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   第104韓国 マイメモリー    2009年7月

サムがペナン空港まで送ってくれる。
ペナンが18:40発クアラルンプール行きに乗る。
クアラルンプールからの飛行機は2時間遅れとのアナウンスあり、それにしても7時間も乗るとは変だなと思っていると、
どうやら、コタキナバルへ寄るようである。
最初から、この調子では先に何が待っているやら。
次の日朝8時半インチョン空港到着、リムジンバスでシンサ洞高速バスターミナルの近くで降りる。
ホテルはモーテルで1泊4万ウオン(3500円)で綺麗な部屋である。
荷物を置いて、まずはサウナへ行く。
韓国のサウナでアカスリを頼む。
”アジュシ、沢山アカ出るやろ。恥ずかしいわ”
アジュシはニコニコして、力を入れて擦ってくれる。
ボロボロと皮がむけて体が軽くなったようである。
体もさっぱりしたので、仁寺洞へ地下鉄で行く。
切符はカードになっているが、仁寺洞のある安国駅まで500ウオンなのに1000ウオンのカードを買わなければならない。
駅員に聞くと、到着駅でカードを入れるとお釣りが出るとの事である。
成程、カードを回収するアイデアである。
地下鉄の電車の中で、アジュシが袋から女性用靴のスリップ止めの様なものを取り出し、大きな声で喋りはじめる。
”皆さん、このプラスチックの靴底1枚でハイヒールの滑りをピタリと抑えます。
今日は工場から直接持ってきたものを1枚千ウオン。さあ 安いよ!”
見ていると、7〜8人が買っている。
日本の地下鉄ではお目に掛れない、このバイタリテイと気安さが韓国の地下鉄にある。

  

次の日、韓国TVドラマの薯童謡の撮影舞台となった益山へ高速バスで行く。
ここは全羅北道で2時間半(1万2千ウオン)であった。
タクシーの運転手に話をすると、場所は分かるけどやっているかなと首をかしげている。
”一度行ってみよう”
町を抜け山の方へタクシーは走る。
森の中をを出ると、前に湖が広がり、古い家を取り壊している。
”ここは薯童謡の撮影現場か?”
”そう、新羅の姫とここで暫く住んだ家で、生家があった所や”
と工事現場のオジサン。
韓国にはこういう昔の風景があり、うまい場所で撮影するものだと感心する。
次は弥勒寺へ行く。
建物は無く、仏教伝来の歴史博物館になっている。
丁度、仏舎利展示の為釈迦の骨と称するものが展示されている。
虫眼鏡で見る事が出来るが、透きとおていてガラスにしか見えない。
元々信仰心の全くない私である為、
”ほんまかいな?”
と疑う事しかしないが、他の方々は膝まつき拝んでいる。
しかし、仏教が百済から日本に伝わった事ははっきりと分かる。
夕食はタクシーの運転手お薦めの韓国伝統料理店にはいる。
伝統料理にイタリア、フランス中華式を取り入れている。
1.チャプチェ(ビーフンをイカスミでからめたもの)
2.鴨のアグチム風(かもをモヤシを辛い味噌で炒めたもの)
3.カボチャと山芋のサラダで山芋の食感が良い
4.30種類以上の穀物を炊き上げたご飯
等、主なものだけでも描ききれない。
飲物はマッカリを注文する。
35年前から韓国は行き来しているので、勿論マッカリの味は知っているが、最近の味は特に美味くなった様に思うのは私だけだろうか。

   

3日目 益山(イクサン)から扶余(プヨ)は地図で見ると30Kmほどしか離れていない。
路線バスがでているらしい。
この辺の人は親切で道を聞いても丁寧に教えてくれる。
まずはカンギョンという町まで行く。
この町は扶余から流れている白馬江(ベンマガン)の下流で海産物が豊富に取れるようで、セウチョッカル(エビの塩漬け)
等、韓国料理に欠かせない塩漬けがあちらこちらの店に並べられている。
ここで扶余行きの路線バスに乗り換えである。
市場に黄色に熟したマッカウリが並べてある。
果物屋のオバサンが包丁を貸してくれるので冷えたのを2個食べてしまった。
ここカンギョンは全羅北道で扶余は忠清南道になる。
バスに乗ると、かなり年行ったハルモニ(御婆ちゃん)が乗り込んできた。
足元がおぼつかなくて、大きな声で後ろのハラボジ(御爺さん)に絡んでいる。
他人の様であるが、ハルモニは酒に酔っているらしい。
周りは怒るでなく会話を楽しんでいるようである。
韓国は他人同志でも直ぐに話が始まる気安さがある。
バスは山の間を縫って走る事1時間で目の前が開けてくる。
扶余到着である。
モーテルでチェックインし主人に観光名所を聞く。
早速、近くの博物館2軒はしごである。
百済国の宝物が展示されている。
薯童謡で使われた香炉、チュモンの時に出てきた七方剣等特に興味を持つ。
地形からみると、百済国は忠清道、全羅道で韓半島の真ん中を走る智異山脈の西側で海に面して平地が多い。
対する新羅は東側で山の多い平地の少ない所である。
扶余の町は背後は山で前は白馬江が掘りのようになり敵の侵入を防ぎやすくなっている。
川のそばに南宮池があり蓮の花が一面に咲いていて、花の匂いが漂っている。
夜は電飾で飾られ夜の蓮花も風流である。
宮殿の背後に小高い山があり、新羅に攻められ追いつめられた宮廷女性がひらひらと花びらの如く舞いながら白馬江に身を投げた落花厳が有名である。
その数3000人と言われているが、せいぜい3人位ではなかったろうか。
落花厳まで、白馬江から船が出ていて昇っていく事が出来る。
途中に岩から染み出した薬水が湧きだしていて、1杯飲むと3年若返るという効能書がある。
山の上には月見台の様な建物があり、王様と宮廷女性が音楽を奏でながら酒を飲んだのであろう。

白馬江の観光船                1杯で3年若返るので飲み過ぎると赤ん坊になる         落花厳
  

4日目 別に急ぐ旅でなし、扶余が気に入った私はもう1泊することにした。
足を延ばして扶余民族博物館という川向こうへいく。
内容は同じであるが、横に広い昔の扶余の実物大を建設中の様である。
宮殿、民家を配して大観光地にしようという計画である。
近くにロッテグループがコンドミニアムホテルを建設中で3年後には人気の観光地になるだろう。
ソウルから車で2時間半遠くなく、良い位置である。
元々、歴史のある街だから人気になりそうである。
モーテルの主人が南宮池へ夜に行けとしきりに勧めてくれるので、夕飯を食べてから行く事にする。
食べたいものはコンコクス(豆を絞ったダシに麺)である。
豆乳に冷麺が入っていると想像すれば味が近い。
これに塩を少し入れ、ム(大根)キムチをかじりながら食べるとスーとする。
酒はやはりマッカリを注文する。
ブランドはいくつかあるがセンタクと言うマッカリを冷やして、底に沈んだ粉を振らず、上澄みを碗に注いで飲む。
フル―テイな香りと味で病み付きになる。
飲む食べる事ばかりでなく、南宮池の事を書かねばならない。
神戸のルミナス?というのがあるが同じように電飾で池の道が沢山の光で包まれている。
蓮の花が薄暗闇に咲き、花の香りが充満している。
これはなかなかのものである。
入口付近では子供達の大歓声である。
シャボン玉のショウ実演中である。
シャボン玉を舞台一杯に飛ばすと子供達は制止する言葉等耳に入らない。
飛んで行ってシャボン玉を捕まえようと必死である。
子供は満面の笑みである。
今日は良い日であった。
  


5日目 扶余から大田(テジョン)まで路線バスが出ている。
テジョンで日本の新幹線にあたるKTL?に乗る事にする。
今回、テグは飛ばして釜山に行く事にする。
釜山ヨット仲間の一人、スーオク氏が駅まで迎えに来てくれる。
釜山オリンピックヨットクラブに5年ぶり位に行くと、ヨットの数は少なくなった代わりに、パワーボートが沢山増えて空きスペースは無いようである。
ヨット仲間のゼネラル李ー(あだ名)に電話連絡すると、マサンまでクルージングしての帰り途中だが、ぺラにロープが巻きついたとの事である。
先に夕飯をすまそうと参鶏湯(サンゲタン)の有名店に行く。
長い間鶏と朝鮮人参、ナツメ、その他薬草、もち米を腹に詰め込んで煮たものが出てくる。
身は柔らかく、中のもち米は溶けそうである。
ここでも酒はマッカリである。
ハーバーに戻ると、丁度入港しようとする所で、セーリングで入る積りの様であある。
近くのヨットに声をかけ、牽引してくれるように頼むとそこは海の男たち、直ぐに対応し無事に入港した。
後はいつものようにポジャマチャ(屋台)で宴会となる。

6日目 釜山で食べたいものが未だ残っている。
海雲台のハルモニクッパ(牛肉煮込みスープにご飯が入ったもの)である。
ハルモニ(御婆ちゃん)の事で3軒並んで昔から営業し競争しているのだが、看板はハルモニの写真を載せ
ウオンジョ(元祖)と書いてある。
どの店もハルモニがいて元祖なのである。
客は別に看板に何が書いてあろうと関係なく、口に会う店に入るのである。
サウナに長い間入って再度アカスリをしてもらう。
もう皮膚はツルツルサラサラである。
最後の夕食は35年前から、続いている海雲台カルビの店で締め括っておわる。
今回のマイメモリーの旅は食べる物を思い出す旅であったようである。

7日目 Pan Star Ferryの乗り場に行く。
2時乗船開始、4時出港。
ロビーでチェックインし、中を見学する。
デッキあり、サウナと浴場あり、食堂あり、舞台あり、ホテルのようである。
そして清潔で良い船である。
速度約20〜25ノットは出ているようである。
夜はビュッフェ式で好きなものを好きなだけ取るのだが、結構品数があり味もまあまあである。
夕食、朝食は船賃の中に含まれている。
舞台ではバイオリン、チェロ、クラリネットでクラシック演奏付きである。
クラシックの次は、マジックショウが続き、最後はギターと女性歌手が軽快なリズムで韓国演歌を歌う。
夜10時ごろ関門海峡を抜けている。
昨晩は快眠であった。
朝は同じくビュッフェ朝食である。
私は飛行機で縛りつけられ点から点に移動する旅より、船旅で遊びながら行く方が断然良い。
今回の韓国旅行は扶余と言う町を知った事と、昔行った食堂で味を再確認出来た事である。
韓国人は人が集まると太鼓とドラで歌を歌い舞い踊り、気安い性格は変わっていない。

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