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                    第148番 ラオス メコン川下り      2014年3月          

タイ珍道中その1

3月10日午後1時、マレーシア鉄道バターワース駅にバンコック行きの列車は2輌編成で待っていた。
寝台車の下の席を取った我々は早速昼寝を始める。
出発時刻が近づくと他の客も乗り込んでくる。
私の前は、日本若者でミャンマーで数ヶ月働きバスと鉄道を乗り継ぎ、ラオス、ベトナム、中国上海までの旅をするらしい。
日本の若者男子もやるじゃないか、、
出発して4時間後国境にきたので、一度降りて入出国検査をすます。
再度乗り込むと、タイの南で一番大きな街H at Yaiに到着。
マレーシアペナンでもゆったりしている空気が、タイに来るともっとユッタリ緊張感がなくなる。
籠にチキン唐揚げともち米を蒸したもの、果物などを売りにタイのオバチャンが列車内に入ってくる。
「これおこわみたいでうまいよ」と、Oさん。
夕食はグリーンカレー、これを食べるとタイに来たと思う。
食後しばらくするとベッドメイキングの為車掌さんは大忙し。
ゴトンゴトンと列車の振動を聞きながら夢の中に、、、、

左:ジョージタウンからバターワースへ向かうフェリー
中:マレー鉄道
右:ベッドメイキング中の車掌さん

  

タイ珍道中その2

夜明けの車窓から見える物は高い建物もなく田んぼと家がパラパラとみえる。
朝食は食堂車のタイオバチャンがベッドまで持って来てくれる。
昼頃、バンコックへ近づいてからも列車はユックリと走る。
駅で明日のチェンマイ行きの座席を確保し、さて、何処かゲストハウスを探さなければならない。
ツクツクを止めて「カオサン通りまで150バーツ(450円)!」と、言って乗り込む。
バイクを改造し、後ろに座席をつけたもので、ギアーがあり、前後とニュートラルで操作するらしく、音は大きいが小回りがきく。
カオサン通りと言ったが、当てがあり言っているのではない。
バイクの運転手ニイチャンに600バーツ迄で何処かゲストハウスに連れて行くように頼み、
「見つけるまで降りないぞ、最後見つからなかったら、あんたの家に連れて行けよ!」
と、後ろで囁く。
ニイチャンも他のツクツクオジサンに聞きながら連れて行ってくれる。
中々こ綺麗なゲストハウス、値段も550バーツ(1700円)、大きなベッドにトイレ、シャワー、エアコン、wifiと十分満足。
落ち着いた所で、昼飯だが、マクドナルドへ、
まあ、食べ慣れた物も良いだろう。
夕食はスパイシータイ料理でヒーヒー言って貰う事にして、午後7時まで自由行動。
T&Sさんはマッサージへ、Oさんは街をウロウロ、私は洗濯、昼寝、
午後7時、揃って賑やかな通りへ出て、結局イタリアンとステーキを食べる。
中華料理も飽いてきたのかな、、
去年、買って帰った孫のおもちゃを頼まれたSさんは、LEDで光る独楽と、ドラエモンのオモチャその他を買い込み、これで日本に帰れるとの事。
ワイワイガヤガヤとバンコックの夜はふけていく。

中:孫のおもちゃを値切る
左:何故かイタリアン
右:バックの像が面白い

  

タイ旅行チェンマイその1

バンコックカオサン通りの昨夜の喧騒が終わった早朝、散歩を兼ねて街を歩きお粥屋台を見つける。
この所食べ過ぎなので私にはこれが良い。
帰ってみると、T&Sさんも散歩に出かけたようで、歩くのが嫌いなOさんは朝飯もまだのよう。
どうも離れ離れになり、連絡がつきにくいので携帯電話2個にsimカードを入れ通話出来るようにする。
セブンイレブンでsimカードは1つ200バーツ(600円)で買えて10分位は通話出来る。
携帯電話は日本以外の国はsimカードは簡単に買えて年間通話契約などしなくて良い。
日本もsimロックフリーでコンビニで通話料をトップチャージ出来る様にしてもらいたいものである。
昼からバンコックを流れるChao Phraya川の水上バスに乗り上流の終点まで15バーツ、今度は下流へ15バーツを支払って水上観光と洒落込む。
王宮のある所で下船、王宮を見て来る様に3人に言って門で別れる。
私は王宮と博物館は3度程見ているのでゲストハウスに戻る。
私が帰るなり直ぐに3人が帰ってくる。
暑い為王宮観光は取りやめ直ぐに帰ってきたとの事。
観光よりタイマッサージが良いらしい。
その為、汽車の時間までタイマッサージである。
どうやら暑さで疲れが溜まってきたような、、、
午後7時半チェンマイ行きの列車に乗り込む。
この車両は上下寝台とも広く快適だが、エアコンが効きすぎて寒い。
又ゴトンゴトンという音に引きずられ夢の中へ、、、

左:水上バス
中:王宮前
右:チェンマイ行き列車
  

タイチェンマイの旅 その2
チェンマイ行きの列車は、ギシギシといういう音をだしながら山を登っている。
時々止まる駅は犬とニワトリが寄ってくるノンビリした風景である。
昼頃チェンマイ駅に着き、ゲストハウスを探さなければならない。
構内でチェンマイの地図を貰い、タクシードライバーに適当な場所を指し200バーツで行くように交渉。
賑やかな通りで降りて、バックパッカーのオネエチャンの後をつけていく。
彼女達は地球の歩き方の英語版で研究しているので先ず間違いない。
歩いているとレストランのオニイチャンが、昼飯を食っていけと寄ってくるので、この近くで500バーツ(1500円)位のゲストハウスは何処かと聞く。
オニイチャンは親切に通りに出てあそこを左直ぐにあると、教えてくれる。
ゲストハウスはこじんまりとしアットホームな所、名前はLannathai Guest house.
エアコン、wifi, ホットシャワー、冷蔵庫があり2人使用を一人使用で550バーツを500バーツに値切り4日間の宿を確保する。
夕食後ナイトバザールに出かける。
チェンマイのナイトバザールは落ち着いた感じと、センスの良い商品が多い。
  

タイチェンマイの旅その3
今日は、Sさんがモーター付きハングライダーに乗りたいということで、高所恐怖症気味のOさんは見学で、3人が大空の旅に挑戦しようと言うことになった。
その会社に連絡すると、体重95kgs以上の方はいませんか?との事。
「Sさん、何キロ?」
「僕、106kgsです」
この企画はオジャン。
それではサンカペーン温泉に行こうと言うことだが、
「離れると嫌だからタクシーにしましょうよ」
と、尻込みするOさんを、
「ユックリ走るから大丈夫」
と、納得させる。
Sさんはバイクは高校の時にしか、乗ったことが無いというし、何せ106kgsの体なので、こけられたりすれば大事なので、私の後ろに乗せる。
とりあえず出発、大体の地図は頭に入れたが、後は聞きながら進んでいく。
約2時間後、ONSENと言う看板があり、それらしい建物が見えた。
客は誰もいず、倒産前の温泉と言う感じで、綺麗なオジョウチャンと、変にオモシロイオバチャンの二人だけである。
このオバチャンと身振り手振り+少しの愛+笑顔で交渉をする。
結局オバチャンに弱い私は全面降伏の料金言いなりでOKする。
温泉は各個室で、浴槽に温泉と水を入れてはいるのである。
泉質は硫黄泉で、ヌルヌルして良い温泉のようである。
我々4人だけなので、個室も何もなく裸で行ったり来たり一緒に入ったりとしたい放題である。
誰かさんの持ってきた旅行案内本は15年前の物のようで、次回この温泉に来る時はきっと潰れているだろう。
次は夕食だが、再度15年前の旅行案内本によると、オールドガーデンパレスなる所に、伝統的舞踊と食事ができるとの事。
それじゃ、もう潰れているかもしれないけれど、行ってみるかと言うことで、勘でバイクを走らすと、これ又、うまい具合に潰れずに営業していた。
民族舞踊は綺麗なお嬢さんばかりが、ゆっくりと手を動かし腰をひねり踊ってくれる。
これは動画にした。
今日は充実した1日で早く眠りたい、、

左:オジャンになったモーターハングライダー
中:温泉の入口
右:舞踊とレストラン
   

チェンマイの旅その4

夜明け前レンタバイクでチェンマイの西の山の方へ向かっていく。
バイクを置いて山を散歩すると、モンシロチョウの群れに出会った。
私の体にまとわりつく程むれていて、幻想的で感動した。
早朝のチェンマイはあちらこちらで托鉢のお坊さんにお布施をし膝まづいてお祈りをし、お坊さんはお経をあげている光景に出会う。
まだ小学生位の小坊主さんもお釈迦様なのである。
集めたお布施は寺に持ち帰るのだが、孤児、生活出来ない人々と一緒に分けられ、底辺社会の救済もおこなっていて、カミサマ、ホトケサマとあまり相性の良くない私でも素晴らしいとおもうのである。
海外にいると、宗教について考えさせられる事が多い。
日本宗教会も本来の宗教活動に戻って欲しいものである。
門前の今日のお釈迦様の言葉で「欲を捨てよ」と書いて、高額拝観料を取るのは恥ずかしく無いのだろうか。
等と、ブツブツ言いながら、明後日からのラオスの旅の、準備にバスの切符を買いにいく。
チェンマイの北東郊外にバスターミナルがあるのだが、何箇所もターミナル建物が分かれている。
聞けば何とかなるだろうと、あちらこちらのカウンターで「ラオス!ラオス!」と、叫んでようやく切符を手に入れる。
バスの行き先は勿論聞いたことも無い街で位置も何処かよく分からないが、まあ、行けばなんとかなるだろう。
バスの旅で問題はトイレである。
オムツでも買う事が出来れば良いが、出来なければ無理やりバスを止めるしかあるまい。
まあ、今までもフイリッピンでは路線バスを止めたが、運転手も乗客もノンビリし親切で、用を足すまで待ってバスに戻ると拍手で迎えてくれたものである。

左:モンシロチョウの群れだが、小さい点で良く見えない
中:小坊主さん
  

チェンマイ最後の日
3月1日にペナンから始まった旅も、1週間目でオザ坊が帰国、残ったオヤジ4人の旅もOさんを残し明日T&Sさんが帰国、今日1日となってしまった。
あっという間に17日間が過ぎて行った。
今朝は私が散歩した所を皆で散歩し、朝食後はチェンマイの西山の頂上にあるお寺ワット・プラタートドーイステープへお参りにいく。
クネクネとした山路をバイクで飛ばし山頂へ。
私のバイクの後ろはSさん、二人合わせて200kgs弱なので、バイクも気の毒だろうと、途中からTさんの後ろに変わる。
乾季は生憎山焼きで町がもやって良く見えない。
沢山の人が観光とお参りにきているのだが、オヤジ4人は階段を登るのは堪忍してもらい、ケーブルカーで登る。
お釈迦様の物語が壁面に描かれているが、興味は果物、マンゴー、ココナッツ、ジュースなどの方へ向いている。

無事にバイクの旅を終えて、夜は初めての日本食居酒屋へ。
私は焼酎を結構飲んで例の如く昨夜はの事はよくおもいせない。

明けて早朝、タクシーで空港へ。
手違いで日にちを1ヶ月間違い買い直したファーストクラスのAirasiaでT&Sさんは帰国。
私とOさんはバスでラオス国境を目指します。
   

ラオスへ向かって
チェンマイのバスターミナルで、まずプラットホームを確認。
バスは50人乗り位で結構良いが、山道を走るのでカーブが多く、体を持って行かれてよく眠れない。
バスのオバチャンは、ミネラルウオーター、バタークッキー、オシボリテイシュをくれて、8時間程乗って291バーツ(1000円)と言う安さである。
心配していたトイレは最後尾にあり、電動ポンプで洗浄する優れものだ。
しかも、バスは2時間もしないうちに止まってくれる。
お昼はOさんはお気に入りのおこわとチキン唐揚げ、私はタイラーメン。
終点のタイ側国境の町Chaing khonチェンコンに、5:30到着。
まずは市場を見学し、食べた事が無い果物を試食。
ビワによく似たものは美味しく無く、小さいトマトに似たもの(Oさんの言ではグミ)も美味しく無く買わずに逃げる。
30バーツでツクツクに乗りゲストハウスを探す。
1軒目は酷いので、次へ、いい所見つかるまで走ってもらうよと、後ろで囁く。
すると綺麗で高級ホテルかと、思う程のゲストハウスに。
エアコン、温水シャワー、キングベッドと、シングルベッド、テレビに電話、wifi付きで500バーツというのを、二つ部屋を取るからと言って400バーツにして貰う。
夕食は川のそばに立っているレストランへ。
横に2人お嬢さんが食べているのが、スパイシーでなさそうなので、刺激物に弱いOさんには良いだろうと同じメニューを注文。
それでも1皿スパイシーなものがあり、汗をかいている。
今日はほぼ満月、空に上がってきた満月は赤い。
対岸のラオス側はこちらタイ側程灯りがない。
   

タイ チェンコンの朝
朝6時、まだ夜は明けていない。
川添いの道を上流へ歩いていく。
川の流れは早く3~4ノット位ある。
タイのボートはスピードを出す為か長さに対して横幅が極端に狭いので横波を受ければ転覆する可能性が大きい。
最近はラオス入国は少し下流に橋ができたらしく、イミグレはあるが大型フエリーの為のようである。
今回は危険を避けてツクツクタクシー100バーツでいく予定。
対岸ラオスの寺院の鐘が聞こえお経がスピーカーから聞こえてくる。
帰り道にオシャレなライダーコーヒーショップと言う所でコーヒーとロテイ巻きを食べる。
屋上は見晴らしがよくセンスの良いママさんは私一人の為にゆったりとしたタイの音楽をかけてくれる。

チェンライより静かでこじんまりとしていて気に入った町にした。
    

ラオス国境の町ファイサイ
昼頃、ゲストハウスを出てツクツクバイクタクシーで国境の橋へ、タイの出国を済ませると、30バーツでシャットルバスに乗る。
5分も掛らずラオス入国審査場へ。
滞在許可期間は15日程である。
ここから軽トラックタクシー料金100バーツ/人を払い乗るが、走り出すと反対車線を走っている。
ここラオスは左ハンドル右側通行なのである。
先ずはスローボート乗り場で船を点検、船長20m程船腹2m座席はまあまあ、8時間程の船旅は流されながら進むのだろう。
今は乾季で水流も少なそうだし明日の朝の切符購入次第で乗り込む事にする。
途中上陸し1泊し2日掛かってルアンババーンという古都へ向かう。
川を見おろせるレストランで昼飯を食べるが物価は高い。
対岸は今朝散歩したタイチェンコンの町が見えるので、随分大回りをしたことになる。
換金は近くの銀行両替所で、4000バーツ=999000キップとなった。
Oさんと、初めて見るラオス紙幣のキップと1000キップがいくらになるか等に慣れるようにする。
夕方にマーケットへ行き今日は自炊(野菜を切るだけ)し、明日の船の旅の昼飯準備で買い込む。
ビール大、トマト5、キュウリ1、リンゴ2 、マンゴー1、スイートコーン2、ソーセージ1、ワッフル1、魚のおでん串刺1
Oさんも結構買い込んだから、船内で売れる程である。
夕食はゲストハウスのテーブルベンチでこれらを開いてサンセットと共に食事をする。
    
ラオス メコン川下り途中の村で1泊

メコン川下り パークベン村

朝市場でリンゴ、ナシを買い、フランスパンにレタス、玉ねぎ、ニンジン、キュウリ、トマト、チキンを挟んだのを昼食用に買う。
スローボートのーチケットは8時に売り場が開いたので座席の上に並べてある座席表を取って220000キップ((2700円)を支払う。
早めに乗り込むと船長の横が良さそうなので、席の番号表を置き換え、ついでに順番に置いてある座席表をグチャグチャ入れ替えるイタズラをしておいた。
見ていると座席表を置き換えたせいで、結局早いもん勝ちである。
乗船は靴を脱いでプラスチック袋にいれるのだが、Oさんは何故か船の下足番の仕事をしている。
船長の息子(19歳らしい)に
「グッドジョブ!」
と褒められている。
「もう出港時間の11時になりましたがね。」
と、Oさん。
「日本と違って出港時間等、あってないようなもんよ。客が一杯になるまででないのが普通です。」
と、私。
席の件では私が席の札を置き換えた為、少し揉めている人もあったが知らない顔。
11時半頃、ほぼ満席になり出港。
1時間後には、具合よく皆さんくつろぎ、おさまる所におさまっている。
川には所々岩があり、急流となり渦巻いていたりする。
岸壁の水後を見ると、今より1m程上の所に水線があるので、雨季になれば水量も増え流れも早く、雨に降られるとこの船では、快適では無く成るだろう。
メコン川というと川幅もあり、もっとゆっくり流れていると思っていたのである。
船速約12ノット程、エンジンはHINO8気筒のようだが、ベルトが緩みすぎている様な、、、
船長も時々身を乗り出し後部排水を気にしている。
この船長はいつも笑顔で横に座っている私にチョコレート等を食べろと言ってくれる。
ラットを握りっぱなしで、トイレの時はどうするんだろうか?
というのも、奥さんと息子の3人の家族経営で後部は家になっていて船長の補佐はいない。
メコン川で泳ぐ子供達、釣りをする人、水牛がいたりと飽きがこないし山道でないので殆ど揺れることもない。
船酔いに弱い人でも大丈夫だろう。
昼はフランスパンサンドイッチと、豆乳とリンゴ。
Oさんは日本の若者バックパッカーと、話に夢中のようである。
数時間後、近くの乗客同士冗談も飛び交いバスの旅にはない船旅の雰囲気になる。

午後4時頃、ずっとラットを持っていた船長はトイレか、奥さんに代わる。
5分間程して再度交代した奥さんに乗客から拍手。

途中の村に、到着すると子供達が寄ってきて何かくれという。
テツさんが残して行ってくれたお菓子と食パンを「シェアーしろよ!」と渡す。
取り合いし負けた小さな子供は泣き出す始末。
上陸するとゲストハウスの客引き競争が始まっている。
坂道を少し登ったメコン川を見下ろす絶好のロケーションゲストハウス(250バーツ(1000円))が今夜の宿。
広くてきれいでホットシャワーまであり、山中の為、カエルの鳴き声が聞こえるだけの静かさがよい。

夕食だが、Oさんは南国特有の香葉と酸っぱいタマリンド、トウカラシに参っているようなので、インド料理にする。
チキンカレーとガーリックナン、とチャイ。
食事中に停電、ローソクをジジイとオヤジ二人で囲みの食事となりロマンチックな雰囲気、、、と、自家発電機をかけて再びLEDネオンサインがチカチカ。

山の中なので涼しく蚊もいない。
 

ラオス メコン川下り 2日目

朝6時は寒い程、長袖で村の通りを登って行く。
朝食はチョットスパイシーな春雨麺。
食料を買い込み8時頃船着場へ、ここからは違う船である。
座席表は無くやはり早いもん勝ち状態である。
Oさんは、日本の若者バックパッカーの隣りで私はユッタリと一人座席になった。
後から来る乗客は違う船に、結局ここでも満員になれば出港と言うことらしい。
メコン川の川幅は相変わらず狭く岩もあり船長はずっとラットを握っていなければならない。
オートパイロットに代えチョット席を外すと言うわけにはいかない。
川面からの風は冷たく、下に長袖を着込みパレオを首に巻く。
船尾では船の奥さん方がトランプで賭けを始め、キップが飛び交っている。

この船はガーミン(Garmin)のGPSを見て操船しているのだが、川幅10mも無いような所でも正確に位置をプロットし、岩礁も記載されている。
将来、何日もかけてキャンプしながらカヌー川下り等が人気になりそうな気がする。

昼までに2箇所程止まり、村の人々を降ろしながら川を下っていく。
景色は靄ってよく見えない。
ルアンババーン付近の洞窟寺院を通り過ぎ、町から随分と離れた船着場に降ろされ、乗客はクレームをつけているがどうにもならないようである。
急な坂を登るとツクツクが待っているが、20000キップ(320円)と、高く乗客は歩く人もいるが町まで10kmあればチョット無理だろう。
どうやらラオス側で結託しているようで、何を言っても切り札の無い我々は勝ち目はない。
サッサと乗り込み町へ行きゲストハウスを探すことに、、、
ラオス人も中国人、ベトナム人と接する感じが似て共産主義国独特の空気が流れている。
    

ルアンブラバーン朝
ゲストハウスもチェックインを済ませて、Oさんとメコン川を見おろせるレストランへ。
私の注文は、ラオスビール大とラオス料理バンブー?なんとかというもので、野菜やら肉を薄い餅皮で包みフライしたようなものとご飯。
Oさんは、7アップ、野菜と肉の炒め物とご飯。
彼はしきりにクシャミをし喉が痛いらしい。
少し熱でもありそうな赤い顔なので、様子を見て旅を変えるつもりである。

夜明け前、街を散歩。
お婆ちゃんが天秤棒を肩に乗せ籠に黒砂糖を入れ売り歩いている。
夜が明け始めると道にはお坊さんを待つ信者が座っている、
肩から布を袈裟に見たてて巻き、おこわとバナナなどを用意している。
若いお坊さんは、中学生位だろうか、黄色い僧服に托鉢を持ち裸足で行をしている。

私の朝食はお粥と蓮の葉で餅米と味噌を包み蒸したもの。
ここの町並みは木造の昔風の家が残っていたり、チョットおしゃれなフランス風カフェがあったりと、落ち着いた良い町である。

昼から、メインイベントのクアンシー滝で泳いで来ます。
  

ラオス ルアンババーン クアンシー滝

朝、Oさんは風邪でダウン。
フランスパンサンドイッチと飲み物と、薬局で風邪薬を買い差し入れ、私一人でクアンシー滝へ。
滝のある所は山中なので、危なそうな橋を何度も渡る。
着いた所で入場料を払い中へ、いきなりクマに出会う。
この熊よく見ると竹をかじっていて、パンダの全身真っ黒にしたような熊である。
山道を登っていくと滝が、、、
おとぎの国に迷い込んだような、、、
一番高いところの滝は100mの落差はあるだろう。
以後何段にも滝になっている。水を見たら入らないと気が済まない私はシャツだけ脱いで泳ぐ。
周りに人魚もいて最高に幸せである。

ゲストハウスに帰ると、Oさんは調子が悪そうなので、ペナンに帰る最短コースを取ることにした。
明日午前8じのバスでビエンチャンに行く事に。

朝の差し入れの他は何も食べていないとの事、ナイトマーケットの自分で好きなだけ取るラオス料理を食べる。
始めて満足のいくラオス料理を食べた。
デザートはマンゴーパイナップルバナナシェーク。
      
 

 

ビエンチャンに向かって 

昨夜は雷を伴った雨が降ったので、雨季の始まりであろう。
旅行社のお嬢さんは7時前に事務所に来て、
「あのツクツクでバスターミナルへ、そこでクーポンに変え8時出発のバスに乗りなさい。」
と、可愛い笑顔添えて教えてくれる。
バイバイと手を振りながら、無い後ろ髪をひかれるような、、
バスターミナルの待ち時間に、フランスパンサンドイッチとコーヒー。
Oさんに出来るだけある服を着込む様に言って、私も上下三枚ずつと、首にエリマキがわりにパレオを巻く。
空模様は怪しく雨が降るだろう。
もう、4月だから11月頃までは雨季、私の旅行もギリギリ良い季節にしたような。
バスは山道をクネクネ、バウンドもしながら走って行く。
船で言うと荒れた海でローリング&ピッチングと言う所だが、勿論船に比べればバスはマシである。
船なら荷物は飛ぶ、食器は飛ぶ、包丁も飛ぶ、人はゲロゲロ、、、
でかい二人が横ではOさんも窮屈だろうと、私は最後尾座席に横になって行く。
11時頃、トイレがしたくなったので、運転手にどこかその辺で止めろ、というと山路の端に止まった
ドアを開けると、運転手は私より先にバナナの木の横に行って用を足す。
先を越されたたが2番手は私だ。
続いて3〜4人も降りてくる。
オバチャンもバナナの影に走って行った。
「な〜んだ、皆オシッコ行きたかったんか、、」
何か皆の為にいい事したような気分だ。
この山道はギリギリすれ違える道幅しかない。
前にはコンテナ車が何台も連なっているのを、少し道幅の広い所でクラクションを鳴らし追い越しをかけて行く。
チョットハンドルを霧損ねると谷まで落ちて行くだろう。
このバスはVIPと書いてあるが路線バスのようで、客の乗り降りが多い。
昼飯付きと言うことだが、2時過ぎてやっと昼飯を食べさせる所に止まる。
私は麺、Oさんは飯。
それから夕暮までクネクネが続き、平坦な道になってから2時間程走りバスの終点に到着。
辺りは真っ暗で、本当にラオスの首都なんだろうか?
ここからツクツクで勘でリバーサイドと言って乗る。
「ホテルはリバーサイド」という歌が頼りである。
中々お洒落な町並みでホテルも沢山立っているが、私達はゲストハウスの上を目標としている。
朝食フランスパンサンドイッチ+コーヒーでトイレ、ホットシャワー、エアコン、テレビ、wifi付きである。
今日は遅いから寝て、明日早朝から歩き回るか、
  

ノーンカーイの町

ラオスとタイの友好の橋を渡ったタイ側メコン川に面した町がノーンカーイである。
川のそばに立ったゲストハウスで、メコン川の流れを見ながらユックりとした時を楽しむ。
どこからかジャスミンの香りが漂ってくる。
探して見ると、直ぐ横にジャスミンの木があり小さな白い花が咲いていた。
その横には蓮の花、その下は水仙が咲いている。
朝はタイのお坊さんを真似て托鉢修行の様に散歩し、途中お粥を食べる。
昼頃になると川に沿って屋台商店街が1km程続き、衣料品、食品、雑貨が並べられている。
川幅300m程、流れもそんなに速くないメコン川を昔は船で行き来をしていて、この辺りの住民は同じ国と思っていたのだろう。
メコン川を下って行けばカンボジヤまで行けるのだが、国境を接するこの地域の川下りルートがないのは何故だろう。
ファイサイからルアンババーンまでは両側ラオス領土を下るルートの為に流れが急にも拘らずツアーがある。
国境の川というものを考えさせられる。
自由な海に国境など引かれ航行できない不自由な海にならないように祈るだけである。

左:国境の商店街
中:メコン川の水上レストラン
右:ジャスミンの木に色んな蝶々が飛んできます(白モンシロチョウ右上)
   

再びバンコックに

ノーンカーイからバンコック行きは午後6:20発 寝台列車。
ゲストハウスに半額追加料金を払い部屋を午後6時迄借りる。
午後5;00頃、オバチャンの運転するツクツクに乗り出発。
途中、同宿の日本人Hさんと、女性のカメラマンSさんも一緒に乗せる。
列車が動き出すと「旅は道連れ、、」ということで食堂車で4人集まり食事&宴会。
話はあちらこちらに飛びビールを5本飲んだ辺りで上部ベッドに登って寝る。
列車はエアコン車両、扇風機車両、障害者用車両とあり、車椅子用の乗降装置があり、障害者用車両トイレは広くて綺麗である。
明けて6時前、列車は線路両脇一杯迄家が建ち並んでいる所を走るのでもうすぐバンコック駅に到着だろう。
女性カメラマンSさんは友人宅へ、ジジイとオヤジ2人の3人はカオサン通りで宿探し。
ゲストハウスと言うとエレベーターのついている様な所は無いので部屋のチェックに、階段を上り下りしなければならない為、Oさんはダウン寸前である。
結局、前に泊まったゲストハウスへ。
バンコックは騒々しく早く通過したい所だが、寝台列車が明日も明後日も満席で乗れない。
他のルートは、バスでHatYaiかペナン、飛行機でペナンだが出来るだけ選びたくないルートである。

左手:ノーンカーイの商店街を歩く子象
中:障害者用トイレと車両
右:バンコック駅に止まっていた蒸気機関車

   

HatYaiの町で

バンコックのカオサン通りのゲストハウスは値段の割に設備はまあまあだが通りの喧騒が嫌で少し離れた所が良かったのであるが、早朝に着きすぎてチェックアウトの時間迄待てず仕方なしにチェックインした。
やはり午前2時位迄ドラム、マイクから流れる歌が煩かった。
早朝6時、ピックアップタクシーに乗り、南バスターミナルへ。
朝ごはんを食べ、電子本を読みながら待ち、午前8時スタート。
バンコックからハートヤイ(Hatyai)は平坦な道である。
午後2時昼御飯で30分程止まる。
一応この車も二階建てVIPバスでトイレは下についている。
走り出すと先ずタイの音楽、タイのテレビ放送、最後はDVDとこれ又煩い。
午後5時位になるとTV, DVD,音楽も種切れになった様でやっと静かになる。
日がとっぷり暮れてもまだまだ走り,結局午後10時頃の到着。
Oさんの帰る日が迫っているが、ペナン浮家に寄らずクアラルンプール空港へ直接行くという訳にはいかない。
携帯電話等入れた荷物を船に置いて来たらしい。
ハートヤイからペナンまでの列車の手配を明日しなければならない。
列車がなければバスしかないが、このルートは狭いマイクロバスで一番選びたくない。

早朝の托鉢修行の様に町を歩き回る。
6時半頃になると、屋台も準備が始まる。
北京風小さな肉饅頭が蒸篭で蒸されているので、豚肉2個、野菜2個、焼売6個で40バーツ(120円)支払い食べながら駅へ。
昨夜遅く到着して駅が閉っていたので、再度チェックに行く。
何とAM7:00ーー>PM1:00の1本だけという。
Oさんのフライト日にギリギリ間に合う。
体が楽だろうと思いクアラルンプールの町で1泊を薦めたが、マラッカへの一人旅も取りやめ、ペナン空港からクアラルンプール空港へ飛行機で直接飛び、空港で寝て待つとの事。
という事で、もう1泊HatYaiである。
この町はタイの南部の大きな商業都市で活気がある。
この地方は石灰岩の島が点在、海燕が多く町の料理屋は燕の巣料理を多く出している。
タイも南部はモスリム信者も住んでいるが、少数派の彼等は国境付近の山間部に反政府勢力を組織している。
数年前遊帆(UFO)修理の為、タイの南部の街カンタンに上げたのだが、滞在許可の30日が来たので、バイクでマレーシアとの国境を越える為に山間部に入った所、危なそうな数人のグループ若者と出会った事がある。
フイリッピンのミンダナオ島もよく似ているのだが、多数派(カソリック系)と少数派(モスリム系)がいて何でも多数決で決めてしまう政治システムは限界なのかもしれない。
人間は三人よれば文殊の知恵というが、もっと多数よれば愚かものになるのだろうか、、、

左:VIPバス
中:中の様子
右:HatYai駅
   

ハートヤイのSaban Ngaレストランで

明日でペナンの我が浮家に戻るので、今夜は特別豪華料理を食べようというので、Sabang Nga というハートヤイ空港近くのレストランへ。
軽4輪ツクツクで行くが運転手のオジチャンは見つけられなくて途中で泣をいれる。
私は後ろから来る人を呼び止め聞くと、オジチャンは分かった様子。
やっと、着いた所はお洒落なレストラン、今回の旅でこんな所は始めてである。
注文はチキンオレンジソース、ポークスイート&サワー、魚の素揚げにニンニク玉ねぎ素揚げ添え、ビール大1、餅米3個、デザートはチェストナッツのココナッツミルクかけ、黒ゴマアイスクリームである。
味は抜群、盛り付け良し、雰囲気良し、値段800バーツ(合計2400円)で安いと、文句なしである。
今まで1人前1000円以上の料理を食べた事が無かったので、最後の夜にふさわしい散財となった。
帰る方法だが、来る時に乗ったツクツクオジチャンに30分後に来る様に言って置いたのだが、懲りたのか来ていない。
仕方が無いので、道路で来る車に向かって手を振っていると、バイクのオニイチャンが止まってくれた。
全く素人で薬を買いに行くのでついでに乗せてあげるというわけである。
私とOさん二人で170kgsオーバーにニイチャンの3人乗りで、流石に気が引けるが、エエイママヨ!と乗り走って戻って来た。
ニイチャンには来る時の料金200バーツを渡そうとするといらないというが、無理に渡して感謝の印にした。
     

Oさんのサヨナラパーテイ

午前6:00起き駅へ向かう途中で朝御飯に卵、豚肉ミンチのお粥、Oさんはスープの米麺。
列車は約1時間遅れで国境の街へ向かう。
マレーシア滞在期間は90日許可の為、日本帰国前に再度出国しなければならい。
次はインドネシア スラバヤをベースに1月間(インドネシア滞在許可期間)温泉探しの旅をしようかな。
国境をすぎると、石灰岩の切り立った小さな山が広い田圃の中に突然に立つ面白い景観が続く。
午後2時頃、バタワース到着。
フェリーに乗ると、もう我が家に帰って来た様な気分である。
ジョージタウンに着いて、Oさんが国境の免税店で買ったウイスキーを列車に忘れて来たとの事。
チャンさん、カニヤのオヤジへの土産は鉄道員へと回る。
我が浮家は異常無し。
早速洗濯にシャワーをし、今夜のOさんサヨナラパーテイにそなえる。
午後6時、カニヤヘ。
今夜は、ペナンリタイアビザのM&A御夫婦とチャンさんとカニヤオヤジ。
話はあちらこちら飛ぶ。
旅も良いけれど飲み友達 のいるペナンは良い。
永遠に続く時の流れの一点、地球上の一点、時間と空間の交差する一点で出会うと言うのは全く奇跡である。
どちらかが少しずれていれば、永遠に他人である。
そう考えると今回の旅で色んな人との出会い人の触れ合いに感謝したい。
人間万歳!

  


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