その2
私がここペナンにいない5カ月間、相当な強風の日があったらしく、新築の家の屋根瓦が飛んでいる所を何軒か見た。
わが悪女もその風に煽られたようだが、バウの日除けネットがボロボロになっているだけで、デッキの波板屋根は全く被害がない。
見た目難民船のようなデッキの屋根も、今の所全く雨漏りがしないのならば、全部やり直そうと決めてきた心も揺れる、、、
既に5年以上は雨を防いでくれている。
チョット見た目汚いが、「明日で出来る事は今日しない」という主義の私の事、「まあ、いいか」というイージーな方に傾いた。
「悪女も年寄、今更化粧したって、、」
「怠けもんの旦那に当った、あんたの運が悪いのよ」
と、色々勝手な理由をつけて旨いモンを食べ、酒を呑み、電子本を読みながら寝ている。
イイ生活、シアワセダナ♪〜
スマン!スマン! やるときはやるから、
写真:
左:牛肉と内臓入り麺(麺は米の粉を蒸して切ったもの)
中:豚肉ミンチとレバー入り麺(漢記)
右:ドリアン(市場にて)
その3
わが悪女をモノにしたのが、今から17年位前だろうか、手元に来る縁があったと今でも思っている。
既に老女でボロだったのを、お金と時間をつぎ込んで綺麗にした。
惚れた悪女なので、のめり込んでいく事が楽しかった。
「遊び」となると他人さまからは、馬鹿な事をしていると思われても本人は少しも苦にならずそれを楽しんでいるのである。
悪女がそこそこ動けるようになった時、係留場所と費用の問題で韓国の釜山オリンピックヨットハーバーをホームポートにすることにした。
下関の彦島から海に戻って、船検は限定沿海の臨時航行許可という簡便な方法で、いきなり玄界灘を越えた。
その当時の釜山のハーバーはガラガラの状態で係留費も安かったのである。
釜山の観光地、海雲台は近くで、温泉と韓国料理、水産市場もあり、韓国のヨット仲間も沢山出来た。
今振り返ってみると、この悪女と私の人生が重なり合い、苦労と喜びが一緒になった「遊び」の第一歩であった。
「労働は美徳、遊びは罪悪」という考えから、「遊びこそわが人生」に代わった時であった。
写真は15年位前、韓国釜山をホームポートにしていた頃。
左:釜山係留中の遊帆(UFO)
中:釜山ヨットハーバー
右:ヨットハーバーから30マイル程北の鰯の水揚げ港
その4
悪女に虜にされた私はこんな風に言う。
直進性が良いんだ(2機掛けでなく1機掛けの為、舵効きが悪く回頭するのに半径10mはスペースがいる)。
どんなに風が吹いても倒れない(マストの長さ(13m)を10mにしている。)
波間に落下してもノーズノックダウンはない(波に船腹を叩かれ乗り心地が悪い)
速く走らせるより、安全に走らせる(速く走らせるセーリングテクニックが無い)
等々。
50歳で突然ヨットを始め、いきなり外へ飛び出した私は、運だけが頼り、私がどんなに失敗しようと、悪女は自分の意志を持ったように私を守ってくれて何とかなった。
「わたしゃあんたの下手に付き合いきれんわ。」
と文句を言っているようであった。
大地震に津波、座礁は数知れず、デスマスト、エンジントラブル、流木衝突等。
<ヨットマンのジョーク>
「妻の悪口は言っても船の悪口は言わない」
「sea is my country
ship is my home
duty is my life
who is my wife?」
その5
マレーシアでも日本の船検制度を見習い、検査しない船は罰金を科すというので、チャンさんはその手続きをしにハーバーに来た。
彼の船のオーナーはマレーシア人、船もマレーシア船籍だからその対象である。
外国船籍は対象外であり、この辺りは日本と同じである。
噂では船舶免許も、というような事も、、、
15年程前は、ヨットも少なく入国も出国も大目に見ていてくれたが、今は各国とも厳しくなっている。
タイは船をタイ国内に置いて、船長が飛行機等で出国できない。
その時は、船の評価分税金を銀行預金をして、証明書が無ければ出国不可である。
韓国は既に船検制度が施行されて10年以上になる。
オーストラリア、香港も、ある期間(1年間?)は国内においても良いが、それ以上の時は申請しなければならないようである。
インドネシアはクルージングビザというのが無ければ、入港できない。
私などは、ギリギリ良い時にクルージングをしていたのかもしれない。
海の領有権問題でヨットも航行禁止区域等ができたりしないだろうか。
何だか、自由の海、どこにでもいける海のイメージが色褪せるようである。
その5 ペナンのイベント
今年9月に完成予定の第2ペナン大橋が遅れて11月頃になるらしい。
第1番目のペナン大橋はハーバーの横にかかっていて、11月17日にペナンマラソンが開かれる。
私はこちらにいる時は、夜中2時のスタートで第一陣が戻ってくる4時頃に橋の崖から登って橋の中央まで歩いて朝日の昇るのを見て帰る事にしている。
第2ペナン大橋はペナン島の南端Batumau(空港の近く)から、対岸のマレー半島側(淡文)にかかっていて、距離はより長い。
ここで、今年始めて記念行事の市民サイクリングが行われる。
私も電動アシスト自転車(offtime)で参加するかどうか、練習しながら体にお伺いをしている。
12月第1周位に、タイプーケットキングスレガッタがあり、11月になると、参加する為沢山のヨットがハーバーの前の島影でアンカーを降ろして北上していく。
今年はMini号(今年プーケットーペナンで借りたカタマラン)も、日本の友人を集めて参加するらしく、誘われたが、その時は日本帰国しているのでいけない。
レースより、各寄港地でイベントと食事が大変良いのだとAオーナーの話。
日本からプーケットSunsailでチャーターして参加するチームもあるらしいが、チャーター料は結構高額だろう。
12月は乾季に入り、北東の風が吹いてクルージングに良い季節となる。
この風を待ってインド洋を渡ったのが懐かしい、、
ペナン国際市民マラソンページ:
http://www.penangmarathon.gov.my/portal/
タイキングスカップページ:
http://www.kingscup.com/
今夜は仲秋の名月 月見の宴
ペナン大橋の後ろからおぼろ月が顔を出す頃には、ハーバー長屋連中はすでに出来上がっている。
持ち寄りパーテイで私はポテトサラダを作り、タッチはタイ風チキンの煮込みを、マイケルは豆をニンニクにソースを加えたもの、エリックはピザ、プリンストンもピザ。
チャンさんは中華風ソーセージを持ってきたのだが、頭を1mm丸坊主にしている。
「その中途半端な頭はなんじゃ、剃ったる。」
「剃ったら血が出るから嫌や。」
というのを、無理に頭を抱え込んで剃ってやった。
私はスキンヘッドクラブ自称会長なのである。
(アリとエリックはすでにスキンヘッド済み)
「このカミソリなら大丈夫やろ、明日もっとええのをプレゼントしたるから。」
電動バイブレーター5枚刃カミソリの事である。
我がハーバーも夫婦もんは少なくなって、ひとりモンが増えている。
船の生活は奥様方には厳しいのだ。
しかし、隣の家族(男の子二人ともここで生まれた)は、船を4年掛って修理し、今は船に戻り、子供達は学校に通っていて、皆タフな家族である。
カニ屋の店も終わる頃オヤジのタンさんも参加、こうなるとお月さまは真上を過ぎるころまで飲んでいるのであった。
写真:
左:ペナン大橋とおぼろ月
中:パーテイ始まり
右:オスカー&ジャック ランタンに灯をいれる
2日後の事、チャンさんとカニ屋で会うと、赤い野球帽をかぶったまま食事、バイブレーターカミソリをプレゼントしても要らないと言う。(奥さんと御嬢さんにこっぴどく叱られたよう、、)
ペナン第2大橋完成イベントサイクリング
11月10日スタートの、このイベント参加申し込みに行き、参加料80RM(約2500円)を支払うとイベント用Tシャツのサイズを訊かれ、11月の7日に取りに来て下さいとの事。
「参加する時は、このTシャツとヘルメットを着用してください。」
との、インド系可愛いお嬢さんの仰せである。
早速、帰り途ジャイアントというスーパーでヘルメットを探すと40RMであった。
これで格好は完璧、足と体力は不十分。
自転車は本格的なものから、ママチャリ、私の電動アシストまでOKらしい。
明日から、トレーニング代わりに買い物は電動アシスト(オフタイム)で行く事にした。
距離は橋の往復だけで約46Kmあるらしい。
先日、ハリマオー(ジャヌー37ftパワボート)に乗って、この橋をみてきたが確かにペナン大橋より距離は長い。
海の上の橋を風に吹かれてゆっくり走るのは気持ちがよいだろうな。
バッテリー2個持っていかないとダメだな、、、
船内の音
ヨットに住んでいると、外の音は大きく聞こえてくる。
スリランカのガレ港に係留していた時、時々船内が揺れるほどの大きな爆発音に驚かされたものである。
後で分かったのだが、スリランカ海軍が北部タイガー(反政府ゲリラ 今は鎮圧された)のスパイ上陸阻止の為、手榴弾を海中に投げていたのである。
こんな特殊なケースでなくて、ヨットハーバーで係留中でも、「パチ」というような、音が聞こえてくる。
音源を色々考えたのだが、
ひとつは船底に付く貝、或いはその貝を食べる魚等の音ではないか?
ふたつ目は、波の揺れによりFRPのきしみ、或いはFRPと材木部のきしみの音ではないか?
等と考えている。
今はシロアリを全滅させたが、数ミリのシロアリが木を食べる音も結構大きく聞こえる。
私はシングルハンドなので、スクリュー音をキャッチし大きく聞こえるように出来れば安心して寝れるかな等と考えたものである。
しかし、航海も2日目位からは馴れてきて、そんな事も気にならなくなり目覚ましをセットしないとズーッと寝てしまうようになる。
漂流物は音はしないので目で発見するしかないが、セーリング中で5ノット程のスピードなら例え大きな漂流物(コンテナ或いは材木)に当っても衝撃は大きくないので船体に穴が開くほどの事は無いだろうと考えている。
材木(直径1mx長さ5m)には当った事が2回あるがラッキーな事に船体に異常は無かった。
シングルハンドで寝る時はスピードが出ない風の弱い時、或いはリーフして寝るようにしている。
タツちゃん浮草暮らし その1
ニュージーランドからシンガポールへ、乗換クアラルンプール。
もう一度乗換夜ペナンへ、という予定が、乗継時間が間に合わなくて朝の便でやっと、到着。
バイクに乗って飲茶を食べに行く。
ニュージーランドにも中華街があり、友人と行く事があるが、ペナンの様に安くはないらしい。
遊帆(UFO)浮家へ、ロールとアリがいたので、紹介する。
「私の息子で、名前はドラゴンだ。」
タツちゃんは、優しい顔だから ドラゴンは似合わないけれど、こう言っておけばすぐに覚えてくれるのだ。
私などはオバマと名乗っている。
洗濯と身体洗いを済ませ、一息つくと昼だ。
「昼は紅桃麺を食べに行くついでに、ジョージタウンへ行く道を覚えておいてもらおうか」
ひとりで好きなように動けるように、バイクでも電動自転車でも用意してある。
紅桃麺は、細麺を一度軽く炒め、そこにお粥のような餡を掛けたもの。
帰りはテスコ(スーパーマーケット)でヨーグルトアイスを舐める。
夜食は先ずカニヤに行きタツちゃんをお披露目しなければならないだろう。
ふたりで飯を食べ終わった頃、やはりチャンさんも現れ、カニヤのオヤジタンさんも仕事は、そっちのけ、同じテーブルに座りビールをドンドン持って来る。
おまけにタンさんの台湾留学時代の友人二人とオバサンも加わりビールを飲み出す。
「オッサン達と飲み出したら止まらんから、今夜はこれ位にしてひきあげようか。」
タツちゃん、オッサン達の相手、ゴクロ~サン。
これから、こういうのが続くからね、、、
タツちゃん浮草暮らし その2
午前中にハリマオーのIさんが、トローリングに行くというので、タツちゃんと参加。
漁場到着まで、iさんのアイパッドの設定をタツちゃんに手伝ってもらう。
私もIさんも同じ歳、目は見えない頭は硬い、タツちゃんはパッパとやってくれる。
そうこうしているとポイントに到着。
ペナン島の南に日本海軍の船が沈んでいて良い漁場になっている。
そこをトローリングすると早速ヒット。
形は小さく薄っぺらで美味しくなさそうな魚である。
続けて2匹がヒットするが、その後全く当り無し。
夕食はカニヤでリタイヤビザ取得の日本人M御夫婦など一緒にパーテイである。
アイパッドを持って行くのを忘れ料理写真は無し。
今夜はペナン大橋マラソンが夜中2時スタート、私は夜明け前に参加する事にしている。
生憎雨が降り出している。
タツちゃん浮草暮らし その3
朝5時、まだ真っ暗である。
タツちゃんは寝ているので、ソーッと抜けだし、ハーバーの崖を登り、ペナン大橋にでてウオーキング。
ガチンコ勝負のマラソン組は通り過ぎてしまって、殆ど人はいない。
水の補給所に行くと盛大に応援を受けて尻がこそばい。
10kmの地点で折り返し帰路につく、今年は橋のトップまでも行けない。
帰ってシャワーを浴びて、タツちゃんと飲茶を食べに行くが行きは何とか街中へ出たのだが、帰り途はどこも交通規制で帰れない。
そうだ、ハーバーの横にある散歩道をいけば帰れると思いだして、やっと帰る事ができた。
夜は、船で豚肉バーベキューとお好み焼きを、ハリマオーのIさんも呼んで食べる。
テツさんがいればタコ焼きが出てくるところだがな、、
タツちゃんは下痢気味のようで、冷たいモンの飲みすぎと本人は言っているが、ビールの呑みすぎのようなので、暫く、ペースダウンしなければならない。
ちょっと、チャンさんとタンさんに弄りさせた為、ビールを飲み過ぎたようで、暫く隔離だ。
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