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         第135 ペナン生活  2012年8月〜10月

ペナン到着

午後7時ペナンに到着。

ここは経度からすると2時間差であるが、マレーシアは大きい国の為1時間差で統一している。

その為、未だ6時とすると日が落ちていないのである。

タクシーで遊帆(UFO)へ。

ハーバーで早速タッチ(タイ人クルー)と出会う。

「タッチ!久しぶり、バンコックにもどらなかったのか?」

どうやら、ペナンでクルーの仕事を続ける事になったらしい。

船に行くと、蘭の花が2枝伸びて蕾を付けて帰りを迎えてくれる。

船の一部に小動物のフンが固まっているがネズミなら船内を散らかしかじったりしている筈だがその形跡もない。

蛇がトカゲではないだろうか。

正体が分からないので暫く同居である。

バイクはバッテリーあがっているので、自転車で食事に行こうと準備をしていると、ロール(タイ人クルー)が声をかけてくれる。

「トシさん(日本籍オーナー)がバイクのキーを預けて帰っているから、それを貸して貰ったら。」

と言う事で、トシさんには事後許可を貰う事にして、これでカニ屋へ向かう。

カニ屋のオヤジとチャンさんがふたりテーブルにいるので加わり乾杯である。

「Aさんのカタマラン、エンジニアが来て直したけど又オイルリークしているらしい。

カタマランのオーナーAさんは急遽日本帰国しているらしく、19日にはペナンに戻るとの事。

20日以後、エンジンを点検し判断しなければならないだろう。


ハリラヤ

昨夜は遅くまで花火やら、空砲の大きな音がし、朝はラマダン明けを知らせるモスリム寺院から流れるマイクの音も、一段と大きな声である。

大人も子供も、綺麗なモスリム服を着て、寺院にお祈りに行く。

昼前、ロールがアリの家にハリラヤの祝いに食事に行こうと誘いに来る。

「アリの奥さん、料理上手だから、ハリラヤの前に帰ってきたんだ。」

バイクにI氏(パワボートジャヌー37ft日本人オーナー)を乗せて空港近くのアリの家へ。

親戚が既に集まっていて、挨拶の後料理を頂く。

アリの家には近所の子供達がひっきりなしにやってきてお年玉(1リンギット)も貰って帰っていく。

「アリ、私が暫く代わりに玄関に立っているわ。」

子供にお年玉を渡すと、私の手をとって頭につける挨拶をしてニッコリ笑顔で帰っていく。

マレーシアの子供も目がパッチリとし、笑顔で可愛い。

「来年から、ハリラヤの時はズーッと玄関に立っていてくれ!」

との事。

アリの家はマレーシアスタイル(カンポンハウス)で、エアコンは無くても涼しい。

アリが奥さんと結婚したのが6年前との事で、その時、私は結婚式に参加したので、ペナンは既に6年以上と言う事になるらしい。

本当に時の経つのは速いものだ。

時を惜しんで遊ばないと。。。

写真
左:アリと奥さん
中:アリと私とI氏
右:アリの親戚の子供達




ハーバーの新入り家族

ペナンのハーバー帰ってみると、空き係留スペースが無く満杯状態である。

おまけに一応緊急バースと呼んでいる所にも30ft位のヨットが係留されている。

そのヨットの前の桟橋で走り回っている2歳半の男の子と、6カ月位だろうか、ポンツーンを這いまわっている男の子がいる。

イギリス人夫婦が後ろから追っかけている。

このハーバーを遊び場にした子供は今までの所5人である。

タイ人タッチの子供のマンタ、横の古株イギリス人の子供、オスカーとジャック、それに今回の2人で、男の子ばかりだ。

オスカーとジャックは何度もポンツーンから海に落ちている。

昨夜は臨時独身会で、ハーバーの独身達が遊帆(UFO)の前のポンツーンに集まって来た。

料理人タッチが鴨の首と頭だけを煮て、それをさかなに酒を飲もうと言うわけだ。

「舌が美味いの!」

と、タッチ。

嘴の所にビラビラが付いていてそれを剥がして食べると確かにうまい。

しかし、形がピラミッドの様な所が出てきた。

「これ 尻とちゃうか? 臭うぞ!」

とワイワイやっていると、子供を寝かしつけたイギリス人夫婦がやってきて又飲み始め、終わったら12時を過ぎていた。

みんな、タフな連中だな。。

写真左:左からドイ、ドン、カタマランオーナーAさん

   右:グラハム夫婦、タッチ、ドイ




飲茶食べに

朝は暗いうちから、マイロードを海岸まで散歩、帰って遊帆(UFO)の後ろ縁台で歯磨き、頭剃り、洗濯、着替えて朝飯を食べに行く。

今日は、益和茶室にしよう。

ここは飲茶屋にしては比較的小さい店で、客数50人も入れば満席になってしまう。

殆どが近所のジイチャン、バアチャンで大きな声で喋りながら1時間以上は席についている。

以前はインドネシアのオバチャンが大きな蒸篭を持って、運んでくれていたのだが、今は家族6人で手が回らないようだ。

それ故、蒸しあがった頃を見計らって自分で取りに行かないと無くなってしまう。

私が30年程前、中国、香港へ出入りしている時は、何軒も美味しい飲茶の店が香港に有ったが、今は地値と人件費高騰により、経営が成り立たなくなりマレーシアに移っていると聞いている。

ペナンもいつの日かそうなるのだろうが、安くて捨てるような食材を、料理人の腕で美味しく食べさせる伝統の技と味は残していって貰いたいものだ。

女将に支払う時

「私は給料いらないから、シュウマイ包むのを手伝うよ。」

と言ったが、相手にされなかった。


2年前の益和茶室風景
http://www.youtube.com/watch?v=osiOLYQ7d-Q&lis..


両替に

ペナンの中心部というとジョージタウンだが、ペナン大橋ができる前は交通手段は半島本土を往復するフェリーが主で、ここがペナンの港で、大きな客船【スタークルーズ)もここに係留される。

フェリー運賃と橋の通過料金は同じで、ペナンから出る時は無料、ペナンに入る時は有料(往復分)というシステムである。

今は、第2番目の橋が、南に出来かかっているが、これが出来ればペナン島道路はもっと混雑渋滞するだろう。

その為この島内ではバイクが一番。

両替は日本の様に政府許可された銀行がするのではなく、私営両替商(主にインド人)で世界中のどの通貨も交換してくれる。

日本風に考えると、「信用できるの?」と言う事になるが、そこは自己責任、レートを他店と比較し交渉し、紙幣をその場で確認するというのが当然の事になる。

私は長年得意の店があり、インド人のオジサンと顔見知りの為、中心レートより高めに交換してくれるのが常である。

久しぶりのリトルインデイアの町並みだが、あちらこちらから流れてくるインドミュージック、各種香料の匂いが懐かしい。

屋台では紅茶にミルクを入れ、高い所から落としながら泡だてクリーミーにしたテダリ(チャイ)を作っているインド人ジイサン、甘いお菓子を売っている屋台、勿論カレーの店は沢山ある。

このゴチャゴチャして活気のある街並みが好きなのだ。

東南アジアでは、インド人街と中華街が隣同士であり、混じり合っているが、お互い上手に住み分けているように見える。

ここリトルインデイアでは2軒の好きなインドカレー屋がある。

1軒は北部インドカレーで日本のカレーに似ている。

もう1軒は南部インドカレーでシャバシャバしたスープ状で1品注文すると4つ位の様々なカレーが出てくる。

これも食べにいかないと、、、 あ〜あ!食べるのに忙しい。。。

写真
左:リトルインデイアの町並み
中:ヒンズー寺院と中華系寺
右:ハーバーの子トカゲ(4月は20cm位だったのが80cm位になっていた。手を背中に組み体をクネクネさせながら泳ぐ姿は可愛らし)

  


シャコ食べに

ジャヌー37ftパワーボート(船名ハリマオ)でペナンと半島の間に有る小島アマン島へ昼飯を食べに行く事に。

オーナーのIさん、スキッパーのアザーと色気のない男3人である。

ペナン大橋までは浅いのでコースは橋沿い5m〜10mの所、それでも水深2m〜2,5mである。

セールボートと違ってエンジン回転2200RPM、経済速度12ノット位で、これでも1時間の軽油消費量は50リッターである。

マレーシアでは日本の半分の軽油価格だから、まだしも日本では乗ってられない。

今日は、風もなく波も無なく日照りもそんなにきつくなくデッキにいても気持ちが良い。

島の桟橋に係留し、少し歩いてマレー系の海鮮料理屋へ、というのも、スキッパーのアザーがモスリムの為、マレー系でしか食べられないのだ。

生簀を覗くとシャコは1匹(体長20cmで小ぶりだ)だけなので、蝦のフライドライスを注文、飲物はココナッツ椰子。

こちらで獲れるシャコは30cm位の大きさが普通である。

日本では食べないカブトガニもここでは好んで食べられている。

帰りに夕食用に蝦を1Kg買って、料理人タッチの船をノックし、メニューを考えてくれと頼む。

「フライにしてマヨネーズレモンに玉葱薄切り添えはどうか?」

と言うと、

「フライして甘酢はどう?」

「OK! それでいこう!」

と、即決、今夜は夕方から桟橋長屋パーテイだ。


写真
左:そこはビキニの若い女性のころぶ場所です!!
中:ハリマオー(ジャヌー37ft)
右:天然記念物(日本では?)のカブトガニ




ラッキー!?

ハーバーに新艇が数隻係留されているが、遊帆(UFO)の奥にイギリス系のヨットがあり、誰もいないと思っていたのだが、可愛い熟女が現われた。

「私はあそこの浮船の住人、宜しく。」

横を向いたまま返事がない。

どうやら、パートナーに置いていかれたらしい。

パートナーのいないうちに。。。。

「今夜はどう?」

お互いテンポラリーながら独身どうしである。

夜になり誘いにいく。

日頃億劫で何もしない私だが、こういう事には積極的ですぐに行動するタイプなのだ。

抱けばしなやかな体だ。

肌に温もりが伝わってくる。

思わず頬ずりすると、爪でひっかかれてしまった。

中々気の強いおなごさんだな。

これじゃ、船内の曲者、ネズミか、トカゲか蛇に負けはしないだろう。

お食事はキャットフードを喜んで食べてくれた。


ペナンで蕎麦粉発見

私は買う物は無くても、見るのが好きで退屈すると、ショッピングストアーをウロウロしている。

ジャスコはエアコンが効いているので好きな店の一つだが、今日は大発見をした。

粉の袋の棚を見ていると、Buckweatとかいてある。

「おお!これはそば粉とちゃうか?」

と言う訳で500g入り8RM(250円位)のを一つ買う。

早速我がフローテイングハウスに戻り、準備だが、繋ぎは薄力粉しかない。

延ばす場所がないので硝子板をテーブルの上に置く。

麺棒は短いし、麺を切る時にいるこま板もないので、箱ずしの下の板で代用だ。

タイ人クルーのロールが、ドラゴンフルーツを差し入れに来たついでに、

「何してんねん?」

と、そのまま蕎麦打ち見学。

「私、テレビで竹に水を流して上から麺を流すの見ました、あれですか?」

「チャウチャウ! あれは流しそうめん言うて、あれも私の得意技だから、今度何か流せるもん見付けてやったるわ。所でこれは中国産か?」

「オーストラリア産と書いてます。」

等と、脱線しながら、順調に進む。

しかし、生地を延ばす段階になると、どうも粘りがなくサクイ、やっぱり繋ぎが問題だ。

しかしやるしかないので、蕎麦切りに入る。

早速湯を沸かし、湯がいてみると、やっぱり短く切れてしまうが、味は蕎麦に間違いない。

次回、繋ぎは山芋か卵を入れる事にし、こま板を作る位は簡単なので、蕎麦はペナンでも食えるようだ。

蕎麦粉が売っていると言う事は、別の食べ方がある筈なので中華系とインド系の人に訊いてみよう。

持病の高血圧、痛風、メタボには蕎麦はいいもんね!

左:そばを切った所
右:湯がいたら、、




カミサマおでまし!

ペナンフローテイングハウスで寝たい時に寝て、起きたい時に起き、食べたい時に好きなものを食べる、ただ、それだけの他人からみると、面白くも何ともない生活だが、私にはパラダイスなのである。

朝7時散歩し、食事を作って食べ、洗い物、洗濯、歯磨き、頭剃り、体洗いで、9時か10時頃。

パソコンを開いて、メールをしたり、下手な都々逸を考えて、昼飯に出かけたついでにスーパーをウロウロ。

帰って電子本を読んでいると眠たくなりウトウト。

日も暮れかけると、夕飯は何を食べようかとソワソワ。

帰って、歯磨き、体洗い、グーグー。

これが私のパラダイス。

所が、スカイプでカミサマからの呼びだし。

スカイプの呼び出し音(救急車のサイレンに似てる)て、あまり好きになれない。

パソコンの中に、ボワ〜とカミサマお出まし、

「赤ちゃん、出そうやし安静にせなあかんから、入院したわ。」

トドの様な体になった娘が、近くの病院に入院したらしい。

それで、アッシーが必要らしく、手軽に使える私に命令が下ったのだ。

一旦、赤紙召集されると、否応なしである。

と言う事でパラダイスから急遽3日帰国となったのである。

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