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              第136  京都 3人目の男孫  2012年9月〜

喉風邪かな


ペナンから帰国して直ぐに喉風邪にかかり、夜になり寝入った頃に

「ゴホン!ゴホン! カッー!」

寝ていられない私はこの事の張本人であるから仕方が無いが、遠く離れたカミサマのお耳に入り

「ウルソ〜テ、ネテラレン!」

原因は一体何だろう?

日本の空気が悪いのじゃないか、と考え、去年娘達が敬老の日にプレゼントしてくれた空気清浄機のスイッチを入れてみた。

長い事使っていないので余計埃が舞いあがるようだ。

日本の春の花粉症は私の天敵なのである。

未だ花粉が飛んでいるのかな?

カミサマは

「誤嚥とちゃうか?」

この頃、歳のせいか確かに肺の方に行き、ゴホゴホ!
という事が多い。

舌をおもいきり出して「アッカンベー」と言うのが良いというので、カミサマに向かって、やって見るが未だ効果は無いが気分はよくなるようだ。

あ〜あ、はやく ペナンに帰りた~い!


久しぶりに町へ

帰国してから嵐山の山上で生活している私だが、久しぶりにカミサマのお供で市内に降り錦市場に出かけた。

錦市場もテレビで放映されている為か、観光客風の人で道路も歩けないほど混んでいる。

店も昔からあった店から、大資本のチェーン店の様な店が出店しているようである。

嵐山渡月橋辺りはもうすでに昔からのオヤジとオカミが店を出すような所から、経営効率を考えた店舗に変わってきている。

全国何処でも同じ味のKFCとかMacの店が良いのか悪いのか私には分らないが、未だ古い尻尾をつけている私にはオヤジとオカミがいる店の方が入りやすい。

しかしながら、アジア各国に行った時、時々、KFCやらMacやらの店に行き、これ又ホットする矛盾を抱えた私なのである。


毎日の散歩

嵐山は東海自然歩道が連なり、一応都会と言われながらも観光コースから外れた穴場というのがある。

近場では鈴虫寺と西芳寺の間を流れる華厳川というのがあるが、春は桜、秋は紅葉が川に覆いかぶさり美しい景色になる。

この華厳川の上流は車は通れない道となり、小さい川ながら河原があり、流れる水が澄んでいる。

京都の人でもあまり訪れる人はなく、夏には私は孫達とここでバーベキューと川遊びをする。

四條桂川松尾大社前の河原は広く、休日になると場所取りをしなければならない程混むが、ここは静かなのである。

朝6時頃、ここまで来て帰る1時間程の散歩を決まりごとにしている。

秋になれば、すき焼き鍋を持ちこんで川に足をつけながら食べるというのが、しゃれているのではないか。

左:西芳寺門
中:華厳川河原
左:孫の飛び込み台

    

タイムマシンに乗って

ここは新開地の地下で、階段を上がり地上に出ると景色が変わっていて私は浦島太郎である。

50年経った道路は阪神大震災後広くなったと言う話だ。

「ええ〜とこ、ええ〜とこ、新開地、ええ〜とこ、ええ〜とこ聚楽館(しゅうらくかん)」

と8歳から15歳位まで遊び場だった、新開地、湊川公園、聚楽館(しゅうらくかん)は全く変わっている。

幼馴染がこの辺りに沢山いたのだが、今は、その店もひとつもない。

子供の頃の思い出、南京豆、そら豆、バナナの叩き売りの、駆け引きの面白い事。

湊川公園ではテキヤが怪しげなガマの油を長々と口上を述べ、なかなか刀で自分の腕を切らない。

首が天井まで伸びるお姉さんやら、蛇女が芝居小屋にいたりして、毎日のように学校から帰ると遊びに行っていた。

坂本赤マムシの店も無くなっている。

今は、パチンコ屋、簡単な食べ物屋、ホテル等が立ち並び、あの当時の人通りはどこにもない。

フラフラと南へさがると、「トシヤ」という看板と幟が見えた。

この店こそ、今回のタイムトラベルで見つけたい店だったのである。

間口は5m程、表の様子は変わっているが、確かにここだ。

中に入るとテーブル椅子は変わったが、並びが同じ、広さも変わらないし、帳場も同じ位置だ。

早速、「やきそば」を注文。

ここの黒くソース味の日本蕎麦のやきそばで味は変わらない、うまい!&懐かしい!

今では、この「やきそば」結構有名でテレビに出た事があるという。

味は、キャベツと玉葱少しと豚肉で蕎麦を炒め、すき焼きのタレにウスターソースを混ぜたものをかけた味がする。

健康の為もあって、毎日のように、蕎麦を打っているのだが、トシヤのこのそばを忘れていた。

明日から試作にかかろう。


左:昔の店の絵(店に貼ってあった)
中:やきそば
右:今の店

    


墓参り

息子家族とカミサマ5人は息子の運転する車で明石まで、私は阪急電車で新開地で降りて思い出探しをしながら行く。

明石では、松竹の明石焼き、後、くるみやのシフォンケーキを食べ、それから、墓参りで,済めば垂水の増田屋の寿司か、元町中華街民生で中華料理を食べて帰るというのが、お決まりのコースである。

明石海峡を一望出来る所に墓は有るのだが。

テ レビに出てくる怪しげな占い師が、この様な、ついでの墓参りは御先祖様がお怒りになるとの事をいっていたようだが、可愛い子孫をお怒りになるような先祖 は、我が先祖には、いないと思うし、例え、そんなご先祖様がいたら、私があちらに行って良く説得しておくから心配ないと言ってある。

私自身は骨を海に捲けといってある。

私は海で自由に泳いでいるほうが土の中にいるよりは良いという考えと、仮に子孫が遠く離れていようと、お参りしたいと思えば、海に向かってすればよいし、墓代も掛からないという考えなのである。

決してカミサマのそばが嫌だという事ではない。


嵐山の月見

9月30日は中秋の名月、日本以外の東南アジア各国はお盆になる。

ペナンでは3日位前から、町は飾り付けが始まり、月餅が売られ、30日から殆どの中華系の店は閉まる。

嵐山でも「月を愛でる」という、イベントがあるという噂を聞き、カミサマと夕方から出かける。

運動の為、歩いて約1時間、渡月橋に到着。

昼間は観光客で一杯だが、夜は殆ど人が見えない。

夕食でも食べようと思っても、見事に店は閉まっている。

私としては、観光客のいない嵐山で月を見る方が良いが、これで良いのだろうか?

嵐山にオープンしている店も、京都とは全く関係の無い資本が入り、何処にでもあるようなものを売って儲けている。

そんな事は、京都市長さんにでも考えて貰う事にして、夕食は戸隠そばと言う店に入った。

この店の事は知らず、初めて飛び込んだのだが、蕎麦が旨い。

店のおばちゃんとそば談義、いろんなそばの食べ方の話をする。

おばちゃんの話では、明日から夜船が出るから、この券をあげるという、良く見てみると、午後3時より、船乗り場で先着順(500名)が乗船券で引き換えるとの事。

こりゃ、駄目だ!

帰りは、カミサマは電動自転車、私は自分の足で1時間かけて帰ったのである。


ええ?ほんまかいな?

午後2時、娘は手術室に、2時間後に孫が出てくるが女ではなく男でおちんちんがついている。

皆で 「ええ? ほんまかいな?」

考えている名前は女の子の名前、用意した服もスカートやら、ピンク色、布団までピンク色である。

帝王切開の為、羊水を吐き出さないのか、医者が数人集まって何かしているのを遠くから眺めるばかり。

こうなると、男はオロオロするだけで何の役にも立たない。

娘も出血が多く手間取ったようだ。

今夜無事に過ぎれば問題ないであろう。

10日後、家に戻ってくれば、暇な私が風呂入れ、飯、その他雑用担当になるだろう。

それにしても男孫なら、又、新聞紙を丸めて刀にし、チャンバラしながら、しばくのが楽しみである。

息子の最初の男孫は私が手加減しないでバシバシ叩くし、お金をテーブルに乗せ落としあいしてお金を取ると

「ジジイ!キライ!」

「そんな事言わんと、もう一回しよう!」

遊ぶのに孫だからと言って手抜きしないジジイなのである。


こりゃ、困った!

歩いて行ける、昔からの銭湯が京都嵐山上桂にあるのだが、昨日をもって廃業致しますとの貼り紙が玄関にある。

ここの若主人は、私の高校の20年位後輩になるらしい。

長い話になるが、風呂上り色々と喋っていると、彼は海外青年協力隊でベネズエラに行っていたとの事、又、お香が好きで風呂場にいつもお香をたいていてくれる。

そんな事から、ユーカリの木の香りの話になり、その木から同じ高校というのが分ったのである。

この銭湯は設備は既に40年以上経っていて、急に水が出なくなり、修理をするには数千万円掛かるという。

京都は銭湯代400円程、これで数千万円回収するには何十年も掛かるだろう。

「にいちゃん、これからどうすんねん?」

「昨日の今日でまだ決められへん。」

そりゃそうだな。

ここの地下水は桂川の伏流水で、水質検査をしても飲料水になるので、いつも水を貰って帰っていた。

近くにはスーパー銭湯があるが、あまりに水が汚いのと、風呂に入る人がアマチュアが多く行く気がしない。

さて、こうなると、どこか銭湯を探さなければならないが、桂川を渡って中京区から下京区には、未だ昔からの銭湯数軒あるが自動車に乗っていかねばならない。

風呂友もさようなら!

困った!困った!


命とは

男孫は、羊水が肺の中に入ったまま生まれてきたので、未だ、酸素補給保育器の中にいる。

小さい体で、時々しきりに手やら足を動かし泣いて命を手に掴もうとしているように見える。

泣けば肺の運動にもなり羊水も消えて行くそうである。

この小さい命が懸命に生きようとする姿をみて、不思議な事に私自信の臨死体験を思い出した。

私が20歳の時、交通事故を起こした途端に、私は花園を飛び綺麗な女性が上の方にいて、飛び上がっていきそうになっていた。

又、病院ベッドで寝ている自分の姿も医者が手術をしている所も上方から見ていた。

その時は、おぼろげながら死んだらしいと思っていたのだが、死の淵に立った私の人生観はその後全く変わってしまった。

即ち、未来はあるかないか分らなくて、今だけが自分が決定できる時間であると思うようになった。

この経験からすると、心という得体の知れないものがあり、死ぬと、心は、どうやら穴を通りぬけて転生するように思えてならないのである。

今、男孫はその暗いトンネルを通り抜けようとしている。

奇しくも今日ノーベル賞の山中教授のIPS細胞のニュースを見て、益々、人間とは、命とは、心とはという事を考える日となったのである。


銭湯問題解決

上桂湯が廃業し、阪急桂駅南の桂湯へ行く事に。

昔ながらの銭湯で、番台があり、おばちゃんがいて、服は篭に入れ、昔からのアルミ鍵でかける。

横に子供の背を測る尺紙がはってあり、ラムネやら牛乳が置いてある。

風呂は狭いがお客も多くないし、狭いサウナでおっさんが一人うなっている。

「あ〜あ、寿司やも減った、魚やも減った、、、、」

「そうやろ、風呂屋も減ってるで、、」

と、私。

早速、上桂湯の話に花が咲く。

「ここも、いつか廃業やろな。小さいとこはみんな潰れるんや。」

と、常連のおっさんの弁。

この銭湯も客はさすがにプロばかり、桶も椅子も使った物はきちんと並べられている。

浴槽には富士山の絵に下記の詩が書いてあった。

阪急桂駅周辺なので、寒くなれば焼き鳥屋でチョット1杯なんてのもいいな。

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     銭湯すたれば人情もすたる

銭湯を知らない子供たちに

集団生活のルールと

マナーを教えよ

自宅にふろありといえども

そのポリぶろは親子の

しゃべり合う場にあらず、

ただ体を洗うだけ。

タオルのしぼり方、

体を洗う順序など、

基本的ルールは誰が教えるのか。

われは、わがルーツを

もとめて銭湯へ。

         田村隆一


男孫が退院し遊びジジイに戻るぞ

10月2日に生まれて今日家に戻ってきた男孫は、お乳を飲むとき以外はいつも寝ている。

男は自分が身籠り腹を痛める事が無い為、中々実感が湧かないものだが、孫も3人目、しかも、まだこんなに小さいと、薄情なようだが、どうもピンとこない。

やはり、ゴンタを言い手こずるようになった方が可愛くなってくるのだろう。

まあ、これで今回早めの帰国をし、多少なりともお役に立ったであろうから、私は再度遊びジジイに戻らせて貰おう。

早速、17日からしまなみクルージングの初日参加させて頂き西宮YHから都志港まで乗せて頂くつもりである。

船のメンテナンスも準備もせずに、乗船させて貰うという、皆さまには申し訳ないが、この借りはペナンクルージング位しか返せない。

暫く、海を見てもいない生活が続いて頭の皿も乾ききっているので暴れてみよう。

私が舵をもつと荒れるというジンクスがある。

しかし、台風までは呼んでいない積りだが、20日以後影響があるかもしれない。


久しぶりのクルージング


朝6時15分桂駅でヨッシーさんと待ち合わせ、西宮北口へいくと、テツさんが迎えに来てくれる。

ハーバーに着くと、1週間のクルージングの為に食糧、寝袋、飲み物等積込みである。

皆で協力し、Jackyに積み込み都志へ。

昼食はテツさんが名古屋コーチンそぼろご飯を用意してくれている。

都志では陸路から皆さんが手料理を作り、舫を取る為に雨の中待っていて下さる。

港に舫いと取り終えると、高田屋嘉平の温泉まで送り迎えしてくれるのである。

乗せて頂く船(Jacky)も、Mオーナーが多額のメンテナンス費用を出し、労力を使って修理し、しかも無料で使わせて戴ける事に感謝するばかりである。

手料理は刺し身(差し入れ)、ダッチーオーブン料理、ピザ、徳島Hさんのバラ寿司(差し入れ)、新潟の餅(波勝大王差し入れ)

未だ他にもあったようだが、日本酒(能勢)の飲み過ぎで良く覚えていない。

翌朝、全員、港の掃除、後片付け、出港準備と、誰が指示する事なく、皆さんが自分でできる事を惜しみなくするというのがメンバーの暗黙の常識である。

10時頃、朝の散歩で出逢った都志自治会長(満月堂)がおこわを差し入れしてくださる。

今回のクルージングは、私だけ都志までだが、沢山の人の善意と好意に支えられ楽しい時を持った事に感謝するばかりである。

さて、この瀬戸内海で遊ぼう会も、当初は当然海の男と女達で、こういう事は言わなくても分かっているというのを前提に参加希望者は受け入れてきた。

今後も、自己責任、協力、お互いの助け合いと感謝をもって楽しい仲間作りをし、楽しい時間を共有し永く続けたいものである。




は〜やく こいこい おしょうがつ♪

娘の男孫が、生まれて3週間、家に戻ってきて1週間が過ぎ、今日は息子の嫁の誕生日と言う事で、家で焼肉パーテイをする。

カミサマと娘は

「煙が出るから、外で焼いて持ってきて!」

それじゃ、旨くないし、私は寒いじゃないかと、ホームセンターに煙の出ないバーベキューコンロは無いかと探しに行く。

肉の脂が直接火に当たらなければ、そう煙はでないだろうと思い、ジンギスカン鍋と火の上にカバーのある網焼きカセットコンロを買って帰る。

焼き始めると、煙なんかお構いなし、赤ん坊を除いて8人だと、肉もドンドン無くなっていく。

私はと言うと、ビールを飲みながら焼き奉行である。

もうすぐ正月になると、今のメンバープラス、カミサマの姉達とその旦那達、その娘&息子達と、その子供達が来るのだが、狭い我が家で、何が何だか分からない状態になる。

この御役目を、終えればペナン島流しが待っている。

家族の団欒もいいが、海上ホームレスもいいという矛盾した私なのである。

は〜やく こいこい おしょうがつ♪

と、、、、


あほうどり

ヨットに乗って日本を離れて15年、今年は初めて日本にいる日数の方が多くなるだろう。

歳を重ねると、丸くなり気も長くなるというのが一般的なようだが、私は何故か気ぜわしく気が短くなってきているように思える。

陸地に寄らない永い航海も、50代では喜び勇んででていったものだが、今は億劫が先に立つ。

勿論、今のロケーションが私自信の選択優先順位が上位ばかりの為でもある。

即ち、年金内で生活ができて、文化度が高く、食べるものが美味しいという事である。

50代は、あの国はどんな所で、どんな人達と逢えるのだろう、珊瑚礁の海はどれほど綺麗のだろう、と言うのが優先順位だった。

この気持ちは、今でも心の中で、不完全燃焼で燻ぼり続けているのに、自分の体力気力の自信が揺らぎ始めて、自然と気が短くなるのかもしれない。

ロングクルージングをしているヨットマンは、多かれ少なかれ皆感じているようで、一か所に長期で係留する事なく、次の目的地を探し続けるのである。


・ 青い鳥でも

     鳥かご中じゃ

        生きちゃいけない

             あほうどり


飯炊き

船乗りの私は、ヨットではひとりなので掃除洗濯買い物料理裁縫に修理と全ての事は一応できる。

ご飯を炊くのは一人分は半合あればよく、これだけ少量炊くのは結構難しい。

今までは韓国で15年前に買った石釜3合炊きで炊いていたのだが、それだと底に少しだけで米が踊らないので美味しくない。

暇にまかせてホームセンターを見て回ると、陶器で出来た2重蓋の1合炊きなるものがあった。

早速買って帰り、試食してみる。

米1合を大量の水で洗い研いで水に浸す事30分、水切り15分後、水を200cc程入れて炊いてみる。

6分後位蒸気だけが噴き出し、火を止め蒸らす事30分、しゃもじでかき混ぜ空気を入れ蒸らして後食べてみた。

「う〜ん!中々上出来!」

と、一人ほくそ笑む。

「ご飯美味しいやんか! これからも頼むわ!」

と、カミサマと娘。

飯炊きは私の担当となってしまった。

・ おだてられたら

     空舞い上がる

       リモコン操作の

           ヘリコプター

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