関空到着
エアーアジアで関空へ、席は良い席を取っていたので足が伸ばせて快的である。
搭乗前にKL空港で食べるものを準備し持ち込む。
機内は煩いアナウンスもなく、こちらが呼ぶまで食事はどうか?等の問いかけもなく、よく寝ながら帰ってきた。
座席の位置から、機内食もコーヒーもビールもDVDも客が注文すれば料金を取ってサービスするという方法のようである。
日本的な思いやり又はお節介サービスとは違い、個人の受けたいサービス選択と料金を結びつけたこの方法もこれからの新しいサービス方法かもしれない。
関空に到着したら、気温7度との事、上下2枚重ね着では、寒さが身にしみる。
リムジンバスから阪急電車に乗り換えると、乗客は誰も喋っている人もなく、携帯電話の画面を見たり、イヤホーンを耳にはめ音楽を聞いている人ばかりで、何だか自分だけ異次元の世界から戻った浦島太郎の気分である。
沢山の人の中にいながら、この孤独感は私だけが感じるのだろうか?
帰国即、花見に酒、良い事ありそう。。
帰国初仕事は我がカミサマのお供で、糖尿病で有名な高尾病院へいく。
糖尿病は大した事はないのだが、糖分の吸収を遅らせる薬が貰えて、ダイエットに良いというのが目的の様である。
その後、八坂神社の横に柚子旅館と言う料理屋があり、そこへ行こうとバスに乗った。
この料理屋は満員との事で、目的地をいもぼうへ変更する。
ここは、ボウダラとエビイモの料理がうまいのである。
熱燗1本をチビリチビリとやりながらこの料理を楽しんだ。
八坂神社の桜もほぼ満開で、場所取りにシートを広げて場所を確保している。
こちらは今夜は夜桜宴会予定なのだろう。
ヨット仲間も、暖かくなれば宴会を始めなくては。。。
私は、しだれ桜でも、八重桜の花でも団子鼻でも、肴で飲めるので何時でもOKである。
航行区域変更
鹿児島に上架しているYamaha29を岡山牛窓まで回航する事になったが、今は平水区域(湖川に限る)なので、小型船舶協会で航行区域の変更をしなければ動けない。
その場合
1。限定沿海許可と臨時航行許可をとる。
2。沿海航行許可をとる。
結局、費用(追加装備、検査料、申請料)の比較で1の選択となった。
その追加装備だが、ラジオ、コンパス、携帯電話、日本水路誌又は海図(海上保安庁発行の物に限る)、小型船舶信号紅炎(海上保安庁で認可されたものに限る)というものである。
パソコンの海図(OpenCPN等)は、データは同じでも、日本海上保安庁の電子チャートでなければ、認められないとの事である。
航行許可という権限を利用し、国民に負担を強いる制度は船の航行許可、免許に限った事ではない。
申請、検査料もその価格について誰がチェックするでなく、取り放題状態である。
去年から今回を含めると、何回検査料、申請料を支払った事か分らない。
オカミに従順な日本国民、「どうせ、ゴマメの歯ぎしり」を見透かしているのだろうか。。
ゴマメも沢山で歯ぎしりすれば、なんとかなるかな。。。
旅の楽しさ & 宴会予告
帰国して、来週辺りから、鹿児島Oldboyさんの場所に上架させていただいているYamaha29を岡山牛窓まで回航する事になったのだが、わがカミサマが鹿児島に一緒に行くとの事である。
「珍しい。。。一体どういう風の吹きまわし?」
と、思っていると、テレビ番組の中で旅行グルメ番組を見て、録画していたのである。
それを見ると、天文館のシロクマ(アイス)、薩摩ラーメン、日豊線の薩摩の風(電車)、嘉例川駅の駅弁、焼き肉屋、旅行人山荘等が目的らしい。
殆ど食べるのが主なので、仙巖園も見学コースに入れたのだが、いつもながら、こちらの方はあまり興味がなさそうである。
こんな旅も楽しみがはっきりしていて、それなりに良いようである。
カミサマから解き放されると、高須港へいき、船の検査、整備、船底塗装、準備等を済ませ、Oldboyさんとオザ坊の城ケンチョピアを襲撃に行く事になる。
予定は5月8日〜10日までのうちに着くように、出港を考えなければならない。
別に急ぐ事もないのだが、適当に期限を決めないと温泉に浸かって出る気がしなくなりそうなので。。。
到着したら、まずは徳島で宴会。
11日に徳島出港、オザ坊キャップテン、Oldboyさん見張り&宴会担当、遊帆(UFO)コックで都志港へ 11日から13日エルミタージュさんの里山で宴会で盛り上がるつもりだ。
海の予定は未定なので、お流れになるかもしれないが。。
霧島温泉
朝、鹿児島中央駅から、天文館へ路面電車に乗るが、子供の頃神戸にも走っていたので懐かしい。
我がカミサマは、名所見物は興味が無く店を見て歩く。
第一番目は豚トロラーメン、小さな店だが味はまあまあ旨い方である。
第2番目はシロクマ、二人でビッグ一つで充分で、アイスの細かさとミルクが旨い。
第3番目は「薩摩の風」の電車だが、レトロな感じと車掌さんの笑顔が可愛くて思わず地ビール薩摩の風を注文し、桜島を見ながら嘉例川駅に到着。
木造の無人駅で車掌さんが降りて駅員さんに早変わり、又写真などを撮ってくれる。
次が今回のメイン、旅行人山荘へ。
一山全部有りそうな敷地の山頂に建っていて眼下に山並みが見え、庭には鹿が3匹草を食べている。
早速、温泉調査であるが、硫黄泉で湯の花が浮いて柔らかい良い湯である。
ここは、林の中に独立した貸切露天風呂があり、星を見ながら温泉は良い思い出になった。
夕御飯は海鮮料理で、まあまあという所である。
次の日、霧島温泉駅から特急で再び鹿児島中央駅に戻り、
黒豚トンカツを食べて、シテイビューバスに乗り、仙巖園へ。
やっと観光旅行の雰囲気を味わい後はお土産買いにウロウロという事で良いフルム〜ン旅行になったのである。
ここで私は放免されるので、明日から鹿屋へむかい船の検査とメンテナンスにかかる。
隼人の風と嘉例川駅 旅行人山荘貸切露天風呂 仙巖園
高須港到着
今回は限定沿海航行区域変更と臨時航行区域の申請に、追加装備の準備と立会等にOldboyさんが全て代わって交渉して頂き無事終了した。
又、自動車、高圧洗浄機、工具などを借り、メンテナンスもここでの生活も楽になった。
まずは船内外の掃除を終え、エンジンメンテナンスにかかる。
冷却水インペラーを外してチェックすると問題なく、ベルト2種類を交換、エンジンオイルも交換する事にした。
燃料ホースの配管場所の隙間からデッキの雨水がエンジンルームに漏れてくるので、ここはシリコンで固める事にした。
久しぶり半日以上のメンテナンスに体は油まみれになったので、近くの坂元温泉にいく。
ここの湯は、鉄分を含んでいるのか赤く濁っていて傷、関節痛に効能があるようで、地元お客が常に来ている。
客同士皆さん知り合いなのだろう背中を流しあい喋っているが、地元鹿児島弁は半分位しか分らない。
方言は味があり、その意味も独特なニュアンスがあるので私は残そうと考え、電子紙芝居を各地の方言で話して貰いユーチューブにアップした事がある。
沖縄の地元方言で語って頂いたものは私は好きで残せて良かったと思っている。
メンテナンス日記1
朝は船底をタワシで擦り海藻と藤壺を落とす。
Vーベルトの購入に鹿屋市内までOldboyさんに貸していただいた軽トラでいく。
この軽トラは便利で足が伸び生活に全く不自由がなくなった。
昼からはVベルトの取り付けをすまし、コインランドリーで洗濯の後、坂元温泉へ。
夜はOldboyさん差し入れの弁当で500mlの缶ビールと芋焼酎を飲む。
しかし弁当のご飯が食べきれないので明日の朝のお粥にする事にした。
船内は電気水道は無いが、LEDヘッドライトで明りは十分で、水は20lタンク汲み置きで十分である。
良く考えてみると、明りは蝋燭程度、水は汲み置き、トイレは外、勿論携帯電話もインターネットもなく、夜は外は闇夜である。
江戸時代或いはもっと昔はこんな生活だったのだろう。
日が暮れれば寝て、太陽が昇れば起きるという生活の方が、自然なのかもしれない。
メンテナンス日記2
船底塗装をするが、塗る面積は遊帆(UFO)カタマランの半分の作業とはいうものの、腕が痛くなってしまった。
何とかこなして、次は船体の塗装にかかる。
この船は婆ちゃんではあるが、我が娘の嫁入りの様に思い、出来るだけ綺麗にして可愛がってもらいたいという親心である。
その化粧材料購入ににホームセンターへOldboyさんに借りた軽トラでいく。
塗料、その他道具類を買い車に乗り運転をしようとキーを差し入れ、前を見ると軽乗用車のハンドルを握った御婆ちゃんがこちらにゆっくり向かってくる。
御婆ちゃんはハンドルを一杯に切ってターンをしようとしているようである。
ゆっくりと近づく御婆ちゃん、ニコニコ笑顔だが、私の予想では車の前に当たる。
「御婆ちゃん! アカン! アカン! 当たるで!!」
と言っても、相変わらずニコニコ顔でガリガリとナンバープレートの取り付けボルトに擦りながら、気付いたのか、又、バックしていく。
こちらは全く無傷であったが、婆ちゃんの車はバンパーに4本の筋が入っている。
婆ちゃんはニコニコ顔で、平然と出て行った。
周りの駐車場に止めている人達が、
「そのまま出て行ったけど大丈夫?」
と、心配顔で聞いてくれるが、
「こちらは傷は無いし、御婆ちゃんだからしようがないな。」
御婆ちゃんは80歳近いように見えたが、本当に大丈夫なんのだろうか。。
しかし、この御婆ちゃんの事は言えない。
私は数日前に持ちだしたデジカメをどこかで無くしたと思い悩んでいたのだが、船内にあった。
最近は自分の行動が信じられないのである。
その3
船体塗装も終わったが、連休の為クレーンが7日までこないらしい。
8日出港という事は11日ケンチョピア、12日都志、13日牛窓港という、余裕の無い日程となってしまった。
その4
クレーン車の都合で8日朝しか降ろす事が出来なくなり、11日ケンチョピア到着は大変難しくなってきた。
セールもセットし、降ろせば出港できるが、天候も有り無理はできない。
12日、淡路島都志港集合しパーテイ参加は無理であろう。
化粧直しすると、婆ちゃんも娘さんにみえる。
日当山温泉へ
6日まで船にいてもする事がなくなったので、前回Oldboyさんと一緒に行った日当山温泉の西郷どんの湯へいく。
東側から見る桜島は噴火口が見えて、モクモクと灰を噴き上げていて景色は良いが花粉症の私は鼻がムズムズする。
日当山は霧島の麓にあり、天降川が町の中心を流れている静かな温泉町である。
予約も入れずに飛び込みの客の私だが、宿の主人は天降川に面した二階の六畳の間を二日間貸してくれた。
一泊1500円(温泉は何度でもフリー)という安さは今の日本では考えられない。
ここは西郷さんは勿論、坂本龍馬とお龍さんが泊まった所で、同じ温泉に入り、同じ景色を見ていると思うとワクワクする。
軽トラに積んできた自転車で町に夕食にいく。
自転車だと酒が飲めるという深い考えである。
深い考えながら、出た所勝負専門の私だが、「ことり屋」という焼き鳥居酒屋を見つけて中に入ったのだが、10人程座れるカウンター席は満席である。
すると、ひとりのオジサンが
「直ぐに出るから、ここに座りなさい。」
ラッキー!と思いながら、とりあえず生ビール、鳥皮、ネギマ、揚げだし豆腐を注文する。
横の席のオジサンがタラの芽のテンプラと霧島焼酎を飲め、とついでくれる。
色々喋っていると、その隣の席の奥さんが
「うちの主人はびわ茶を飲んで血圧190から120になったよ。」
と教えてくれる。
やはり鹿児島は人情があついのか、私がお喋りなのか直ぐに「みんな、ともだち」状態になる。
明日、スーパーでびわ茶を買ってこよう。
煙を吐く桜島 天降川が流れる日当山温泉
都城へ日向夏玉葱ドレッシングを探しに
我がカミサマに電話で、現状報告すると、霧島温泉からの帰り鹿児島から次のインターチェンジで買った日向夏玉葱ドレッシングが旨かったから買ってこいとの事。
日向夏と言うと宮崎産だろうし、道の駅みたいな所しか売っていないものだろう、という考えで日当山を朝に出発し都城へ向かう。
JR都城駅に観光案内所があったので、
「日向夏玉葱ドレッシングは、どこに売っているか?」
と、お姉ちゃんに訊くと、
「はあ?そうですね。。。都城道の駅がもう少し行くと有りますし、もう一つ先にJAの販売所があります。そこで訊いて来てください。」
と、変な禿げオヤジを追い払うには、中々的確な返事である。
結局、道の駅には無くJA都城で見つけたので5本買い込んだ。
その近くの売り場にオジサンが「柚べし」なるものを並べていたので、食べ方を訊くと
「これはワシが作って防腐剤入れてないけど、1ヶ月はもつ、酒のつまみに良い。」
との事、それなら買って酒のつまみにするべきである。
JA都城で一応カミサマの命令は全てこなしたので、鹿屋に向かって車を走らす。
途中、弥五郎の里なる温泉があり、温泉好きの私としては入らないわけにはいかない。
温泉の水質は大した事はなかったが休憩所で木枕があったのでそれを使って暫く昼寝をした。
帰りは缶ビールと薩摩焼酎大海と幕の内弁当を買い、柚べしを酒のつまみに船で飲む事にした。
初めて口にする柚べしは柚子の香りともち米の食感が良くて、酒が止まらなかったのである。
弥五郎どん祭りの様子らしい
ケンチョピアへその1
5月8日 クレーンで海に戻りエンジンをスタートし冷却水のチェックをすると、水の出が悪い。
OldboyさんとT先生がエンジンルームで冷却水経路を順番に外し噴出を点検していくと直った。
高須港最後の坂元温泉で汗を流し、Oldboyさんと午後5時出港。
日が暮れTOSAは順調に錦江湾を波を切り進むと夜光虫が綺麗に拡がる。
佐田岬を回り黒潮に乗り一路ケンチョピアを目指す。
11日午後7時、室戸岬南方60マイル付近で空は星が見えるのに、急に風が強くなってきた。
メインセールは2ポイントリーフをしているので、ジブセールを巻きとり紀州海峡方向北には進めない。
午後12時、突然本船が近づきサーチライト警告を確認。
風に向かっているのでメインシート引き込んでいるのに、タックした途端2ポイントで縛っていた2本のセール帯が引きちぎられてしまう。
メインセールを降ろし、エンジンだけ機走を試みるが4ノットしかでないTOSAは風に押されて舵が効かない。
こうなるともうする事はないので、舵を一杯に切りベアーポールで流されていくのに任せて、一時睡眠をとる。
12日午前4時夜が明け外を見ると波高4〜5m、相変わらず北の強風である。
ジブシートを開き機帆走で室戸岬の西、室津港を目指す。
TOSAは追波を受けるとスターンを振られるので、追波を見て早めに舵を風下側へ切っていかなくてはならない。
今度はエンジンが何度もストップ。
原因は燃料フイルターの目詰まりと考えられるので、フイルターを外し直結し、エアーを抜く為に燃料ポンプノズルを掃除する。
きつく締めてあるボルトを外し元に戻しエンジン再始動するが、ワッシャー1枚無くなっていたようで燃料漏れの為20リッターの燃料タンクが1時間で空になり再度エンジンストップ。
残り燃料は20リッターしかないので節約の為、ジブセールだけで室戸岬を目指す。
室津港の前で漁船が近寄ってきたので港まで曳航して貰う事にした。
ケンチョピアへその2
食糧と燃料を積み込み、室戸岬を回って牟岐港へ入り、鬼ヶ岩温泉で久しぶりに風呂に入る。
夜明けに出港しケンチョピアを目指し、午後6時頃ゲストバースに到着。
オザ坊に連絡し、エルミタさんも都志から来て4人で阿波オドリ料理鳥ポンで乾杯。
翌日、徳島の笹乃庄という料理屋さんの会長から夕食に誘われる。
オザ坊も呼び、3人でお言葉に甘えて行くと、建物の6階屋上に何と露天風呂があり、ビールまで持ってきてくれる。
風呂好きの私はすっかりネジが外れご機嫌になるがその後豪華料理にもっとご機嫌になる。
ケンチョピアから瀬戸内へ
届け先牛窓の新オーナーさんの休みに合わせる為、瀬戸内をクルージングしながら、修理を続ける事にした。
先ずは高松の海遊人さんの所に表敬訪問の為小鳴門を抜け牟礼港へ向かう。
海遊人さんは防波堤の上で待っていて下さり、風呂と食事に車で高松市内までいく。
次は小豆島ふるさと村へ。
入港後、須磨からと浦安からもヨットで到着。
4人で国民宿舎で食事と風呂に入る。
ふるさと村のポンツーンは1は1050円、設備不十分の苦情をつけて支払いする。
5月20日、日曜日、直島入港。
本村港付近は家プロジェクトで観光客が沢山歩いている。
後に着いて入ろうとするとチケットを求められ退場する。
近所のカフェ、うどん屋さんは定休日で閉店し、探し回った結果お好み焼き屋さんが午後5時から開けるという。
Oldboyさんと港を見学し時間をつぶし、夕食にありつく。
5月22日、25日の牛窓港まで時間があるので都志港へ戻る事にした。
都志港はエルミタさんの母港で瀬戸内海ヨットクラブと瀬戸内で遊ぼう会の本部がある。
本部はコンテナハウスで電気はあるが、水道は無くエルミタさんが家からタンクに入れて運んでくる。
夕方、ウエポンさんが西宮から、オザ坊が徳島から、都志の宝泉石油社長でエルミタさんのH友人もオートハープを持って参加し、
宴会が始まる。
皆さんが私のバースデイケーキを用意し、オートハープを生演奏という今までにない誕生会に感動する。
動画に撮影しYOUTUBEにアップしようと試みるが、ファイルが壊れてデーターが壊れてしまったのは残念であった。
翌日、オザ坊は仕事で帰り、入れ違いに紅のテツさんが都志に到着。
私は毎朝、5時に町を徘徊し犬を起こして回る。
都志は高田屋嘉平の生まれ故郷で町興しにあちらこちらで名前がついた建物がある。
函館には高田屋嘉平の立派な銅像が建っていたが、ここは資料館があったが朝早い為に見る事は出来なかった。
午後7時ステラン艇が到着、ステランさん、ヨッシーさん、Mさんの3人が加わり、ステラン艇四国1周記念植樹パーテイが始まる。
この日はテツさんのタコ焼きとMさんのステーキで酒がすすむ。
25日、9時頃牛窓に向け、TOSAとHermitageが都志港をでる。
天候は曇り時々雨、気温は低く合羽で防寒しながら午後5時に牛窓入港。
海路(BlueWingU)で牟礼港から海遊人さんとオザ坊、陸路でウエポンさん、モモちゃんが到着。
TOSAの新オーナー(スナフキンさん)も、引き込みエルミタ号で宴会となる。
26日、Oldboyさんは永い海上生活を終え鹿児島へ向かい、残りはTOSAとBLUE WINGUに分乗して犬島をめざす。
Oldboyさんは鹿児島高須港から約18日間船上生活で、途中室戸沖で苦労された事と思う。
私はダブルハンドの為どれだけ、心強く思った事かしれないので改めて感謝するばかりである。
TOSAは新オーナースナフキンさんに乗って貰い、色々と点検しながら私としては最後の航海をする。
永い航海で会ったがあちらこちらでヨットマンに逢い、各地で楽しい航海となった。
ヨットの友人Tさんが日本一周の途中、27日の朝、一酸化炭素中毒死亡で発見される
Tさんが鹿児島から日本一周の途中、27日の朝、香住港係留中船内にて一酸化炭素中毒で亡なくなりました。
5月27日夕刻、Tさんと敦賀で逢う約束なので携帯電話に連絡するが、呼び出し音だけ。。
Oldboyさんから訃報を聞きショック!
TOSAが鹿児島高須港にいる間、錦江湾の夕日を見れる自宅の風呂に招待してくれたり、バーベキューを食べながら、ヨット談義をしたのです。
その時にも、モノハルの換気の危険性を話したのですが、排気ホースからの漏れとは残念です。
このまま船を香住港においても迷惑になると、家族の方が心配され、何とか処分(廃船又は譲渡等)の為、あちらこちらに声をかけています。
良い情報があればお知らせください
船:FRPモノハルヨット26ft 船外機
Tさんのヨットのその後
5月31日、境港のTさんの友人の方が、船を引き受け、Tさんの佐渡島へ行きたいという希望を叶える為にクルージングを続けて下さる事になり彼も喜んでいる事とおもいます。
その為、現在、進行中の廃船、譲渡の件はキャンセルさせて頂きます。
私が鹿児島でTOSA整備中にも夜になると上架中の船に来られて、酒を飲み交わし、アドバイスを受けました。
境港のヨットマンのパーテイにも誘われ参加し飲んだそうです。
それにしても、廃船で無く乗って頂ける事になりホッとしました。
次のページ(第134番京都にて)へいく