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             第141番 香港ーマニラクルージング  2013年4月

出逢い


昨日、初めての方からメールを受信。

ペナンに来ているので一度会いたいとの事。

朝の飲茶をご一緒にしましょうという事にした。

西宮でピーターソン40ftに乗っておられる方で、私の航海記を見て、ついでに見学ということのようである。

この方(Kさん)は、私のメールが分からずにホテルでパソコンを開いていたら、日本人スタッフ(女性)が、ミニ号のA氏を知っていて、そこから私に繋がるという、不思議というか、狭いヨット世界の中で連絡がついたという。

昨日は、そんな訳でミニ号も見学され、今日は浮家遊帆(UFO)の見学になった。

4月中旬から、香港ーマニラの手助けも、私は会った事が無いが、この方も航海記を読んでメールが来たのである。

我が家族向けに書き始めた航海記は、結局我が家族は誰も見ていなくて、その他大勢の方が見てくれているようである。

時空の一点で交わる人との出逢い、それは奇跡だと思って大切にしたいのである。



遊帆(UFO)屋根の取り換え考

遊帆(UFO)は浮家状態になって3年は経つただろうか、その頃、オーニングを外し簡単に波板でやっつけ仕事で済ましてしまった。

1年もすれば破れてしまうだろうと思っていたのが、ラッキーな計算違いで飛ばずに残り今でも用はなしている。

今では波板の中の針金が錆びて黒くなってしまい、難民船の様になり見苦しくなってしまった。

テント、オーニングと違って屋根にしてしまうとデッキの使い勝手は良いのに間違いはない。

しかし、遊帆(UFO)も船には違いないので、どこも直線でないしステイも通っている。

そこに基礎と通し柱をどう固定するか、梁と軒桁をどう通すか等頭の中で捻くりまわし組み立てている。

基礎さえしっかりすれば、2階建てにするか等とヨット修理とは思えない馬鹿な事も考えている。

ひとり仕事だから、段取りを間違うと進まなくなるな、、

等と、デッキで食事しながら、口はモゴモゴ、目は上をにらみ、ウンウンと頷いているのである。

怠け者の私は、今の屋根が飛んでしまえば心を決めるのだが、用をなしている間は明日できる事は今日しないという事で1日延ばしをする。

修理もクルージングも、やり始めるまで、あれこれ考えるのが楽しいので、屋根の取り替えも今から1年位は楽しむ事になるだろう。


古い友

前回の日記では新しく拡がっていく出逢いの事を書いたが、最近、香港に住んでおられる日本人らしい方から、英文のメールを受取、訪香港時に逢いましょうという事にした。

さあ、そろそろ4月中頃からの香港ースービック(フイリッピン)クルージングの為、航空券を予約しなければならないのだがと思っていると、昨夜、古い友と言っても、今はもう義理の弟の様なファンさんからスカイプで呼び出しがあった。

彼とは35年以上の家族ぐるみの付き合いで、もう一人、同じく義理の妹のようなリリーさんからもメールがあった。

ふたりとも、もう還暦が近い筈だが、まだ現役で仕事をしているらしい。

頑張ってしっかり仕事をし金儲けをしている彼等を見るのは楽しみである。

京都、香港、ペナンと逢える時は食事をしながら話をするだけだが、遠方より友来るで楽しいものだ。

近くにいても疎遠、遠くにいても親戚づきあい、人の縁とは不思議なものだと思う今日この頃である。


香港のお気に入りの島

昔は交通の便利の良い、九龍サイドに宿をとっていたが、今は喧しい所には居たくない。

という事で、香港島のセントラルフェリー乗り場から1時間程の長州島が、お気に入りで空港から直ぐに向かう事にしている。

この島は2〜3Km程、車は病院の送迎車が数台走っているだけ、歩いてすぐに島めぐりができる。

西側は漁港とフェリー発着所で表玄関とすれば、東側は砂浜のきれいな海岸が続いている。

香港島を舞台にした「慕情」の丘の様な素晴らしい所が、島の北の丘にある。

散歩して、暫し甘酸っぱいような青春時代を思い出せる場所である。

それよりも、食いしん坊の私は海岸に並んでいる海鮮料理屋と飲茶の店が、本当の狙いなのである。

ここは、取り立ての新鮮な魚介類が九龍香港島より安く旨い。

又、九龍香港島では、見つけるのが難しくなった昔ながらの素朴な飲茶屋がまだ残っている。

ここに義妹リリーさんの日本の友人Y御夫婦が住んでおられる。

奥様は広東語はペラペラで手巻きずしとどら焼きを売りながら生計を立てておられるようで、旦那様は物理の研究と、内職に絵葉書を書いて売っておられるが、素人の絵ではない。

と香港も楽しみが多い。

数年ぶりだが、あまり変わっていてほしくないと思うのだった。

香港旅行もこういう田舎も落ち着いて心休まると思うのだが、、

宿はフェリーを降りると、写真を載せたカタログで選べて値段は勿論安いものである。

 


危ないフリッピン海域

15年程前の事です。

遊帆(UFO)で台湾花蓮からバシー海峡を越え、黒潮に逆らいながら、フリッピン、ルソン島の先端を西側に入り、海岸添いを南下、夜になると無灯火で両サイドから挟み込むように近づいてくるエンジン音がする。

昼間フリッピンのアウトリガー漁船を見ていたので、多分その形をした船だろう。

漁船か俄か漁船変じた海賊かもしれず、どちらにしても接舷され、こちらに乗りこまれれば御終いと思い、船内の刃物と金物を足元に準備した。

片側の音がかなり近づいてきたので、急に舵を切りその船のアウトリガーに当てに行く。

竹で出来たアウトリガーなので、壊してしまうとバランスを失うので航行できない。

すると遠ざかっていくが、反対側からも近づいてくる。

同じように舵を切りながら、30分ほどやりとり、やっと諦めたようでエンジン音は去って行った。

流石に喉がカラカラになってしまった。

今回は香港からなので、ルソン島の西側をかなり離してコースを取る事にしている。

フリッピンの船は小さい上に、竹のアウトリガー船なので、波にも弱く遠くまで漁に出る事は少ないと思われる。

前回はサンフルナンドに入国したのだが、その時も税関、イミグレ等、仕事をするようなしない様な、要するに特急料金という賄賂を要求された。

事前に通知(VHFでのポートコントロール呼び出し)なく入港した場合は5000ペソの罰金とか、兎に角、手続きが難しいが、これはオーナーキャプテンに、どう処理するかは任せるしかない。

しかし、一旦入国したあとは、どこへいこうと自由で、フリッピン内だとポートクリアランスの必要もない。

フリッピンは、都会でなく、小さな島々が素晴らしい。

海も綺麗、珊瑚も綺麗、人情厚い人達に出会えるだろう。


予定が詰まってきた

今年、もう一つの頼まれごと、フイージーーケアンズまで、カタマラン38ft廻航だが、Kオーナーは琵琶湖のヨット仲間、まだ現役で金儲けに忙しいらしい。

この香港ースービック廻航スケジュールを決めるのに、何度メールをしても、「金儲けでバタバタしてます。」と言うメールだけ。

こちらも、まあ、いいか、と思って、香港行きスケジュールを決めたのである。

廻航が終われば、フイリッピンの田舎の方で綺麗な海でのんびり1週間位いようと思っていたら、今朝のスカイプでKさんからの呼び出しである。

「本当に動かす気があるのか?」

と訊くと、

「フイジーは1年以上係留したら、輸入税を支払わなければならないから、動かす。」

さもありなん。

最近は世界中航海するヨットも増えて、出入監視がきびしくなってきているのだ。

オーストラリアでもそうだし、タイでもキャプテンが船をタイ国内において、出国する時は、輸入関税を銀行に預けて証明書を添付しなければならない。

結局、マニラーシドニーーフイジーという航空路で早々に行く事になってしまった。

Kオーナーは、フイジーで係留している船から、オルタネーターを外して持って帰ってきているらしいが、電気系統の問題で、今はうごかないらしい。

私も、遠い所を飛行機で何度も行くのは嫌なので、それなら、早目に言って修理しておくという事になってしまったのである。

修理が終わったら、ケアンズに近いポートビラかニューカレドニアで待っていてやろうか、等と考えている。

どこにいても同じだし、まあいいか、、、

自分でもお節介な男だと思う。


血が騒ぐメール

フリッピンのネグロス島の最南端、ボンボノンという天然の湾は各国ヨットの溜まり場である。

その時に出会ったウエイン(Wayneカナダ人)は、当時(10年程前)はコンパスローズというモノハルに乗っていた。

その船でマレーシア方面へ彼は先に出港したのだが、ヨットマンの考える事は同じなので、一緒になったり先に進んだりしながら、ランカウイ島まで行った仲である。

私の遊帆(UFO)をみて、自分もプラウトカタマラン37ftに買い替えるといって、プーケットへ行ったのである。

その彼が、数年後、同じ37ftスノーグースカタマランで遊帆(UFO)係留地Jabatanへやってきた。

シレット社のドライブは同じなので、その部品を使えと置いて、西周り(インド方面へ)に出た。

私はと言えば、去年の暮長く使っていたホットメールIDを削除され、同時に多くのヨット仲間のメールアドレスも消滅してしまったのである。

私の前に係留している中華系カナダ人ユキーがいるのだが、この度、彼がJabatanに戻ってきたので、話をしていると、何とウエインとメールのやり取りをしているとの事、やはり、ヨットの世界は狭いと思うのであった。

というような経緯でウエインから来たメールは、あのまま西へ向かい、インド洋、喜望峰を越え、大西洋、カリブ海から、パナマを抜け、エクアドルに着いたとの事、今年中にマルケサス諸島からフイリッピンへ戻るという。

同じ船でもあり、このメールを見て大いに血が騒ぐのであった。


情報集め

フイリッピンは様子が分かっているのだが、オーストラリア、フイジー、バヌアツ、ニューカレドニアを調べなければならない。

ヨットマンが日々情報更新しているNoonsiteにアクセスし、グーグルアースで確認し、地図を画像ファイルで取り込んでいく。

このサイトは、ヨットに必要な、カスタム、イミグレ、ハーバーの様子、補給、修理、国の習慣から住民の接触の仕方までかいてある地球の歩き方のヨット版みたいな便利なサイトである。

フイジーの様子が分かってきたのだが、周りに沢山の島があり、綺麗な砂浜に椰子の葉が茂ったフラットな島に、洒落たリゾート等あったりする。

これはなかなか楽しめそうな所だとほくそ笑む。

Kオーナーは4月の末に帰ったら、1カ月ほど戻ってこないらしいので、これは、ゆっくりと周りをクルージングしながら調査しなければならないだろう。

その次は、ニューカレドニアより、バヌアツの方が私には良さそうであるが、急いでいく必要は無い。

未だ、人が入っていないだけ自然も残り人も親切で友好的らしい。

できればバヌアツも1カ月位はいたいものだが、、

オーナーは金儲けをしていて貰って、私一人で乗っ取り動かしておいてやろうか。

遊帆(UFO)には、この辺りの国旗があった筈だから持っていく事にしよう。

後1週間程で先ずは香港へ向かうのだが、天気予報サイトで見ると、天候が悪そうで雨が降り気温も低い(16度になる時がある)ので、捨てる冬服で行かねばならないだろう。

風速は30〜35ノットの時があるだろうとの予報。

一方フイジーはお天気は良い(ペナンと殆ど変らない)が風が殆ど無い(5〜15ノット)

思い通りにならないのが天候である。

weather forecast com

noonsite.com

http://www.passageweather.com/


写真はインターネットから拝借

   


桟橋パーテイ

今日は、昼寝が出来ない忙しさだった。

暖かいこの辺りはシロアリが来て、木の中に入り込み、カリカリと音を立てながら木の中をすっかり食べてしまう。

遊帆(UFO)も彼等の攻撃を受け、外の木の所は殆ど食いつくされてしまった。

今回、デッキの下の木材に住みつきカリカリ!

殺生の嫌いな釈迦の様な私でも、こうなると怒っってヒットラー並みの作戦を取る。

先ずは毒の購入に、五金屋(日本語では金物屋)へいき、オバチャンに

「ホワイトアント、シュー!キル!ダイ!」

と、私の英語力はこんなもんなんです。

これでも、オバチャン

「ホワイトアント?」

と訊くから、絵心のある私は、サッサとアリさんの絵を描く。

オバチャン笑って喜び、やっと通じて 買って帰る。

ヘルメットをかぶり、バイクに乗りエンジンを掛け気持ちよく走っていると、前の風避けプラスチックに変なものが張り付いている。

目を前の焦点に合わせると、何と、蜘蛛が!!

流石の私も、10cmも無い所鼻の前の蜘蛛は嬉しくない。

バイクを止め、ヘルメットを叩きながら蜘蛛には降りて頂いた。

今日は全く酷い日だが、ハーバーではパーテイとの回状がくる、

どうせ、飲めればどこでも天国やっと、一息つくのだった。

さて、そのパーテイだが総勢20人以上集まっているが、どこにこんなにいたのか、、

その中でも、ケッチ47ft程のドイツ人オーナー旦那(難しい名前)と奥さん(アンドレア)は日本の相生で買った船だという。

日本人の名前はシオミさん、船名はボラボラ。

きっと、御存知の方もいるだろう。

写真:中と右のバックに写っているのがボラボラ
    中の赤い服をきたアンドレア、話しているのがカニ屋オヤジ、反対側の顎髭がアンドレアの旦那

追伸:カニ屋のオヤジが
    「自分の船ここに無いけど、、、」
    というので、
    「OK,遊帆(UFO)のテンダーのオーナーになっとき」
    という事で、このパーテイ参加。


   


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