トップページに戻る
前のページ(93番ペナン、ランカウイBNC旅行予定)へ戻る              

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中


  94番BNC旅行               2008年10月

ホテル、レンタカー、高速フェリー。ヨットチャーター、マングローブカヌーの予約済み、ラッキーな事に円高マレーシアリンギット安で10%は安くつきそうである。
それに最近ようやく雨季も終わりに近付いてきたのか雨が少なくなってきたので、1週間後が楽しみである。

遊帆(UFO)は5年間はここを動かないと決めると、住みやすくしようと考え、デッキをテントからプラスチック波板をマストのブームから張り出すことにして、材料を買いに行く。
馴染みの材木屋は言葉が全く喋れないジイサンが相手であるが、このジイサン何故か私の言う事、欲しいものが良く分かり、しかも何でも身振り手振りで下手に喋るよりよく通じるのである。
ワイヤー入りプラスチック波板を8ft長さで1枚19RMで12枚注文し配達を頼み支払に100RM札を出すと、電球に透かして見て、OKと言う仕草である。
机から出してきた100RMを見せて、手を振りこれは駄目だと言っているが、何が駄目なのか分からない。
よく見ると王様の顔がクシャクシャしているのと、透かしがないようである。又、右横のキラキラ光る帯にも小さい字で100RMという文字が無く、偽札が出回っているから注意せよという事である。
勿論、持っている100RM札10枚を検査した結果は偽札は無くひと安心である。
あまり持ちつけない100RM札はこれから注意して受け取らなければならない。

いよいよ、御一行様ペナン空港到着である。
K先生が機内で貰ったコーヒープラスチックスプーンを旗代りに揚げて8人がぞろぞろとでてくる。
9人乗りレンタカーを空港で借りているが各自1こずつスーツケースを持っているので大変な荷物の量である。
最後部座席を倒して荷物置き場にしてギュウギュウヅメで、K先生の運転で、私のバイクに続いてくるように指示する。
ホテルは空港から15分の所なので、チェックインをして早速屋台に夜食を食べに出かける。
屋台では各自好きなものを注文してくるようにいう。
焼きそば、パクテー(豚の漢方薬煮)、パンケーキ、ワンタン麺などを注文している。
到着後の始めての味は
”まあ、うまいやんか”
明日から、どうなるか楽しみである。

第2日目
朝9時、B-suiteホテルをレンタカーに乗って、DIMSUM House(点心の家)へ飲茶を食べに行く。
500人程が各テーブルで大きな声で喋っている中国系マレー人に圧倒されて、我が旅行団はキョトンとしている。
それでも、シュウマイ類を取ってきてテーブルに乗せると、ドンドン食べていく。
”あれもうまい。これもうまい。何でもうまいわ。”
ツバメの巣のスープを取ってきて、団長、副団長に
”これはコラーゲンが一杯やで、肌がきれいになるよ。”
と,勧める。
”まあ,美味しいわ”
団長は朝からハイテンション気味の食べ過ぎで後が心配である。
我々は食べるのが速い日本人代表なので30分程で40皿程食べて満腹になる。
計算してもらうと、全部で80RM程(2200円)で安すぎて2度目のビックリである。
朝早いので、時間調整に蝶園で少し昆虫の勉強に行く。
大した事はないと思っていたら、沢山の蝶が放し飼いで触れるので感動する。 
マレーシアは蝶やら、カブトムシは種類が多い。
5歳の孫が見たら喜ぶことだろう。
両替にリトルインデイアに行く。
今日のレートは1万円が370リンギットで最高のレートである。
ホテル、レンタカー、チャーターヨット、マングローブツアー、食事で、2000リンギット/人程の予算なので、
予定を建てていた時の6万6千円が5万5千円程で済むかもしれない。
レンタカーを駐車場にいれ、トライショー(人力三輪車)に2人ずつ乗るが、団長、副団長が
”1時間もいらんわ。30分でデイスカウントしてもらわれへんか?”
インド人相手に値段交渉にはいる。
トライショーのボスと電話でやり取りして1時間15リンギットだったのを。30分10リンギットでOKになる。
5台が並んで出発するが、大音量で”北国の春?”か何かを繰り返し鳴らしている。
何か晴れがましく恥ずかしい気分になる。
ジョージタウンにある中国寺やモスリム寺を回りリトルインデイアで降りる。
予定ではここでインド料理だが、皆さん飲茶を腹一杯食べているのでパスである。
これでは、夜の海鮮料理が心配なので、ガーニーショッピングプラザで買い物を兼ねた運動をする必要がある。
団長はスーツケースの鍵が壊れて、新しいのが欲しいが団長夫とやりとりをしてあきらめた模様である。
が、夕食前にどうしても買うという事で再度ガーニーショッピングまで行くことになった。
今日のホテルはガーニーホテルで、歩いてすぐの所にBALI  HAIという海鮮料理屋がある。
黒胡椒揚げ蟹、蒸し海老、ネギ油醤油蒸し魚(スナッパー)、野菜、アワビ、スープ、焼き飯等を注文。
ここの料理人の腕は確かなので何を食べても間違いはない。

  飲茶(点心之家)

第3日目
朝6時半ホテル出発、高速フェリー乗り場へ、レンタカーは横の駐車場に乗り捨て、レンタカー会社が回収に来て
戻って来た時に、再度置いておいてくれるのでキーだけ持って船に乗る。
波も無く。天気も良いので2階に上がって外の景色をみると、遊帆(UFO)を走らそうかと血が騒ぐ。
3時間半程でランカウイ島に到着。
契約しているレンタカーで、まずはロイヤルランカウイヨットクラブに行く。
2年前はここにヨット部品を売っていたのだが、もう廃業したようである。
桟橋に行って、ヨットの見学である。
沢山のヨットが”FOR SALE"の看板がでている。
”Kさん。お金持って死ねへんから、これひとつこうたらどうや?”

”いや、ワシが死んだら棺桶の中に一杯札束詰めというてる。”
相変わらずのKさんの冗談である。
次は昼飯であるが、我グルメ旅行団は味にうるさくランカウイのマレー料理では満足するはずが無いので、やはり中華料理ということになる。
ホテルに行く前に、ウエストマリンの代理店による。
ランカウイ島は関税フリーなので、酒、タバコだけでなく輸入品にも関税がかからない。
多くのヨットマンはウエストマリンに注文してここで受け取っている。
我ヨットマン旅行団も何やかやと買っている。
いよいよ、3日間泊まるBRAJYAYA SPA RISORTに到着である。
取りあえずチェックインして荷物を各部屋に置くと、時間を惜しむように再度集合し、ロープウエーに乗りに行くが、休みの日の為か、長い行列である。
前の列に小さな男の子がいるので、私がKさんの後頭部を叩くと舌を出すようにしてみせると喜んでいる。
標高800mほどの山頂に2回ロープウエイを乗り換える。
山の上からはランカウイの島が見渡せるし北側にはタイの島も見える。
昔ここは海賊の島だったそうだが、マラッカ海峡の首根っこを押さえ,通過する船は直ぐに発見できるし、逃げるのには海岸線が入り組み、沢山の島があり隠れるのに容易である。
山を降りて、免税店と食事にクア地区までレンタカーで行く。
夕食はやはり中華海鮮料理で、カニ、エビ、魚等を料理方法を変えて注文するが味は勿論よく、値段は格安で一人1千円程である。
帰りの運転は私はビールを飲んだので、国際免許を取ってきたKさん担当である。
途中私が寝ていると、景色が違って同じ所を回っているようである。
道を間違いながらも本日無事終了である。

第4日目
ホテルの朝飯ビュッフェは期待に反して、品数も少なく、ジュースも水臭く、ひどいものである。
団長夫婦の部屋はかび臭いし、ヘアードライヤーも故障しているとのクレームである。
部屋もコッテージだが、2軒続きの為隣の物音が聞こえる始末である。
このホテルはインターネットの評判とは違い、サービス、設備、スタッフの態度など、最低の部類である。
ハイテンションの団長は右の横腹が痛いと、顔をしかめ盲腸の心配をしている。
”大丈夫、ここランカウイで友達が親指骨折した時に行った大きなええ病院知ってる。そこの若い女医は切る必要がなくても、切るのが好きやからすぐ切ってくれるで。”
と、半分冗談で脅かして喜ぶ。
9時テラガハーバーに行くと、”Katarina"チャーターヨットの奥さんJeanが出迎えてくれる。
人の好い大柄なオバチャンで、おいしいコーヒーを入れてくれる。
船は5年間自作で40ftのファイバーグラスカタマランをつくったのを、今年長くして46ftにしたそうである。
主人のDonは南アフリカ人で65歳、体も大きく、髭をはやし、ニコニコして、ジュース、ビールを冷やしているので何でも自由に飲んでくれとのことである。
サブちゃんは風邪の為元気が無く、バウのネットでダウンである。
船を走らすとここは下から風が吹上てきて、最高に気持ちが良い。
最初の目的地は対岸の島Pregnance Lakeである。
桟橋の手前でアンカーを下ろし、旅行団は元気の無いサブちゃん以外テンダーで上陸する。
まずは、猿の出迎えである。
子猿が上手に海中を潜って泳ぐのに驚く。
湖に上がると、観光客が湖に足をつけて騒いでいる。
鯰のような魚が沢山足に吸いついている。
我旅行団も試してみるが何かコソバイ感じである。
この湖にも美しい伝説があり島民はこの池を神聖なものと考え大切にしているのだが、戦争中日本軍が侵攻した時、
ここを破壊するという話があったそうである。
昼は、ヨットマンがテーブルとイスを作ってあるという島に上陸しバーベキューである。
この島は猿だけいて無人島なので、料理のいい匂いがすると、我々のそばまで寄ってくるので、いっちゃんが猿追い担当である。
京都西山に竹山を持っているいっちゃんは猿、イノシシに荒らされているので、猿の付き合いはうまい筈である。
食後、Donが空を見上げ親指をたてて、グーとサインを出している。
絶好のセーリングが出来そうである。
旅行団は急に元気が出てきて、メインセールあげ、ジブセールを開く。
さっきまで元気のなかったサブちゃんまで動いている。
風速17ノット、船足7ノット程でている。
この船は遊帆(UFO)の10mマストより5mは長く、メインセールはフルバテンである。
ヒールもせず、バウも叩かれず、滑るような走りである。
旅行団は順番にラットを握り大満足の様子である。
インド洋に太陽が沈む美しい夕焼けを見ながらテラガハーバーに戻ると、Donはビールを1缶開けて飲んでいる。
チャーターヨットの為、昼食時もセーリング中も我慢していたのであろう。
ご苦労様でした。
  
  KATARINA SAILING                                 猿を追いながらバーベキュー

第5日目
マングローブカヌーツアーである。
ランカウイ島の北東の川口が出発地点である。
115馬力船外機をつけ漁船にオーニングを張った船で、船長はマレーシア人のオニイチャンであるが、
どうも、どこかで会ったような気がする。
オニイチャンもニコニコ笑って挨拶してくるので、聞いてみると
この先の壁穴と呼ばれているアンカーポジションで遊帆(UFO)を係留したときに食堂にいたオニイチャンであった。
マングローブの川幅の広い所で魚餌を撒くと白頭鷲が舞い降りてきて魚を足でつかんで舞い上がる。
ランカウイ島ではこの鷲が宝物を持ってきてくれるという伝説があり、ランカウイ島の玄関の町クアの入口に大きな鷲が羽を広げて立っている。
現在でも観光客を集めてくれる有難い鳥なのである。
支流に入ると分かれ道が沢山あり今どこにいるのか分からなくなるが、オニイチャンはプロなのでスイスイと舵を切っていく。
洞窟の中を通り抜けようとするが、上げ潮の為屋根がぎりぎり一杯天井の岩にぶつかりそうになるのを上手に抜けると拍手喝采である。
昼食はヨットの繋留場所(壁の穴)のフローテイングレストランである。
前にフィリッピンからヨット仲間のウオルフガンのMOYANAが係留してあって、本人はオーストリアに長期に戻っていて留守にしているようである。
料理ができるまで、魚の餌付ショー見学である。
エイは餌をくれと水面まで上がってきて裏返って口をパクパク開けて要求する。
毒のある尻尾を切っていないので危険ではないのだろうか。
マレー式昼食後は蝙蝠の洞窟見学である。
ここは石灰岩の洞窟で鍾乳石が出来ている。
川を下って外海に出ると、115馬力をフルに回転させ船足25ノット程のスピードを出している。
マングローブツアーも終わり、私がテラガハーバーの外湾に遊帆(UFO)を係留しているとき毎日通った滝に行く。
今は雨季で水量がかなりあり、滝の下に入ると肩、腰と水マッサージで快適である。
女性軍は滝に入り川で泳ぐが、男性軍はお疲れなのか元気が無い。
私は水を見ると入らないと気が済まないが懸命に泳がないで潜っているのが好きなのでやはり前世はカバの様な気がする。

   蝙蝠の洞窟

第6日目
今日は午後2時半のペナン行きフェリーだからゆっくりとプールで浸かっていようと思っていても、朝10時半集合出発という事なので取りやめである。
この旅行団は分刻みスケジュールなので良いホテルに泊まっても、朝早くから夜遅くまで外にいて、寝るだけで高級ホテルでなくても良いようである。
免税店で最後まで買い物をしてフェリーでペナンに向かう。
夜はジャスコの3階にあるドラゴンワンで小篭包を食べる。
黒酢につけたショウガを乗せ、袋を破らないように一気に口に放り込むと中からジュワーと肉汁が出てきてなんとも言えない味である。
この味は暗い4人組時代の上海で唯一楽しみな食べ物で思い出がある。
その他は台湾でも小篭包のうまい店があったが、京都では未だ見つけられていない。
これは私のお勧めの一品である。

第7日目
朝は再度飲茶で済まし、タイ寺院(釈迦涅槃像)とビルマ寺院、中国寺院(極楽寺)とお寺巡りの後は、ケーブルカーでペナンヒルの途中まで登る。
日本のお寺と違って,仏像に彩色してあり顔もどこか、インド風、中国人風である。
タイ、ビルマは小乗仏教、中国は大乗仏教であるが、中国古来の神様とミックスされ現世御利益宗教である。
日本の寺は拝観料、入場料を取る観光宗教か、葬式宗教、保育園、駐車場経営サイドビジネス宗教になり下がって、なお反省の色もないが、ここは未だ宗教に対する純粋なものが残っている。
昼食は北京ダックを2匹注文する。
窯でコンガリと焼いたダックの皮だけをそり落とし、小麦の皮でネギときゅうりを巻き味噌をつけて食べるのである。
この味もペナンで今の所一等賞を与えている。
皮を食べた後の身を持ち帰り今日のパーテイのスープにする積りだが、料理の事は勿論そば名人の担当である。
女性軍はガーニーショッピングでバッグを買うとの事で再度ショッピングである。
男性軍は何も買うものが無く、ついて回るだけである。
Kさんがパッチもんのローレックスと言っている位であるが、ペナンには無い。
分刻みの旅行も今日が最後で、今晩は遊帆(UFO)で大宴会の為、市場で買い物をし大西さんのアパート見学が最後のスケジュールである。
彼は入居して2年近くになるが、大家さんが備え付けた冷蔵庫、カーテン、テーブル、座布団、スチールベッドしかなく、家具類は勿論、コップさえ買ったことがないので、皆さんの参考になるかどうか分からない。
”大西さん、あんたも一緒に来て飲んで、帰りは車で回ったるから心配いらん”
という事で、日本軍総勢10名、韓国軍Isaac2名、シンガポール軍サム1名、カナダ軍ユキ2名総勢15名である。
牛タンと炭はサムに買ってくるように頼んでおいたし、Isaac黄(ファン)さんにはご飯を炊いて貰って、おまけにキムチとその他おかずまで作ってくれていた。
ユキは奥さんの得意料理テラミスを差し入れてくれている。
副団長に錦糸卵を焼いてもらい、ウナギと、しいたけ。キュウリを混ぜてバラ寿司を6合作る。
そば打ち名人は北京ダックスープ担当である。
猿と刃物の事なら、いっちゃん担当なので牛タンの薄切りを頼む。
アルコール担当の大西さんは既にビールの缶を開け、ユキ相手に世界株安について講釈中である。
その他団員はエアコンの効いた狭い遊帆(UFO)で川の字になって並んで寝ている。
遊ぶのも疲れるのである。
日も暮れてきたのでルデイに貰ったチューブネオンとIsaac李さんのココナッツライトを点けて照明も完了である。
今年の2月にユキさんがタイで死んで、1か月程遊帆(UFO)に一緒にいた後、ハーバーの沖に散骨したので、長い付き合いのヨット仲間がいるパーテイに泳いで戻ってきて参加して笑っているようである。
バラ寿司もきれいに食べ終わった頃、ポツリポツリと雨が降り出して来た。
”このままでかまへん。はよ帰り”
ホテルと大西さんのアパートまでの帰り道はKさんの運転だが、シンちゃんがしっかり覚えてくれているので心配が無い。

         
   タイの寺院で記念撮影                                          カフェ遊帆(UFO)で最後の塩タンパーテイ
  
第8日目
朝6時ホテルを出発、レンタカーを返し、飛行機のチェックインをして無事帰国である。
1週間、いつもの忙しい旅行であったが、ワイワイガヤガヤ、体の調子が悪くなったりしながらも、
楽しんでいただけたようである。
為替レートはピンポイントで最高のレートで交換し、天気は、雨季にしては雨に打たれずラッキーであった。
いつもながら、悪運強い旅行団である。
今振り返ってみると、やはり遊帆(UFO)を動かしてペナンからプーケットまでタイの島々にアンカーを下ろしながらクルージングするようなスケジュールが組めたら、もっと面白かったかもしれない。
そうする為には、最低2週間位の日にちが必要であるが。
我旅行団も平均年齢60歳オーバー(女性軍は50歳台)で今年はユキさんが欠けた。
少なくとも今まで生きてきた年月よりは短い残り少ない人生を、精一杯楽しもう。

次のページ(95ビザの延長の為にマイバイク(UFO2号)で国境を超える)へ行く