95番 ビザの延長の為にマイバイク(UFO2号)で国境を超える 2008年11月
11月初め
今年のお正月の帰国予定をカミサマ打診すると、
”トウゴ(孫)がジジイ好きやて。遊んだるではよ帰って来やて”
”へへ、そんな事言うとったか。ほんならはよ帰らなあかんな”
孫だけでもそんな事を言うてくれると嬉しいのである。
私は孫には遊び友達として付き合っている。
何でも悪戯を仕掛けるのは私である。
自分から遊んでいるので孫のおもりで疲れたという事はない。
下の女孫にはどう付き合おうかと迷っている。
男の子は遊び方は自分がやってきたチャンバラ位でよいし、テレビヒーローもゴレンジャー位は月光仮面の5人集まった位に考えておけば何とかなる。
女の子はままごととか、人形とかでどう遊べばよいか分からないし、キテイーちゃん等何が良いのか分からないので、少し勉強する必要がある。
と,色々と考えながら12月初めに帰国することにしたが、航空券は日本滞在30日間というのが割安なのである。
そうなると、日本帰国予定は12月5日から1月4日が期間一杯なのである。
又、そうなると、今回マレーシア入国が8月末だったので、90日滞在可能で11月27日となり、滞在可能日数が少し足りない。
又、又そうなると、11月27日までに一度マレーシアを出国しなければならないので、マイバイク(UFO2号)でちょっと腕試しに行ってみるかという事でタイに向かって走る。
ペナン大橋を越えて取りあえず北へ真っすぐと考え、時速60KMで高速道路を走る。
高速道路の制限時速は110KMであり、日本の様に時速80KM表示で誰もがその制限時速を守らないという馬鹿な事はしていない。
マレーシアの高速道路はバイク専用レーンがあって安全である。
又、バイクは通行料は無料である。
1時間半位走った所で珍しくドライブインらしきものがあるので寄ってお茶とマレーシア風団子で一休み、ガソリンを満タンにして、再度北へ走る。
高速道路のすぐ横にマレー鉄道が平行に走っている。
線路幅は1M位でこんなに狭い幅で電車は倒れないのが不思議である。
勿論単線で、オリエンタルエクスプレスとかいう名前で1週間に一度位コンパートメント特別列車があって、この値段が何十万円もするという話を情報通サムから聞いた。
私はこの鉄道が好きでバタワースからバンコックまで寝台列車で行くが値段は三千円までだったように思う。
話を元に戻して、バイクで3度位立ち寄り道しながらも、国境ゲートが見えてきた。
このゲートはいつもミニバンで通るゲート(SADAO)である。
私の予定は鉄道が国境を超える同じゲートに行く筈だったのである。
ミニバンでハイチャイへ行く時はペナン大橋を越えて、東へ向かっていくのにいつの間に合流したのか不思議である。
さて、マイバイクで国境を超えるのに問題が無いかどうか楽しみである。
まず、マレーシア側は出国なので、バイクであろうが、自動車であろうが、歩いていこうが出ていくから関係ないもんねという態度でパスポートにハンコをポンと押しはよ、行けである。
500m程離れたタイ側は入国なので、やはりバイクの車検証を出せと言っている。
パスポートと車検証を渡すと、コンピュータに入力してプリントして2枚複写書類をくれる。
これを横の税関に見せるとバイクを確認もせずにハンコを押して行け行けの手振りである。
という事であっけなく終わってしまった。
これなら、タイの滞在期間30日の間はタイ国内はどこへでも行けるという事である。
遊帆(UFO)でタイに入国と同じシステムと考えれば分かりやすい。
厳しいようでどこか抜けているようなタイらしい鷹揚なシステムである。
それなら、次はここからハイチャイ、サツン、トラン、カンタン、クラビー、プーケットと気の向くまま長いマイバイク旅をしようと考える。
タイに入った途端に感じるのは、開放感と、タイ人の素晴らしい笑顔、花の多さである。
どこか雑然とした町の風景だが、そこに住んでいるタイ人の大らかさと、ニッコリ笑う笑顔は素晴らしい。
ペナンのジャスコのレジはモスリムのオネエチャンだが、ニコリともしないし有難うとも言わない。
ブスとして商品を袋に入れ、お金を計算したら横を向いてしまうし、ひどいのになると、向かいのレジのネエチャンとペチャペチャ喋ったり笑ったりしながらレジをうつのである。
タイは政治混乱で経済状態も悪いようだが、日々の暮らしは変わっていないようである。
朝にマーケットに行くと、食材を売っているのは当たり前だが、雑貨、饅頭、おかゆ、ラーメン、豆乳等もあり、朝飯を食べるのも便利である。
ユキさんが良くタイ人の暮らしぶりを話をしていたが、食事は家で作るよりマーケットで買ってきて食べてるという事であった。
私もペナンで一人住まいだが、マイバイクの為に最近は外で食べる事の方が多い。
朝はコーンフレークみたいなものに牛乳をかけて済まし、昼と夜は経済飯、ラーメン、おかゆ等を屋台で食べる方が食材が無駄にならないし、安くつくようである。
マレーシアの経済飯とは、中華系のバイキング(ブッフェ)スタイルで、沢山の種類の料理がパッドに盛ってあり、好きなだけ自分の皿に取って計算してもらうのだが、大食いの私でいつも5RM(150円)位である。
タイはパッドではなく、鍋に入れてあって、蓋をカパカパ開けて中身を見て取るのは経済飯と同じである。
一人もんはレストランで注文すると一皿の分量が多くて、せいぜい2品くらいしか注文できないが、このシステムは食材の種類を豊富に食べられるし、名前の通り経済的で安い有難いシステムである。
マイバイクのお陰で夜に食べに出るのも一っ走りなので、足を伸ばして新しいものに挑戦しているが、その中で安くて旨い客家麺の店をみつけた。
客家というと中国南方に住む人達で、私の弟分の氾(FAN)さんがそうであるが、有名人ではケ小平、香港のタイガーバーム(薬)の社長、シンガポールの首相リーカンユー等がそうであったように思う。
マレーシアには福建人、潮州人が多い、タイは特に潮州人が多いと聞いた事がある。
中国から出てきて、成功した人が次に続く人の後押しをし、小さなコミュニテイを作り、その中で其々専門得意な腕を生かして生活していく方法はアジアはこの方法の方が良いと私は思っている。
チャイナタウンには屋台が立ち並び小さな商売をして生活していけるのである。
日本では、経済効率を考えて、八百屋、雑貨屋は大手スーパーマーケットに取って代わられ、うどん屋、そば屋は大手チェーンレストランに負けて昔からの商店街がシャッター街に変わり、廃業したオッちゃん、オバチャン用にそれに代わる職業はないのである。
タイのチェンマイでは京都に似て染色、織物、陶芸、木彫り、美術品等手工業がさかんであり、その仕事に従事している人達が自分の手作りの品を作った分だけ夕涼みを兼ねてナイトマーケットに出して売っている。
その規模も大きく、外国人観光客もそれを目当てに多く来ている。
京都も拝観料を取る寺院、年中祭り行事だけに観光産業は頼らず、京都の伝統工芸を職人個人レベルで製作販売できるように、行政側がテキ屋やらヤクザを排除し、バックアップすれば、それを目当てに人も集まってくるし、大量生産された御土産物でない職人個人のアイデアと腕で作られた面白いものが出来てきて、彼らの収入もアップし、京都観光の目玉になるだろう。
と言うような事を客家麺を食べながら考えるのであった。
線路幅僅か1m程のマレー鉄道(単線)
今度はマレーシア半島の南を探検してみようと考えて、ハーバーに勤務しているジュリアンの故郷TaiPingへ行ってみることにする。
彼は係留費の徴収担当でおっとりして優しい性格の30代半ばのマレー系マレーシア人である。
彼はいつもわが故郷TAIPINGはいい所だという話をしていた。
距離はペナンから130KM位か、行きは高速道路で2時間位である。
TAIPINGの町は歴史を感じさせる街並みで道路幅が広く建物も余裕のある作りで、大きな池があり芝生が植えられていて、大きなゴルフ場の様である。
漢字で書くと太平(TAIPING)であり、モスリムが国教のマレーシアで何故かキリスト教式墓が多数ある。
山裾には大きな滝が見え、動物園等もあるようである。
町全体にゆとりのある雰囲気である。
マレーシアはどこも同じ雰囲気で、私にはペナン以外あまり面白く感じられない。
私にはタイ、インドネシアは何故か面白いのである。
帰り道は一般道路を走って帰るが、このルートの方が距離は短い。
一般道路も高速道路と同じで制限時速110KMの標識があり、信号も殆ど無いので高速道路と同じである。
タイのハイチャイまで、片道約200Km、TAIPINGまで150Km位の距離で、燃費は大変よくハイチャイ往復20RM、TAIPINGが12RM程のガソリン代(リッター2.3RM位)であった。
マイバイクでタイ等へ行くと、皆さん驚くが、遊帆(UFO)でランカウイ島へ行くのに、12時間掛かり、風も波もあり、道路標識も無いことを思えば、100CCバイクながらゆっくり走ればドライブインもあり、ガソリン補給もできて道もついているので難しいことは何もないのである。
ハーバーに到着すると、黄さんが夕飯を誘ってくれるので、久し振りに李さんと一杯やるかと考える。
久し振りと言っても、我ヨットクラブ連中と桟橋で宴会して以来の事である。
酒は一人で飲んではおいしく無いのである。
ハーバーの浚渫作業が予告通り始まった。
浚渫船が2隻ハーバーの前を行ったり来たりしながら、海底の泥を掘っている。
段々とハーバーに近寄って来る為、桟橋の外に係留していた大型クルーザー等は、ジョージタウンのハーバーに一時引越している。
その為、タッチや、リタは船についてジョージタウンへ暫く引っ越しである。
もっとも、我遊帆(UFO)はキールの長さ80cmと他のヨットに比べて短く、それに2本足なので底がつかえても、傾かないし別に問題なしであるが、キールの長さ2mもある船だと、干潮時に海底にキールが刺さり傾くらしいし、満潮時しか入出港できない。
ハーバーの職員に船を動かす必要はないか聞いても、外側だけで済ますようである。
私は今から5年間程は全く遊帆(UFO)を動かす積りはなく、フローテイングハウスとする積りなので、デッキに波板を張って雨は入ってこないようにし、周囲を日蔭用ネットとカーテンで目隠しをして素っ裸でシャワーをしている有様である。
人間は楽な方に流されるという習性の特に強い私は、電動自転車からモーターバイクに完全に乗り換えてしまった。
その為、足腰が弱ると考えて4KM程の散歩を日課にしているのである。
年のせいか早起きは得意で鶏より早く起き、夜明け前からマイロードを海岸まで歩く。
11月16日にペナン大橋マラソン大会(USMをスタートペナン大橋を往復して帰ってくる)という企画があり、練習の為に走っている人に出会う。
ここのハーバーからすぐ左手にその橋はあるのだが、去年から拡張工事をしている。
南にもう1本橋を造る計画らしいが、マレーシアの政治勢力の変化と予算の都合で進んでいる気配はない。
マラソン大会当日は2時から10時まで自動車、バイクを通行止めにして歩(走?)行者天国にしてしまうらしい。
橋は全長片道10KMはあり、船が通過できるよう真ん中は高くなっているので勾配もかなりある。
そこで我々はマラソン登録しないで参加しようかと李さんと相談している。
橋のどこかからさっと入り込めば分からないのではないか。
勿論参加しても100mも走れないので、早足で橋の真ん中の一番高い所まで行く積りである。
16日朝2時から10時までペナン大橋は全面交通止めになる。
5時に起きて外を見ると、未だ真っ暗で空には星と満月に近い月が綺麗に輝いている。
遊帆(UFO)からペナン大橋を見ると、いつもは自動車ヘッドライトでキラキラしているのが無く静かである。
ハーバーを出て、崖を5Mほどはい上るとペナン大橋の高速道路であるマラソンコースにでる。
警官が2人道路脇に座って話し込んでいるのに向って、橋をかけ下りてくるランナーがいる。
”おはよう。あの人はトップランナーか?”
”いや、5番目だよ”
今日の私のコース予定は、橋の袂から一番高い所をめざす。
次のランナーが走りながら、
”フルマラソンコース、 どっち?”
と聞いてくる。
ここがUSMとジャスコへ行く分岐点なのである。
今年から、スタート&ゴール地点がUSMからジャスコの駐車場に変わったのを昨日李さんと酒を飲みながら教えてもらっていたので左の道を教えてやる。
なおもコースを遡って行くと、橋のたもとで工事中の為反対側のコースに出ることができたので、これで皆さんと同じコースになったのであるがその地点は22KM地点の標識がでている。
数えきれないくらい沢山の人が大部分歩いている。
どうも女子高生位の若いオネエチャンばかりである。
真剣にフルマラソンをする人は橋のバタワースのゲートを折り返してもうペナンへ戻るコースをはしっているのである。
橋の一番高い所は近くに見えても5KMはあり、そこで私は自由参加の為又勝手にコースを乗り越えて下っていく。
6時半頃東の空が橙色に輝きだすと夜明けである。
マダ沢山の人がゾロゾロと続いている。
こんなに沢山の人がペナンにいたのか不思議に思う位である。
私はここ1か月以上毎日マイロードを4KM程歩いていたので橋の一番高い所まで完走(歩)したのである。
遊帆(UFO)に帰って、後ろのカーテンをして素っ裸で気持ちよく運動後のシャワーを浴びていた所までは今日も良い日だったのだが、タオルを海に落とした所から今日の運が急転直下悪い方に変わったのである。
タオルを拾おうとベランダに寝そべって腕を伸ばす。
取れそうであと少し手が届かないし、タオルは水を含んで沈んでいきそうなのである。
思い切って体を乗り出しタオルを取ったのだが、上半身がズルズルと落ちていく。
それも板の端に腹の皮を擦りながら落ちていくのである。
アッと思う間もなくドボンと海の中に沈む。
泳ぎは得意の私だから別に危険ではないのだが、パンツを履いてないのが恥ずかしくて一寸困るのである。
こんな所を誰かに見つかったら大変なので、速く上がろうとするが、5年間は出港する積りはないので、デッキの梯子を上に揚げて固定していて海の中から降ろすことができない。
桟橋を足をかけずに登るのは身重の私には無理であり、又、素っ裸の状態では助けを呼ぶわけにはいかない。
ここは最後の力を振り絞って舫いロープに体を乗せ足をかけて何とか上がるしかない。
落ちる時に腹の皮を擦った所を又舫いロープに掛けなければならない。
今度はバランスをとりながら足をそっと桟橋に掛け、力任せに体重を移動させ桟橋の端にしがみつく。
体のあちらこちらに擦り傷をつくりながら裸の変な恰好で這い上がったのである。
誰にも見つからなくてよかったと思い、早速梯子を海の中からでも降ろせるようにしたのである。
航海中は勿論の事、係留中も船に上がるステップは海から降ろせるようにしておかなくては独り者は永久に海の中にいなければならなくなる。
夜明けのペナン大橋
円高、マレーシアリンギット安という流れは続いている。
その為、8月頃は1万円が270リンギット程だったのが、今は370リンギットである。
私は嬉しいのだが、反対になるときもあるのでそうとばかりは言っていられない。
我々海外生活者は100%日々の物価に影響するので為替レートは大変大きい問題である。
一方、李、黄さん韓国チームは韓国ウオンの大幅下落で10万ウオンが320リンギット程になっていたのが、今は250リンギット程にしかならない。
李さんは、インターネット投稿で現政府を批判しているそうだが、効き目はないそうである。
何年か前にタイから始まったヘッジファンドによるアジア通貨暴落という金融暴力があり、そこで根こそぎウマイ所を刈っていかれたのである。
為替を投資対象にしてビバレッヂを効かせ資金力で大幅に動かし混乱させるのは金融システムが正常に機能していないからなのか。
中国は為替レートは国家コントロール下にあるが、もしコントロールが正しいレートをつけるならその方が国民には良いのかもしれない。
物事を多数によって決めていく民主主義と資本主義は投票できる権利を大抵先進国側が握っていて、アジア、アフリカは持っていないと言った方が良いほど差がある。
それでも常識と理念と道徳、人を思いやる心、みんな一緒に生きていくという心があれば良いのだが、経済成長、利益優先というスローガンで世界を動かそうとすると、お金が持っている宿命(自己増殖)という癌のような化け物に食われ泣かされることになるのである。
一時帰国の日が近づいてきたので、孫のお土産にドラドンボールのフィギア(悟空、亀仙人)を買いがてら、ホンダアシモのショーを見に行く。
日本ではテレビコマーシャルで見るだけだったが、ペナンのクイーンズベイジャスコで本物が見れるとは思わなかった。
普通のショーの10倍くらいの人が集まっている。
ショーが始まると、子供達の眼が輝きだすのは、当たり前である。
子供の時に鉄腕アトムをむさぼり読んだ60歳を超えたジジイの私でさえ興奮するのである。
ある日連載マンガのページに、アトムの設計図が書いてあったので私は作ろうと思い親に打ち明けて相手にされずに泣いた思い出がある。
子供心には設計図を見ているうちに、ほんとうにできそうに思えたのである。
私の時代は紙の上でしか動いていなかったロボットが、今の子供達には身近に動いているのを見る事ができ、その感動は、将来まで忘れない筈である。
ホンダのパンフレットを読むと20年間かかって、やっと歩ける位に成長したそうである。
鉄腕アトムのように、空を飛び感情を持って人間を助けるロボットも将来きっとできる筈で、今日これを見た多くの子供達に夢を与えた事だろう。
日本の企業も利益追求だけでなく、夢のある研究開発を不景気になっても続けてもらいたいものである。
ロボットというと我々世代の日本人は鉄腕アトムを読んで育った為か、ロボットに親近感を持っているが、欧米の映画では大抵人間の敵役か奴隷の様になっている文化の違いは面白いと思っている。
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