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  66番 2004年末プーケット  2004年12月1日〜12月21日

12月1日 カミサマのメールで愛犬ジャックの死期が近づいているのを知る。
     国際電話をかけて、電話をジャックの耳に持っていくように娘に頼む。
     ”ジャック。今度生まれ変わる事ができたら、私の子供で生まれてこいよ。”
     娘の話によると、”クウ”とう頷いたそうである。
     15年前、トイプードルのジャックは私の手のひらに乗っていて白くて小さいので
     ハツカネズミの様であった。
     カミサマは犬が嫌いで、こんな小さなジャックが足元に来ても、テーブルの上やら
     椅子の上に逃げ回っていた。
     しかし結局、カミサマに一番世話をしてもらった事になるのである。
     未だ1年も経っていない頃、木津川でカヌーに乗っていた私を追いかけて川に飛び込んできた。
     流れは速く泳ぐというより流されて行く。
     必死でパドルを漕いで、幸運にも掬い上げる事ができた。
     3年程経った時、自動車から飛び出して追いかけてきた来たジャックは、走ってきた車の
     下に巻き込まれてしまった。
     この時も幸運にも車の真下で怪我も無く済んだのである。
     大きな病気もせず、15年も生きたので天寿を全うしたと思わなければならない。
     生き物全て死ぬのが運命で、別れは辛いが一期一会である。
     ”See you again, someday somewhere ジャック”

 2日 ロンダとマーテインが、マーテインの60歳誕生日パーテイを主催する。
    彼らはニュージーランドラムの丸焼きを作っているので、彼らの気に入りの冷やしそうめんを
    作る事にする。
    ”マーテイン、60歳という誕生日は日本では還暦といって、もう一度生まれた事になるんだよ。
     だからロンダ、もう一人大きな赤ん坊ができたみたいなものだ。”
    オーストラリア人に東洋暦、干支を説明する。
    彼等には5歳と7歳位の男の子がいて、大きな体のロンダは汗をかきながら、
    この子供達を大きな声で怒って追い回している。
    しかし、大人のパーテイには子供は連れてこない。
    この辺りは、大人は大人達で楽しむというライフスタイルがあるようで、日本のパーテイの様に、
    大人のパーテイに子供まで参加すると言う事はないのである。

 3日 朝10時頃、雪風 久保さんが ”先に行きます”といってアンカーを揚げて出港した。
    私も、エンジンをかけると冷却水が出ていない。
    メカニックはベルトを閉め忘れているのである。
    再度、エンジンをかけると今度は新しく作った燃料タンクのバルブを開けるのを忘れていて、
    エアーが噛んでしまう。
    エアーも抜いて、アンカーを揚げにかかると、今度はチェーンが浮きブイのチェーンに絡みついている。
    結局、2時間遅れの12時出港である。
    船底に貝がついているのか、いつもの感じより0.5ノット程遅いのである。
    ここランカウイ、テラガハーバーからピーピー島まで約96マイル、320度から330度の進路を取る。
    風は殆ど北東から北の風で、波は無い。
    久しぶりのインド洋の夕日だが、今日は雲が悪く美しくない。
    夜は暑くないので、ナイトクルージングは好きである。
    漁船が集光ライトを両側に張り出し、魚を集めている。
    眠たくなると、10分睡眠を繰り返しながら船を進めるのだが、ダブルハンドなら楽なものだろう。
    交代でワッチをするのであれば、何日でもどこまでも走れる。
    もっとも、シングルハンドでも2日目からは、グッスリ寝てしまうのだが夢の中では、
    何かにぶつかったり、座礁したりする夢を何度も見るのである。
 
 4日 昼の12時にピーピー島へ到着である。
    周りを見回すが、雪風はいない。
    ここを待ち合わせのポイントにしておいたのである。
    ここピーピー島はアンカーを降ろすには、最低の所になってしまっている。
    観光客様スピードボートが全速力でヨットの側を走り回り、その度に大波に揺られるのである。
    岸からは、夜中の3時まで大きな音のデイスコリズムが流れてくる。
    これからは、私もここピーピー島は寄らずに、もう少し南の島々にアンカーを降ろす事にする。

 5日 雪風の久保さんも昨日夕刻到着したが、最悪のアンカーリングポヂションの為早々に
    シャロン湾に向かう。
    風は追っ手で、距離は約30マイル弱、約6時間で到着である。
    シャロン湾上陸して、ユキさんのアパートへ行くが旅行中の様で留守である。
    次は私の楽しみの一つであるサウナへ行く。
    汗を流し何度も水を被っていると元気が戻ってくるのである。
    洗濯をしてさっぱりした所で、久保さんがやってくる。
    一緒に夕食に行き、インターネットにマーケット、レストラン等を案内するが新しい店が
    オープンしていたり、古い店が閉めていたりと、たった2〜3ヶ月で随分と変わっている。
    デインギーを盗まれない様に桟橋に鍵をつけているのだがその鍵を無くしてしまった。
    久保さんのデインギーで遊帆UFOまで戻り合鍵を持ってこなくてはならない。
    最近、忘れ物をしたり、失くしたりする事が多くなって自分でも嫌になるのである。
    自転車を去年泊っていたゲストハウスの所へ預かってもらうのに持っていく途中で、
    ハインズとその奥さんと子供達と2〜3人の友人、ウオルフガンが酒を飲んでいるのに出くわす。
    ”オバタ、君は問題無いか? ボートも問題無いか? 今日は ワイフの43歳の誕生日なんだ。”
    と、ポパイの様な顔をしたハインズと握手して挨拶をする。
    暫くして、席を立ったハインズが戻ってくる途中に仏壇の角に思い切り頭をぶつける。
    タイの家はどこでも家の前に小さな家の形をした仏壇を手の届く所につけてあるのだが、
    背が高く私と同じスキンヘッドのハインズはそこに頭を必ずぶつけるらしい。
    ”仏陀、オマエは私に何でいつも頭をぶつける。昨日もそうだったろう。私はオマエが嫌いだ。
     隠れてないで家から出て来い。いつか家から出てきたところを捕まえて捻りつぶしてやるからな。”
    と、大きな目をクリクリさせてハインズが怒鳴っている。
    ”ハインズ、オバタも仏教徒と違うか?”
    と、気を使うウオルフガン。
    ”いや、日本は仏教徒でなく、神道だから、大丈夫だ。”
    と、わけの分からない事をいうハインズ。
    ”ハインズ、私は無宗教で神は信じてないから大丈夫だ。それより 毎日そこで頭を
     ぶつけているなら、仏陀が悪いというより、ハインズの頭の方が悪いと思うよ。”
    その他大勢は、大笑いである。
    ハインズの頭のお陰で奥さんの誕生日パーテイは霞んでしまったのである。

 6日 シャロン湾ジェッテイの入り口にあるイミグレ、カスタム。ハーバーマスターの事務所へ行く。
    イミグレで入国審査が終り300バーツの手続料を支払うと、ヨットを置いて出国する時の
    方法が又変わった事の説明を受ける。
    今までは、銀行で2万バーツの預金証明書を作ってもらいそれをイミグレに預けて
    出国していたのが、これからは直接イミグレでお金を預かるという方法に変わったらしい。
    お金を預ける事には変わりはないのだが、銀行での手数料600バーツ程、
    支払わなくて良くなったのである。
    次が、税関での申告であるが手続が終ると、600バーツを請求される。
    ”何故、600バーツですか?”
    ”昨日は、タイの王様の誕生日で休日でしたが、日曜日の為振り替えで今日も休日です。
     その為、休日申請特別料金です。”
    これからは、タイの暦を見て行かないとならない。
    最後がハーバーマスター申告でこちらはスムーズに終った後、横のオネエチャンが
    ”シャロン湾には、何日間船を係留しますか?”
    そら来た、ここでも金の無い私から未だ金を取ろうという積りである。
    ”船はボートラグーンに置いてあります。”
    この一言で、最低料金300バーツは免除されるのである。
    タイは滞在期間が1ヶ月と短いのに、手続料が高く、余分な金を預けなくてはならない。
    マレーシアは滞在期間3ヶ月で、イミグレ、カスタム、全て親切でお金を請求される事はない。
    ヨッテイにとって全て良い所はナカナカ無いのである。

 8日 今の季節は北東の風が強く、シャロン湾でも波が立つので、雪風、久保さんは船酔いするらしい。
    時々、遊帆UFOで料理をし一緒に食べているのだが、食欲は落ちていないので心配ない。
    年末に日本へ一時帰国の為、安い航空券を探しているのが、プーケットーシンガポールー関空往復
    の45日以内使用航空券が一番安いがそれでもこの時期だと21300バーツ(約56000円程)である。
    今、プーケットではキングスカップというヨットレースが行われていて沢山のヨットが来ている。
    明日、9日からはボートラグーンヨットハーバーでボートショーが開かれるそうである。
    私も、パウロとアンドレアに会いに行くついでに覗いてみようと思っている。

 9日 久保さんとレンタバイク2人乗りでプーケットタウンのイミグレにいく。
    今まで、タイの銀行に2万バーツを預けてその預金証書をイミグレに預けて出国できたのが、
    これからは、直接イミグレにお金を預けるようになったのである。
    その後いつもの貸し本屋さんに行き本を仕入れる。
    明日から暫く読書三昧生活にしようと思っている。
    ボートショーを見にボートラグーンに出かけていく。
    ここのハーバーは遊帆UFOにとっては料金が高く繋留できるところではない。
    ハーバー内にホテルと分譲住宅があり、レストランから 洒落たコーヒーショップから
    スーパーまで何でもある。
    パウロの船はもう殆ど内装もできあがっていて新しいボートで通りそうである。
    りギンも遊帆UFOの寄せ集めリギンとは大違いで船にお金をかけられるパウロは幸せな男である。
    アンドレアは生後2ヶ月の鼻が顔にめり込んだ様な中国犬種のメスを抱いている。
    犬を見ると、ジャックを思い出し悲しくなるのである。

 10日 ユキさんがやっとプーケットのアパートに戻ってくる。
    ”ユキさん、どうしてた?元気にしてたか?問題無いか?”
    との質問にのんびりタイプのユキさんはニコニコ顔でどこにいても同じ全く問題無い。
    ”今晩は、タイスキにしようと思って準備したで。”
    と、スーパーまで買出しに行ってくれたらしい。
    久保さんも参加して、久しぶりに乾杯をする。
    ”この時期シャロン湾は波があって良くないから、ナイハンビーチか カタビーチへ
     セーリングしようか?”
    と、早くも次の遊びを考えるプータロウである。
    久保さんは明日ランカウイに戻る予定である。

 11日 ここ2〜3日は大変風が強く、デインギーで上陸するのも大変である。
     その為ジェッテイの所にワイヤーで縛って、鍵を掛ける様にしている。
     今日も午後4時頃サウナへ出かけて行き、夕食を食べて船に戻ろうとデインギーの
     所まで戻ってくると、ワイヤーの先にあるべき筈のデインギーが無い。
     ”ええ、ウッソー 冗談じゃないよ。”
     波しぶきが立つ暗い海を見渡しても、我デインギーは見えない。
     もう、泣きたくなるやら情けないやらパニック状態である。
     勿論、遊帆UFOに戻る事も出来ないので、ユキさんのアパートへ行く。
     ”ユキさん。デインギー無くなってもた。”
     もう、半べそである。
     ”盗られたんか?それともワイヤーが切れたんか?”
     冷静なユキさんがワイヤーを調べた結果、どうも自然に切れた様であるとの事である。
     盗られてないとすると、浜に流れ着いている可能性が高い。
     ”今から、探しに行こ。”
     ”けど、今は満潮やで浜沿いに行けへんし、月も出てないから見えん。明日の朝に探すわ。
      今晩泊めてんか。”
     高いお金を出して去年買ったデインギーに、8馬力のエンジンを乗せ、ミシンで苦労して
     黄色のソンブレラの生地でカバーを作ったものである。
     こんな事もあろうかと、最も目立つ黄色の生地を選んだのである。
     がっくりと気落ちし、疲れも出て早々に寝るが夢見は良くないのである。
     早朝5時半に浜へ行くと未だ薄暗いが、大潮干潮時なので沖合い1KM位
     干上がっているので見通しは良い。
     流されたであろう南の方角に自転車を押しながら浜伝いに捜索である。
     シャロン湾の南端、約ジェッテイから4Km行った所で夜明けである。
     目を凝らして、浜と沖合いを捜索するが黄色の色は見えない。
     行方不明になった我が子を探している心境である。
     ジェテイまで戻り、沖合いに止まっているダイビング船やらスピードボートの
     辺りにも目を凝らす。
     ダイビング船の後に我が子デンギーの黄色のカバーが見えるではないか。
     ダイビング船のニイチャンを大声で呼び、
     ”それは私のデインギーだ。”
     と、身振りを加えて必死で叫ぶ。
     その頃にはユキさんも一緒に捜索参加してくれていたので、
     ”ユキさん、あった。あった。あそこに拾われてた。”
     どこにも傷は無く、エンジンも問題無い。
     もう、我が子再開の感動のドラマの様な喜びようである。
     拾ってくれたニイチャンに200バーツのお礼をして、行方不明大事件は
     ハッピーエンドになったのである。

 14日 今日あたりプーケットの南にあるナイハンビーチへユキさんといこうとエンジンをかけて見る。
     セルモータがしんどそうに唸り声をだすだけで、勢い良く回らない。
     どうやら、バッテリーが弱っている様なのである。
     アンカーチェーンを揚げるのにウインドラスを使うと、大容量の電流が流れる。
     勿論、エンジン回転数を2000以上にして充電しながら使うのだが、それでもウインドラスに
     繋いでいるバッテリーは寿命が短い。
     タイのバッテリーショップへ行くと、ユアサバッテリーと書いたものがある。
     ”これは日本産か?”
     ”とんでもない、日本産だと高くて売れないよ。タイで作ってる。”
     150AHが3200バーツ 200AHで3900バーツと値段は安めだが長持ちしそうではない。
     2年も使っていれば元を取ったようなものだから、新品200AHを買う事にする。
    
 15日 ”ユキさん、ナイハンビーチへセーリングしようか。”
     シャロン湾は波が立って快適なアンカーリングポジションではない。
     弱っているバッテリーを宥めすかしてエンジンを掛けてアンカーを揚げる。
     ”ユキさん、ヨットに乗るのは久しぶりやろ。”
     ”今年、ピーピー島行って以来やな。”
     ”琵琶湖では、全然乗ってないのか?”
     ワインを飲みながら、追っ手の風で1時間程で夕日の綺麗なフォーンテック岬をかわし、
     ナイハンビーチへ入っていく。
     西側の山の斜面にへばりつくようにリゾートがあり、景色の良い所である。
     既に沢山のヨットがアンカーを降ろしている。
     ここは、シャロン湾より水は綺麗で、ホワイトサンドとまではいかないが、きめの細かい
     ベージュの砂のビーチが1Km程続いている。
     リゾートが数軒あり、こじんまりとしてプライベートビーチ的雰囲気があるためか、トップレス
     のオバアチャンやらオバチャンが多く皺になって、ダラリと伸びきったオッパイを見ると、
     損したような気分になる。
     若い女性はトップレスではなく、こちらの勝手な言い分ではうまくいかないのである。
     浜にはお決まりのレストランとみやげ売り屋があるが夜になると静かで打ち寄せる波の
     音しか聞こえてこない。
     夜にデッキの上で風に吹かれながら、ただ星をぼんやりと見つめている時間は
     最高に気分の良い時間なのである。
     ナイハンビーチ情報
     ナイハンビーチアンカーリングポジション;007-46-146N,09-18-174E
     海底はサンド、浜から200mで水深7m 500mで水深12m
     デインギーは浜へ引き上げるしかなく、場所は正面北の浜、
     波があるときは西に窪まった浜が良さそうであるが、そこからは坂道を10分位
     上がったり下りたりしながら歩かねばならない。。

     サウナ、インターネット、ミニマーケット、レストランは浜を揚がった道を直進
     池の周りを回りながらラワイへ行く分かれ道の辺りに固まっている。自転車で5分。

 16日 ナイハンビーチに上陸するにはデインギーを浜へ引き上げなければならないが、
     ここで我がデインギーの新兵器上陸用車輪が活躍する。
     浜に近づいた所で、車輪を水中に下げそのまま車輪が海底に当たる所まで乗り上げ、
     一気に浜まで引き上げるのである。
     一人では8馬力エンジンをつけては重くて無理だが車輪があればコロコロと引き上げられる。
     上陸すれば、折り畳み自転車を拡げて、近くのサウナ、インターネット、レストランへ行くのである。
     ナイハンビーチはシャロン、カタ、パトン等より田舎なので店は道端にパラパラしかない。
     我がヨットライフにサウナ、インターネット、レストラン、ミニマーケットがあれば、
     全く問題無いのである。
     今日も、サウナに行き、タイレストランで夕食を食べて戻ってみると、賑やかで人が沢山いる。
     舞台を作り、小学生の女の子が伝統的タイダンスを踊っている。
     化粧をし、綺麗な民族衣装を着て、手に蓮の花を持って踊るので可愛いのである。
     その後は、歌手による生ライブである。
     看板を見ると、”ナイハンビーチ2005年ハイシーズンプロモーション”と書いてあるので、
     ここナイハンビーチも、他のビーチの様にメジャーを目指そうと言うところである。
     色んな料理が机に置いてあって無料食べ放題であり、飲み物だけお金を取るようである。
     普段静かなこのビーチも今日は夜遅くまで音楽がなっているのである

 18日 正月一時帰国の為、再度遊帆UFOをシャロン湾へ戻し、アンカーをもう一つ3m位の
     チェーンで直列に繋いでアンカーを降ろし、チェーンもたっぷりと出す。
     今までの経験ではアンカーを並列に打つと、潮の流れやら風の為に船が回転するので
     チェーンが絡まりながら巻いていき最後にはチェーンが短くなってアンカーが抜けてしまうので
     直列の方が安全なようである。
     後は盗難対策だが、決め手は無い。
     小さい電灯をつけて船内に人がいるように偽装するくらいなものである。
     後は得意の運に任せるだけである。
     ”ユキさん、22日の朝の飛行機でプーケットから帰るし、21日泊めてか。”
     ”22日朝は、バイクで飛行場まで送ったるわ。”
     ユキさんが陸にいるお陰で、私は大変助かるのである。
     夜には、近くの原っぱでナイトマーケットがオープンしている。
     服、靴、スリッパ、髪飾り、装身具、CD,、野菜、果物、おかずと何でも売っている。
     オハギとボタモチ大好きな私は、ココナッツ入りもち米を蒸したタイ風おこわを買って帰る。
     今月に入って殆ど動けなくなった愛犬ジャックは、未だ奇跡的に生きている。
     私が23日朝家に帰るまで、生きているだろうか。

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