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         第137番 暇人ジジイのイマジン日記  2012年11月


暇人ジジイのイマジン(imagine)その1

毎朝の散歩は嵐山華厳川の上流へ向かう山道である。

道幅3m程、なだらかな坂道が続き、華厳川を右に左に橋を渡って登っていく。

川の両側は急な斜面となっていて、杉が天に向かって競争するように伸びている。

杉の森の下は日の光が当たらない為、朝7時でも薄暗く下木は育たない。

ここ一見静かな森にも命の生存競争が起こっているのである。

しかし、その生存競争に勝ち、どの木より高く伸びたからと言って良いというのではない。

風当たりのリスクは大きくなるらしく、倒れた木が華厳川に流れて折れているものもある。

折れた所は天にぽっかりと穴が開き、次に伸びてくる命に繋がっていく。

良く見ると、崖淵に横に生え、そこから天に向かっている木もある。

考えてみれば、種は自分で生まれる環境を選べないのである。

一度根づき命を得たからには、最大限の努力をして天に向かって伸びている。

前回、木の枝に巣を張って、巣に掛かる蝶やら虫を食べて生きる蜘蛛について書いた。

蜘蛛を見て気持ち悪いと感じるのは、何故だろう?

蜘蛛の巣は美しさと他の命を捉える残酷さがあり、そうでなければ生きて行けない命について思いを巡らした。

考えてみれば人も多くの命の犠牲にして生きているのだが、残酷な処理場は普通一般の人は見えない。

東南アジアで市場に行けば、豚も鳥も牛も解体現場は普通の光景だが、日本ではパックに入っているから意識する事も少ない。

この様な光景を見た事もないグルメ日本人が、生き物の命が終わる時の悲鳴を聞いて、ステーキやらトンカツやら焼き鳥を見て喜んで食べる事が出来るだろうか。

暇人ジジイのイマジン(imagine)である。


・ 霞で生きる 仙人さえも 

        食わにゃやっぱり 仏さま・・・ゆうほ


・ 赤い糸だと 思っていたに 

        絡めとられる 蜘蛛の糸・・・ゆうほ


暇人ジジイのイマジン(imagine)その2

私はヨット乗りで、ペナンにいる時はヨットが我が家となっている。

ペナンの今のハーバーを動くつもりはないので、バッテリーを外し、ドライブを外しているので、ボロ船でもフローテイングハウスと自分ではお洒落に呼んでいる。

マレーシアには昔ながらの水上家屋があり、カンポンと呼ばれ、板道路で結ばれ人の暮らしが今でも続いている。

日本京都に帰ってくるとコンクリートの集合住宅住まいである。

こちら陸地ライフスタイルは、電気、ガス、水道、水洗、テレビ、インターネット、新聞、電話等完備、生活するのには便利である。

しかし、便利であっても私には何か落ち着かなくて、ヨットの海上不便生活の方が心休まるのである。

理由は何なのだろう。

海の波に揺られるから、海を渡る風が心地よいから、、、

確かに自然の中は解放感があるが、海もご機嫌の良い時ばかりではない。

荒れて揺られて、船内の物が飛びまわる事もある。

他の違いは陸地からは切り離されている為、テレビ、新聞、ラジオ、電話は無い事で、これは意外と落ち着くのは間違いない。

現代日本社会は情報過多ではないのだろうか。

電車に乗れば、「次の駅は、、、 不審な荷物は、、、携帯は、、カーブを曲がりますから、、他の人に迷惑にならないよう○○御遠慮お願い申し上げます。」と、アナウンスが煩い。

テレビは、お笑いに、グルメ案内と勝手に飛び込んで視聴者の目を惹きつけようとする情報ばかり。

町の看板は目立つようにチカチカしたり、とにかく気を引くように作られている。

携帯メール等、常にチェックしないと不安に陥るらしいが、持っていない私は何の不便も感じる事はない。

現代人は常に刺激され続けているというのが当たり前になっているので、それが無くなると不安になり孤独を感じるのかもしれない。

世の中に何が起こっているかという情報も、人とのコミュニケーションもそれが入ってこなくなった瞬間不安に陥る麻薬の様な作用があるのではないか。

もう少し、静かに自分と向き合うという暮らし方も良いのではないかと考える暇人ジジイのイマジンである。

・ メールするより 抱かれりゃらわかる 

       主の想心 受身する・・・ゆうほ


写真:マレーシアの水上家屋(カンポン)、各家をつなぐ道路は海の上の支柱に板張(Kukcup,Penangにて)




暇人ジジイのイマジン その3

<夫婦とは>

過去15年程、ヨットに乗って海外にいた私は、1年の半分以上は家を留守にしていた。

15年前はインターネットも普及し始めの頃で、通信手段は国際電話が頼りであったが、その国際電話さえ通じる所は限られていた。

私に何が起こっても奥様(今はカミサマ)が慌てないように、全ての名義はカミサマにし、私は住民票も抜いて出国したのである。

住民票が無いというのは、健康保険も印鑑証明もでない存在感の薄い事に加え、盆と正月しか帰ってこない私はホットケサンと言われるようになった。

友人、知人からは

「奥さん、よほど出来た方ね〜。」

私は家族を放り出して遊びまわる放蕩オヤジかフーテンオヤジという役所である。

時々、奥さんの目を盗んでは、可愛いお嬢さんを乗せているヨット友達からも

「あんたは、いつもひとりで、気楽でええな〜。」

と、羨ましがられるので、

「あんたは、奥さんに愛されているか、信頼されていないかで、
私は信頼されているか、愛されていないかだよ。」

と言って慰める。

我がカミサマは

「もう死んだと思うてるわ。」

だとさ。

やっぱり「ホトケサン」か、、、


・ 見えぬ絆に 

    縛られ生きりゃ

      あの世だけでも

          ひとり逝く・・・ゆうほ


短冊絵は河鍋暁斎画
 


暇人ジジイのイマジン その4

毎朝の散歩道は一休さんが修行した地蔵院(竹の寺)、華厳院(鈴虫寺)を通っていく。

一休さんと言えば、アニメで有名だが、実際は酒を飲み、肉を食べ、女好きの奇行の人だったらしい。

この点は共通性があるのだが、何故にこうも違うのか。


・世の中は 起きて稼いで 寝て食って

        後は死ぬを待つばかりなり・・・一休

・南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ

       苦じゃ楽じゃ

     どうじゃこうじゃと

        いうが愚かじゃ・・・一休


この二句は一番有名な次の句より、私は好きなのである。


・門松は冥土の旅の一里塚

     めでたくもありめでたくもなし・・・一休


当たり前の事を当たり前のように言う難しさというのだろうか。

私などは、等身大のそのまんまでよいと思うのだが、凡人はこれが難しい。

文章を書いても、喋っても、いや、朝の散歩中の挨拶からして

「おはようございます」と丁寧に言うべきか、「おはよう」という軽く言うべきか、悩むのである。

そんな一休さんの句に並べて書くのもおこがましいが、、


・浮世にて 地獄みたのに 
  
       浄玻璃で 裁く閻魔に 

            情けあるやら・・・ゆうほ


短冊絵:浄玻璃鏡 『閻魔と地獄太夫図』 河鍋暁斎  写真:地蔵院

  


暇人ジジイのイマジン その5 

「おとうさん、暇やろし干柿つくっといて!」

「暇やろし」は余分だろうと思っても、カミサマの命令では、否も応もなく手順を考える。

まあ、これ位の事は船の修理に比べたら何でもない。

空箱をカッターで切り、窓を作り防虫ネットを貼れば干柿自動製造機の完成である。

先ずは柿の皮むきだが、40個程丸くナイフで剥いていく。

20個位剥いた所で手の皮がふやけてくる。

急ぐ必要もないので、コーヒータイム(勿論自主製作)。

残りを全部剥いて枝を紐で縛って箱の中に吊るして、窓の外日が当たり、雨の掛からない所にだす。

後は、干されて小さく皺になり茶色に白い粉がふくようになれば出来上がりである。

ヨットで長い航海をする前には、保存食をつくるのだが、野菜は酢漬け(ピクルス)とキムチにする。

魚は干物、肉も塩コショウをすり込みデッキに干して置くとビーフジャーキーになる。

南の海では、パンの発酵は暖かいので放っておけばよい。

酒は氷が無いのでラム酒がいい。

肴は日干しのトビウオがいい。

灯りはぼんやり月でよい。

何だか、矢代亜紀の舟唄風になるのであった。

「ヨットマンは便利屋さん以上お役に立ちます。一家に一人ヨットマン!」運動展開中。

・ 家じゃ役立つ 

    主さんなのに 

       何故に立たない 

           身をなげく

写真:干柿自動製造機(材料費:100均の網1枚)

  


暇人ジジイのイマジン その6 奈良編

毎日嵐山の上に住んでいる私は久しぶりに京都駅へ向かって家を10時出発、そしてJRみやこ路で奈良へ。

僅か50分程、京都と奈良はこんなに近いと思わなかった。

中学生の団体旅行の記憶しかない。

奈良駅案内所でマップを貰い、あちらこちらの通りを見ながら行く。

骨董品屋で何度も足を止められる。

作り手が使う人の身になって丁寧に作ったものを、使う人が大事に使い、かつ、使いこまれた重みというものがあり、並べられているそれらが喋りかけてくるように思えるのである。

家にもそんな気にいりの物があり、その中にいると何故かホッとする。

ご飯もお茶を飲むのも気に入りの茶碗ひとつですむので、買い替える必要もなく今流行りの言葉でいうエコなのでは、、、

と、思うのは自分だけで、家族にはゴミにしかみえないかも。

一体何をしに奈良まで行ったと聞かれれば正倉院展でもみようというのが初期設定目標だったのである。

そこへ行くまで距離はないのだが、この様に足を止められる事が多いのである。

次は、店頭で威勢よく掛け声を掛けながら餅つきをし餡を包んで、きな粉をまぶした出来たてで、未だ熱いよもぎ餅を売っている。

これに私は滅法弱くて、黙って見過ごす事ができない。

「ネエチャン、ひとつ!」

と、言った口にはよもぎ餅が入っている。

<搗き立てで、香ばしいきな粉の香り〜 たまらんな〜!>

もう、随分時間が経ってしまった本来の、、、

と、足をその方向へ向けると、今度は「カスうどん」と書いた看板に足を止められる。

<カスとはなんや?天かす?牛スジ肉の揚げたもんか?>

これは調査解明しなければなるまい。

「オッチャン! カスうどん ひとつな!」

鉢巻き姿のオッチャンがつまんだものは、肉系の揚げたものである。

出てきたのは普通の鉢の3倍位の大きさの鉢の底にうどんが泳いでいてカスらしきものが乗っている。

これは、牛の小腸を揚げ薄く刻んだもので子供の頃神戸で育った私にはスジ肉と同じく懐かしいものである。

「オッチャン、旨かったで、なんぼや?」

「毎度おおきに、700円です。また、どうぞ!」

<神戸やったら、素うどんの次の上位でキツネより下のランク(カスやもん)、こんなに高くないで、やっぱり観光プライス込か>

等と、ぼやきながら、本来の、、、

五重塔が見えるので、近寄っていくと、鹿、鹿、鹿、(犬より多いがな)

鹿煎餅を貰い人に慣れているらしく、頭をなでても逃げない所か、駅で貰った観光マップを齧る始末だ。

<待て!、こら! かえせ!>

鹿の口から引っ張り出すが鹿もギュと噛んで中々離さない。

<可愛い目をして、強欲な奴め! 人を見習ったらあかんぞ!>

等と、ぼやきながら、本来の、、、

五重の塔に無事到着し、やっと奈良観光気分になる。

横の興福寺国宝館で阿修羅像等が展示されているので、拝観料支払い中へ。

<うわ〜! なんやこの人混み!>

満員電車並みで歩く事もできない。

さっさと大勢の人をかき分け、さっさと出てしまった。

<詰め込めるだけ詰め込んで、高い拝観料取るとは、酷い奴らだ! 600円掛けるこの入りやと1日? ええ商売やな〜>

等と他人の懐算用までし、又もぼやきながら、本来の、、、

正倉院宝物展示の博物館に、お日様が傾いた頃に到着。

<ええ〜? これなんや?>

入口から人の列が何重にもなっていて、1時間待ちの看板持ったオネエチャンがにっこり笑って呼びこんでいる。

<興福寺は外に行列無くて、あんなに酷いのに、これじゃもっと酷い状態やろな>

と、ぼやきながら、本来の、、、

はギブアップ。

違う道をブラブラ見学しながら家に帰ったのが夜7時。

まあ、出た所勝負旅専門だから、こんなもんか!


・ 秘仏拝むにゃ 

    お足がいるか

       うちの阿修羅で

          がまんする

・ 信者より 

    坊主が感謝 

      ほとけさま


写真:カスうどん(未だ食べる前)

    


脱出作戦

帰国して2カ月も経ったのだろうか?

日本での時間の過ぎ様はペナンの倍位ながく感じる。

家に縛り付けられた私は、1日だけしまなみクルージングに脱出したのだが、その後はおとなしくしている。

もう、頭の皿はカラカラ、テカテカ。(ハゲだからしかたがないか)

こうなると、どこか潮水か温泉、とりあえず水かお湯のある所に行きたくなる。

温泉、温泉、、やっぱり九州、霧島、日当山、指宿、硫黄島等々、、

奴隷の身なので、勝手に決めるわけも行かない。

言いだすタイミングというか、最初の呼吸が難しいのである。

今回は、カミサマのボヤーとしてる心の隙間に、そっと囁く。

「ちょっと、鹿児島温泉いってくるわ。」

いかにも、近所の風呂屋に行くように言う。

「いつ?」

この言葉が出てくれば殆ど作戦勝ちである。

「なんで?」と、返ってくると、事情説明に不備があったりするとおジャンである。

「そうやな、来週位かな。」

と、「いつまで」という事をごく自然に忘れたように返事するのがコツである。

「ふ〜ん。」

カミの手のひらから飛び出れば、携帯も持っていないので行方不明となる。

脱出作戦成功!


逃走手配

この脱出作戦には、影の協力者というか共犯者という方々がいる。

鹿児島からラブコールでその気にさせ&受け入れ準備をしてくださったOldboyさん、順子ちゃん、運動単位さん、

おとぎ話では白い馬に乗った王子様が姫を救いに来るという場面だが、ここではタンデムバイクに乗った紅のテツちゃんがその役回りである。

タンデムバイクというとお洒落じゃないの?(やっぱり真っ白かな?)

それで逃走の旅(温泉巡り添い寝旅?)しようという。

私は海外生活で20代に取った免許は失効となり、取り直した免許が普通車AT限定でバイクは無免許になるらしい。

という事になると、私はかつらの代わりにヘルメット被ったお姫様役、後ろでテツちゃんの尻を叩くか撫でる事しかできない。

ヘビー級の私を乗せると疲れると思うが、優しい彼はそれで良いと言ってくれるのである。

サンフラワー号の予約も彼に任せ段取りはバッチリ。

大型フェリーの中で、テツちゃんとさしつさされつ酒を飲みながら裸でサウナに入って外海をみる事を考えると、気分は修学旅行前の学生と同じワクワク。

日当山温泉、指宿温泉 玉手箱温泉 硫黄島温泉、焼き鳥、鹿児島牛、黒豚、白熊くん、みんな待っててね。


暇人ジジイのイマジン その7

団塊の世代の子供時代というと、食べるものとて満足になく、ゲーム機も、まして電気製品もなかった。

紙芝居のオッサンのくるのが楽しみで、朝から日が暮れるまで棒切れを持ってチャンバラをしていたように思う。

親も働くのに忙しいのか、子供の事なんぞ放ったらかし、子供もそれをいいことに悪さをしたものである。

生きてきた歳より、これから生きれる歳が圧倒的に短くなった今、確かに生活は便利になり、腹の減る事も無くなっている。

しかし、心は満たされているかというと、腹が満たされている程ではないかもしれない。

私の場合、ヨットという不便不自由な乗り物の中で生活をしているので少しわかった事がある。

不便な生活にホットし、不自由な自由が気持ちよいというものである。

文明社会の日本に戻ってくると、心は落ち着かなくなりヨット生活に戻りたくなる。

現代日本の子供達はテレビ、ゲーム機、携帯と刺激的文明社会の中で育って将来どんな大人になるのだろう。

暇人ジジイが孫達の将来の気を揉むのであった。

・ 腹は減っても 
   ボロ着ていよと
      こころ錦の
          人となる

水前寺清子さん、パクってすまん!

 


暇人ジジイのイマジン その8

来週から鹿児島の方へクルージングに出かけるのだが、毎度の事ながら出た所勝負旅である。

日本の昔の旅なら、命をかけなければ旅ができないのは承知の上で水盃位交わして旅にでたのであろう。

現代の旅と言えば、旅行社の企画したツアーがあり、それに乗っていくのが一般的になっている。

ホテル設備の良い所とか、現地ツアーガイドが良いとか、グルメ旅とか旅行社の企画したものを選び、さっと上辺を観光バスで見て回り、現地の人の今の生活も文化との触れ合いもない。

最近、北京辺りで山登りツアーで凍死事故があり、随分とツアー会社の責任を問われていたようである。

勿論、事故はあってはならないし、無くなった方を非難も冒涜もする積りはないが、自然を相手の旅は先ずは経験の度合いにより自己責任でやるものではないだろうか。

海でヨットでクルージングをする場合も、天候を調べ、逃げ込む寄港地を調べ、それでも避けられない嵐に巻き込まれた時にどうするかという事は考えているし、万が一の覚悟もしている。

最初は小さなリスクをとる為に、岸から近くで小さなミスをして逃げ込み、反省し、装備を整え、それを得難い経験とし、次に少し大きなリスクのある航海をするという繰り返しであった。

航海に惹きつけられるもの(山登りでも同じだが)、色々あるが、その大きな要因に「自分の責任でとるリスクと達成感」ではないだろうか。

目的地に行く事だけなら、安全、快適で速い方法は今はいくらでもある。

この様な風に吹かれ、波に弄ばれながらのリスクのあるヨットクルージングというものは若者に人気が無いようであり、我々団塊の世代以後、ヨットでクルージングをするヨットマンは減少している。

小さい時から親に「危ない!」と言われ、痛い目に逢う前に親のいう事を聞く良い子になっているというのもあるのかもしれない。

海外で旅する若者と言えば、欧米人が圧倒的に多く、アジアでは韓国人が多く日本人に逢う事はめったにない。

若い日本人が日本の中だけで閉じこもらず、リスクをとって海外に行き勉学なり仕事をし、そこで出逢う日本と違う価値観にぶつかり、苦労し答えの無い問題を自分で解いていく、そういう若者を将来の日本が必要としているのは言うまでもない。

若者よ、ガッツを抱け! 

(クラーク博士、パクってスマン!)

暇人ジジイの独断による戯言である。


・ 生まれこのかた 
     波乱の浮世 
        のまれたいのが 
           恋津波・・・ゆうほ

 


凸凹鹿児島ドタバタ道中 前半

初日

待ち合わせの時間になっても、白馬の王子様はあらわれない。

携帯電話の無い私は公衆電話を探し、電話をするも空しく呼び鈴がなり、女性のメッセージが

「ピーとなったら、、、」

「テツちゃん、逢えんかったらフェリー乗り場で逢いましょう。」

受話器を置き、家の方にも伝言を残し、もう一度掛けて見る。

長い呼び出し音の後、今度は王子様の声だ!

「今、待ち合わせの所です。」

戻ると、白いタンデムバイクに跨ったカッコいい王子様がいた。

<ア〜ア、逢えて良かった!>

出だしからドタバタ道中の始まりである。

サンフラワーに乗った二人は展望風呂で体と心を温め、ラム酒で酒盛りというのがパターンであるが、このラム酒がトロッとして美味しい。

殆ど一瓶を開け、寝床について本を開いただけで意識は夢の中。。。。

2日目

志布志からOldboyさんの高須港へ。

朝の9時から以呂波丸を海に降ろす手筈なので直行するも、着いた時には既に港内に浮かんでいた。

しかし、様子がおかしい。

以呂波丸は力なく浮かんだまま風に流されている。

「このままだと、何処かにぶつかるで!」

私は走り、王子様は白馬に跨り救出に向かう。

岸壁に接岸されている漁船に乗り移り、舫ロープを放って貰い受け取り引き寄せ無事漁船に横抱き。

運動単位さん、順子ちゃんと挨拶をしている間もない。

「いやあ〜、エンジンガス欠で、、、テッチャんのバイクを見た時は、白馬の王子様が助けに来てくれたようやった。」

と、Oldboyさん。

「チョット、道を間違いまして、何とか、ギリギリ間に合いました。」

と、白馬の王子様。

以呂波丸のエアー抜きは、九州ヨットクラブに入会された、ケンちゃんがエンジンの修理してくれたので、少し白波の立つ錦江湾にでて、順子ちゃん手作りのお弁当を食べようという事になった。

皆さんと一緒にビール片手に船上で頂くお弁当は美味い!

以呂波丸シャッフル後、夕方まで、近くの温泉に入った王子様と私に、Oldboyさんから電話あり、

「炭の火がおこってるよ!」

急ぎお宅へ。

半分に割ったドラム缶一杯に炭が燃え、網の上に殻付きの広島牡蠣と、猪肉、黒豚肉を豪快に乗せ焼いていく。

皆さん、でカンパイ!

酒が入ると、話はあちらこちら飛び、以呂波丸に戻りマタマタ夢の中。。。


3日目

朝6時半、大五郎に連れられた?運動単位さんが散歩に誘ってくれる。

白馬の王子様と私は以呂波丸に寝たのだが、朝は潮位が下がり岸壁は上にある。

先ずは王子様から、岸壁に飛び上がる予定が舫を掴んだまま足をバタバタさせている。

このままでは、多分海の藻屑になりそうなので、急ぎ舫を引き以呂波丸を寄せ足場をつくる。

王子様はやはり馬に跨る方が格好が良さそうである。

散歩途中で運動単位さんの家にお邪魔する。

錦江湾を見下ろせる高台にある素晴らしい家で、朝食を頂くが、大五郎が王子様をえらく気にいったようである。

ベランダに出ると、スリッパを咥え「これを履くよう」にと気を引き、隙を見ては乗りかかっている。

玄関まで送りに来てくれた大五郎は、悲しげに王子様をよび、運動単位さんが抑えなければついていく様子である。

皆さんにお礼とお別れを言った白馬の王子様と私は、根占からフェリーに乗り、山川港へ。

玉手箱温泉をめざす。

この露天温泉は遥か海の先にある硫黄島が見えるはずだが、生憎靄って見えない。

だが、薩摩富士と呼ばれている開聞岳が真近に見える解放感がタップリ味わえる最高の温泉である。

今日は天気が良いが、湯冷めしないように身を固め、指宿こらんの湯へ。

ここの夜の料理は13品程出てくるは、温泉は良いは、横に王子様がいるは、パラダイスのまま、夢の中。。。

4日目

指宿から、知覧の武家屋敷観光後、天文館へ。

ご馳走続きの我々は今日は、餃子とラーメンにしようと天文館通りをブラブラ、、

焼酎の本場鹿児島である為か、何処の店も焼酎のお湯割り220円と格安である。

腹が膨れた後は、腹ごなしにカラオケに行こうと王子様。

カラオケも飲み屋も15年間位入った事が無い私は、入口を固め、王子様が店をのぞき調査&検討。

「暇そうな店で、オバアチャンばっかり!」

という事で、スゴスゴ、早々とホテルへ、夢の中。。。


写真は紅のテツちゃん提供

左:Oldboyさん宅でバーベキュー
中:以呂波丸船上で
右:白馬の王子様




凸凹鹿児島ドタバタ道中 後半

5日目

天気のカミサマも、とうとうご機嫌斜めで、朝から小雨が降り気温は下がっている。

ヨット用カッパを着こみ、歩くより転がる方が速くいける程膨らんでタンデムバイクに乗りこむ。

目的地は都城である。

我がカミサマが日向夏ドレッシングを買ってくるようにという事の為である。

お昼は宮崎黒豚トンカツを食べ、志布志「民宿蓬の郷」へ。

民宿というと、窮屈な感じがするが、ここは解放感がある。

母屋から独立して部屋がありテラス、家に帰ったような気分になる。

近くに村の温泉があり入浴料300円が民宿から割引券があり100円の入浴料となる。

夕食も、肉じゃが、和えもの、野菜煮、ブリカマと家庭的で、焼酎飲み放題である。

民宿の御主人がひとりで飲んでいるので一緒に飲もうと誘い話がはずむ。

どこでも色んな事を呼びよせる凸凹コンビ、ここはまず警報の様な音源捜し事件発生。

サイレンの様なウイ〜ンという音が鳴っている。

部屋の内外を調べるも音源が分らない。

民宿の主人も参加し火災警報器等調査するも、何処から音がしているのか分らない。

王子様が突然自分のお風呂セットの袋の中をゴソゴソ。。。

「これでしたわ。。」

手にしているのは電気カミソリ。

次の日の朝風呂が終わり先に外で待つも、ナカナカ出てこない。

貴重品ロッカーの前で、じっと佇む王子様。

「どうしたん?ロッカー泥棒に間違われたん?」

暗唱番号入力間違いを3度した為、リセットしなければ開けられないとの事。

小さな事件発生も乗り越えて明日も大冒険である。

毎日、毎日、幸せ&夢の中。。。

6日目

朝から雨だが大降りでなく、シトシト、パラパラでカッパを着るには面倒だが着ないと濡れるし、、、

「一度、Oldboyさん所に電話してみるけど、代わってくれる?」

と、気の弱い王子様。

私は、トイレといって王子様に全権委任。

「油津の港で待ち合わせという事にしました。」

と、Oldboyさんに車に乗せて貰うのを遠慮した様子。

それじゃという事でカッパで身を固め、油津港へ。

油津港に着くと、Oldboyさんから電話。

「油津の手前、めいつという漁港で美味しい店があるから、そこで昼飯を食べましょう。」

との事。

この店の前は大勢の人が並んで待っていて、運動単位さんお薦めの所である。

先に順子ちゃんが並んで待ってくれている間、何度もメニューを見て何にしようか迷いに迷う。

結局、かつおの本場なので、かつおあぶり焼きセットを注文。

塩ダレと醤油ダレに大ぶりの切り身のカツオが4枚ずつ、他に錦糸卵とすりごまをふったご飯、かつおのアラの入った味噌汁その他で1200円と格安である。

5人皆さん大満足。

腹が膨れた所で、鵜戸神社と飫肥城観光にOldboyさんのフオルクススワーゲン ゴルフオープンカーで小雨の中を疾走。

楽しい凸凹旅行も、最終章となり、Oldboyさん、順子ちゃん、運動単位さんからお土産まで頂き、涙を流しながらサンフラワー号に乗る。

皆さんにお世話になるばかり、王子様は永い間の運転御苦労さまでした。

再度、お礼申し上げます。

写真は紅のテツちゃん提供

左:蓬の郷
中:Oldboyさんのフォルクスワーゲンオープンカー
右:かつおあぶりセット




暇人ジジイのイマジン その9

鹿児島の旅で音楽プレーヤーが壊れてしまった。

次に買うなら音楽だけでなく、電子書籍も読めたらいいなと考えだす。

字を拡大できる電子書籍は老眼になった私には眼鏡なしで読めるので有難い。

Wifiでインターネットに繋がるなら、携帯電話代わりにスカイプも使えたらもっといいな。

それなら、GPSもメモも、、、

と、限りなく今のパソコンの機能を望みだす。

しかし、重いのはかなわないし充電時間がすぐ無くなるのも困る。

電気ショップで調査し価格の安い順番に並べると、候補はキンドルファイヤーHD,ネクサス7、アイパッドミニとなった。

次は電子書籍のダウンロードだが、各デバイスと電子本ショップが囲い込みの為に、ユーザーには不利になっている。

例えて言うと、今までパソコンでダウンロードした電子本は電子書籍ショップHontoからだが、これらのデバイスにダウンロードできないので、今までの本は読めない。

そうなれば、新規購入電子本の事を考えると、著作権、既存本屋と摩擦を起こしたくない日本の電子本ショップは、紙本に比べ価格を下げるという事は10年後になるだろうから、キンドルを選択する方が将来の為には良いようだ、が、こちらも囲い込みが、、、

紙本の売れ残りリスクを含んだ価格設定と同じ電子本価格では、ユーザーとしては納得がいかないというのが私の考えである。

人気作家となり、シリーズ化した本は同じ文章をコピー&ペーストしたような安易なものが多く、出版社からは売れた部数以外に保障し契約でお互い手を結んでいるのだろう。

最も知識人が集まっているこの分野で、なんだか古臭いしがらみの臭いを感じるのは、暇人ジジイのイマジン故なのか。


・ あれもこれもと
     欲かきすぎて
        やっと手にいりゃ
           半端モン
              ・・・ゆうほ


  


暇人ジジイのイマジン その10 北斎展

念願の北斎をインターネット画像で無く、本物を見るチャンスがやってきた。

大阪市立美術で12月9日までである。

浮世絵版画は意外と小さいながらも、細かい所まで精緻に描きこんであり、絵師、彫師、刷り師等、この時代の職人の腕に驚くばかりである。

肉筆画も素晴らしく、素人の私が評を言える範囲を超えている。

とりあえず、久しぶりに満足した。

浮世絵師の中でも、鈴木晴信のへたうま風、喜多川歌麿の美人画、北斎のオールマイテイの三人が好きである。

浮世絵時代の風俗を浮世絵で見ると、現代社会より贅沢な暮し(あふれる物に囲まれた現代社会でなく、数は少ないが素晴らしいものに囲まれた)であったように見えた。

北斎は90歳位まで生きたそうだが、膨大な数の絵を残していて、自分の生活には全く無頓着だったらしい。

「人魂で ゆく気散じや 夏の原」・・・北斎辞世の句

そんな生き方も含めて、爪の垢の少しでもと思う暇人ジジイのイマジンである。

下手な都々逸を浮世絵に貼らせて戴いた動画(江戸浮世絵師と都々逸五)。

http://www.youtube.com/watch?v=UiCEQozzXaY

  



メールアドレス変更のお知らせ

私の使っていました、ホットメールアドレスが削除されました。

その為、全ての皆さま宛アドレスが不明となりました。

こちらからは連絡できませんので、私にメールが必要なお方は、お手数ながら下記の要領でメール送信お願い致します。

前のアドレスは同じで、後ろがホットメールドットコムであったのが、ホットメールドットシーオードットジェーピーになります。


hotufoboat@hotmail.co.jp




暇人ジジイのイマジン その10 ボケ?

インターネットの世界で繋がっている現代人(私だけかな?)はパスワードなるものに苦労させられる。

短くても簡単に分りそうなものでも駄目、それで難しい組み合わせを考えると何だったか思い出せない。

私など、15年間位遊帆(UFO)航海記(今や後悔記)というホームページをウエッブ上で公開している為、殆どプライバシー等無いに等しい。

メールも何度もウイルスに掛かったり、パソコン内にあるデーターを公開されたりしているが、公開されても他人には何の面白くもない血圧記録だとか、船内荷物配置データーだったりで実質被害はない。

今や、それ程大事な秘密にしなければならないほどの事もない故である。

しかし、今回のメールアカウントの削除されたのには困ってしまった。

15年間航海中に知り合った海外ヨットマンのメールアドレスが分らなくなったのである。

数人の海外ヨットマンとスカイプ上で連絡が取れたお陰で、知り合いヨットマンに連絡が伸びていき、新しいメールアドレスにメールが返ってきて連絡が取れるようになった。

一期一会のヨットマンの出逢いであるが、狭い世界なので何とか繋がっていくだろう。

パスワードの完璧な方法は無いものかと考えるのであるがボケの始まった暇人ジジイ、下手な考えはしない方が良さそうである。

・ 昔しゃ恋文

    今ならメール

        恋もお手軽

            ポイと捨て・・・ゆうほ

 


個人情報という壁

40年以上つきあっているOさん、大学の後輩であり、仕事も一緒にした事もあり、退職後ペナン生活も薦め、5年程暮らした事がある。

彼は家族の縁が薄く、独身を通していた。

ペナンでは私の中華系友人も面倒を良く見てくれていたのだが、結局アルコール依存症になってしまった。

ビザの問題もあり、去年日本に帰国、しかし、相変わらず酒だけを飲み食事を取らない生活を続けていた。

私が帰国すると京都で飲み会と言う事で様子を見るのに出逢ったいたのだが、今回も、もう一人友人も一緒に年末忘年会をしようと1週間後に約束した後、電話で緊急入院という電話がありその後連絡が取れなくなった。

こちらから電話をしても繋がらない。

どこの病院に運ばれたかしるのに、119しかないと思い電話をしてみた。

しかし

、「個人情報の為、例え分っても教える事はできません。」

との事であり、
後は、

「家族がいないから友人しかいないのだ。」

と言っても、個人情報でシャットアウトである。


119担当者にすれば、個人情報と言う壁で断れば法律通りの処理をしただけで、自分の責任にはならないのだろう。

命に関係している事でも、情は入れてはいけない、或いは入れられない日本社会に怖さと冷たさを見る思いがするのであった。

明日からは近所で見かけた人を探し、どこの病院へ搬送されたか調べるしかないのである。



次の日、病院に見舞いに行くと、大変な状況と思いきや、酒が切れ食事もとるようになった為、腹水も出て顔色良く見えたので一安心して帰ってきた。


久しぶりの琵琶湖で

マクレガー26、ヨッシーさんの船の係留の件で琵琶湖へ行き、アンカー舫の点検を済ます。

これで、21日にここへ持ってきて係留すればよい。

冬の琵琶湖でヨットは宴会仕様になるが、暖かくなり桜の咲く季節ともなれば、北湖の海津大崎の桜見物が景色が良い。

稚鮎が岸に押し寄せる頃は、投網を打ち船上で生きの天ぷらは絶品である。

夏は近江八幡でバーベキューができ、沖でアンカーを降ろして水に飛び込むと真水なのでさらさらとして気持ちが良い。

竹生島も、鳥人間大会もある。

と、琵琶湖も遊び方は色々とある。

今回、もう一つ琵琶湖に来た目的は去年カリブ海でカタマラン38ftを購入したKオーナーに逢う事である。

フイジーまで回航屋さんに頼んだらしいが、そこでストップし、この後の運航手助けを頼まれたのである。

6月頃南東の貿易風が吹く頃、フイジーからオーストラリアのケアンズまで、約2000マイル弱を計画している。

途中補給出来る場所が少ないのと、約1カ月の船上生活となるので、出来るだけ少人数で行くのが良いだろう。


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