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第132番 ペナン海上生活 2012年 2月
2月4日 都々逸日記
日が暮れる前に、夕食の支度をするのが海上生活の常で、今晩はお好み焼きを焼いて食べた所に、タイのタッチが食材を持って来た。
「タッチ、私はもう食べてしまったよ!」
「一人で食べるのは、寂しいから一緒にチョット食べて。」
彼は奥さんと息子をバンコックに帰して、俄か独身生活に戻り寂しさを感じているのだろう。
彼が結婚する前は、良く一緒に飯を作り、もう一人暫時独身のサムと飯を食べ酒をのんでいたものだ。
息子と殆ど同じ年のタッチに、自分の息子や嫁や孫を重ねて見ているようです。
私の様に年季の入った夫婦はともかく、若い家族が離ればなれになるのは気の毒な気がするのです。
・ 生木裂くよな
浮世であろと
根では繋がる
連枝花
嬉しい心配な知らせ
ここ2週間足腰の痛みを我慢してきた。
こんなにも長く痛みが取れないのは初めての事だ。
3日前から、やっと朝の散歩を始め足腰をならし始めている。
そんな時に、私が又ジジイと呼ばれる事になるという知らせが日本から飛び込んできた。
嬉しいが心配もひとつ増えた複雑な気持ちである。
この知らせを聞いた途端に心の中でまだ見ぬ孫が居座ったようだ。
命が芽生えるとは素晴らしい。
ただ感謝し、無事顔を合わすのを願うだけである。
厄日かいな?
遊帆(UFO)はエンジン&ドライブがキャビンの外についているので、ビルジが溜まる事がない。
料理、洗濯、食事はデッキで済ませているので、キャビンは寝る事、パソコンでドラマを見る事、トイレを使うだけである。
怠け者の為、トイレも20年以上使い放しでメンテナンスもした事がない。
そのトイレがとうとうストライキをおこし、詰まってしまった。
無理にポンピングした為、ベンチループとホースの繋ぎ目が破裂し、顔にかかる。
我が体から出たものでも、これには
「ギャー! ヒェー!」
後ろデッキで、頭から体を洗い流す。
再度トイレで修理にかかるのだが、ホース全てを外さなければならない。
船と言うのは限られた空間なので、作業がしにくいのが普通なのに、臭うので嫌になる。
ベンチループとホースを外し、バケツに入れ慎重にデッキ後方へ運び、洗い始める、が、一番大事なベンチループが海へ、、、、
「ア〜! ア〜!!」
沈んでいくのを只見てるだけ。。。。
今日は厄日かいな?
エッグタルト
ペナンでB級グルメマップをグーグルで作っているが、エッグタルトのうまい店を2軒紹介しよう。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8..
33番大東飯店と58番名者泰餅家(香港式エッグタルト)である。
両店とも外のカップがサクサクし、エッグタルトの味が実によい。
33番大東飯店は飲茶の1品の為午前中しか買えないが、58番名者泰餅家は専門店でいつでも買う事が出来るし、豆腐の生姜汁を掛けたデザートも絶品である。
豆腐デザート 2.5rm(約70円)
エッグタルト 1.3rm(約35円)
・ したでころがし
楽しむきみは
癖になるよな
乙な味
日本御夫婦ペナン到着歓迎(ブルーファンタジー)
昨日はハーバー桟橋でパーテイ予定が、雨が降り出し、近くの友人宅へ持ち込み決行しました。
というのも、日本人御夫婦がヨットでペナンに到着しその歓迎の為でした。
北海道の札幌にお住まいの方ですが、18年前にアメリカ東海岸でヨット(モノハル37ft)を購入し、パナマを通過し太平洋を西へ、ペナンに到着されました。
ここペナンで係留している日本艇、現在5艇、日本のヨットが増えるのは嬉しい事です。
・ この世ひとりの
お方じゃないか
絆繕い
あの世まで
物忘れの効用と追憶
自慢ではないが、最近の物忘れは酷くなる一方だが、何だか苦にする事も無くなってきている。
一方思いでと言うか追憶というか、昔の事が映画のシーンの様に蘇るのである。
追憶と言う言葉は記憶を追うと書いてある。
この言葉通り、記憶を追う時、一番先に出てくるのは楽しい時とか恋していた時とかで、苦しい嫌な記憶は選択順位の下の方になるようである。
脳は自己防衛の為に、楽しい記憶を残し、苦しい嫌な記憶は消去しているのかもしれない。
そう考えると、歳をとると言う事は楽しい記憶の中で遊べるという事なのだろう。
若い時、恋している人からの便りは何度も読み返し、あれやこれやと思い悩む、今思いだしてみると、そのシーンはキラキラ輝いて懐かしく思える。
日本はさくらの季節は未だなのだろうか。
帰国するまでの時は1カ月も残っていないが、時だけが加速しながら過ぎ去っていくようである。
・ 風の便りを
待ちわびながら
吹けばハラハラ
山さくら
ある恋の告白
私は、ある日心ひかれる彼女に出会った。
彼女は傷つき動く事も出来ないほどだった。
私は彼女が元の姿になるように、お金は惜しまず使った。
動けるようになったある日、ふたりで見知らぬ所へ旅を始めた。
段々とその旅にのめり込み、いつしか家に帰る事より彼女と一緒にいる方が長くなってしまった。
ふたりの未知の旅は感動の連続であり、私を全てのしがらみから解放してくれて完全な自由を与えてくれた。
しかしある日ふと気がつくと、自由と孤独がコインの裏表の様になっていて、自由を手に入れると孤独も一緒に手の中にあると言う事が分かった。
しかし、こんなに素晴らしい自由を与えてくれた彼女と未だ別れる事ができない。
お互い歳をとり、彼女も又動けなくなっってしまった。
今は、これからのふたりの行く末をどうするか静かに考えている時である。
<いつか続く>
愛の誓いは。。。
ヨットマンが海に出て嵐に逢うのは出来るだけ避けたいが逃げる事が出来ない時がある。
帆を縮め、追っ手の風を受けながら風下に逃げて行くしかない。
それでも波間に沈んで海の壁しか見えない時、日頃、神様等考えた事も無い私でも、
「もう、いい加減にしておさまってくれんか? 今度から天候には気をつけるから。。」
等と、ブツブツと独り言をいう。
これはわが家のカミサマの事ではない。
それでも、港に入って一息つくと、もう、神様の誓いなどすっかり忘れてしまう。
下記の言葉はヨットマンの名言である。
「愛の誓いは船乗りがする神への誓いのようなもので、嵐が過ぎ去ると忘れてしまう。」
人生と船旅
遊帆(UFO)は10mほどの大きさで、クルージングする前の心配事は数え切れないほどある。
例えば天候はどうかと言う事だけでも長い航海ではどう変化するか分からない。
波は出ないだろうか、嵐はこないだろうか?
エンジンも故障するかもしれない。
しかし、船の事ばかり考えていたら、アンカーも揚げられないし、クルージングも面白くなくなるだろう。
どこか人生に似ているような。。
日本は花粉症?
帰国もカウントダウンになってきたのだが、忘れていた事がある。
私は花粉症で6月まで、目はゴロゴロ涙目、鼻はグズグズ垂れ流し状態になる。
それと、お天気だが、未だ寒いのだろうか?
4月中頃は鹿児島からクルージングを始めるのだが、寒いのだけは御免蒙りたい。
と、しきりに反省するのだが。。。
便利な時代だな。。
日本にいる女孫の誕生日と言う事で、我が家で集まって誕生日パーテイの様子をスカイプで実況中継し私も参加できるという便利な時代になったものだ。
保育園で、ジジイは何処にいるの?と訊かれると、パソコンの中と答えるそうです。
私が海外クルージングを始めた時、日本との連絡方法は公衆電話だけだった。
それが、携帯電話に変わり、インターネットカフェができ、今は、船内でスカイプで顔を見ながら喋る事ができる。
そういえば、海図も紙から電子チャートに変わり、世界中の海図が手に入る。
各国で走り回って海図を買ったりコピーに走りまわらなくてもよい。
又、グーグルアースで港の様子も知る事ができる。
航海は安全になったようだが、全て分かってしまうと面白みも無くなるような気がする。
分からない所をドキドキしながら入って上陸し人々と触れ合う面白さは段々と薄れて行くのかもしれない。
インターネットで調べればあらゆる情報が手に入る現代の旅は、どこに面白さを見つければよいのだろう。
私はやはり出た所勝負旅だな。。
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