トップページに戻る                                                                 
目次に戻る
前のページ(第110番 寒い日本)

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中


                第111番 ペナン風景2010       2010年1月

ペナンに戻る
関西空港ではJALの行く末が決まる日のはずで、JAL職員もどこか緊張しているように見える。
今回はタイ航空だが、日本航空の便名も付いている。
5時間程でバンコック空港で乗り換えで3時間程空港内をうろつく。
関空とバンコック空港を比べて人の多さがまったく違うのである。
日本の位置も欧米路線上にある為24時間使えない空港では韓国仁川空港に負けるのは当たり前である。
空港内の設備、便利さ、発着料の安さ等、島国日本の玄関がこのようでは話にならない。
お上に組み込まれた企業に将来がないのは、今までいくつも見てきているはずである。
最近AIRASIAという格安航空運賃の航空会社が日本に乗り入れの話があったが立ち消えになった様である。
お上の言う事を聞かない航空会社は日本への発着は認められなかったのではないかと勘繰りたくなる。
タクシー料金でさえMKタクシーが値下げ申請をすると他の関連運輸に影響があるとの事で認められていない。
このように、航空運賃が下がれば、JRを下げなければならない、その他も競争になる、企業が儲からないと税金が入らない、というお上と企業が組んでの仕事、江戸の昔から変わっていないようである。
日本の観光産業育成には日本入国ビザが大きな問題である。
日本では欧米のお客は歓迎でアジア各国にはビザの審査が厳しく、旅行日程も組む事はできない。
近隣の海外お客が日本に入国できないのに観光事業が発展するはずが無い。
日本の地方の文化、風景、温泉等海外から見て魅力的な場所は沢山ある。
日本は未だに鎖国状態である。

タイバンコック空港内

かき氷はどこから来たか?
表題に大げさに書いてはいるが、かき氷は今は日本ではあまり見慣れない。
ここマレーシア、フィリッピン、インドネシアでは立派に単品で売られて商売が成り立っている。
マレーシア、インドネシアでは名前はアイスカチャン、フィリッピンはハロハロだった。
かき氷の機械は日本のかき氷機そのままである。
密、かけるもの、トッピングが違っているだけである。
そこで私はこれは日本軍人が持ち込んだものではないかと推理している。
その他では温泉跡地は日本軍が作ったというのがはっきりしている。
このかき氷機械はクルクル氷を回しながら下にネジが降りて、刃の調節で氷のきめを調節して削っていくシンプルで優れた仕組みである。
私の子供時代は御馳走と言うと、新開地に出かけ豚まんを食べる事であったが、帰りの喫茶店で氷スイカを食べた味は今でも覚えている。
私の推理が当たっているかどうかは分からないが、人の殺し合いをしていた戦争中に、温泉を掘り、かき氷機械を持ち込んでかき氷を食べていたと思うと、少しほっと感じるのである。
  

間寛平さんは勇者
アースマラソンに挑戦している間寛平さんに前立腺がんが発見された。
下記のURLで彼の声でその動画が見る事ができる。
医者の見解ではマラソンを続けても良いそうである。
専門家の言葉を信ずるしかないが、それでもマラソンを続けたいという彼の意志の強さは素晴らしい。
最後に自分より重い病気の人に
「頑張ってください」
とメッセージを発信する。
この言葉と彼の生様に沢山の人が勇気付けられる事だろう。
http://www.earth-marathon.com/2010/01/14/

日本の町並みなら見えるものがペナンには無い?
写真はペナンのどこにでもある風景と言うか町並みである。
町並みの建物は古いし汚れてゴチャゴチャしているが、何かすっきりと見える。
日本なら町並みに必ずある電信棒がない。
電信棒がないから、電線も電話線もテレビのケーブルもかけられていない。
ハーバーの近くは開発されて町が作られているが、道の横の地下はトンネルになってケーブルを通している風景を見る。
日本ではメンテナンスが簡単な為なのか、電信棒に電線が張られていて、トランスがあり、そこから各家に引き込まれている。
最初は電線だけだったのが、電話線、光ファイバーケーブル等と重なってきて、空を見上げるとケーブルの塊である。
京都の古い町屋通りの空はケーブルだらけで残念に思っている。


南国の地酒(椰子酒)
酒はその土地の気候と手に入る原料から人々が知恵を絞って作りだしたようである。
日本なら、泡盛、黒糖酒、イモ焼酎、米酒、ビール等々。
モンゴルでは遊牧民の人たちが作る、馬乳をもとにしたお酒。
馬から搾った乳を酵母といっしょに樽に入れ、気長に攪拌するらしい。
味はヨーグルトのように酸っぱいらしい。
南国では何処にでもある椰子を原料にした椰子酒である。
椰子の木に登りやすいように階段状に切れ目を入れてあり、両手で椰子の木を抱えるようにして登って行く。
椰子の木の先端には花が咲きココナッツがなるのだが、その花を切り蜜を集める。
採りたては少し白身がかって甘い味だが、時間が経つと発酵して酸っぱくなってくる。
木に登って採りにいく努力はいるが、自然発酵するので手間はかからないし、何よりも税金も掛からない優れものである。
椰子の木により、天候により、採取時により味も違う。
呼び名はフィリッピンではツバ、マレーシアではトウワ、言語は違うのに酒の名前の呼び方は同じという所が面白い。
国は違い、民族は違っても酒を飲む人々は夜に焚火の灯りの元に集まり、楽しく喋りながら各地に拡がって行ったのではと考えるとほのぼのとした南国らしい平和な光景が浮かんでくる。

ペナンの本屋で
ペナンの本屋は椅子、ソファーが置いてあり
「どうぞ遠慮せずユックリ読んでいってください」
と言っているようである。
勿論、新しい本はビニールでパックしているものもある。
小説は紙本以外にDVDになっているものがある。
日本でDVDになっているのはあまり見かけた事がない。
私の様に年が行くと目が弱ってきて小さい活字を長い間見るのが苦痛になってくる。
DVDになっていれば、パソコン、テレビモニターで大きくして見る事もできるだろうし、見るのが疲れたら音声で聞くというような事も出来るのではないのだろうか。
何よりも紙の節約になるだろうし、製本も見込みである程度のロットを刷らなくても良いから、売れ残りリスクも軽減されればコストダウンにつながるのではないか。
良い事ばかりの様に思えるが、出版社としては著作権保護が心配な為にやらないのかもしれない。
インターネットが普及した今、文章の価値も厳しさを求められていてお金を支払ってまで読まれるだけの内容を伴った文章作りがなければ生き残れない時代になっている。
週刊誌、新聞等は同時ニュースという点から見ても、インターネットに負けそうである。
DVDにすれば新しい書籍(映像と音楽、音声付)の可能性があるのではないか。
等と、勝手な事を考えるのであった。

食事風景の違い
ペナンで食事をするのに、屋台の露天で人の目等気にせず食べるというのは当たり前である。
勿論、歩きながら食べると言うのも普通である。
日本食(割烹屋)では室内装飾が凝り、食器も料理に合うように選ばれたもので気を使い食べるという風景である。
中国系にもお茶に凝る人はいて、茶道具、お茶の葉も高い物がある。
しかし日本の茶道の様に形式ばっていない。
日本の食事、お茶にはどこか緊張感を伴う。
中華系では食事、お茶は美味しいとか楽しいとかが重要な事のようだが、日本はそれに奉仕精神というもてなしの心を込め、奉仕される側もそれに答える所がきわだっているように思える。
食事お茶を通じて心を伝えようとしている。
私はハーバー長屋でパーテイをするが、日本人は最初緊張感があり溶け込むのにしばらく時間がかかるが、その他各国の人々は
「じゃ、飲んで食べよ。カンパイ!」
という具合になる。
しかし、日本文化は変化するのも速そうで若者は手に缶ジュースを持ちハンバーガーをパクつきながら道を歩くというファッション?も取り入れているし、地べたにべったり座りこむギャルもいる有様である。
いつの日か日本文化は儀式化され、もてなしの心も同時にマニュアル化されたりするのかもしれない。

オット、危ない!
船に戻って1週間が過ぎ慣れ始めてきた、といっても、桟橋からひょいと乗るだけだが、船と言うのはデコボコがあって足をぶつけたり、頭を打って目から火を出したりするのが常である。
遊帆は船尾にテンダーを引き上げ置く為と、シャワー、洗い場の為に板をはってスノコ状にしてある。
スノコ状と言う事は隙間があるので、時々踏み外すのである。
今回大事には至らなかったが、それでもバランスを崩すと海に落ちる事になる。
去年だったか、周りに誰もいないようなので、ここで素っ裸で気持ちよくシャワーを浴びていた。
手ぬぐいが隙間から海に落ちた。
「しまった!速くとらないと沈んでしまう」
と腹ばいになり、手を伸ばした。
体半分を海面に出し、もう少しで届きそうである。
もう少し、と再度体を乗り出すと、そのまま腹の皮をこすりながら、頭から海へまっさかさまに落ちて行く。
普通、船は海から上がれるようにステップがあるが、係留していてまさか海に落ちる事は想定していない。
その為、上で縛って固定していて下からは降ろして登れない。
パンツははいていないので助けを呼ぶこともできないし、それより誰かが来る前に上がらなければ、私のハーバーでの評判はガタ落ちになる。
腹の皮は赤くなっているし、クラゲはいるし状況は最悪である。
ポンツーンにも船にもステップが無いと殆ど一人で上がるのは難しい。
この状況下で私は慌てて、しかも、あせって考えるのであった。
足をかける所がなければ、上がれない。
それは舫いロープしかない。
力は最初の1度目で失敗すれば次は力が弱くなっている。
ポンツーンは藤壺がびっしりついていて、裸足の足が当たれば傷だらけになる。
舫いロープに手をかけ、1回勝負で体力の全てを振り絞って体を持ち上げポンツーンの端に足をかける。
何とか足はかかったが、体の重みで頭が海面に触れるぐらい下がってくる。
頭がしたで足が上の状態から、じわじわとポンツーンの真ん中に体を持っていかなければならない。
舫いロープはぶらぶらである。
最初は上向きに全てお天道様の下丸出しで、今人が来たらどうしようと焦るが、ここで焦って落ちれば2度と上がれない。
膝辺りまで持っていった所でお尻を上にして動き易いようにする。
この状態で人が来たら、大きなタコかクラゲがポンツーンに張り付いているように思い吃驚して大変である。
何とか体を半分ポンツーンまで戻し、手もなまっているのに素早く船に戻りパンツをはく。
ラッキーな事に誰にもこの情けない姿を見られる事はなかったのである。
この後、ステップは海から降ろせるように、シャワーはパンツをはいてするようにしている。
海の男達!こんな失敗をしないように海から上がれるようにステップの準備を、パンツもはいてね。

  足踏み洗濯機

船の修理
我が遊帆(UFO)は今は浮かぶ家(フローテイングハウス)と呼んでいる。
去年、ドライブを外しているので自力走行はできない。
そのドライブを今日修理したのである。
だからと言って動く気は今の所はない。
琵琶湖にいる友人に廃船して欲しいと頼まれている船は無いか?と聞いている。
その船で海外へ乗って出ようという考えである。
小さい方が面白いかも知れないが、やはり30ftは欲しい所だ。
例え手に入ったとしても、日本海域を離れるまでが小型船舶法の安全装備という項目に引っかかり一苦労する事になる。
海上安全の為という大義名分でいつの間にか日本のヨットは安全装備と検査にお金のかかる様にさせられてしまった。
その安全装備も日本小型船舶協会の認めたものだけという事であり、日本の小型船乗り達は甘い汁を吸われているのである。
20年程前は小型船舶免許も安全装備も無かった筈だが、日本小型船舶協会とはいつの間に誰が作ったもので、どこの天下り受け皿なのであろう。
日本の官僚はこの辺りの仕掛けから仕組み作りは世界でもトップクラスである。
数年前に韓国も見習ったのか、同じ方法で反発の無いように最初は試験無で免許を与え、以後数年毎に更新料を取リ、今度は更新期間を短くし、更新料も理由をつけては値上げするという、全く日本と同じ事を始めた。

追記: 航行区域と安全装備の質問に
沖縄までは沿海航行でも臨時航行許可申請とお金(たった1枚の紙に12000円程10年位前)を払って近海航行を取れば行ける筈です。
但し何故か1ヶ月間の有効期限付き(消臭剤のよう)です。
台風が来ても効き目の切れない1カ月以内に通過せよという事です。
屋久島ー奄美 沖縄―宮古島は法律上の距離からするとライフラクトは必要です。
しかし、近海航行でもライフラクトがいらない(屋久島ー奄美)といる(沖縄ー宮古)になります。
何故かと理由を聞くと、但し書きがあり
「但し、1時間で抜けられる航行区域はラクトはいらない」
と言う事でした。
この1時間に何の意味があるのか、人をおちょくったような条文ですね。
そして、日本船舶協会が認めたライフラクトでなければならず、外国産は認めないというものでした。
この辺りで、切れて大喧嘩しました。
他にイーパーブ、無線?等いるのでは?
日本を出るまでが難しいですね。
堀江さんの言葉を思い出します。
「一番恐れたのは嵐では無く、海上保安庁だった」
と言う様な意味の言葉だったと思います。
本来自由で何の線も無い海原に線を引いて関所を作り通行許可とお金を支払わなくてはならない日本海域です。
どこの海でも海に出れば自分だけが頼りです。
日本のヨットマン&ウーマン、海本来の姿、自己責任で広い自由な海で風を受けて走りましょう。

ニラ饅頭を食べて(新順利茶樓)
昨夜は遊帆(UFO)で炭火をおこし韓国食品店で薄切り牛肉(チャドルペギ)と真露焼酎を買ってきて、李&黄さん夫婦とSAMで食事をした。
その流れで今朝は半島側のニラ饅頭を食べに行く。
米粉を餅の様に練りヘラで一気に平たく伸ばし、これに豚肉とニラを炒めた具を乗せ包んで蒸しあげる。
食感と味が抜群で、ニラの為栄養も満点、値段も安いという事で朝から潮州人が沢山食べに来ている。
食べ終わった所でSAMに
「これは名前は何や?」
「キュチャイ」
とか言うので、
「漢字は何だ?」
暫く考えているが出てこないようである。
誤解の無いように説明するが、彼はマレー国籍潮州人であり、潮州語と言う文字は無いらしい。
中国は漢字があるじゃないかと思われるだろうが、漢字は表意文字でそれ自体が意味を持ち読み方も一つである。
潮州語という発音の違う言葉を漢字で書くと全く意味不明になるらしい。
日本人は漢字とひらがな、カタカナがあり、発音記号的にも使い、漢字を表意文字としても使っている。
私は、物の名前を覚えようとすると、どうしても
「どう、書くの?」
と聞いて文字で覚えようとする癖がある。
発音だけで覚えるのが苦手であるというより、覚えられないのである。

写真右:ニラ饅頭
写真中:赤字の一番左上がニラ饅頭の名前 RM1.4
    2番目点心がシュウマイ、餃子等    RM2.50
    3番目芋泥がイモを潰して砂糖を加えた練ったもの
    4〜6排骨は豚肉アバラ部位を長時間煮込んだスープ
    7番目猪脚は豚の事で豚足である
    右の歯に似た漢字は料理方法で煮詰めたという意味
    で、麺と冬面(ビーフンに似ている)
    値段は1RM=約27円

写真右:米粉の皮を伸ばしている


墓の違い
マレーシアは多民族国家の為マレー系、中華系、インド系等といろんな人達が一緒に生活をしている。
民族固有の文化と宗教があり、違いが端的に分かるのが死んだ人を埋葬する仕方である。
大きく分けてマレーシアの国教のイスラム教は寺院があり裏庭の様な所に墓標が乱雑に隙間なくたっているだけである。
神様の元に行ったという考えの様で葬式も簡単らしい。
というのも、もう長くペナンにいるがイスラム式葬式に出会った事がない。
一方中華系は葬式は何日も行い、沢山の人が弔問に訪れ名残を惜しみ、最後は棺桶と共に行列を作り、太鼓と鐘を鳴らして焼き場まで行く。
墓も広くとり線香をあげお参りに行く。
この墓の形は沖縄方面の亀墓に良く似ている。
インド系はヒンズー教で寺院はあるのだが、探しても墓が無い。
どこか別の場所に墓だけがあるのか、骨は海に帰しているのか調査不足である。
以前にインドネシアトバ湖に行った時、インドネシアもイスラム教が国教だが、この地域だけはインドネシアの心の故郷と呼ばれていて古い文化伝統が残っている。
先祖の墓はなく庭に小さな先祖の家を作り一緒に生活しているというものであった。
この祖先がまだ生きていて、共に生きるという考えが何か素朴な感じで私個人としては好きである。
  
イスラム式                            中華系

ガーニーショッピングセンターとトイレ風景
食事がまだの方は食後30分後に読んでください。
久しぶりにガーニープラザ(ペナンで一番大きなショッピングセンター)にバイクで行く。
2月の14日が中華系、インド系では正月、又 、バレンタインデーとか言うお祭りの日が重なっている為か、飾り付けが華やかにされている。
歩いている女性も何か、前と少し違って見える。
どうして、こうも私の目が吸い寄せられるのか?とその目線を追ってみる。
ショートパンツで生足の女性が多いのに気がつく。
顔はともかくとして足が綺麗で思い切り短いパンツをはいているので、バランス的に上のシャツも露出部分が増えていて、男性の目を引きつけるのに十分すぎるものがある。
マレーシアはイスラム国の為、女性は頭からスカーフをマチコ巻きにし、長ズボンにシャツもギリギリ半そでまでというスタイルである。
もっと、厳しい宗派では頭からすっぽり黒服を被り、目だけ2cmほどの隙間を作っただけという姿である。
これで、人の奥さんを連れて行かないものだといつも不思議に思っている。
私としては、どちらでもよいのだが、やはり、華やかな方が楽しいかなと思っている。
そこで突然トイレの話になるのだが、ここの様に大きな所はトイレにお金は必要ないが普通は少額だが使用料を払わなくてはならない。
トイレの形は洋式と、和式では無くマレーシア式の2種類ある。
マレー式はどちらが前か後ろか迷う。
そして紙が無くホースがどこでも必ずある。
ここでもまた迷うのである。
右手にホースを持ってどちらから水を掛けるのか?
左手で洗うというのは分かっているのだが。
この水洗いは気持ちが良くて今はもうどこでもお尻を洗わなくては気持が悪くなってしまった。
  

久しぶりに絵を描
ペナンに来てから絵を描こうと思いあちらこちらバイクでウロウロしていたが、どうもピンとこない。
そんな時インターネットで見た1枚の写真からイメージが湧いてきた。
数年前に、インドへ旅行した時コダイカナルと言う高原に中国政府の弾圧の為、チベットから逃げてきた若者がインデペンデンスチベットという組織を作っていた。
彼等は、最初私を中国人と思い警戒していたが、日本人と分かると色々と話をしだした。
警察に捕らわれ拷問の酷さ、簡単な裁判で死刑、未だにこのような国があるのである。
最近もチベット暴動と報道されたが、暴動では無く独立運動の筈である。
各国とも中国の市場の大きさに自国の経済の利益を優先し、人権に目をつぶったが、後に歴史が判断を下す事になる。
日本マスコミも日本と関係の無い事には取り上げない。
最も良識あるべき日本のマスコミの姿勢に危うさを感じるのは私だけだろうか。

写真;花はシャクナゲの積りです。

奇しくもパステル画に出会
昨日久しぶりに絵を描いたのだが、今日はジョージタウンに麺を食べに行くと、いつもは目に入らなかったギャラリーが前に看板を出して展示会をしている。
バイクを止めて、興味深々で中を覗く。
展示場は6畳位の狭い場所で奥にもっと狭い部屋があり、オジサンがイーゼルに向かっている。
マレーシアはモスリムの国で個人崇拝は禁止とかで肖像画、人物像の類は見た事が無い。
所が、展示してある絵は油絵とパステル画のようであり、人物画である。
「エエ!なんじゃこりゃ?ホンマに人が描いたんかいな?」
そして、その絵に心を止められてしまった。
特に、パステル画と言うのを見るのは初めてである。
「どうしたら、こんなに柔らかく優しく人を描けるのだろう?」
と言うのが素直な疑問である。
写真を超える絵とは、どう描けば良いのかと言う私の疑問の一つの答えを見たようでショックであった。
ジッと見ていると、
「どこから来ました?
あなたも絵は描きますか?」
等と訊かれる。
名刺を貰い一旦帰ったのである。
心決めて、明日、もう一度見に行こうと思う。
そして、出来たら習ってみたい。
絵でもヨットでも何でも習うというのは初めてであるが。
これも何かの縁かもしれない。

写真はアブドルラシッドk氏のパステル画作

ヒンズー教Thaipusamと言う祭りらしい
昨日のパステル画の先生(Abdul Rashid)に会いに行こうとジョージタウンに向かうと、道はどこも大渋滞。
市内に入ると道路を封鎖してヒンズー教のお祭真っ最中である。
女性は色々なスタイルのサリーを着て、髪をおろしてジャスミンの花を結んでいて美しい。
子供も晴れ着を着て、額に赤い印をつけて貰い手を引かれて歩いている姿はかわいい。
男はクジャクの羽根をつけたかぶり物を頭にかぶって音楽に合わせて踊り始める。
道の両側には、ココナッツ、米、果物が積まれ、寄進した人の名前の紙がさしてある。
道路に面したレストランはフリードリンクを提供している。
私がほとんど毎日食べに行く中華系経済飯屋142も前にテーブルを出し飲物をふるまっている。
沢山、いる人の中から私を呼ぶ人がいる。
PISAというプールで働いているインド系スタッフのオジサンである。
人間の頭脳はなんて優れているのだろうと感心する。
人の顔は目と鼻、口、耳、眉毛と要素は多くないのにこれだけ沢山の違う顔があり、わずかな違いから人の顔を判別できるのである。
寄り道に随分時間がかかり、パステル画の会場へ行くと鍵がかかっていた。
  
写真左:クジャクに羽を被って踊る男達
写真中:サリーを着飾った娘さん達に睨まれる
写真右:PISAのオジサンはニッコリポーズ

パステル画に挑戦
結局、パステル画の先生と会えずで、私は何か始めるにしても、どうも一人でやらなければならないという運命のようである。
諦めて、ジャスコの本屋へ行ってパステルの画材を買いに行く。
どんなもので描いたら良いのか分からないが探して見ると、Buncho Oil Pastels 36Colors Non- Toxic 10RM(約280円)、がある。
こんな太いものでどうやって細かい所を描けば良いのか不安なので、色鉛筆36色17RM(500円弱)もついでに買う。
船に帰って、さあ何を描こうかと考える。
最初のパステル画であるので、記念に我が忠犬ジャックを描こうとおもい写真を探す。
彼はトイプードルオスで15年生きたが、7年前に亡くなった。
家の中では唯一匹我が味方で、私が文句言えないカミサマに替わって吠える勇敢な奴であった。
一応、形は取れて、パステルで塗り始めると、どうしてぼかしていいのか分からない。
こういう時はインターネットで調べるしかない。
直ぐに分かった。
全く便利なものである。
結局色を重ねて指でこすれという事なので、やってみると伸びない。
無理に何度もこすり過ぎて指がやけどの手前状態になってしまった。
なかなか手の痛い画法である。
もういい加減にこするのは嫌になって終了したのが初めてのパステル画である。


ヨットが見つかったけど。。
昨夜、久しぶりにSkypeの呼び出し音が鳴る。
出て見ると、鍵さんである。
いつもの様に、酒の話から、ヨットの話になって、
「木村君が、ヨットの引き取り手探してんねん。今、置いてる所から出ていくように言われてるらしい。
伊東から伊勢までの時より、大分ようなってるけど、なんせ木村バージョンやからな」
普通なら、動けばOKと言う私だが、この船は8年程前無茶苦茶の状態で回航したスモーキーマウンテン号なので、直ぐに引き受けたとは言えない。
「マストは荒れても大丈夫か?」
「スルハルで船内の下の部分は止めてない、けど、木村はこれでええいうてる」
「ラダーはどうや?」
「ヤンマー3GMのエンジンを回さな油圧ポンプが作動せんから、セールあげてもエンジンは切れへん」
「ええ?ほんなら、エンジンストップしたら操船出来んから漂流やな」
船体はフェロモサ50ftで伊東でホームレスの人が住み着いていた船である。
「今まで走った事あるんかいな?」
と、私。
「1回だけ、去年の夏ワシと一緒に出てセールあげたけど、スピードでんからタックが出来ん。エンジン掛けても前に進まん。そのうち流されて座礁したわ。スクリュー軸の止めが折れたらしい」
と言う有様である。
「木村君は船をいじるのが好きやけど、終わったら見るのも嫌らしいから、あっちこっち声かけてるけどな、誰も引き取りて無いみたいよ」
一応恰好にはなっているが、強度等考慮していないので実際はどんなトラブルが起こるか分からない。
船の重量バランスも設計から随分違っているだろうし、マストとセールの大きさ(すべて拾ってきた、或いは貰いもので間に合わせている)から、ウエザーヘルムも重心位置が変わっているから、風に登るのか下がるのかも分からない。
今度帰国した時に見て、何とかなりそうなら、誰か騙して台湾辺りまで引っ張り込む計画である。
と言うのも、私自身は一級免許更新期間は切れているのである。
日本海域を離れば海賊以外怖いもんなしである。
行き先はフィリッピンかマレーシアである。

参考:スモーキーマウンテン回航記
http://ufoboat.sakura.ne.jp/smokimountain.htm

次のページ(第112番 ペナン風景2月)へ行