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       第106番 琵琶湖クルージング    2009年8月


いっちゃんの山でパーテイ
帰国してはじめて琵琶湖のヨットの仲間と京都洛西のいっちゃんの竹山に集まる。
ここは山のふもと、竹藪を間引いた所に、2年前暇な私は竹で縁台を組み、いっちゃんとそば打ち名人は市内を遠望できる
見晴らし台を木の上に作った。
冬はサルと猪が食べ物を求めて降りてくるような所である。
勿論、電気、水道、ガス等ない。
水は横に流れる小さな川から引いている。
今日はそうめん流しと、ダッチオーブン料理である。
集まったのは10人で、手分けしてテーブル、椅子をおき、竹にセールを張って雨避け、日差し避けにする。
こういった仕事は全員ヨットマンの為、誰が指図するわけでなくテキパキと進んで行く。
準備ができた所で竹を半割にして節を抜いた竹の上からそうめんを流す。
山の水は冷たく氷が無くても十分に冷えている。
次はダッチオーブンで豚肉と野菜を煮込んだものである。
燃料はたき火である。
ワイワイと言いながら仲間と手料理を食べる楽しみは又格別である。
全員子供にかえっている。
遊びが好きな大人達である。

出版業界の新しい方向
遊帆(UFO)航海記で今まで何度もインターネット時代の書籍と出版社、新聞社について書いてきた。
出版の新しい流れについて、読売新聞に米国のウエッブサイト”スクリブド”が電子書籍の販売に乗り出したとの事が書いてあった。
作家自身が無償、有償で価格を決める事ができ、収益の配分が妥当であれば、紙本に比べもっと製本にするリスクがない分低価格にする事ができ、読者も安く簡単に読めるようになる。
そうなると、才能ある新しい作家が続々でてくるだろう。
現在、日本の電子書籍は紙本システムのまま、電子本に移行していて読者にはメリットはない。
電子出版社という入れ物をインターネット上に作り、誰でも作家になれて、有償のものは決済、収益配分を確立し、見やすい電子書籍に統一し、読者評価をつけられるようにし、検索機能を充実、自動翻訳による各国語に変換等が出来れば有望企業となるのではないだろうか。
何とか賞も結構だが、読者自身の評価により自分の読みたい面白い本を検索できる、面白い時代になる。

ウイグルのカーデイナル議長の訪日
中国政府の度重なる非難にもかかわらず、ウイグルのカーデイナル議長の訪日を認めた事は画期的な事と言える。
チベット暴動の時もそうだったが、世界各国は中国の脅し(中国市場を餌)に屈した形で北京オリンピックは開催された。
今回も腰砕けにならないよう人権を擁護する立場であってほしいものである。
私はインド高地コダイカナルに行った時、チベットから亡命したチベット人の集団とあった。
中国警察のチベット人に対する監禁、拷問は行われている。
あるチベット女性は性器に電気棒を突っ込まれたそうである。
ダライラマ14世はそれでも非暴力で国を取り戻そうとしている。
閉ざされた国で情報は外部に漏れない為、世界の人々は何が起こっているのか分からない。
この事に世界中が注目しなければならない。

南方では母系社会
遊帆(UFO)に乗って奄美大島から沖縄方面へ行った時、いつも思うのは家庭の中で中心はカアチャンであるという事である。
島にこれと言った仕事が無い為か、トウチャンは釣りをしたり、泡盛を飲んで三味線を片手に島歌を歌ったりと影が薄い。
風俗、文化を見るとこの地域と済州島、フィリッピンは良く似ている。
済州島も母系社会で女性は良く働くし、海女になって海産物を取り一家を支えている。
男性はどちらかと言うと子孫を残す為だけに必要で、女性側に男性選択権はあるようで、女性の夜這は行われているようである。
貧しくてトウチャンの稼ぎがないと、カアチャンは子供をトウチャンに預け飲み屋へ働きに行く。
ジメジメした所はなく、
”しょうがないもんね”
といった感じである。
フィリッピンでも同じで、トウチャンは一寸タバコを買いに行くと言って、もう3年も帰ってこないというのは、沢山聞いた。
カアチャンは別に居なくてもいいか、といった感じである。
暖かい気候の為か、貧しくとも、のんびりと生活しているように思える。

地域社会について
マレーシアでチャイナタウンの社会と日本の地域社会の相違について考えてみる。
中国福建人は最初移民をして海の上に海上都市の様な姿で、何処の国でも集まって住んでいる。
誰かが成功すると、同族の人たちがそれを頼りにやってくる。
資金の援助もその地域社会でやっている。
何か自分の得意な分野を生かして、ある人はバイクや自動車の修理屋、電気屋、鉄工所等を始める。
規模は大きくせずあくまで地域社会で十分やっていける規模である。
料理屋も屋台では分業で専門化していて味と値段勝負である。
朝だけとか、昼からとか、夜だけとかいう様に働く時間も短くそれで最低生活していけるようなシステムになっている。
私の独断と偏見では、毎日の生活は地域社会で完結しているのである。
勿論、外部から金儲けをしてくる人達もいなければならないが、小さな商売をして生活できるシステムが出来ているように思える。
大手スーパーもあるが、魚、野菜等は市場に勝てない。
即ち、外から儲けてきたお金は地域社会でいきわたり、循環しているという感じがするのである。
日本の場合は、昔は商店街があり近くの農家で作った野菜も近所の八百屋さんに並んでいた。
町の人はそれを買い地域社会がそれで成り立っていた。
八百屋、魚屋、果物屋、雑貨屋は大手スーパーで値段の勝負で負けて消えて行った。
経済効率という名のもとにであるが、そのスーパーも倒産している。
一体日本人は何をしているのだろう。
少しでも安いものを手に入れようとして大事なものを壊してしまった。
安いものを買って無駄にしたり、その為に問題が起こったりする。
安いだけが家計を守るのではないという事もあるのではないだろうか。
高くても、長く大事に気にいって使えば決して高い事にならない。


地域社会について その2
タイのチェンマイは京都の町とよく似ている。
城郭があり堀は噴水と木の陰が美しい。
手工芸品産業が発達していて、その造形美と色は日本人になじむ。
観光都市として海外から沢山の人がやってくる所も良く似ている。
チェンマイは夜になると、道路の両側に夜店が並ぶ。
夜店と言うほどのものでなく、現地の人が内職程度に作ったものが並び、売り切れれば店じまいする。
京都にも有名な祇園祭、時代祭等、沢山あり海外からも観光客が訪れる。
またチェンマイと同じように伝統工芸職人の方々も沢山いるが、伝統の範囲内で広まる方向では無い。
今はあまり元気の無い、呉服の町室町、西陣の活性化の為、職人の腕を生かした個人アイデア商品夜店を開けばどうかと思う。
テキヤ、ヤクザを除き質の高い夜店を目指せば、神社仏閣だけでなく夜店目当ての観光客も増え、活性化につながるのではないだろうか。

天福丸で琵琶湖クルージング
久しぶりの水の上である。
船は天福丸で中島さんと二人連れである。
2日目舞子が浜の沖合へ出ると他船は周りにいない。
陸からは遠すぎてこちらは見えない。
これはチャンスだと思い、
”中島さん ちょっと船を止めてよ。
ひと泳ぎするわ”
勿論水着はないので、ズボン、シャツ、パンツまで脱いで素っ裸でデッキから琵琶湖にスキンヘッドの頭からジャンプ、体重85KGメタボ腹を水面に打たないようにしなければならない。
水中ではカエル泳ぎだが、豚泳ぎに見えるかもしれない。
冷たくもなく気持ちいい〜。
2度、3度飛び込む。
琵琶湖の水ガメもあふれるかも。
真水でクラゲもいないので刺される心配もない。
水を見ると入らないといられない性格は子供の頃からである。
暫くの間子供に戻ったのである。
その後近江八幡の長命寺に向かう。
この寺は西国の何番札所とかで本堂は808の石段を登っていかなければならない。
808段も登る事が出来れば、勿論健康で長命に過ごす事が出来るわ等と、信仰心の全くない私は思うのであった。

お盆でプール遊び
京都の南に太陽が丘総合運動公園がありその中のプールに、孫2人とパパ(我が息子)、ジジイの4人でいく。
更衣室は長蛇の列である。
”男は何処でもええから着替えてしまおう”
と、ここは無事通過。
あちらこちら芝生にはテントを張って場所取りをしている。
プールも3か所程あるが、芋の子を洗うとはこの事かと思うほど、泳ぐなんてことはできないチャバチャバする位である。
休憩時間がくると、
”10分間の休憩です”
との放送に皆さんあがる。
ラジオ体操の音楽が鳴れば皆さん体操である。
5時になると、
”ゲートが締りますから早く帰れ”
と放送している。
皆さん慌ただしくテントを畳みゴミを集めて帰り仕度である。
あれだけの人がいたのにゴミは無く綺麗になっている。
海外ではゴミは散乱しているだろうが日本でゴミを出さないのは常識である所がすごいのである。
少し皮肉に見れば、日本人は大勢集めれば右に倣えでコントロールしやすい国民であるという事である。

お盆の高速道路の渋滞
恒例のお盆の帰省に高速道路の割引日(1000円)に合わせて大渋滞が発生した。
しかも、この割引を受ける為にはETCという1万円程する機器を設置しなければならないらしい。
この渋滞を予想して遠乗りグッズなるものを用意する涙ぐましい努力をしている。
クルージングのヨットなら船中泊というような、パーキングエリアでのPキャンという、車中泊でゆっくり帰る人等がでてきたらしい。
この現象も、何でも規制するのが好きな日本では、このPキャンなる方法も禁止され追い出される事になるだろう。
この高速道路一体誰の為の道路なのか?
何故、限定期間割引?何故ETC設置車だけ?
一方向に動く国民性、お上に従順な国民性の為か、辛い渋滞お盆帰省も国民我慢の笑顔で終わったようである。
日本の高速道路料金の高さは海外に比べて異常な高さであるのに日本国民はそれが普通と思っている。

8月15日終戦記念日に思う事
8月15日は終戦記念日である。
何故、日本で戦争が始まり、若い兵士が東南アジア各地へ送り込まれ貧弱な装備で戦死していったのか?
各国各地の戦争博物館で日本軍の装備を見ると、よくこれだけの兵力差で穴蔵に潜って頑張ると哀れで涙が止まらない。
戦争を始めた原因は軍部の暴走であるが、責任をそこだけで日本国民に責任はなかったのか?
何故、皆従順に赤紙1枚に召集されて戦死していったのか?
私は、マレー上陸作戦はどのようなものだったかを見たくてコタバルまでバイクで走って見た。
見渡す限りジャングルで村集落はポツンポツンとあるだけで、抵抗も反撃もある筈がない。
そこをシンガポールまで行進してマレーシア戦勝したという報道に日本国民も踊らされていたのである。
食料は現地調達だがお金がないので軍票なる紙幣を発行しこれで調達したのであるが、マレーシア人は未だにこの不渡り軍票を持っている。
この軍票は日本政府が責任を持って交換すべきではないのか?
当時の日本を取り巻く状況とミャンマー(ビルマ)は違うが、現在なら軍事政権下にあるアウンサンスーチーの様な日本人が何故でてこなかったのか?
彼女は何度命の危険にさらされたか分からない。
今も彼女を指示する若いミャンマー人がタイ、マレーシアに避難し外部から軍事政権に対抗している。
ペナンで私が昼食バイキング等の屋台群にいくと、ミャンマーの若者が洗い物やら、食事の配達アルバイトを非合法ながらして細々と暮らしている。
彼らは殆ど大学生でアウンサンスーチー派でTシャツも彼女の顔のプリントしたものを着ている。
それでもビザの関係の為か、一時帰国しなければならないらしく、突然いなくなる。
彼らはミャンマーで無事に暮らしているのだろうか?
私は東南アジア各地で日本軍が最後の砦として掘った穴、トンネル、攻防地を多数見てきた。
彼らは、玉砕せよという命令を守って死んでいったのです。
多数の敵兵がそこまで攻めてきて勝ち目の無い状態なら、降伏して捕虜となればよいものを、降伏は恥で非国民と決めつけられ玉砕を命じられ忠実に国、家族の為にと死んでいった。
作戦司令部は敵の侵攻を遅くするため玉砕を命じ、若い日本人兵士を犠牲にしたのである。
兵士ばかりではありません、沖縄では非戦闘沖縄人まで玉砕を命じ軍部は撤退してしまったのである。
死んでいった兵士、民間人に責任も責める事もありません。
戦争被害者なのです。
現代に生きる我々は、彼らの無惨な姿で犠牲となった人々の事を思い、今度こそ一人一人が責任を持って国家が間違った方向に踏みださないようにしなければならないと思い直すのであった。

ペナンはラマダン 日本は選挙
ペナンでは明日26日から1ヶ月間ラマダン(断食祭)になるので、経済活動はほぼ休止、レストランも日没ごろしか開けない。
その為ペナンに住む知り合いはタイのハイチャイまでビザ更新をかね小旅行を計画しているようである。
海外の友人と日本少子化の問題について話し合った結果、違いは家族制度にあるのではないかと言う事になった。
確かに東南アジアでは経済的理由からか、生活習慣からか、大家族制で3世代同居は当たり前である。
日本は核家族となり、孫の面倒をみる爺婆も離れて住んでいる。
そうなると老人介護の問題も出てくる。
そこで選挙真っただ中の日本でこういうアイデアはどうかという事になった。
大家族制にする為には出来るだけ近くに住む方が良いが同居は今の日本ではお互い歓迎されないだろうから、公団等公共住宅の空き部屋を2所帯隣り合わせで優先賃貸しその場合に思いきった優遇措置をとる。
子育て、老人介護、公団等空室の問題解決3拍子と言う事になならないだろうか?
同じ世代の人が集まり、つかず離れず住んでいれば、昔の長屋風景のように親戚近所づきあいも始まるのではないだろうか。
自動車、家電のエコ減税も結構だが、その前にそれを買う金が欲しいわいと思うボヤキジジイである。


学校解放

少子化で小学校も生徒が少なくなっているらしい。
では、理科教室、図画工作教室、料理教室、音楽教室等を爺婆の為に開放してくれればどうだろう。
爺婆が孫を学校に送っていって、そのまま自分の趣味の教室で遊んで帰る。
子供も爺婆のしている事に興味を持って入ってくるかもしれない。
爺婆も自分の趣味生かして、学校の修理やら、花壇つくりやら、掃除やら、おやつ料理やらを作ってくれるかもしれないし、子供達も一緒になってやってくれるかもしれない。
大勢の人がいれば、防犯にもなるだろうし、爺婆と子供のふれあいもあるだろう。
親も安心して学校に預けられるのではないか。
爺婆も何か生きがいを見つける事もできるし、元気になるのではないか。
爺婆も隔離されるのではなく、何か社会参加したいと考えている人は結構いるのではないかと思う。
こういう所を法整備し、国の補助もつけてくれれば、少子化、老人問題、地域社会奉仕等が少しでも改善されるのではないかと思うボヤキジジイであった。

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