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64番 乾季に変わり出港 2004年10月20〜11月7日
10月19日 トバ湖から帰ってくると、雑用に追われる。
食事の支度に後片付け、食材の買出しに、洗濯、掃除、インターネットカフェと1日が忙しい。
ここのヨットハーバーの1ヶ月毎の契約終了日20日が明日にせまっている。
明後日クオさんのビーチでビーチングをして、船底掃除をしランカウイからプーケットへ
向かう積りである。
Lha3と、ユキさんは日本から22日に飛行機で出発し それぞれランカウイとプーケットに到着するらしい。
モスリム社会のマレーシアにあって、ここペナンは開放感があり、食べものは旨い所が沢山あるし、
食材は何でも手に入るし、あらゆる事に不自由が無い気に入りの場所であるが、長く同じ所にいると、
根がはえそうなので出港することにした。
今は、モスリムの人々はラマダン中で、モスリムレストランは昼間は店を閉めている。
ペナンはまだましだが、ランカウイに行けば、昼間は半ばゴーストタウンのようである。
中国系の人々は、九皇帝祭りとかいうベジタリアンの期間中である。
プーケットではほっぺたやら舌に金串を突き刺して町を行進するが、ここペナンでは
その様なイベントは無く、ベジタリアンフードの屋台があちらこちらにオープンするのである。
その為かどうかは分からないが、今日は鴨ローストでパーテイをしようと、得意の店に行ったが
休みである。
クオさんの所へいき、漁師から渡り蟹のような、殻の柔らかい蟹を3KG約15匹程を買う。
Issacの黄さんに半分渡して、料理を頼み、残り半分は私が料理する。
中華風でチリソース炒めと蟹肉入りオムレツをつくる。
Issac夫婦、ネッシーさん、それにk.P.Chinの5人でパーテイである。
遊帆UFOの前を通る奴は声を掛けて引っ張り込む。
そういえば、昨日もポテトサラダを作りすぎたので急遽パーテイであった。
なんだかんだと理由をつけては、パーテイを開いているがパーテイといっても
自分勝手に酒飲み会と言う感じなのである。
20日 隣のスエーデンヨッテイ、イメイルが長い間草刈原動機付き自転車を作っていたのが、
完成し今日テストドライブをした。
エンジンを始動すると直ぐにクラッチが効きだしエンジンに負担がかかってストップするが、
暫くエンジンを温めた後は、連続して動くようになった。
私も、試乗してみると、スピードは約時速20kmで、快調に走っている。
動力伝達システムにチェーンを使用し、歯車の比でスピードをこのスピードにしている。
音は結構大きいしもしタイヤがパンクした時の修理が面倒そうである。
電気モーターで動く自転車は音はしずかだが、バッテリーの問題がある。
船と同じで全てに良いものなど無いのである。
”イメイル、未だ 改良の余地があるな。けれど 私の自転車にもつけようかな?”
”オバタ、あんたは 運動の為そのまま足で漕ぐのがいいと思うよ。”
その通り、私の場合は高血圧と太りすぎの為、運動しなければならないのである。
発案者イメイル 動力伝動システムに苦労したらしい。
21日 ハーバー繋留契約満期日であるが、グズグズと今日も出港せずにいる。
水が使える間にと思い久しぶりにデッキを洗剤で洗い、セールをセットすると、疲れてしまって
レージーナ私は、出港を明日の朝に変更するのである。
水と電気を不自由なく使える文化的生活から離れられないのである。
人間とは何て横着な動物なのであろう。(私だけかもしれないが)
明日の朝は出港しようと、心に決めて、ネッシーさんと李さんと酒を飲む。
ネッシーさんが、どこかで 九皇帝祭りのイベントがあるのを聞き込んでくる。
”明日夜8時が祭りの最高調で、トランス状態の人を先頭にパレードがあるらしいで。”
”それじゃ、見に行かんとあかんな。”
”このベジタリアン祭りの間、普段使っている鍋やら食器は使えんらしいので家で食事は作らず、
屋台で買い求めるらしい。 けど 値段が普段の1.5倍位高いので この期間中に半年分位は
儲けるらしいで。”
成る程そういう事なら去年プーケットのベジタリアン祭りの時、ステンレス製の3段重ね弁当箱を
みんな持ってきて買い込んでいたのが納得できるのである。
私は、カーニコバル島に1ヶ月漂着してからベジタリアン料理は好きである。
私は九皇帝祭りは、中国の祭りだと思っていたが、新聞を見るとインドヒンズー教の神様を祭っていて
インドから伝わったものらしい。
インド人と中国人は見た目、考え方、生活習慣等随分違うのだが、両極端の最後の部分で
どこか共通点があると思っている。
インド人も中国人も他国で、それぞれの社会を作り、その土地に根を降ろしながら、固有の文化は
頑固なまでに守っている。
そうでありながら、共存し、交じり合って生活している。
純粋培養の日本人は、自分との違いを区別し、最後には差別する傾向がある。
誰も彼もが同じであまり違いのない、又は 差の無い中ににいて安心感を覚える様である。
22日 朝9時、舫を解き皆さんに押したり曳いたりしてもらいながら、狭いハーバーから出る。
出港までは、何か億劫な感じがするのに、一旦走り出すと何ともいえない新鮮な気分になるのである。
そろばんでいうと”御破算でねがいましては”といって玉をクリアーにした気分である
ハーバーから2km程南の クオさんのジェッテイの前にアンカーを降ろす。
水と電気が不自由なく使える文化的生活とはお別れである。
今日から、ソーラーパネルだけで 冷蔵庫が使えるかテストである。
計算では ソーラーパネル50wが3枚で日中約6〜7アンペア流れている。
冷蔵庫が約5アンペア消費するので、日中はスイッチをONにし、夕方からOFFにして使えるだろうと
考えているのである。
冷蔵庫があれば、買い物も随分と楽になるし、料理を作るのも食材を保存出来るので楽である。
クオさんの前で五時頃漁師が漁から帰ってくると、そこで直ぐ卸売りをするのである。
見に行くと、蝦とスズキがあるので、今晩のオカズに蝦5匹とスズキ3匹を買おうとすると、
金を受け取らない。
有難くいただき今晩のオカズにと塩をして残りは一夜干にしておく。
中国の九皇帝祭りが今夜最高調となりダシ船を海へ担ぎ出すイベントがあるらしいが、アンカーを降ろすと、
夜出て行くのが、もっと面倒なので速く寝る事にする。
23日 朝、太陽の弱い間にジブファーラーの修理を始める。
今使っているタイプは、ベアリングを使っていないので、時々掃除をし、グリスを塗らないと、
固まってしまうのである。
綺麗に掃除をすると、軽く回り問題無しであるが、1年もすれば又掃除をしなければならないだろう。
白人系ヨッテイーはハーバーに船を繋留していても、毎日修理やら、掃除やらと船に手を掛けている。
私も彼等を見て、反省し面倒がらずにしなければと思いながら、まあ、明日にしようと、1日伸ばしに
伸ばしていき、そのうち忘れてしまうという横着さである。
ファーラーの修理を終って桟橋に行くと、漁師が漁から帰ってきて、網を捌いているので手伝う。
1網200m位の長さがあるだろう。
この網を海底近くに沈めておいて、次の日位に引き上げに行くのである。
大きなシャコ約20cmが5匹に蟹2匹 イカ少し、スズキかコハダの様な魚が5〜6匹がかかっていた。
その他、ゴミが沢山ひっかかっている。
カンポン(水上生活家群)からでる大量のゴミの為、ペナンの海はゴミだらけである。
”オバタ、シャコ 今晩のオカズに2匹持って行け。”
”アリガトウ。いつも 貰ってばかりで悪いな。所で 私は蛸が好きなんやけど蛸は取れんのか?”
”この辺の海底は泥やから、蛸の住処が無いからめったにいないよ。その代わり今晩から明日位、
蟹のいいのが取れるで。”
成る程、海底が岩場の所だと蛸がいる可能性があるらしい。
私は、釣りは全くダメだが、網漁だと私も漁師になれそうであるが、網の始末、修理、降ろしたり、揚げたり
大変、重労働であるので、レージーな私に出来るだろうか等と考えながら、やっぱり 漁師を釣る方が
良いかな等と思いなおすのである。
24日 午前11時 船底掃除の為ビーチングする。
ネッシーさんはビーチングはじめてなので、遊帆UFOに同乗してやり方の見学である。
満潮から少し引き時に後にアンカーを落とし後は惰性で浜に乗り上げるだけである。
乗り上げてからが大変で手袋をし、スクレーパーとタワシをもってひたすら貝落としをするのである。
モノハルの2倍以上の面積があるので、3時間は泥の中で格闘しなければならない。
去年、カンタンで船底塗装をしたのに藤壺はビッシリとついている。
カタマランなのでどこでもビ-チングして船底掃除ができるが、モノハルだと上架設備のある所でないと
できない。
琵琶湖の船(湖族の末裔)は10年以上前に上架して船底塗装をしてから一度も上架したことが無いが
綺麗なものである。
ほったらかしにしておいても、いつでも直ぐエンジンはかかるし、錆もなく、やはり海水と淡水では
船の傷みがこんなに違うものなのかと感心する。
藤壺がついていると、速度は目に見えておちるが、これでランカウイ、プーケットへは、気持ちよく走るだろう。
久しぶりにマレーシアの英字新聞スターを見ると、日本の台風23号と地震のニュースが載っている。
今年は、特に台風が多いし、地震もあるという天災国日本である。
ここマレーシアやタイの温暖で天災の少ない国にいると、同じ地球上でも随分差があるものである
と実感させられるのである。
北海道から沖縄までクルージングしていた時の天候と海象の悪さを思い出すと、怖いもの知らずで
勢いで走っていたが、今考えると、再度行く気がしないのである。
25日 デインギーの上陸用車輪の揚げ降ろしシステムがアルミニユームで作られていたが、8馬力の
エンジンの重さに耐えられず壊れてしまった。
今日は、その部分をステンレスで作ろうとあちらこちら探す。
ステンレスの門扉を作っている工場で問い合わせてみると、ステンレス材料が適当なものがあり、
工場のオニイチャンに説明をしながら切断、切り込み 穴あけ 溶接をしていく。
丁寧な仕事をするオニイチャンで、出来上がりは満足いくものであった。
アルミと違い重いが、めったな事では壊れそうにない。
価格も2セット作って120rmと安く有難かったのである。
昼食を食べに近くの屋台が沢山集まっている茶室に入り、各屋台を覗いていく。
大体は、今まで食べた事のあるものだが、今日は 芋飯と書いてある屋台が目に付いた。
50歳位の変に愛想の良いオッサンと、娘らしき全く愛想のない芋ネエチャンの2人でやっている。
芋飯は色が茶褐色で芋が入った炊き込みご飯で、ちょっと歪な芋飯を盛るにふさわしい茶碗に
入れて、先程の芋ネエチャンが無愛想に運んできてくれる。
この芋飯にはオッサンの内臓煮込みスープがセットになっていて、こちらは変に愛想の良い
オッサンが、ニコニコしながら持ってきてくれる。
帰り道にヨットハーバーへ寄ると、ネッシーさんはボルボの代理店の修理担当を呼んで、
冷却水がリザーブタンクにオーバフローする修理にかかっている。
もう、長い事この修理にかかっているが 未だにはっきりと原因をつかんでいないようである。
Issacの黄さんが、日本からランカウイに戻ったLha3 金田さんから電話あったと言い、掛け直してくれる。
”船に戻ったら、バッテリーが揚がってしまって、船で寝れないので、ホテルに泊っていますわ。
いつ、ランカウイに来ます。”
”もう直ぐ、そちらに行くからね。”
電波の状態が悪いのか、途切れてよく通じないのである。
26日 デインギーをビーチングして、昨日作ってきた上陸用車輪の取り付けにかかる。
テストすると丈夫でしっかりとしていて、揚げ降ろしもワンタッチで簡単にできる。
これで、浜のある所に上陸する時は、軽々とデインギーを波の来ない所まで曳っぱっていける。
二人でクルージングしている人は、両側を二人で持って行けるが、シングルハンドでは
引きずる事しか出来ないので、一人身の私には、これも必需品である。
遊帆UFOは今や修理する所もなく、いつでもどこでも行ける状態である。
午後2時ごろ折り畳みテーブルを買うのに、クオさんの車に乗せて貰ってショッピングに行く。
途中、道端でしゃがんで靴修理をしているオッサンの所に止まり、自分の靴の修理を頼んでいる。
もう何年も使い古しているようで、靴修理のオッサンは、これ以上修理したら小さくなるから
出来ないと言っているようで、クオさんはそれでも諦め切れないように靴を何度も見ている。
私の、スリッパはビーチングした時泥の中に埋まり、足を抜くのに何度も無理をしたので、
鼻緒の部分が取れかかっている。
ついでに、靴修理のオッサンに頼むと、錐の先が引っ掛け穴のある道具で突き刺し、糸を
掛けて、引き抜き縫っていく。
厚手のセール等を縫う時に良い方法なので、この道具と、縫い方ノウハウをしっかり盗見して
頭の中に入れてしまった。
午後4時頃、クオさんとマルガリータを作ってチビチビと酒を飲んでいると、黒雲が出てきた。
この季節は、夕方いつも1時間程、一雨嵐が来る決まりになっているのである。
多分、11月になると、この決まりもなくなり、北西の風が常時吹き出すと思うので、
ランカウイに向かうのは、その頃にしようかと思っているのである。
上下に切り込みを入れ車輪をワンタッチで固定できる。
上部にあるときはタイヤの重みでロック、
下部(水中)にあるときはタイヤの浮力でロック
28日 久しぶりにクオさんのレンタバイクでガマスーパーマーケットに行く。
私の知っている所は、ガーニー通りのガーニープラザ、ここは外国輸入食材(勿論日本食材)も
豊富に揃えていて、品質も良いが値段も良いのである。
コムターの近くのガマスーパー、ここはかってはヤオハン経営であったのが倒産後身売りした所らしい。
日本食材もあり買い易い。
ハーバーから南にマクロスーパー、ここはインド系倉庫型スーパーで量は豊富ながら種類は少なく、
品質も良くない。
まだ、南にジャンブルスーパー、ここはこれと言って良い物もなく、レジーが少なく支払いの行列ができる。
ペナン大橋を渡るとカリフォースーパー、ここはフランス系スーパーらしいが、遠い為めったに行かない。
結局、買出しはガマと言う事になるのである。
プーケットに行くと手に入りにくい、麺つゆ、キューピーマヨネーズ、佃煮海苔、濃縮レモンジュース、
味噌等を買いだめする。
現在、繋留しているクオさんの所は魚、蝦、蟹は漁師が取ってきて、仲買人に卸すのを買うので
新鮮なのだが、魚1匹だけとかいうと、お金を受け取らないので、多目に買ってしまう。
そうなると、干物にするので結局新鮮なのは、買ってきた日だけという事になる。
考えてみると一人身生活は、勝手気ままで好いようだが、二人生活というのが無駄も無く
楽しいに違いないのである。
今日も、4時頃から、激しい雨が降ってきた。
遊帆UFOはデッキに降る雨は、両水タンクに集められるのでこの頃は洗い水に不自由しない。
電気もソーラーパネルを増設してから、充分過ぎるほど充電してくれる。
ここは、氷の塊が1rmで手に入るので、氷と電気の併用で冷蔵庫を使っている。
解けた氷は飲み水に使っているのである。
29日 高血圧と肥満解消の為、出来るだけ自転車でどこでも行くようにしている。
今日は、マクロの近くの洗濯屋とインターネットへいき、お昼に琵琶鴨を食べる。
鴨は高血圧に良くないらしいが、ここの鴨は美味いのでそんな事は言ってられない。
普通の鴨より少し大きめで、焼き方に特徴があって、他の店の鴨は焦げ茶色だが、
この鴨は飴色をしていて、形が成る程楽器の琵琶に似ているのである。
食後は、ジョージタウンまで自転車を頑張って漕ぐ。
チュリア通りのLiang Tarucoという化学薬品専門店に行き、Pmosphurie Acidというものを買う。
この薬品は、ステンレス、鉄等の錆に塗って2〜3分すると、溶かして綺麗にするというものである。
ヨーロッパ系のヨット(Eniguma)が毎日ステンレスに何か塗っているのを Issacの黄さんが
目ざとくみつけて、チョット分けてもらいテストしたら中々の優れものであるという事で教えてくれたものである。
1L程入っていて、この薬品と水40:60で使うようにとの事で、8rmであった。
帰り道、さすがに疲れて、Issacでお茶を3杯飲み、ネッシーさんの所で缶ビール2本飲んでしまった。
時間は4時近く、黒雲がモコモコと湧き出してきたので、黒雲と自転車競争で遊帆UFOまで帰る。
船に着くやいなや、バケツをひっくり返したような雨と25ノット位の風が吹く。
しかし、30分もすれば又晴れるのである。
血圧計で計ると、朝は180、110であったが、140、90と随分下がっていたので明日も頑張って
何処か自転車で走り回らなければならないかな等と考えているのである。
30日 今日はする事もないので、クオさんの所でブラブラしていると、
”オバタ、昼から漁に行こうか?”
”暇やし、手伝うで。”
一度、ブライアンとインさんが網をあげるのを手伝った事があるが本格的な事は今日が始めてである。
午後1時過ぎ、網の準備をして、クオさんが自分の漁船で、遊帆UFOにやってくる。
まず、1度目の網降ろしである。
潮の流れに、直角に網を降ろす。
網は上部が浮きが付いていて、下部に重りがついていて、水面から水深2mくらいの所で約2m程の
網が開く仕掛けで、長さは300m位ある。
ここと思うところで、最初のブイを降ろし船を後に下げながら網を交差させない様、即ち縦に開くように
注意しながら、ブイと重りを投げていく。
30分程して引き上げにかかるが、今度は2人で上部と下部を平行に引き上げ絡めない様に
しなければならない。
最初の網は、思ったほど取れなかったので、場所を変えて、ペナン大橋の南側で2回目の網を降ろす。
今度は、大漁である。
私はスズキと思っていたが、ここではスナッパーといって高級魚になるらしい。
クオさんは スナッパーを見ると、
”ウェルカム、マイフレンド”
と言いながら、ニコニコ顔である。
この形の良い30cmもありそうなのと、鯖20cm位 小あじ等、沢山かかっている。
もう一度少し場所を変えて網を降ろす。
今度も、沢山かかっている。
合計、4回網を揚げ降ろしすると、50匹以上、取れすぎる位に取れたのである。
網の降ろす位置が大変重要で、水深と関係があるということが分かった。
水深5m位の所で 網を降ろすと、海底から1〜2mの所に2m程の高さで網があるので良く取れる
理屈ではないだろうか?
水深が深ければ、魚も散らばって泳いでいるのでかかりにくいようである。
潮流の大きい時が良さそうで、後は運次第という事になるのである。
桟橋に体を洗いに行くと、いつも出会う漁師達が
”オバタ、グッド、漁師OKよ。”
”私は、網を降ろしたり揚げたりしただけよ。クオさんが漁場を決めたんよ。”
とは言うものの、自分でも漁師になれるかな等と考えるのであった。
31日 10月も、今日が最後で今年も、たったの2ヶ月を残すだけとなってしまった。
いつの間に、こんなに日が経ってしまったのか、年が行くとドンドン速く月日が過ぎ去り、
最後の日にまっしぐらに、急いで走っている様である。
昨日、タイの南部(スンガイ、コーロク)でモスリムの反政府勢力が爆弾を2回爆発させ、
多数の死傷者が出た。
タイは仏教国でマレーシアはモスリム国で国境は両方が混じっているのである。
今日も運動をかねて、洗濯屋、インターネットカフェへ自転車で行くが、日曜日の為
どの店も閉まっていた。
途中、マクロスーパーの前にヒンズー寺院が新しくオープンしたらしく、綺麗なサリーを着て、
額に赤い印をつけたインド女性がサリーを風になびかせながら歩く姿は美しく、一度絵に書きたいと
思っているが、知り合いのインド女性がいる訳でないのでモデルにもなってもらえない。
色黒の肌に黒髪と彫りの深い顔立ちに大きな目が印象的である。
特に若い女性はスタイルも良く、顔と頭が小さめの為非常にスマートに見えるが、
オバサンになると、急に横幅が出てきて、ノシノシと小型の小錦が歩いているように
見えるのである。
女性は恋をする間は、美しくなる為には、修行者の様にダイエットも平気でできるが、
一旦、美味しいもん食べる方がエエモンネ、等思い出すと、台所にいるだけに止めようがなくなる。
インドは、砂糖消費大国で、菓子類とミルクテイー等、砂糖を沢山使う為ではないだろうか。
今日も、門前屋台に赤やら黄色のインド菓子を売っているが、兎に角甘すぎて食べられない。
ヒンズー寺院は屋根から壁いたるところに神様の像があり、多神教である。
釈迦もマホメットもキリストも神様の一人で全て取り込んでしまっている。
こうなると、私だけが、唯一絶対の神様よ、と言っても、そうそう、あんたも神様、私も神様で
喧嘩にならないのではないだろうか。
次世代、新宗教は多神教か無神教がはやるに違いないと独断と偏見で決め付けている。
小象も、額に赤い印をつけてもらい盛んに鼻を上げたり、人から触られたりしてイベントに
一役買っている。
実は、私も中を見学したかったのだが、椰子の帽子に、赤のバンダナ、赤の半袖シャツに、
半パンツという私の定番格好ではあまり目立ちすぎて、お前何しにきたんや等と言われは
しないかと、気弱になって外から眺めるだけにしたのである。
11月3日 遊帆UFOは今クオさんの桟橋の近くにアンカーを降ろしているが、水ダンクが
空になりかけている。
その為、雨を待っているのだが、この間までバケツをひっくり返した様な雨が
午後に必ず1回は振っていたのに、ここ2〜3日はショボショボの雨しか降らない。
遊帆UFO船体のペイントの剥げた傷をゲルコートで塗って修理していく。
そんな事をしていると、ネッシーさんが桟橋から私を呼んでいる。
彼の船(URIZIN 沖縄地方の言葉で春一番に吹く風の事らしい)が窓から
水漏れをしているらしい。
その修理の為、町中探し回ってSIKAFLEXを探してきた。
彼は、良いマーケットを見つけてので、今晩、何か買ってきてパーテイしようという事で、
ジョージタウンの町の入り口あたりにあるマーケットへレンタバイク二人乗りで行く。
マーケットは、新鮮な魚介、野菜、果物。豚肉、鶏肉、牛肉と食べる物は全て揃えている。
このマーケットは午後から始まるそうである。
”それじゃ、豚肉を買って、Issacの黄さんに頼んで韓国味噌を作って貰ってサンパブパーテイ
にして、それに、蝦が新しいから、これを蒸して、唐辛子醤油で食べよう。”
サンパブとは、豚肉を焼くだけで、色んな野菜に味噌をつけ巻いて食べる韓国料理である。
URIZINでいつもの4人で食べていると、向かいの船でヨーロッパ系のヨッテイーが集まって
話をしながら酒を飲んでいる。
エニグマのルースがこちらを見ているので、蝦と豚肉を見せるとURIZNへやってきた。
彼女は、箸を使えないのでIssac黄さんが持ち方を教えている。
モヤシを箸で取って食べようとするのだが、中々取れない。
暫くして夫のマーチンもやってきた。
URIZINのボルボエンジンの問題点を話し合い、その次は自国の年金制度のいい加減さと
税金の高さを英国、韓国 日本と比べ何処が一番酷いか自慢しあうのである。
最後結論はだから、我々ヨッテイーは自国では住めないのでいつも海の上という所に
落ち着くのである。
エニグマ夫婦は3人の息子がいて、夫婦2人だけヨットに乗っている。
ルースは年末には若いオバアチャンになるそうで嬉しそうである
年は未だ47歳だそうである。
マーチンは英国へ帰ると、水道配管技師らしく時々帰って仕事をしながら又船に戻って
クルージングを続けているのである。
手に技術を持っている人はすぐ仕事が出来てよいが、私等何もできないのでどうにもならない
粗大ゴミになってしまうのである。
4日 ネッシーさんの船URIZINの窓からの水漏れ修理にIssac 李さんも手伝いに来てくれる。
外したシリコンが綺麗に取れないのを見て、李さんが ガスケットリムーバー
というものがあるとの話なので、ジョージタウンまで探しに行く。
何軒も回ってやっと見つけたが、缶が錆び付いている。
”オッサン、これは古いしダメ、新しいのを持ってきて。”
オッサンは長い事奥で探していたが、戻ってくると
”在庫無しね。これだけ。 来週月曜日にもう一度来て”
”じゃ、これ一応買って帰るは。”
持ってかえって使おうと思っても、頭のスプレー部分が錆び付いていて出てこない。
酷いモンで、これは、返品である。
昼から、待望の雨が降ってきた。
水タンク8分目位が貯まったので、非常事態給水制限解除である。
インターネットカフェでメールをチェックすると、Lha3金田さんからいつランカウイに来るか、
首を長くして待っているとの事である。
又、日本からベトナム経由で雪風という船がランカウイに到着するという情報である。
このルートは行き来するヨットが少ないので、ベトナムへはヨットの入国は出来たのか、
またカンボジャでは如何だったのか欲しい情報である。
Issacも潜って、プロペラのカバーを外しているので、どうやら動きそうだし、
Urizinも来週までには、エンジン修理は終るだろう。
オーストラリア夫婦、マーチンとロンダと喧嘩ばかりしている男の子2人もテナガに未だいる。
ランカウイのテナガヨットハーバーを我軍団で占領しようとの事である。
7日 時々、タイヤがパンクした様な大きな音がする。
”クオさん、時々夜中にも大きな音がするけど何かね?”
”来週11日にはインドの大きなお祭り(クオさんの説明では正月という)があるし、
ラマダンも終るのでファイヤークラッカーを鳴らしてる。
ただマレーシアは禁止されているけど、タイから入ってくるんだ。”
そういえば、船の進水式にも爆竹を鳴らしながら出て行くし、祭りと爆竹は切っても切れないらしい。
”今日、ランカウイからプーケットに行きますわ。長い事世話になったね。 又、今年の末か
2月頃かに戻ってくるからね。”
エンジンをかけ、アンカーを揚げ、ユックリと離れて、ペナン大橋を渡ると、ジョージタウンである。
今日は、ジョージタウンで飯を食って明日に行こうと思い直し、波の入ってくる港の横にアンカーを降ろす。
デインギーで中国人水上家屋(カンポン)の桟橋に揚がる。
海上に家を建て、板張りの道路を作っているが政府からの要請であろう、いたる所に
ゴミ箱が設置されていて、他のカンポンの様に海がゴミだらけという事は無く比較的清潔である。
夕方、リトルインデイアへ行く。
この時間帯(夕暮れ)にここへ来るのははじめてである。
昼間より、人が多く、家族連れが多い。
通りからは、インドのチャカチャカという音楽と共に男女掛け合い歌が大音量で流れてくる。
線香の匂いが漂ってくる。
若い女性はフェイクタトウ(消える刺青)を手や腕、足等に道端でしてもらっている。
何処の国の若い女性も、オシャレには熱心である。
只、日本の様に ファッションメーカーからの押し付けで横並びで同じ格好、同じ化粧をするのではなく、
インド伝統ファッションのサリーの色と柄を個性的に選らんでいるので、目に鮮やかに写るのである。
沢山の屋台が出て、各種カレーに、お菓子類、カレー入り揚げ餃子、等を売っている。
ヒンズー寺院では、沢山の人がお参りをし、その横では、子供が小さな箱を持ってお金を
せがんでいる。
男の子が着たので20セント硬貨を入れてやる。
それを見て今度は女の子がやってくるが、10セントしかないのでそれを入れてやると
顔をしかめもっとというのである。
インド社会は上下貧富の差ははっきりとあり、日本社会の平均、どんぐりの背比べ社会ではないのである。