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     68番 プーケット津波被害レポート   2005年1月1日〜1月14日


12月31日 お正月前、急遽プーケットに戻る事にした私は関西空港で飛行機を待っていても
     何か忘れ物をしたような、気持ちである。
     シンガポール空港で乗り継ぎ時間が35分しかないので、スチュワーデスに
     次の搭乗ゲート番号を聞くと、着陸前にファーストシートの一番前の席に
     移動するように言われる。
     もし、この便に乗れないと明日朝9時の便しかない。
     ところが、大阪からの飛行機はシンガポール空港に20分遅れて到着する。
     ゲートが開くと同時に、マラソンスタートである。
     5分も走ると息が上がってくる。
     やや諦め気味に、10分くらい走ってようやくゲートに近づく。
     荷物はリュック1つだけなので、手荷物検査を終え大汗をかきながら飛行機に乗る。
     プーケット行きの飛行機の中はガラガラに空いている。
     乗客は20人もいない。
     プーケット空港に到着すると、ユキさんがバイクで迎えに来てくれている。
     ”今夜はテンダーを船に置いてあるので行けないからユキさんの所に泊めてか。”
     ”ええよ、津波のあった日の朝10時頃、近所の人が騒いでるから、何やろと
      思ったら、どうやら津波らしい。 それでシャロン湾に見に行こうと思ったらもう道路を
      警察が封鎖してた。
      後で、バイクで見に行ったけど、シャロン湾の古い桟橋は杭が残ってるだけや。”
     と、大まかな状況を聞く。
     大晦日でありながら、盛り上がらない夜であった。

1月1日 朝7時、一人起きてシャロン湾に行き、ロングテールボートに200バーツ出して
     遊帆UFOまで送ってもらう。
     遊帆UFOの後に木造観光船があり、その距離が5m程である。
     船体をチェックすると、スタボー側バウに観光船のタイヤのこすり後があるが傷は無い。
     いつもは、鳥など来ない所なのに、異常に鳥の糞が落ちている。
     船内はそのままで落ち壊れたものもない。
     とりあえずアンカーチェーンを引き上げ距離を開けようとするが、チェーンが揚がって来ない。
     水中めがねをつけてアンカーのチェックにいくと、観光船のアンカーとチェーンが5m程あり
     その先に浮きブイがつけてありそこからロープで舫っている。
     そのアンカーチェーンに遊帆UFOのチェーンが3回巻きついているのである。
     どうやってこのチェーンを外すか考える。
     遊帆UFOのアンカーチェーンは50mあって、40m程だしているので残り10mある。
     元の方を外してロープで結び、絡んでいるチェーンの解く方向に3回まわしながら解くしかない。
     ユキさんに助けて貰おうと、デインギーで桟橋の方へ行くと、雪風がアンカーを降ろしている。
     ”久保ちゃん、チョット手伝ってか。”
     遊帆UFOに戻り説明をする。
     久保さんが潜ってロープを回し、私がバウでアンカーを引き上げる。
     1回回したら息が切れる。
     2回目を回すと、もう、ヒイヒイゼイゼイと息が続かない。
     ”久保ちゃん。 あかん チョット上がってきて休憩しよう。”
     私も、力が無くなったものである。
     ”オバタさん、今度は私が上でチェーンを揚げます。”
     と言う事で、交代する。
     やっとアンカーを外し、木造観光船との距離を充分に取ってアンカーを打ち落ち着く。
     普通なら巻きつくはずが無いのに、何故、アンカーチェーンが巻きついたか推理する。
     ユキさんの話によると、津波による大波は3回程あったらしい。
     第1波で、木造観光船のアンカーは引き抜かれ流されて遊帆UFOの近くまで来た。
     その引き波で、1回目はアンカーを同心円に木造観光船が前遊帆UFOが後で、船が回る。
     チェーンの長さの関係で長くチェーンをだしている遊帆UFOが木造船のチェーンに回る。
     この様にして、3回の大波で回る事になったが、その時の位置は木造観光船が前で、
     遊帆UFOが後であったが、その後まだ木造船のアンカーは定まらず、遊帆UFOのチェーンに
     沿って後ろに下がって、ある期間並行に並び、遊帆UFOのスタボーバウに接触していた。
     その後、強風か波でさらに木造船はアンカーが滑り遊帆UFOの後ろがわに位置するようになった。
     というのが、推理した結果である。
     それにしても、微妙な位置関係ながら、大きな傷が無かったのはラッキーという他は無い。
     
  2日 ”ユキさん、今日はバイクで東側のビーチの被害状況を見に行こう。”
     最初はプーケット島の南端、ラワイビーチである。
     無残に壊れたロングテールボートが浜に打ち上げられている。
     勿論、浜から上がってきた波は道路を越え、波と砂が一緒に押し寄せ
     波が引いた後の道路は砂で一杯だったそうである。
     次が、やはりプーケット島の南端のナイハンビーチであるが、このビーチの沖に帰国前に
     遊帆UFOはアンカーを降ろしていたのである。
     崖の上から見ると、今は100艇位ヨットがアンカーを降ろしている。
     ”ユキさん、ここは大丈夫やったんか?”
     ”ヨットの被害は無かったけど、ビーチにあった家はメチャメチャ壊れてる。”
     浜の方へ降りていくと、かって花の様に開いていたパラソルは無く、その下でマッサージをしていた
     光景も全く無く、物悲しい雰囲気である。
     ”この湾は結構水深があるし、西側は岬になっていてブロックされている。
     それにヨットだけがアンカーを降ろしていたから、みんな長くチェーンを出していて、
     大波の時もアンカーを引き抜かれること無く、その為流されて接触する事も少なく
     無事やったんやな。”
     次に西側にある、カタ カロン パトンと西海岸に沿って北上するに、恐ろしいほどの
     大波の爪痕を見ることになる。
     海岸沿いにあった店は、全滅で浜には30m位の漁船が打ち上げられたり引っくり返ったりしている。
     ガードレールは押し倒され、塀は崩れている。
     逃げ惑う人々の姿と声が聞こえるようである。
     海岸から逃げると言っても、何処へ逃げればよかったのか、今私が冷静な目で見ても難しい。
     パトンビーチは海岸から500m位まで水が来ている様である。
     プーケット島の一番の繁華街で土産物売りの店、レストラン、バー等は廃墟となり、
     打ち壊しているので町中は埃が舞っている。
     未だに道路を封鎖している所もある。
     壊れた店先で、水についたと言う事で服、履物、バッグ類の安売りをしている。
     その為、人だかりで、ユキさんは早速お買い物に夢中になる。
     被災しながらも、逆手にとって商売をする人々の明るさ逞しさが南国の気質なのであろう。

 3日 ネッシーさん(船名”ウリズン” プラウト37ftカタマランの場合、シャロン湾でアンカーを降ろしていた)
     26日の朝、テンダーで上陸しようとしている時に津波の一番目がやってきた。
     桟橋の所に繋留している、レストラン観光船約(30m)が横倒しなるくらいに揺れ人が騒いでいる。
     何をする間も無く、バウが波に持ち上げられ、空が見えたそうである。
     その時、前方から鉄船が流れてきてウリズンのバウに接触し破損する。
     その鉄舟はそのまま流されウリズンの後に回った時、あわててアンカーを降ろしたので、今度は
     引き波に鉄舟が寄ってきて、ウリズンのスターン側に接触破損する。
     ネッシーさんはデッキの上で弾き飛ばされアバラ骨を打ったそうである。
     しかし、船体保険を掛けているのでそれでカバーできる様に保険会社と交渉中である。
     現在、ボートラグーンにて修理中である。

     ハインズ(船名 アルバトロス 45ftケッチ シャロン湾にアンカーを降ろしていた)
     船内にいたハインズは突然横倒しになった船に投げ出され腰を打つ。
     横倒しのまま、海底を擦りながら流されて行く。
     その時、テンダーと船外機は船の下に挟まれ、破壊され、冷却水の穴に泥がつまり、
     エンジンをかけられなくなる。
     という、被害状況で現在上陸もテンダーが無い為ままならないので、ネッシーさんの
     不用品の古いテンダーを貸している。

     K.P.チン(船名 チャプラ べネトウ37fh カタビーチにアンカーを降ろしていた)
     マレーシア生まれカリフォルニアに生活基盤を持つチンはシングルハンドでハワイに
     アンカーを降ろしていた経験があり、津波に関してよく知っていた。
     津波のあった朝、水位が5m下がるのを水深計で確認した彼は津波の来るのを
     予想し直にアンカーを揚げ、沖に向かって難を逃れた。

     ランカウイテラガハーバーの被害(伝聞による)
     このハーバーはランカウイ島の西にあり、湾の北側に位置し、南に開いた水路から入っていく。
     26日朝、ハーバー内の水が引き、船が海底についた。
     直後、津波の大波が港の中まで進入してきて、波で持ち上げられポンツーンは柱毎抜ける。
     船の間の距離が無い為、マストの打ち合いと絡みあい、デッキのぶつかり合いが一気に起こった。
     この様な状況で為すすべはなかったらしく、15席が沈没したらしい。
     その状況の中、Isaacは殆ど無傷、Lha3はデッキに穴が開いたが被害は軽微とのことである。
     両艇とも未だテラガハーバーにいる。

     ランカウイ リーバックマリーナの被害(伝聞)
     ランカウイ島の西端にある小さな島の内陸を掘り、細い水路で入っていく。
     ハーバーの周りは360度囲まれているのに、大波がその細い水路伝いに
     押し寄せて入ってきたらしい。
     その為流され始めた多数の船が引き波、返し波でぶつかり合い沈船した。
     このマリーナは、テラガハーバーより酷く全滅壊滅状態らしい。
     何隻が沈没したかは分からないがランカウイで唯一上架できるマリーナであった為、
     マレーシアでのヨット修理は、難しい事だろう、

     ランカウイ クア側 ロイヤルランカウイヨットハーバーの被害
     周りを島に囲まれていて被害無しらしい。

     プーケット ボートラグーンヨットハーバーの場合(伝聞)
     このハーバーはプーケット島の西側に位置し直接の波は受けなかったものの、湾の奥にあって
     遠浅の為、波が立ってハーバー内に波が入ってきた。
     後30cm波が大きかったら、ポンツーン支柱の先から抜けてしまってテラガハーバー、
     リーバックマリーナの様な、被害状況になったいたかも知れなかったらしい。

     プーケット ヨットへブンハーバーの場合
     プーケット島の最北端、の東側にあるため被害無しである。

     結局、被害の大きかったのは、ヨットハーバーに係留中の船であるというのは皮肉な事である。
     船の間隔が無い所では、大波の為マストが絡み、船舷があたりあう。
     他船との距離が充分にあり、アンカーチェーンを長く出している船は被害が少ない。
     浮きブイで、舫っている船は大きなアンカーを入れていてもチェーンが短いとアンカーごと
     引き抜かれ流されている。
     遠浅の浜は大波が立って被害が大きい。
     津波の前は水位が異常に変化する。
     遊帆UFOに帰って、いつもは綺麗なデッキ上に異常に鳥の糞が落ちていたので、鳥は事前に
     予知していた可能性あり。
     地震、津波、台風と災害のデパートの様な日本国に住む私も、今回の経験を貴重にしたい。

     町の噂では、タイ政府関係者は津波情報を速く掴んでいたが、その情報を公開し
     注意を促すかどうか、検討会議の結果、情報を流した場合、パニックになる恐れがあり
     又、過去2回程津波注意報を出したが、津波は来なかった等の理由により、警報を
     出さなかったそうである。
     波の大きさに比べ多数の死者が出たのはこの事によるものであろう。

     津波のニュース以後、私と遊帆UFOの安否を気遣い、メールを沢山戴きました事、
     お礼申し上げます。
     殆どのメールが、私と遊帆UFOの悪運の強さを褒めていただく内容でした。

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