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                第110番  寒い日本風景       2009年11月 12月


日本到着
11月20日 寒い関空に到着。
梅田から阪急電車に乗るのに駅へ向かうと、エスカレーターから大勢のグレーがかった人々が速足で出てくる。
誰の顔にも笑い顔も話をしている人もいなくて、追っかけられている時間に追いつかれないように忙しく歩いている。
こちらに向かってくるのを見ると、私はのろまな虫で何か踏みつぶされそうに思える。
急に異次元の世界に飛び込んだような気がするのは帰国後いつも感じる事である。

馴染みのうどん屋
70歳近いオッチャンとオバチャンがやっている馴染みのうどん屋の暖簾をくぐる。
ここのきつねうどんはダシが美味くて30年以上食べている好きなうどん屋である。
”オバチャン、オッチャン、元気か?”
”あんたか、久しぶりやな。どうや暑い所から寒い所は大変やろ”
等と、喋るがお客は誰もいない。
どうやら、オバチャンが怪我をして1カ月程店を閉めていたらしい。
”もう、私等、年金生活してるだけやけど、不景気で店を開けても最近客が少なくなったから赤字やわ”
”そうか、そしたら他人様の為に仕事してるみたいなもんか?”
”いや、そりゃやっぱり私等の為にやっているんや。何もせんかったらオッチャンは朝から酒飲むばっかしやしな”
日本ではチェーン店やら洒落た店にお客が行き、この店の様な昔ながらの出前もするうどん屋にはお客はこなくなったらしい。
マレーシア、タイ、シンガポールでは個人の店がチェーン店、大型資本店に負けずに商売ができるのに、日本では個人のうどん屋でも、近所の八百屋、魚屋、雑貨屋が潰れて行くの何故だろう?

冬服買いに行く
日本に帰っても冬服がない。
それよりも自分のものがわが家に殆どないと言っていいようである。
カミサマから今日はユニクロで安売りしているから行ってきたらとの事。
お昼頃出て行くと、お客が一杯でまず駐車場が無いとの事、そうは言ってもこの不景気日本大した事はないだろうと考えていくと、何とレジーに行列が出来ている。
私もヒートテックとかいう下着類と、靴下、パンツ、ダウンジャケットを買う。
売れる所は売れているのだ。
日本は経済成長の時は使い捨て、消費の時代だったが今はもう消費に乗せられる事は無くなった賢い国民になりつつあるのか、或いは
私達の子供時代の物を大切にする時代に戻りつつあるのかもしれない。
経済成長だけが幸せで無くなっているのではと思う日々である。

グルメでエステ
デパ地下には全国から選ばれたグルメ商品が高価な値段で品揃えされている。
確かに美味いが高い。
不景気だと言いながらこういう所にお客の行列ができている。
一方町のあちらこちらにエステ、スポーツジムがあり、そこで汗を流しダイエットに励む。
しかも、そこまではジョギングで行くのではなく、自動車に乗っていくのである。
終われば冷えたビールを一杯飲む。
お金が本当になければエステもダイエットも必要ないのに何か変だな。

船舶免許更新
私は旧小型1級船舶免許証を1999年に沖縄で更新した。
その時は10年の有効期間だったが、今回帰国時に問い合わせすると、免許証失効の為再交付手続きをして下さいとの事である。
15年程前まだ船舶免許が無い時、この制度が自動車免許の様に海上安全と言う大義名分の元、法案化されたのである。
当初、既に船舶に乗っている人の反発を和らげるため、殆ど無条件で免許交付が行われたものである。
それが、段々と細分化され試験費用もあがり免許有効期限も10年が5年と短くなり、今や誰の為の何の為の免許更新か理由は分からない。
小型船舶協会を維持する為の法案としか思えない。
今回、私は海外に殆どいて今年の期限に更新できず失効となったが、費用内訳は
失効再交付講習料8060円
身体検査料840円
再交付申請料5550円
収入印紙代 1250円
郵送料300円
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
合計  16000円
である。

失効再交付更新料なるものはビデオを4時間みて8000円である。
身体検査については視力0.6以上を満たす事でお玉を目に当てるだけで840円とは取り放題もいい所である。
次に再交付申請料とは紙一枚が5550円とは法案化さえすれば勝ちで、免許更新はどれだけ費用がかかろうが嫌なら受けなくてよろしいですよ、よ言う事で、
殆どの人は不満があろうが従わざるを得ない。一体どれだけ貪れば気が済むんですかと聞きたい。
この小型船舶協会は他に何年かごとの船舶安全装備なるものを検査しているが、これが又可笑しなものである。
小型船舶協会の認めた装備で無いと装備と認められないのである。
この免許は海外では全く必要が無い日本だけの小型船舶協会という天下り団体を維持する為の費用である。
もういい加減に、我々国民を大義名分で騙し許可でお金を貪りとるという恥ずかしい行為はやめる事はできないのか。
小型船舶免許の意味を我々船舶免許を持っている人同士、この問題を取り上げていくべきである。
そうでない限り、免許更新期間は短く費用は高くなる一方である。
私は免許を無くせとは言わないが、一度取った免許であれば無事故であれば何故更新手続きが必要なのかと言っているのである。
海は、陸と違って誰かを轢き殺すという事故は少なく殆どは操船している人本人の事故となる。
海へ出港する時は自己責任は分かり切っているのである。
そうであれば、自動車免許の様にする必要性は何処にもない。

高校生のショートスカート
マレーシアで肌を見せない服装を見慣れている私は、日本で高校生のショートスカート姿に驚いた。
ショートスカートといっても、殆どパンツが丸見えになるんじゃないのと思う位の短さで、下はソックスで所謂生足というのだろうか。
こんな姿で学校に行くのに親は何の注意もしないのだろうか。
”ファッションが分からないわね”
等と子供に文句を言われて何も言い返せない親がいるとしたら、親子共々情けない事である。
スカートだけでなく、恥ずかしいという事が分からなくなったか、無くなった日本社会を見て、何か変だなと思うのである。

阪急電車の女性専用車両
電車に乗ろうと待っていると女性ばかりである。
何か変だなと思っていたが、入ってきた電車の窓を見ると女性専用と書いてある。
慌てて隣の車両に駆け込む。
インドでは宗教上の理由からかバスでも女性男性が一緒に座っていない。
女性差別があり、インド女性が職業につく事は殆どない。
イスラム社会でも女性男性同席はなく、モスクでの祈りも男女別である。
日本社会では女性の地位向上所か、女性の方が強いのではないかと考えている私である。
女性専用車は恐らく痴漢被害の為だろうが、現在の日本女性はそんなに軟なのだろうか。
沢山の人がいる中、”痴漢です!”というのを何故躊躇うのだろう。
もし仮に私が満員電車に乗ったとしたら、そうでなくともそう言われたらどうするかと考えてしまう。
その為にも男性專用車両と言うのを作って貰いたいと思う日本風景であった。

竹山の隠れ家
京都西山の山裾、竹山に我々の隠れ家がある。
水道は、山から流れる川から引き、電気は無い。
ツリーハウスと言うのを作っているが冬は流石に寒いので使っていない。
夏は川から引いた水を竹を反割にし節を抜いて流しそうめんをする。
冬は寒いので今回レンガを積んで釜を作った。
ここに蕎麦打ち名人夫妻ががピザとパン、ダッチオーブン料理をする。
蕎麦打ち名人の10割蕎麦は勿論メインメニューである。
石釜に火を入れ十分暑くなった所で火をだし、ピザを入れると5分程でいい具合に焼ける。
いっちゃん夫婦と団長夫妻、私は食べ役である。
いっちゃんは一方ではドンドン焚き火をし蕎麦用の湯を沸かす。
”いっちゃん、ドラム缶に水入れてお湯を沸かして五右衛門風呂はどうや?”
と、風呂好きな私。
”そうやな、出来ん事はないな”
と、いっちゃん。
来年あたり五右衛門風呂に入りながらビールを片手にピザを食べるという事も出来そうである。
山の中腹に罠を仕掛けているのだが、既にサルが3匹、ハクビシン1匹、カラス1匹、猪1匹を捉まえたそうである。
仏心のある我々であるので、よく言い聞かせ解放してやるが、サルはどうも同じ奴が来ている様子である。
写真で見て分かる様に、餌はカップラーメンをぶら下げているのである。
サルもこの味を覚えていて、捕まっても説教だけで放してくれるわいと安心してやって来るのかもしれない。
春は筍が出てくるが猪はこれを狙って山から降りてくる。
ここは筍が有名である。
夏場に藁をたっぷり入れる為筍が灰汁が少なく柔らかく風味がある。
私も5月頃になると朝掘り筍を買って灰汁だしし天麩羅、若竹汁で食べるが、この筍を食べると他の筍は食べられない。
山の獣も人間の近くの方が食料豊富な事はよく知っている。
秋はこの辺の大江の柿も産地である。
最近はリタイヤーしたオバチャン、オジチャンが山の装備をして10人位固まって歩いている。
嵐山から西山、善峰寺へ続く東海自然歩道になっている。
農家も、無人野菜売り場を設置していて結構人気になっている散歩、山歩きコースである。

 少し前までは綺麗どころ                蕎麦打ち名人が石釜に火を入れている        京都一望できるツリーハウス
  

京都紅葉
家から歩いて東海自然歩道沿いの地蔵院、苔寺、鈴虫寺、松尾大社、嵐山への道を紅葉を見ながら散歩する。
今日、雨が降らない最後のチャンスのようである。
古い寺、山門をバックに手入れされた紅葉は美しい。
しかし拝観料、駐車料とも平均千~二千円はするようである。
車を整理するオッチャンがいたので、
”駐車料なんぼや?”
と聞くと、
”1日千円や、”
”ちょっと留めても1日やろ? ええ商売やな”
”川向う(渡月橋付近の事)は4千円やで”
と、さすがにチョット後ろめたそうである。
お寺は駐車場を経営し、観光名所になったり、お茶席になったりと金儲け商売に忙しく、修行社会奉仕からは程遠い。
嵐山まで行くと、全国から来る人混みで嫌になる。
御土産物屋に食べもの屋、殆どが地元京都で作られたもので無い。
又、嵐山と何の関係もないタレントの店等ある。
二人乗り人力車は風情があり、観光案内しながら元気に走っていてこれは人気がある。
嵐山でレンタル着物店などし、好きな格好に変身できるなんて商売したら、風情があるし、嵐山の全店と契約し、和服姿の人は割引するという方法をすれば和服振興、日本文化見直しに役立つのにと思う。
私なら、両刀さして坂本竜馬位の姿になってみたいが頭は禿げているので、座頭市の方がよいかもしれない。
私は嵐山から流れる桂川の下流、松尾橋の下で孫とよくバーベキューをしている。
川沿いに自転車道がありこの道も散歩に快適である。
普段は、午後3時半に上桂湯というのが開くのを待って風呂に行く。
ここの水は地下水から汲み上げられていて、少し甘味があり美味い。
水質は柔らかい水で温泉の華がさいている。
ペットボトルを持って行き水を入れて帰る。
これで蕎麦を打って食べるのである。
スチームサウナに入り水風呂に入ると、幸福を感じ天国である。
考えてみれば温泉か水に入っていれば天国と言う簡単に幸せになれる良い性格だな。

散歩コースの東海自然歩道                持等院                            嵐山人力車 
  

孫と遊ぶ
今回帰国の一番の仕事は息子家族の引越し手伝いである。
マンションを新たに買い引越しするのを手伝うのだが、古い家の修理はヨットマンにはたやすい事である。
それよりも手の掛るのが孫の世話と言う事で私にその役がまわってくるのだが、全く問題なしである。
孫は2才と5カ月の女の子と6歳の男の子であるが、私は孫達と遊ぶのに全く同じ精神年齢で付き合っている。
私は孫の子守ではなく友達なのである。
我がカミサマは
”ああ疲れたもう孫が帰ってホットするわ”
というが私は、いくらいても問題ない。
次から次へと遊びを考え、孫と真剣に遊び喧嘩するのである。
私は喧嘩しても手加減はしない。
孫を泣かせてやるのである。
何か買うのも孫達は私にはもう全然期待していない。
というのも。常々、
”ジジイはお金ないからな、何か欲しいものあったら婆ちゃんに頼め”
と言っていると、最近は、欲しいものがあっても、
”ジジイはお金持ってないからな、しょうがないな”
等と、分かった事を言うようになってきた。
そんな孫達も寝る時は背中をさすりながら、私の作った海賊と遭遇した出鱈目話を聞きながら寝る姿を見ると、本当に幸せを感じるのである。

最近の防犯設備
息子の家族は新しいマンションに引っ越しをした。
こういう事は私が慣れているのでサッサと片付けていく。
今度の新しいマンションは中に入るのに部屋番号を押して家の中から開けて貰うか、管理人に行く所を報告して書き込み開けて貰うかのどちらかである。
駐車場はゲートはチェーンの上げ下げである。
例え駐車場に入っても館内には鍵がないと入れない。
エレベーターはテレビ画面で写っている。
何から何まで鍵がいるのである。
私等忘れ物の為、何度も出たり入ったりしないと駄目である。
行き届きすぎる防犯態勢安全そうで結構な日本だがこれでいいのだろうかと考えてしまう。
家の中は安全だが外に出たらそのまま無防備になったり、逆に家の中しかいれなくなったりしないのだろうか?
安全も防犯もお金を出して他人様にやって貰うばかりでいいのだろうかと思う寒い日本風景である。

資本主義社会?
私が何度も書いている事にアジア各国の貧困がある。
世界は資本主義という体制で動いているので、資本を持った国或いは人が決定権を持っている。
アジアの国民も一部の金持ちと大多数の貧困生活者に別れている。
当然の事ながら貧困生活者は労働力が唯一の資本であるが、その労働力に値段を付けるのは一部資本を持った金持ちである。
朝から晩まで働けど生活は楽になる筈はないのは当然である。
金持ちは自分の利益を少なくして労働力に正当な値段を付けるはずがないからである。
増殖するという事を運命づけられたお金は、人々の不幸も考慮しない。
それが資本主義の一番の大義名分だからである。
今世界中で金持ちが失敗した巨額負債をそのままにしておけば世界の金融システムは壊れるという脅しに、ごまかされて結局富裕な人を救うという不思議な事が堂々と行われているのである。
日本の会社でも少し前は愛社精神というようなものがあり、努めている人は家族より会社に多く属していた。
その社員も会社が儲からないという理由でリストラに会うのもアジア各国の貧困現象と同じである。
根底にはお金儲ける為には非情であろうがなんであろうが人件費を減らすという手法である。
先見性を持ち大胆な行動を起こせる大粒なトップは少なくなり、その場しのぎしかできない小粒なトップになった為かも知れない。
金が儲かれば何をしてもよいというのではなく、昔の近江商人の「三方よし」売り手よし、買い手よし、世間よしという商法を見直すべき時ではないか。

お遊戯会
お遊戯会とは私の御遊戯ではなく、二人の孫のお遊戯会を見に行くイベントである。
場所は京都八瀬で残念ながら紅葉は雨で落ちてしまっている。
道は紅葉の絨毯である。
急な坂道を登る事10分、開演に少し遅れて到着である。
本格的舞台に観客席があり、親と爺、婆であふれている。
どの親も、爺も我が子、我が孫だけ写真を撮っている。
私も、その一人である。
不思議な事に我が孫だけが光って見える典型的ジジイ馬鹿である。
その割には孫からは好かれていない意地悪ジジイなのである。
後、2~3年したら孫も本当にジジイ等相手しなくなるだろうから、その時に最後の航海、再度フィリッピンの小島に戻ろうかと考えている。
その時は自分一人で出来る事で、フィリッピンの子供達の為に何かしたいと考えている。



日本観光旅行のあり方
日本に戻って一番感じる事は、ジャスコの御客のさばき方、同じくペナンにもジャスコはあるが、モスリムの国でもてなし、気づかいが全く違うという事である。
ペナンのジャスコはモスリム国家でレジーはモスリムの人が担当しているようである。
御客の接待と言う事から見ると日本のジャスコと比べようもない程のサービスの悪さである。
私の目から見ると、全く両極端である。
しかし、この日本のもてなし、気づかいを生かせる方法はある。
海外の人から見ると、日本観光は東京、京都等だけでなく、日本の四季を感じられて、地方の小さな旅館のもてなし、気づかいは結構セールスポイントになると思う。
外人が日本に旅行して求めるものは何であろう。
私も海外で旅行して感じるのだが、景色より、その国の人の触れ合いである。
ここに重点を置けば町ぐるみ海外旅行者受け入れ態勢(例、朝市、夜市)等は魅力ある観光ポイントになりうる。
私は京都も神社仏閣だけに頼っているといつかは飽きられると思うが、京都職人が作った個人のアイデアを生かした商品作りを売る事が出来る市を行政側で準備すると職人の仕事の活性化に繋がるであろう。
温泉付き日本的旅館はホテルより外人には魅力ある宿泊所と感じれるのではないだろうか。
ゆっくり風呂に入りあがって浴衣に着替え、部屋でゆっくり料理が出てきてのもてなしは外人には新鮮なカルチャーショックになるだろう。


チャイナタウンの強さ
何度も日記に書いているのだが、小さな町単位の生産消費が完結するのがチャイナタウンの特徴ではないか。
ここに日本の町の活性化のヒントは無いだろうか?
いつも思うのは、中国人は海外に移住していく時、最初に海の近くに或いは海の中に家を建て後から同じ出身者が成功者を頼って集まってくる。
成功者は後から来る人を援助し、鍋一つを振って屋台で料理を作り生活を始める。
洗濯屋、修理屋あらゆる商売がそこに住むチャイナタウンの地域の人達相手に商売して成り立っている。
商売が其々特化しているのも特徴である。
お互い仕事を分け合っているようにも見える。
朝から昼まで開けている店、夕方だけ開けている店という様にである。
良く考えてみると、誰か成功者が外部から儲けてきたお金をチャイナタウンに落とせば、それで皆が仕事にありつくという形である。
地域で取った魚と野菜を材料にして使い、地域の住民が作る料理さえ特化している。
ラーメン専門、スイーツ専門、パン専門等と皆が少しづつ仕事を分けて地域の中で生産消費し生活できるのである。
大手スーパーが綺麗な冷房施設完備のショッピングモールを作っても苦戦しているのはチャイナタウン故の特徴ではないか。
この様に小さな町の単位で生産消費完結型町作りは出来ないものだろうか?
行政が朝市、個人市等地域の農家、職人の作ったものを市を作って直接販売する方法は町の活性化につながると思うのである。
値段が安いからと無駄に消費せず、少し高くても本当に良い物を知り物を大切にする意識改革が出来ないだろうか?
例えば一つ気にいる茶碗と箸を長く使う方が、プラスチックの使い捨てよりエコにつながると思うのである。
良い野菜(美味しく安全)が高くても沢山食べず少し食べればダイエットになり、健康にも良いのではないか。
これを経済縮小と言うのはおかしいのではないかとボヤクのであった。

久しぶりの三宮で故郷とは?
今日は私の叔母さんのお見舞いに三宮の病院へ行った。
私にとって三宮、元町、新開地は故郷である。
特に新開地と国鉄(JR)の高架下は小さい時からうろうろしていた。
阪神大震災後町並みは変わってしまい、馴染みの店も何処かに行ってしまっている。
そんな店の内でも思いで深いのが、今の南京町ができる前の米軍人相手の小さな飲み屋などの並びの元町裏通りにあった、かっぱ天国という味噌だれ餃子の店である。
ごま味噌にラー油を入れたような味のみそだれを付けて食べる。
当時はいつもお金が無いので、一番安い泡盛を飲みながら、これを腹一杯食べていた。。
大学の剣道部で練習後なら、餃子6人前に、焼き飯、焼きそば、レバニラを食べたものである。
それでも今よりスリムでキリリとしていた。
私が故郷として思い出すのは、一ヵ所ではなく、神戸も、京都も韓国テグも故郷のように思える。
故郷とは場所なのか、人との関わりなのか、食べ物なのか、或いは自分の心の中にあるのか。
私の場合、故郷と思えばそのようになるようである。
今から40年以上も前の話である。

ヨット仲間の忘年会
今日は寒さも今年一番の様だがヨット船内は暖かい。
琵琶湖ヨット仲間の忘年会で8人ほどが30ftキャビンで昼から飲んだり食ったりする。
3畳位に1つのテーブルを囲み8人が座ると一杯であるが、この距離がなかなか良い。
今日は近江牛の一番良い所を買ってきてスライスし、すし飯に乗せて食べるのだが、マグロの大トロの様にうまいのである。
刺身が飽くと少し火であぶってにぎりで食べると又美味いのある。
「もう食べられんな」
と言いながら、5時ごろになると、よせ鍋が始まる。
「もうあかん」
と言いながらも未だ箸は止まらず結構食べている。
何か甘いもん欲しいなと言えば、飴をなめる。
飲んだり食ったりできる間は健康な証拠であろう。
笑いながら話しながら、8時間ほど経ってしまった。
寒い水の上でヨットの宴会も良いものである。

Merry Christmas & Happy New Year!


クリスマスでおもちゃの店は大繁盛
我が家も二人の孫にプレゼントの為にトイザラスに行く。
沢山のジイチャン、バアチャンが孫にねだられておもちゃをねだられている。
私は普段は何も買わないジジイで通しているので、孫も私には何も要求しない。
私の世代の爺、婆さんはこの辺で孫とどう付き合うか、又自分はどう生きるかを考えなければならないようだ。
私はペナンに船を置き一年間に数カ月しか日本にいないので、孫との接触はベタベタしたものではない。
孫も今年ペナンに来たので私の様子は分かっているようである。
一緒にいる時は兎に角真剣に遊び手加減しないというのが私の付き合い方である。
そして、上の男の孫は6歳になっているので何かしっかりと躾なければならないときは、真剣に怒って泣かすのである。
私は子供を育てる時は雷オヤジで損な役回りだったので、甘いジジイ役をしようと思っていたのだが、やっぱり時々雷ジジイになってしまう。
それでも、孫とは信頼関係があり心が通じていると感じている。
いつか孫が大きくなり私の遊帆(UFO)航海記を読んでくれる日を楽しみにしているジジイ馬鹿である。

餅つき
大人の隠れ家、いっちゃんの竹山で餅つきをする。
今日は運よく天気も良い。
我が家のメンバーは息子と孫二人、いっちゃん、そば打ち名人の所も息子、娘、孫、それにヨット仲間で総勢20人ほどになった。
準備に石臼を大人4人がかりで設置し、焚火をたいて湯を沸かす事から始める。
私は角松用に3本程竹を切って毎年手作りをしている。
子供たちはツリーハウス、池とそこらじゅう遊び場で、すぐに仲良く遊んでいる。
石臼が湯で温まった所で1回目の餅つき開始である。
最初のは蒸しが足らなかったのか米粒が残っているが、つきたてを小さくちぎっては、大根おろしポン酢、納豆、きな粉、アンコと好きなものを勝手につけて食べるが久しぶりのつきたて餅でうまい。
私は大根おろしポン酢が一番好きである。
それでも、4つほど食べるともう後は何も食べられなくなる。
他に、串焼き鳥、味噌汁、ピザ、果物と続くのである。
子供たちも子供用の小さい杵でつく経験をしたので、一生記憶が残る事だろう。
大勢の人達と一緒に餅つきをし自分で丸めて食べるというこの餅つき文化は受け継がれていくだろうと思うのであった。
     

門松造り
先日餅つきの時にいっちゃんの山の竹を切ってきておいた。
今日は、形を整え我が家の裏山に松と南天、細竹を取りに行く。
取りに行くと言っても歩いて500mで山の中である。
底を平らに切り揃えると縛らなくても安定するので、前面に葉ボタンの為の竹を置き水を入れて挿す。
いつものように後は適当である。
我が家に飾るのは元旦だけで、武生の兄弟がお菓子屋さんで正月から店を開けるので二日以後は、持って帰って店頭に飾って貰っている。
正月に武生からの2家族親戚と、我が家族で小さい家はごった返す。
家内の両親生存中は、武生の両親の家が親戚中が集まる場所だった。
家内の両親の家は小さいのに36人位が食事をするので、交代で無いと食事ができない。
食後は七並べトランプをするが、一人数枚しか持つ札が無いという有様である。
お金をかけるので、子供たちは必死でお年玉を増やそうとする。
家内の両親は長生きで共に90歳半ばで亡くなったが、その後は集まる数は減ったものの正月、盆には数家族が一緒になっている。
それで、我が家は冬の民宿で、夏は武生へ仕返しに行くというのがここ最近の有様である。
兎に角、大勢集まるのが好きな私なのである。


今年の正月
元旦は家族親戚が我が家にくるというのが、恒例となっている。
親戚は家内の姉さん2家族(子供、孫含む)で武生から車でやってくるが今年は大雪の為に無理ではないかと思っていたが、昼の3時ごろに到着。
私の仕事は魚のさばきと刺身を作る事、そばを打ち湯がく事、酒を飲む事の3つである。
今年はフグの薄造りをし、甘エビを皮をむきお皿に並べる。
片方で、皮を湯がき、少しぶつぎりの身も入れてポン酢をかける。
フグのあらはから揚げにし、残りの身と白子は鍋にする。
コンロも一つではたらないので、もう一つはすき焼きである。
手間のかかるおせち料理は今年はしない。
アナゴを巻いてアナキュウにするが、皆さん慣れているから手早く終わる。
ここまですると、私は年寄りの男を集めて酒を飲みだすと、もう、誰が何を言おうが騒ごうが良い気持ちである。
上記料理を食べ終わった所で、再度私の出番でそば打ちを始め湯がく用意をする。
御世辞でも
「ウマイ、ウマイ!」
と言ってくれると
「お土産に打ったろか?」
等という始末である。
出来るだけ長い間、こういう様に沢山の家族親戚が集まってくれるように願っている。

若き登山家栗城史多さん
珍しくNHKを見た所、世界7大陸の最高峰へ若き登山家の全記録という番組を放送していた。
彼は登山経験が数年しかないのに、世界の最高峰に酸素ボンベ無で登るという挑戦をし、テレビカメラで自分を映し実況放送の様に迫力ある映像と音声を送り続けるものであった。
間寛平さん、この若い登山家の様に世界的冒険家が出てきたのは嬉しい事である。
しかし、日本の文化土壌に冒険家の勇気を素直に褒め、支援する基盤があるのかどうかは疑問である。
彼も登山する為の資金集めに日本に帰った時は奔走しなければならないようである。
日本文化の中には遊び心というのが昔はあった筈である。
いつの間にか、日本人は無駄なく効率よく経済的に懸命に、身を粉にして働き、現在は自分の人生の何たるかを思い出す暇もないようになってしまったのだろう。
この若き登山家がスポンサーに影響される事なく、自分の冒険として納得のいく無理のない挑戦をし、臨場感をビデオカメラで配信し感動と勇気を見ている人に送って貰いたいものである。

http://kurikiyama.tv/


日本のファッション
久しぶりに高島屋へ行き、新京極から錦通りをブラブラ歩く。
高島屋の正面玄関に、振り袖姿のマネキン2体が立っていた。
2組の外国人男女カップルが珍しそうに写真を撮り、値段表を見て
「ワオー!」
と目を丸くして見つめている。
私も横目で価格表を見て見る。
「ワオー!」
振袖が80万円台、帯が80万円台であり、その他小物を準備すると、200万円程掛るかもしれない。
これでは、服といえるのだろうか?
日本伝統のファッションと言えども、簡単に着るという事は出来ないだろう。
海外で、この様な民族衣装はあるのだろうか?
等と考えながら実際のファッションを見ると、何か変に見える
ファッションが横並びで、化粧も横並び皆同じ様に見える。
ファッションは個性的に見せる為の筈だが、日本では飛び抜けた個性的ファッションは嫌われるらしい。
友達同士は良く似た姿であれば安心するという感じである。
男性ファッションといえば、黒かグレーか、茶色で目立たない地味なものが多い。
江戸時代の浮世絵等を見ると、男性でも随分と派手な着物を着てファッションさえ遊びにし個性的だったように見える。


日本の夫婦関係
私もペナンの船に戻る日も近づいてきた。
今度帰国は8月頃になるだろう。
こんな私共の夫婦関係はどうなっていると、いつも人様から不思議がられている。
今お互い自由にしたい事が出来る間はそのようにし、いつか相手を必要とする事態が起きれば躊躇なく戻ると覚悟をしている。
日本では私の様な年寄りでなく、若くして会社の命令で単身赴任する例がある。
海外の夫婦関係では全く考えられないらしい。
夫婦が別々に暮らすなんて夫婦の意味がないから、3通りしかないという。
1.仕事を辞める
2.離婚する
3.お互い愛人を作る
個性の強い欧米の女性は、主人が仕事と家庭をどちらを大事するべきかと聞くと、勿論家庭だという。
日本の奥様と欧米の奥様の違いは相手の思いやり、気づかいにあるのかもしれない。
日本文化の特徴の思いやり、気づかいという美点が日本女性の優しくて芯が強いおしんのイメージと重なり、海外で奥様にしたいNO1になっているのかもしれない。
逆に日本男性は家庭を顧みない働き蜂で、女性に優しくもなく、愛もささやかないという様に見られて人気はないようである。
日本女性は”やまとなでしこ”で、男性は”サムライ”らしいが、やはり”やまとなでしこ”の方が響きが良いようである。
日本に”サムライ”がいなくなったが、”やまとなでしこ”はいるのを期待するばかりである。

息子夫婦が食事招待
嫁の御両親と最初の顔合わせの時、
「嫁として嫁ぎたいと思います」
と言われ
「嫁では駄目、娘としてなら迎えます」
と言ってはや8年になる。
今でも嫁さんの実家と常に何か美味い名物等の贈りあいをしているし、私が日本に帰った時には会って食事をするのが普通である。
息子夫婦が新居に移り落ち着きついてきたのと、私が数日後にペナンに行き8月まで帰国しない予定の為か、食事を家で準備してくれた。
食事の前に孫を連れて五香湯という銭湯に行く。
私と男孫は男湯、カミサマ(妻)と娘と女孫は女湯で別れてはいる。
この風呂は看板通り5つ以上の色々な湯が2階建で配置されている。
男孫は水があれば帰ろうと言わない所は、どうも私の性格を受け継いだようで嬉しく思うジジイ馬鹿である。
「ジジイは今度8月の夏休みに帰ってくるけど、キャンプ行って遊んでくれるか?」
「ジジイ、ペナンに行かんといて」
と、可愛い事を言ってくれる。
この湯の中に電気風呂というのがある。
「ジジイ、ここへ入っていいか?」
「電気が通っているからビリビリすのとちゃうか?ジジイは電気怖いから、ジジイの体に触らんといてや!」
と、脅かす。
最初手だけ入れ確かめて足を入れ体を入れて別に変わった様子はない。
一寸孫の体に触って
「ウワッ!シビレタ!」
と言って白目をむいて浴槽で寝てやる。
そんな事をして遊んで腹を減らして息子の家へいく。
玄関はいるなり良い臭い。
料理は鯛を丸ごといれ、ニンニク、シメジ、ジャガイモにバターを加え味付けし電気フライバンで焼いたものである。
バターを使っているのにサッパリしていて美味い。
酒は残念ながら相手がいないので魚の刺身を升酒で一人飲む。
「ア〜、もう腹一杯!」
と言いながら、次は肉の刺身にシャブシャブである。
「もう、食べられへん」
と言いながら、シフォンケーキが出てくると手が出る。
「もう、うちの家族は糖尿病患者、高血圧患者と、3人もいるのにこれではなおらんな。病気よりも家族が楽しく食事する事程幸せな事はないわい。まあ、ええか。」
と独り言を言うのであった。

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