地が悪いので、ナイハンビーチに
     遊帆UFOをまわす。
     インド洋に沈む夕日で有名なフォーンテック岬をまわると、南だけ開けた湾が
     ナイハンビーチである。
     水は透き通っていて、海底は白砂でビーチもそのまま白砂浜が800m程続いている。
     津波の直後は、ビーチパラソルも無かったが、今は海岸に綺麗に花が咲いたように
     開いている。
     ここは、今の季節、波が立たず静かでデインギーも砂浜に乗り上げて置けばよい。
     歩いて、10分位の所に食料品を買える店があり、サウナもあって私は不足が無い。

     数日して、プーケット島の西側にあるパトンビーチに行く。
     アンカーを降ろしていると、レンタル水上バイクが何台も船の側を通り過ぎていく。
     引き波の為船は揺れるし、エンジン音は煩い蝿のようだが、乗っている人は
     そんな事はお構いなしである。
     上陸しても、プーケットで一番の歓楽地の為、神経だけ刺激されて良い事は一つも無い。
     翌日、夜明けと共に逃げるようにして、シャロン湾に戻るのであった。

     今回プーケットを離れると、ペナンで暫くいた後は南に下がり、マレー半島の東側か、
     ベトナム、或いは インドネシア経由フィリッピンを考えているので、戻る事はなさそうである。
     そうは言ってもヨッテイにハッキリとした予定など無いのである。
     海の上では誰もが、エンリケ18番のMaybe(多分)なのである。
     タイへ初めて遊帆UFOできたのは2002年の5月頃のようであり、その後プーケットから
     ペナンまで行ったり来たりし、スリランカからインドへクルージングをしてプーケットに戻っている。
     初めてタイへ来てから、既に、3年が過ぎてしまったのである。
     何と月日の経つのが速いのだろう。
     今まで考え続けてきた”一体何の為にクルージングをしてる?”と言う理由は見つからない。
     ”クルージング”と言う言葉を”生きてる”と言う言葉に置き換えると、
     ”一体、何の為に生きてる?”と言う事になり、もっと理由を見つけるのは難しくなって
     しまうのである。
     この先、どこへ行き、何をして、終わりが来るのか? どんな終わりがくるのか分からない。
     プータロージジイとしては、今を、精一杯、ダラダラと生きるだけである。

 16日 正午、Isaacに挨拶をして、シャロン湾を離れる。
     距離130マイル、北東の風、風力15〜20ノット、ランカウイへの進路は130度だが、
     カタマランは風に対して登りが悪い。
     カタマランは60度位しか登らないし、向かい波は、バウが海面を叩くので、乗り心地が悪い。
     その為、進行方向を150度から、180度にとって、風の方向が変わるのを期待する。
     エンジン1800回転と、インナーとメインセールで7ノットの船足で、インナーとメインセール
     だけで、帆走すると、約5ノットである。
     夜明けに、ランカウイ島の西北70マイルまで来るが、ランカウイ島から風が吹いてきて
     いるので、近寄る為にはタックしていかなければならない。
     タックしても120度方向が変わるので、近寄れない。
     ランカウイ島の西北、30マイルにある、KO ADANGでアンカーを降ろし、明日風向きをみて
     向かう事にする。(006−31−266 N 099−16−983E)
     この島は縦横5Km程の島が2つと小さな島が集まっているが、殆ど無人島である。
     島の間が絶好の風除けになっているので、沢山の漁船がアンカーを降ろしている。
     但し、南に位置する KO LIPE (006−29−136N  099−18−052E)は
     リゾートらしきものが出来ていて、食事が必要な時はこちらの方がよいだろう。
     最近はヨットも時々アンカーを降ろしている。
     自分でアンカーを降ろさずとも、あちらこちらにブイが浮いていてそれをとればよい。
     ここは浜の近くまで水深があり、水深7m位から急に珊瑚が海底に広がって浅くなっている。
     今回、水深12mの砂地にアンカーを降ろし、スナップーシャックルでチェーンの穴に通して、
     スナップシャックルからロープを両バウの下側と正面のクリートの3本を取っている。
     こうすると、アンカーチェーンの支え位置が下になり風と波にも風に立って、
     ピッチングする事が少ないのと、クッションの役目をしてくれるのである。
     スナップシャックルの前はチェーンフックを使っていたが、フックの場合、波が無い時、
     どうかすると、外れてしまう事が度々あって、スナップシャックルに変えたのである。
     カタマランはスペースもあり、ヒールせず、ビーチングして修理は出来るし、長期クルージング
     には、絶対に有利であるが、唯一欠点は、正面からの風と波には、弱いので
     そちらに、行こうと考えない方が良いくらいである。
     この辺の風は、季節により方向が決まっているので、タイミングを待っていれば問題無い。
     
 18日 テラガハーバーのウオーターブレークでアンカーを降ろす。
     隣は、ロンダ&マーテイン、 ウオルフガンが、アンカーを降ろしている。
     早速、シャワーと洗濯、氷の買出しである。
     メールをチェックすると、マラッカ海峡で日本のタグボートが海賊に襲われ、日本人3人と
     フィリッピン人が人質として誘拐され身代金を要求されているとの事である。
     日本の船は武器を装備していないのは分かっているし、身代金は取り易いという
     海賊にとっては一番狙いやすいカモネギの様に見えることだろう。
     船舶の安全の為、ライフラクト装備等を法律で義務付けているのは、結構な事だが、
     もう一つ、海外に出る船はロケット砲を装備する事という法律を作ってもらいたい。
     この法律が話題になるだけで、海賊の間では日本の船は襲うにはリスクが大きいと
     言う事になって、狙われる確立は減り、安全対策になる筈である。
     ロケット砲は、各国又は日本国内に入る時には、海上保安庁なり、警察が保管すれば
     良いのである。
     本当に国が個人と船の安全を考慮してくれるなら、出来るはずである。
     ライフラクト等荒天の装備は、未だ自力にて船の安全対策が取れるが、海賊に襲われるのは
     武器が無い限り対策の立てようも無いのである。
     そしてもう一つ、身代金は絶対に支払わない事を世界中に公言することである。
     決して、裏取引をしないでその代わり報復措置を徹底してとることにする。
     そうでない限り、弱腰の政府だと見透かされ、世界中で日本人が狙われるようになるのである。
     かって、日本赤軍ハイジャック事件で、超法規措置をとり、脅迫に屈した日本政府を
     世界中の海賊やら、ハイジャックをする悪人共は脅迫に弱い交渉相手と甘く見ているのである。
     近くで発生した今回の事件は決して他人事でなく、今回の事件を私が同じ状況になったとしたら、
     例え、指やら、耳やらが送り付けられようと、身代金の要求に決して応じて貰いたくない。
     見殺しにしてもらって結構で、これが私の覚悟であり真意である。

 20日 Pat&Paparaという、フランス女性ヨッテイーとは2年前にペナンで会いその後、プーケットやら
     ランカウイで横にアンカーを降ろして度々顔を会わせていた。
     その二人が、昨日、ここテラガハーバーにアンカーを降ろして、今日レンタカーで買出しに行くが
     一緒に行かないかとの事である。
     今日は、何もすることが無いし、案内がてら、テキーラとビールの買い足しをしようと、同乗する。
     女性に年齢を聞くわけにも行かないので想像であるが、40歳近くと50歳近くと見ている。
     彼女達は、37ft位のスチールケッチに乗っていて、プーケットからテラガハーバーまで
     今回風が強いので5日掛けてきたそうである。
     船をここにおいて、ペナンのタイ領事館までフェリーで行き3ヶ月の滞在ビザを取ってプーケットに
     戻る予定らしい。
     タイはビザが無いと1ヶ月の滞在しかできないので、毎月ミャンマーかマレーシアに
     一度出国しなければならないという観光産業に重きを置いている国としては、
     そぐわない法律の為である。
     又、ヨットで入国した場合は、2万バーツを預けて船長は出国しなければならないし、
     そうしても、6ヶ月後にはタイ国外に一度出国しなければならない。
     この法律ができた為、ヨットの修理はマレーシアでする船が続出しプーケットの
     ヨットメンテナンス産業は政府に苦情を申し入れる事態になった。
     Paparaは性格も動きも男の様で、話していても爽やかである。
     Patは日本語が少し話せるので、英語と日本語を混ぜて喋ったりする。
     女性のヨッテイーもこの様に時々みかける。
     女性だからという言い訳は彼女達には全く感じられない。
     買い物も終って、ハーバーのガソリンスタンドでジイーゼルオイルを買いに行くと
     在庫無しとの事である。
     店のオネエチャンに問い合わせても、いつ入荷するか分かりませんとの返事である。
     数日前にウオルフガンから ジーゼルオイルがかって0.9rm/Litterから1.05rm/Litterに
     今は値上がりしていると言う事を聞いていたが、今日は在庫が無いとは一体ここは
     どうなっているのであろう。
     マレーシアは日本と違って産油国である。
     その割には、日本のオイルショックの時の様に、ガソリンスタンドで車の行列が
     出来たりすることは無く至って平穏である。
     私も、暫く様子を見るしか方法が無いかとタンクを抱えすごすごと遊帆UFOに帰るのであった。

 21日 インターネットでニュースをチェックすると、海賊に誘拐された人質が、ランカウイ島の
     北西30Kmの所で開放され、タイの港町Satun(ランカウイ島から北東20マイル)で
     救助されたとの事。
     身代金の支払いについては有ったか無かったか明らかにされていない。
     しかし、僅か6日間で開放されているので、身代金交渉はスムースに行われ、
     且つ身代金も支払われ、その為人質は、タイ側まで運ばれ開放されたのは、
     誰の目にも明らかである。
     日本国内の誘拐事件と違い、警察も海外の海上では張り込みも出来ないし、
     その後の捜査も不可能で、海賊達にとっては、こんなに旨い儲けは無いだろう。
     こんなに容易く海賊達がリスク無しに儲ける事ができるのだから、今後も日本人を狙った
     拉致誘拐事件は海上だけでなく、一般旅行者にも起こるだろう。
     海賊だけでなく、日本の誘拐犯にも手本となってしまった。
     即ち、人質を海外に連れ出せば日本警察の捜査が及ばないという弱点をさらけ出したのである。
     犯人を捕まえるチャンスである身代金の受け渡しは海外銀行に振り込めば世界各地の
     ATMで引き出せるし、人質の解放は海上であれば張りこみ不可能である。
     外務省の安全対策としては、個人の海外旅行は禁止、学生の修学旅行の様に団体旅行で
     先導者が旗を持って、ぞろぞろと動くしか許可しないという事になるだろう。
     又もや、金持ちで、脅迫に弱い日本を世界中に公言し、海賊やら拉致誘拐犯達を、
     養い育てているようなもので大恥をかいているのが分からないのである。
     無事に事件が解決して良かったと思っているのは、日本国内だけで、世界中からは、
     今回の日本の解決方法を非難されるであろう。

 23日 遊帆UFOのエンジンの電気系統ワイヤー、コントロールパネル、エンジンストップワイヤー
     各種メーター(水温計、エンジン回転計、オイルプレシャー計、チャージング電流計)等、
     作動しないので、ここで、思い切って全て新しくする積りでZainor(マレーシアエンジニアー)
     見積もりを取った。
     約、500rm(15000円弱)という事なので、発注する。
     品切れのジーゼルオイルもやっと入荷した。
     価格は0.92rm/Litter(約25.70円/litter)で、値上がりしたとはいえ、日本の値段に
     比べると嘘のような価格である。
     この価格差は物価に大きな影響があるというのに、日本国民は黙っておとなしく文句も
     言わず払っているのである。
     フランスでは、オイルが値上がりするとストライキ&デモが起こっているが、日本国民は
     江戸時代以後、お上に従順で、聞き分けの良い国民になったのである。
     政治体制は変わったけれど、日本国民は未だお上主導の封建社会にいるのかもしれない。
     もし、封建社会というのが悪ければ、社会主義社会とでもいったほうが良いかもしれない。

     雨が何ヶ月も降らないので、近くの滝もさすがに水量が落ちて泳ぐ事もできないので、
     最近は自転車を漕いで運動している。
     道は綺麗に舗装されているが、道から奥はジャングルである。
     私は、植物の名前は分からないが、地元の人はバイクやら車を止めて、ジャングルの中に
     入り、木の葉の芽を取っている。
     それはどうするのかと聞くと、食べるしぐさをする。
     私も、少し口に入れ噛んで見ると仄かに良い香りがする。
     道のすぐ傍は、ゴムの木が植えられていて、袋をぶら下げて樹液を集めている。
     勿論、猿も沢山いて、道路に出てきて私と眼の飛ばしあいになったりする。
     今日は、ブラックサンドビーチを過ぎて、ドンドンと自転車を漕いでいく。
     途中何回か、アイスカチャン(カキ氷)やら、バナナの天ぷら等を食べる。
     小学生位の子供達は、私に自転車競走を挑んでくるので、むきになって頑張って漕ぐ。
     男の子も女の子も目がクリクリとして、鼻筋も通り可愛い顔をしている。
     時々、この女の子は大きくなったらどんなに美人になるのだろうかと、思わせる様な
     子がいるのだが、大人を見ると未だそんなにビックリするほどの美人にお目にかからない。
     マレーシア人は大人になると、太る体質なのかも知れず、体格の良い安定性のある体つきを
     ズンドウのマレー民族服を着て隠し、頭はマチコ巻きでこけしのような姿でのっしのっしと歩いている。
     ブラックサンドビーチの辺りに、マレー民族文化博物館があり、覗いてみる。
     ローケツ染めと縦絣織を実演をしている。
     この種の文化は日本まで繋がっているのである。
     道のあちらこちらに時々昔のマレー式木造家屋がある。
     2m位の高床にして、四方から風が入るようになっていて屋根の庇からも風が入るようになっている。
     住み心地は良さそうである。
     夕方、雷が鳴って雨が降ってくる。
     何ヶ月ぶりの雨だろうか。
     早速、デッキをを洗い塩を落とし、水を取り込もうとした所で小降りになってきた。
     雨よもっと触れと手を振っていると、隣の船のロンダの子度たちがデッキを飛び跳ねながら
     同じように踊るようにして私の名前を呼んでいる。
     久しぶりの雨が嬉しいのは子供も同じでなのである。 
     結局、タンクに水を補給する所までいかず、相変わらずの厳戒態勢で水を使っている。
     飲み水はカンタンで120リッター買ってきたので心配は無い。
     洗い水は、ポート側は空でスタボー側だけである。
     毎日、氷を冷蔵庫にいれているので、その溶けた水を集めて使っている。
     又、食器と鍋等はトイレットペーパーでゴシゴシと拭き取り、最後に少しの水を垂らして
     再度、トイレットペーパーで磨けば、綺麗になる。

 28日 テラガハーバーの女子職員でアユとアンの2人が勤めている。
     アンは無愛想でヨッテイー達の間では、嫌われ者であるが、アユは笑顔で愛想も良く
     受け答えしてくれる。
     勿論無愛想で横柄なアンの方が上司ということである。
     テラガハーバーは津波の被害の為、入港する船も少なく、アユは今月一杯で、リストラの
     対象となり、やめる事になった。
     そうなると、ヨッテイー間のオーガナイザーであるロンダの出番で、アユの歓送会と
     いうことでハーバー内の中華レストランに話をつけ、一人当たり15RMで
     5品程出る豪華さで仕切ってくれる。
     船に帰って、グッスリ寝ていると、隣にアンカーを降ろしているIsaacのリーさんが
     遊帆UFOを叩いて私を呼んでいる。
     ”リーさん。どうした?”
     ”オバタさん、インドネシアで又マグニチュード8.3の地震が起きたらしい。
      今、VHFで非難するように呼びかけているよ。”
     ”ええ、8.3いうたら前より大きいよ。けど、今エンジンはかからんし、アンカーチェーンを
      伸ばすぐらいしか方法がないな。”
     ハーバー内にいた、ヨットは既に、外海に逃げてアンカーを降ろしている様である。
     前回の津波の時ここ防波堤内は被害がなかったそうだから、アンカーを引き抜かれて
     他船に当たらない限りは大丈夫であろうと考える。
     チェーンを50mに伸ばして、又寝る事にした。
     翌朝、インターネットで調べてみると、今回はニアス島の西の沖合いで発生したとの事。
     ニアス島はトバ湖へ行った時に旅行した事がある。
     位置は、スマトラ島の西側であり、ランカウイ島への影響は無かった様である。
     ハーバースタッフと津波やら地震の経験の無い外国ヨッテイーは、ついこの間に
     酷い目に会っているので、すばやく反応したのである。
     この頃地球は少しおかしくなっているようで、災害デパート日本は、この様な大地震が
     起こっても一つも不思議でない危険地域であるのに、日本人は、まあ、自分だけは
     大丈夫だろうと、思っている。

     衛星ラジオというのをパット&パパラが持っていて、ネッシーさんも買う気を起こしている。
     私も、チョット聞かせてもらったが、各国毎のニュース番組やら音楽番組があり、約1万5千円
     程で本体と衛星アンテナが手に入るらしい。
     丁度、日本のニュースをやっていて、今回、韋駄天が海賊に襲われた対策として、12Vの
     強力サーチライトを取り付けるようになったとかなんとかの話である。
     思わず、何を考えているのか、バカか無責任な奴の考える事だと腹が立ってくる。
     サーチライトで海賊を照らしたら、海賊は有難がって、探さなくても自ら目標に
     なっているようなものである。
     机の上で考えている役人達は一度船に乗って危険地域を航海してみたらどうか?
     放水銃やら、サーチライトで、バズーカやらマシンガンを持っている海賊に対等に
     渡り合えると思っているのか?
     もうチョット、我が身になって考えたらどうか。
     ”パット あんたら何か武器を持ってるのか?”
     ”無いから、心配よ。もし襲われたら、私らの船は鉄製だからハッチを閉めて中で
      ジッとしてるしか、方法が無いわね。
      けど、それも時間の問題でドライバーでこじあけられたら、終わりね。”
     ”私は、どこかでバズーカを手に入れたいけど、そんなもん、普通では手にはいらんから
      まず、海賊の所に行って、買うしかないな。
      手に入って、海賊に襲われたら相打ちでもええで、躊躇わずぶっ放してやるけどな”
     やけくそ海賊対策を話し合うのであった。
     日本の官僚と政治家では、思い切った海賊対策等臨みようも無いので、
     どこか国際的海賊対策本部の様なものが、あって、嘘でも良いから、希望船舶には、
     武器を貸し出しします、という事を発表してくれたら、海賊も迂闊に襲う事が
     出来なくなるはずである。

     ほぼ毎日どこかで夕方からのパーテイに誘われる。
     パーテイといっても、自分が飲み食いするものは自分で持ってきて、浜か桟橋で
     集まって喋るだけである。
     今日は、フィリッピン、ボンボノンで永らく一緒だった、Wayout ルイが誘ってくれる。
     ”オバタ、買ってきた肉が余っているんだ。今日、桟橋で7時からだ。”
     何故か、狭いボンボノン村でいたヨッティーは共通の仲間意識がある様で私達は
     フィリッピンコネクションと呼んでいる。
     ルイが桟橋で炭に火をつけて準備しているが中々火が熾らない。
     私が、団扇を持て来て,扇ぎ、ルイが鶏肉を乗せてひっくり返す役である。
     他のヨッティ達は、テントを持ってきて船と船の間に張って雨避けの準備である。
     ヨッティが集まれば、どんな所でも、それなりに快適な環境にしてしまう。
     もうもうと煙が出ているので、ルイに団扇で扇ごうかときくと、
     ”いや。これでスモークになって旨いんだ。”
     ルイの奥さんもフィリッピンで何度も顔をあわせていたが、バーベキュー以外に
     何種類もオカズを用意してくれている。
     私は、あとで定番の冷やしソウメンをする事にしている。
     今日の、メンバーは気さくな人ばかりで、飲んだり冗談を言い合ったり、踊ったりと
     3時間位遊んで遊帆UFOに帰るのであった。

4月2日 今日が、もう4月に入ったのを今コンピュータの日付を見るまで分からなかった。
      頭の中は、丁度、1週間ずれていて、3月26日だとばかり思い込んでいた。
      4月だと、京都は桜が咲いているだろう。
      そして、花粉症気味のカミサマは可哀想である。
      こちらにいれば、空気は澄み切って絶対花粉症等ならないのに。。
      ここテラガハーバーは波も立たず、シャワーもあって良いのだが、食べる物に
      不自由するのである。
      毎週金曜日に中華系のオニイチャンが軽4輪の箱バンで野菜と肉を持ってきて
      店を開いてくれる。
      ここでも、ベーコン、ハム等豚肉類は車から降ろさず、注文の人だけ別の箱から
      取り出して、売る始末である。
      ハーバーの周りは、中華、イタリアン、ロシア、マレー、と、あるのだが、平均して
      1品15RM(約500円)もするので、、貧乏ヨッテイーの私が、毎日食べられる所ではない。
      タイのハン場飯は、飲み物を入れても4rm迄で、時々食べに行く。
      それで、最近は毎食3回は自炊という事になっている。
      自分で作る料理が他人様にはどうか知らないが、結構旨いと自己満足している。
      それに、ミキサーを最近買ったので、これに氷と、レモン、テキーラ、砂糖に塩を入れ、
      氷を砕いて、アイスシェークマルガリータは、抜群の味である。
      すぐ近くにUrizin ネッシーさんがアンカーを降ろしていて、お互い顔を会わすと、
      ビールを飲む事になっている。
      今日は、彼の船外機の調子が悪いので、一緒に分解しキャブレターの下に付いている
      オバーフローを止める為の針の位置が上過ぎて燃料が入ってこないので、
      バネを曲げて針が下に落ちるようにしてみた。
      季節は、雨季に入ったようで、夕方になると雨が降ってくれる。
      水の心配はなくなるし、船体は綺麗になるし、気温は下がるので雨は大好きである。

 4日 ネッシーさんの船Urizinで、ランカウイ島を1周しながら、Hole In the Wall という繋留地を
    見に行こうという事になった。
    今日は、クアでアンカーを降ろし、時計の反対周りで島を回る。
    ランカウイ島の大きさは佐渡島か淡路島位の大きさではないだろうか。
    沢山の島からなっていて、東側の島は石灰岩で出来た島なので、砂浜も無く、
    断崖になっていて、殆ど無人島である。
    UrizinはUFOと同じ、Prout37ftであるが、最近作られたので横幅も60cm程広く、
    デザインも随分と改良されている。
    ネッシーさんは去年の6月にこの船を手に入れ、ランカウイ、ペナン、プーケットを往復している。
    彼は、Urizinで石垣島まで帰りたいのだが、シングルハンドでは、まだちょっと
    自身がなさそうである。
 5日 クアから一度外海にでて、大回りで、目的地Hole in the wall に近づく。
    名前の如く、入り口は島と島の切り立った壁の間、穴に入っていくのである。
    アプローチ(006-25-811N 099-52-195E)
    中へ入ると川のようになっているがどうやら島と島の断崖の間になるようである。
    800m位中へ入って、左へ行く支流があり、それを越してもう300m程いくと、今度は
    右手に支流がある。
    長期繋留するには、この右手に入って行き、浮きブイを取って繋留する。(1ヶ月200RM)
    (006-25-009N 099-51-814E)
    アンカーを降ろす所は、左に支流がある所の右手あたりが良さそうである
    ヨットは右手に曲がる所くらいまでで、その奥はデインギーでしかいけない。
    波も無く静かであるが、両側断崖で、圧迫感があるので、私は気に入らなかった。
    ここから、町までも不便であり、満足に水を使える所もない。
    夕方、ネッシーさんと繋留地に浮かんでいる水上レストランで海鮮料理を食べる。
    ”ネッシーさん。ここはお客が来るか?”
    ”津波が来るまでは、結構お客があったようよ。”
    ”今日は、私らだけの貸切やね。”
    ”これで、儲かるなら、楽な商売ね。”
    メニューは蟹のブラックペッパー炒め、ミックス野菜のオイスター炒め、御飯にビール2本である。
    
    、

雪風 久保さんがインドネシア アチェの災害復旧ボランテイアに参加した後レポートを
送ってきてくれました。
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/jpivyjp/lst?&.dir=l&.src=bc&.view=l 

73番 ペナンで新たな旅立ちを考える